第7章 Baby's Fragrance

1

「ただいま」

「おかえり~」


玄関ドアを開けるなり、ボフッと音がする勢いで抱きつかれて、一瞬バランスを崩しそうになる。


「っぶね…」

「ふふ、ビックリした?」


目を丸くする俺を見上げて、智樹が悪戯っぽく笑う。


でもその髪はビショビショに濡れていて、よく見るとTシャツを着ただけの足元も濡れている。


「風呂入ってたの?」


首にかかったバスタオルで濡れた髪をガシガシ拭いてやる。


「うん。あのね、エレベーターがね、チンっていって、んで翔真の足音聞こえて、慌てて出てきた」


されるがままになりながら、息継ぐ間もない勢いの智樹に、俺はうんうんと頷いて返す。


でも、


「一緒に入りたかった?」


ふふ、と笑ってそう言われた瞬間、俺の制御装置はプスプスと黒煙を吐き出しながら壊れ始める。


「ふふ、苦しいよ…」


気が付けば腕の中に智樹をすっぽりと収め、まだ湿った髪に鼻先を埋めていた。


同じシャンプーを使っている筈なのに、智樹の髪から香って来るのは、俺のそれとは全然違っていて…


「赤ちゃんみたい…」


思わず零れた言葉に、智樹が俺の腕の中でクスリと笑う。


「俺、赤ちゃんと違うよ?」

「知ってるよ?」


だって、赤ちゃん相手にこんなドキドキしたりしないしね?


それに赤ちゃんはそんな誘うような目で俺を見たりしないから…


「翔真?」


不意に名前を呼ばれて我に返る。


「どうしたの、ボーっとしちゃって」

「ん? ああ、腹減ったなぁ、って思ってさ」


噓だ。

腹なんて、そう大して減っちゃいない。


そうやって無理矢理にでも誤魔化してないと、自分が抑えられなくなりそうだから…


なんたって俺の”制御装置”は既にぶっ壊れてるんだから。


それなのに、この人ときたら…


「ふふ、じゃあご飯にする? それとも…?」


なんて、小悪魔さながらの笑顔で俺を見つめてきやがる。


スイッチ…、入っちゃうよね?


乾き始めた前髪を掻き上げ、そこにチュッとキスを一つ落とすと、華奢な身体を抱き上げた。


「だから、俺は赤ちゃんじゃないってば…」


唇を尖らせて文句を言いながら、俺の首に腕を回してくる。


肩に預けた髪から、フワッと香ってくる甘い香りに、頭の芯がクラクラする。


「あ、それとも今日は赤ちゃんごっこ?」

「それもいいかもね?」

「…もう、ばか…」


自分で言っといて“ばか”はなくね?


寝室のベッドに下ろし、首筋に顔を埋めると、やっぱり甘い香りがして…


「やっぱり赤ちゃんの匂いがする」

「ふふ、翔真も一緒だよ? 赤ちゃんの匂いするモン」


きっとそれは、智樹の匂いが俺にも移ったからだよ。


「やべぇ、眠たくなってきた…」


いつもそうなんだけど、智樹の匂い嗅いでると、何故だろう…不思議と睡魔が襲ってくる。


「ふふ、今夜はもうこのまま寝ちゃおうか?」

「そうする?」

「うん、そうしよう」


そんなこと出来るわけないのに…


ねぇ、そうでしょ?



だって、


こんなに甘い香りに包まれてるんだから…




おわり♡

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