第3話

留吉の話


留吉は、親から継いだ豆腐屋で知恵を絞って五目がんもや染み稲荷お揚げなどを売り出し、店を一回り大きくし、二年前から通いで三太と五助という若者を二人雇うほどになった。

お雪という女房も精を出して働いていたが、子には恵まれなかった。そろそろ養子でも取ろうかといっていた矢先お雪が寝付いて痩せ細ってしまい留吉は、働き者で愛嬌のあるお雪にぞっこんだったので、医者を呼んだり甲斐甲斐しく看病に明け暮れたが、一向に良くならない。

効くと耳に入れば、遠くの薬屋まで足を運びもするし、高名な医者も呼んだ。

豆腐屋の方も手を抜かず懸命に働いていたが、徐々に薬代が追っつかなくなって来た頃に、昔の遊び仲間に火除け地のお稲荷様の前でばったり会った。

「近頃どうでぃ」と水を向けられると、留吉は我知らず我慢していたのか、堰を切ったようにお雪の病気のこと、薬のこと、お足が心許ないことを一気に話してしまった。

「すまねぇ、つまんねぇい話を聞かせちまったな」そう言って情けない半笑いをしながら、

「それじゃまたな。」と別れようとすると、

「構わねぇさ、しかしおめぇも大変だな、困った時はお互い様さ。そこでだ、持っている金をちょっと増やしてみねぇか。」と誘われたのをきっかけに、賭場に顔を出す様になった。

行く前に、必ず火除け地のお稲荷さんへお参りをしていたのだが、ある時店の名物になった通常の二倍も厚さも長さもある油揚が珍しく残っていたので、それを持ってお稲荷様にお参りした。そしてそれから賭場に出るとツキが面白い様に回って来て、薬代の支払いをしても釣りが出るということが有った。

験担ぎに、それからは大判油揚を必ず持って出かける様にした。

いつからか、気付くといつも賭場の自分の横には、あの狐目の女がいて賭ける時に低い自分にしか聞こえない様な声で半、丁といってくる様になっていたのだ。

勝ったり負けたりしながら、帰りには来た時とよりも懐を重くして帰って行くという日が続いた。

そうやって薬代に事欠かなくなって、次第にお雪も元の通り元気に店を切り回す様になった。

しかしだ、留吉の賭場通いが今度は収まらなくなったのだ。



留吉の賭場通い


「おまえさん、いい加減にしておくれよ。」

元気になったとはいえ、長患いの後のお雪は、力無く言うと留吉は、

「何言ってやがる。おめぃがこうやって元気になれたのもお足が有ったからじゃねぇか。どうやってその薬代を作ったのか、おめいだって知らねぇ訳じゃねぇだろう」と足蹴にする勢いでお雪を退けて金入れにしている箱に手を突っ込んで、足速に出て行ってしまった。

その様子を呆れ顔で見ていた三太と五助は、済まなそうに眉を下げ低い声で

「おかみさん、親方は何かに取り憑かれちまったんですよ」

「女将さんが悪い訳じゃないんですから。」と声を掛けてくれたが、あんな風に言われたらお雪は言い返せる言葉は無い。そしてそれが分かっていて、「お前のせいだ」と言葉を投げつける留吉が憎らしかった。

「五助、三太ありがとうよ、給金が遅れちまってるのに、今日もちょっと少ないけど、もうしばらく我慢しとくれよ。必ずちゃんと返すからね。」と通いで何かとお足のいる二人に、月払いで払っている給金を渡した。


すると、三太と五助はうなずき合い。眉を八の字に下げながら、「おかみさん」と切り出した。


お雪は一人になった店の上がり框に腰掛けて、大きなため息をつく。

三太と五助は、このまま自分達が居たらどうにか店は回っていくかもしれないけれど、このままおいら達の給金の分の豆を削って豆腐を作り続けてもどんどん客は減っていくだけだ。今でも薄くなったとしょっちゅう文句を言われたり、もう来なくなったお客も多い。

