第4話

白狐の話


「嫌だよぉ、その息苦しくなる匂いの袋、懐に入れているそれ、其れを出してくれなきゃ話もできゃしないよ。」

そう袂で鼻を隠しながら、狐目の女は心太に目配せをしてくる。

「ちょっと話を聞くだけだ、近くに寄らずに大きな声で話しゃいいだろ。」と心太は、懐ににある御守りを着物上からぽんと叩いた。

二人は、火除け地の稲荷神社の前に立っていた。


大きなため息を吐いて女はつっっと後ろに下がりそこにあった石に腰を下ろした。

「私は別に悪さするつもりは無かったのさ、留吉さんがいつだって美味しい油揚げを持って来てくれるから、ちょっと手伝ってやるつもりだっただけさ。」

赤い舌で唇を舐め、そう拗ねた様に言うのは、疲れたのか女から元の姿に戻した白狐だ。

「留吉さんの女房が回復したのを機に、もう私の仕事は終わったんだから賭場に顔を出すのをやめたんだ。油揚げも前ほど美味く無くなったしね。」

と目を細めて、ちろりと赤い舌を出す。

「最後に賭場に行ったのは、久しぶりに美味い油揚げを供えてくれた時に、あんまりにも切迫詰まった留吉さんにぼだされたからさ。だけどさ、賭場に行ったらこりゃだめだと思ったんだよ。

目が血走っていて、店や家族のためじゃ無い、快楽のための賭け事になっている、そう気付いたからね。

私は仮にもお稲荷様の使いをかって出た者だよ、お家を崩壊させる片棒を担ぐわけには行かないよ。だからさ、ちょっとだけ目が醒めるまじないをしたのさ。前から胴元に金を借りない暗示だけは掛けてやっていたからね。私の力はそれ程強か無いから時間がかかっちまったが、それでも仕事を挽回するのには間に合った筈さ。」ふんと鼻を上げて得意気に言い放った。

「では、賭場狂いになる様に罠を掛けたのでは無いと言うんだな。」心太は、目に力を込めて白狐ににじり寄る。

「近づかないでおくれよ、苦しいよ」

「おう、そうさ。人間ってのは弱いもんだね。初めの目的は達成出来たっていうのに、欲をかいてあんなにも賭け事にのめり込むとはさ。」そう言って意地の悪い目付きで、心太を睨め付ける。

「私は美味しい揚げが食べたいだけだからね。賭場狂いは困るんだよ。」っとふぅっと息を吐いて眉を下げた。

どうやら白狐は、自分のせいで留吉が足を踏み外しかけたとは思っていないようだ。だがそこはやはり妖。人を狂わす妖気が漂って仕舞うのだろう。

現に白狐が離れるとまじないの力だけでは無く留吉は、眼が覚めた様に元に戻ったのだ。


心太は、パンッと帯を叩いて気を入れ直し額のところで印を切ると、白狐にこう言い放った。

「白狐退散、元居た場所に戻りおれ。」

するとシュッと音を立てて、白狐は消え失せた。

その時心太の耳元で「色気の無い、野暮な言葉だのぅ」と囁く声が聞こえた。



後日談


たったったった。

軽やかな足音に乗せて、揚げたての油揚の匂いが近づいてくる。

鼻をくんくんと動かしながら白狐は、頭に葉を乗せるとくるりんと、とんぼを切って女の姿になった。

襟元や髪の毛を整えながら、狐目の女は何気ないふりで、稲荷神社の祠の脇でしなを作って佇んでいる。


心太は、その姿がまるで見え無いかのように真っ直ぐ前を見据えて、祠に手を合わせ懐から出した油揚を恭しくお供えした。

深く頭を垂れた後に、わずかに顔を横に向けて、

「お稲荷様に差し上げたんだ、慌てておめぃが食らいつくんじゃねえぞ」と言うと、ひょいと懐からもう一枚油揚を出して草叢の方へ高く放り投げた。

それは、留吉の豆腐屋でおまけに貰った端が焦げたり、破けたお揚げさんたった。

いつの間にか元の姿に戻ってガッツガツとむさぼり食べている白狐に向かって

「大人しくここいら辺の警護でもしていろよ。」

と声を掛けて足早に立ち去る心太に、白狐は

「あいよ」と心の中で答えつつ、それでもたまにはあんたの肩に乗ってあちこちほっつき歩くからねぇと、心太には届かない声でのたまわった。


その白狐の思いを知ってか知らずか、心太は時折この祠のそばに用が有ると、留吉の豆腐屋で油揚を買って届けに来る。

留吉には、あの女がお稲荷様の使いの白狐だったとは告げてはいない。狐目の女が近くに住んでいるようだから、あのお稲荷様にはもう行かない方が良いだろうと言ってある。

留吉は、

「さいですね。実はなんだか怖くなっちまって、遠回りしている始末です。」

と薄っすらと妖気を感じ取ったのか、そう言うと、また年下の心太に小さくなって苦笑いをしながらペコペコと頭を下げていた。

どうやら、元の生真面目な留吉に戻って商いに精を出しているようだ。

店では、新しく入った若い衆も汗を流して立ち働いていて、活気が戻っていた。

近頃は、いつ行っても買い物客の姿を見るようになった。


この顛末をご隠居様に話すと、

「やっぱり狐に好かれたみたいだね」

と嬉しそうに笑って

「心太もお人好しだ。」と言いながら、五朗平が世話になったお稲荷様の使いと聞いちゃぁほっとくわけにもいかないねぇと、油揚が買えるように時折心太に小遣いをくれるのだ。

そんな時のご隠居様は、遠い目をしてアバタの四角い顔の先代を思い出しているのか、ふんわりと嬉しそうな目をするのだ。

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飛脚屋心太二の巻 狐目の女 小花 鹿Q 4 @shikaku4

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