俺は空白になっていた時間を埋め尽くすように、寸分の隙間もない程に彼の身体をきつく抱き締めた。


彼もまた長いこと、俺と同じ気持ちでいたことを、俺は知っていたから。


立っているのがやっとの身体は、俺の腕の中でまるで痙攣でもしたかのように震え続けた。


彼は俺に抱かれながら言った。


「もう…これ以上待つのは、イヤなの…」と…


俺も同じ気持ちだった。


俺だって、この時を待ってた。

お前と一つになれる瞬間を…


「ごめん、気遣ってやれそうもない…」


震える背中に囁くと、彼は首だけで俺を振り返り、


「それでもいい…。早く君が欲しい…」


息を詰まらせながらそう言って、綺麗な涙を流した。

そして、どうしてだか分からないけど、俺の頬にも涙が一筋伝った。


久しぶりに挿った彼の中は、一瞬でも気を抜けば持っていかれそうな程に熱くて…

それだけで俺の身体は震えた。


それに何より、彼がまだ俺の形を覚えていてくれることが嬉しかった。


もう夢中だった…


「顔、見せてよ…」


「嫌だよ…、恥ずかしいもん…」


今更恥ずかしがるような関係でもないのに、照れているのかどうしても顔を見せたがらない彼の身体を反転させ、喘ぐ唇に自分のそれを乱暴に押し付けた。


雨音だけが聞こえる室内に、雨音とは別の水音がやけに大きく響いた。


「しっかり掴まってて?」


唇を離し、紅潮した顔を覗き込むと、彼はコクリと頷きだけで答えてくれた。


俺たちの間に言葉なんて必要なかった。


感情をぶつけ合う…、ただそれだけで良かった。





埃の積もった床にカーテンを外して敷き、そこに汚れた身体を投げ出すと、一気に睡魔が襲ってきた。


「ふふ、少し眠ったら?」


「うん、少しだけ…」


本当はもっと余韻を楽しんでいたいのに…


どうやらこの強烈な眠気には、どうやったって抗えそうにない。

俺はゆっくり瞼を閉じると、睡魔に身を委ねた。



出来ることなら、彼の隣でずっと彼の声を聞いていたかったのに…

あの頃と何一つ変わることのない、彼の顔を見ていたかったのに…





硬く閉じた瞼を持ち上げると、そこは白一色の世界で…


醒め切らない、ボンヤリとした視界には、初めて見るお袋の泣き顔があって…


「俺…、どうしたんだっけ…」


カラッカラに乾いた喉から絞り出した声は、酷く掠れている。


それに腕は何本かの管に繋がれていて…


「ここ、は…?」


「病院じゃよ?」


首を動かすことすら億劫で、声のした方に目線だけを動かして向けると、皺だらけの婆ちゃんの顔があった。


病院、か…


でも、どうして…?

俺は確か…


「全くこの子ときたら…、心配ばかりさせて…」


そこまで言って、俺に余程泣き顔を見られたくないのか、お袋が背中を向けた。


そうだよな…

いつも気ばっか強くて、家族に弱いところなんて、一度だって見せたことないんだもんな…


そんなお袋が、息子である俺に泣き顔なんて、見せられるわけないよな。


俺は小さく震える丸まった背中に”ごめん”と一言だけ言うと、再び瞼を閉じた。




幸い、検査の結果に何の異常も見られなかったため、俺の入院は三日と、短いもので済んだ。

とは言っても、鬱に関しては、当分の間の通院が言い渡されたが…。


「お世話になりました」


擦れ違う看護師に一々頭を下げて歩くお袋に着いて、俺は病院を出ると、待っていた親父の車に乗り込んだ。


親父は特に何も言わなかったが、その顔は少しだけ怒っているようにも見えた。


ま、人様の世話になることを最も嫌う親父の性格上、これまでも散々迷惑をかけてきた俺のことを、どこかで許せないって気持ちがあったんじゃないか、とは思うけど…。




実家に戻って2、3日が過ぎた頃、婆ちゃんが俺の部屋のドアをノックした。

膝を悪くしてから、二階に上がって来ることは滅多になくなったのに…


「用があったら俺が下まで行くのに…」


俺がそう言うと、婆ちゃんはニコッと笑って、俺の好きな和菓子を差し出してきた。

いや、厳密に言うと、昔好きだった…、だな。


俺がそれを受け取ると、婆ちゃんは部屋に入ることもなく俺に背を向けた。


「あ、婆ちゃん…」


俺がその丸まった背中に声をかけると、婆ちゃんが身体ごと俺を振り返った。


「あのさ、俺ってさ、発見された時、一人だった?」


そう、俺は校舎の中で倒れている所を、解体のための調査に訪れた業者によって発見された…らしい。


とは言っても、俺に当時の記憶はなく、後からお袋に嫌味のように聞かされた話し、なんだけど…。


「一人じゃったよ? だーれもおらんかったよ? 桜は満開じゃったけどな?」


そう言って婆ちゃんはケラケラと笑いながら、危なっかしい足取りで階段を降りて行った。


俺はベッドにゴロンと寝転がると、婆ちゃんから貰った和菓子を口に放り込んだ。


久しぶりに口にしたそれは、懐かしさもありつつ、一度口にしたら病みつきになるような、そんな味だった。


まるで彼とのキスみたいに…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る