数日後の晴れた朝、俺はまたお袋の愛車を借りた。


体力はすっかり元に戻っていたが、退院以来初めての外出といこともあってか、お袋はブツブツと文句を言ったが、それも俺を心配してのことだと思って聞き流した。


まるで永遠に続くんじゃないかってくらい、どこまでも真っ直ぐに伸びる農道を、中学校に向かって走る。


つい数日前まで毎日通い続けた道だ。


なのに違って見えるのは、道中何度も見かけた”封鎖中”と書かれた案内を目にしたから、なのかもしれない。


いよいよ校舎の取り壊しが始まったんだ…


彼との記憶が詰まった場所が消えてしまう…、そう思ったらやけに寂しさが募って来て…


立ち入り禁止の看板を前に、俺は暫くの間呆然と立ち尽くしていた。


その時、ほんの一瞬だけど、桜の香りが辺りを包んだような気がした。


俺は咄嗟に自転車の向きを帰ると、中学校とは真逆の方向に向かって走り出した。


彼はまだ俺を待ってる…


確信なんてない。

でも…


俺は桜の香りに導かれるまま、ひたすらペダルを漕いだ。

溢れ出した汗が滝のように流れ、全力でペダルを漕ぐ膝はケタケタと大笑いを始めたが、それでも俺はペダルを漕ぐ足を止めようとはしなかった。


そうしてやっとの思いで一軒の家にたどり着くと、自転車を庭先に放り出して、早朝にも関わらず玄関ドアを乱暴に叩いた。


やがて顔を出したのは、彼に似た穏やかな笑顔の女性だった。


「あ、あの、俺…」


呼吸をするのもままならず、まるで息が詰まったみたいに、上手く喋れない…


「ふふ、どうぞ入って? あの子なら上にいるわ」


ドアを開き、俺を中に入るようにと促す女性に頭を下げ、俺は玄関脇の階段を駆け上がった。


そして階段を上り切ったすぐ先の部屋のドアの前に立つと、一つ深呼吸をし、応えがないことを知りながらも、俺はノックをしてドアを開けた。


フワッと風になびくカーテン…


その下で彼は眠っていた。


あの頃と変わらない姿で、とても穏やかな顔をして…


そっと頬に触れてみると、ほんのりと暖かい。


「ごめん、忘れてたわけじゃないんだ」


卒業式の前日、君と交わした約束を…


『毎年桜の季節にこの場所で会おう』


桜の木の下で、交わした約束。


でもその約束が守られることは、結局一度もなかった。


俺は家出同然に都会へと旅立ち、君は元々患っていた持病を悪化させて長期の入院生活を余儀なくされた。


そうだ、確かあの約束を交わした、その夜だったよね、君が倒れたのは…

その後何日かして、俺は時聞かされたんだ、君が死んだ、と…


今思えば、あの時どうして自分の目で耳で確かめなかったのかと、今更ながらに後悔ばかりが募る。


「ずっと待っててくれたんだよな? 俺との約束守るために…」


風に揺れる髪を掻き上げ、額に口付ける。


その時、どこから飛んできたのか、開け放した窓から桜の花弁がヒラヒラと舞いこみ、フワフワと宙を漂ったかと思うと、彼の唇の上に落ち、一瞬のうちに消えたかと思うと、それまで閉ざされていた彼の唇が、ゆっくりと動き始めた。


「おかえり…、…真…」と…。


俺は彼の唇にそっと自分の唇を重ねると、力なく伸ばされた手を握った。


そして彼の耳元に囁いた。


「来年こそは一緒に桜、見に行こうな?」と…



俺達が約束を交わした桜の木はもうないけれど、でもまたどこかで俺達の桜の木が小さな蕾を付けるだろう。


やがて蕾が綻び、満開の桜が見頃を迎えるころ…




その時はきっと二人で…



ー完ー

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