ここは、おいら達をお払い箱にして親方に眼を覚ましてもらった方がお互いのためだと言って、もう口入屋に次の働き口を見つけてもらっているという。

親方には、仕込んでもらった恩義も有るし、女将さんにも世話になった。だから女将さんだけにも自分達の心情を分かっていて欲しいと涙を溜めて訴えられたらお雪は、引き止める言葉が見つからなかった。

「明日、親方に挨拶をして仕舞いにいたしやす。」と二人で深々と頭を下げる。その言葉に決意が滲み出ていた。


お雪は、途方に暮れて本当に二人が居なくなったら、あの人が元の働き者に戻ってくれるのだろうかと、薄い胸を痛めもう一つ大きなため息をついた。


しかし、留吉の賭場狂いは歯止めがきかなかった。

五助達が居なくなった店で作るのは味の薄い豆腐に、大きな油揚げのみ。

お得意もどんどんと減っていき、火の車の店をお雪だけでは、切り盛りできるはずもなく、元の木阿弥でお雪はこの冬風邪を拗らせてまた寝付いてしまった。


気付けば、店には留吉一人。奥からはコンコンと乾いた咳が聞こえるばかりだ。

店賃や仕入れ代金の付けを晦日に支払い出来なければ店を畳むしか無いというところまで来ていたが留吉は、小銭を賭けに賭場に顔を出していた。だがやはり勝ち目は出ない。

何度も胴元から、「貸しやしょうか」と持ち掛けられたが、それだけは断っていた。賭ける金も無いのに、飲み食いだけをして見ている留吉に若い衆が、

「銭が無いなら帰れっ」と叩き出されたりしていた。

お稲荷様の油揚げの効果も、豆腐の味が薄くなるにつけて効き目が無くなって久しい。

こんな時だ、久しぶりに奢って以前にも増して大豆をたっぷり使った油揚げをお供えして大勝ちを取ろうと勝負に出た時に、あの狐目の女は賭場に姿を現したが、賭場で勝ち目は出なかった。そこで賭場を出たところで女に追い縋っていたところを、心太が見かけたのだった。


心太が行き倒れだと番屋に預けて二刻経った後、眼を覚ました留吉は、酔いが覚めた時みたいに身体が軽くなり、あれ程行きたくて仕方のなかった賭場に対しての想いが吹っ飛んでいたと、恥ずかしそうに心太に話した。


そして、その日留吉が番屋でのひっくり返っている時に、最後の大博打だと思って奢って厚く拵えた油揚げの残りを、買って行った客がいた。

以前の評判だった油揚げの事を覚えていた飯屋の主人が、たまたま通りがかり買っていっていたのだ。


その油揚げを飯屋の左之助は店で出すと、客から「もうねぇのか」と言われるほど評判が良かった。それから、いろんな献立を思い描くことが出来そうだと気に入って、店で使う事にした。

左之助は、とって返して寂れた店に前金を渡して大量の注文を出したのだった。その話を、番屋から帰った留吉にお雪が飛び跳ねるようにして報告した。留吉は、嘘ではなかろうかと何度も頬をつねったが、目の前にの前金は無くなることもなく、お雪の手に握られているのだった。それから留吉の豆腐屋は、何年かぶりで息もつかない忙しさになったそうだ。

二人しかいない店で、お雪も寝ている暇は無いと起き出して働いているうちに、なんとか動ける様になってきたところだ。


そんなこんなで、「ご挨拶にも伺えず相済みませんでした。」とまたうんと年下の心太に頭をひょこひよこと下げるのだった。


で、おいらの肩に白狐が乗っていたと言う訳かぁ。

うぅむと唸りながら、染井村からの帰り道蓑笠を叩く雨音に包まれながら、天気がよくなったらあのお稲荷さんへお参りに行くかと、帰り道の飯田の町を左に折れながら心太は重くなった足取りで、そう心に決めた。

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