5
そんなある日、自転車に跨った俺を、婆ちゃんが呼び止めた。
「また学校に行くんかい?」
「そう…だけど?」
「そうかいそうかい。行ってらっしゃいな。気ぃ付けていって来るんじゃよ」
「うん、行って来る」
俺は見送ってくれる婆ちゃんに手を振り、ペダルを漕ぎ始めた。
いつものように農道を走り、学校へ向かう途中、山の方から黒い雲が広がっていくのが見えた。
一雨来るかもしれない
俺は雨が降って来る前に、学校への道を急いだ。
幸いにも雨に降られることもなく学校に着いた俺は、自転車が濡れないようにと、渡り廊下の軒下に停めた。
空を見上げると、黒い雲はすぐ真上にまで迫ってきていて…
手をかざすと、ポツンと俺の掌を濡らした滴は、ポツリポツリと地面を濡らして行き、やがて大粒の雨粒となって地面に叩き付け始めた。
これじゃ、桜の木まで行けそうもないな…
俺は諦めにも似た気持ちでため息を一つ落とすと、錆びついた校舎の扉を押した。
意外にも鍵は掛かっていない。
「お邪魔しまーす…って、誰もいないか…」
いや、寧ろ”いたら”怖いけどね?
「寒っ…」
校舎の中へ足を一歩踏み入れると、ヒンヤリとした空気に、一つ身震いをした。
差し込む日差しも無いのだから、それも当然のことなのかもしれない。
長い間締め切られていたせいか、校舎の中は酷く埃っぽくて、あちらこちらに散乱した机やら椅子やらが、足元を悪くした。
廊下と教室とを隔てる窓ガラスは割れ、ところどころに蜘蛛の巣まで張っている。
まさに廃墟と言う表現がしっくりくる光景。
…にも関わらず、俺の胸には懐かしさが込み上げていた。
それは、至る所に“彼”との思い出が残されているから…なのかもしれない。
俺は埃の積もった階段を上へ上へと上り、最上階に着くと、廊下の突き当たりのを目指した。
最上階には、所謂”特別教室”の類が並んでいて、俺が目指す教室は、その最も奥に位置していた。
根拠なんてない。
何故かそこで彼が待っているような…
そんな気がしていた。
「ここだ…」
その教室の扉の前に立つと、他とは違う、独特な匂いが鼻を突いた。
無口な彼が、いつも身に纏っていた香りだ。
もっとも、俺はその香りが好きではなかったが…
俺はスッと息を吸いこむと、扉の取っ手に手をかけた。
ゆっくり扉を開き、薄暗い室内を覗き込む。
いた…。
彼は背中を丸めて、窓辺に立っていた。
そして俺に気付くと、ゆっくり首だけで俺を振り返ると、昔と全く変わらない笑みを、その顔に浮かべた。
「やっと会いに来てくれたね?」
彼は俺を見るなり、まるで子猫のような声でそう言った。
俺は思わず駆け寄り、彼の華奢な身体を両手で抱き締めた。
「会いたかった…。ずっと…、こうしたかった」
躊躇うことなく俺の胸に頬を埋める彼の背中を掻き抱き、思いの丈をぶつけるようにその耳元に囁いた。
「うん…。僕もずっとこうして欲しかった…」
そう言った彼の髪からは、アクリル絵の具の、独特な匂いがした。
「ごめん、随分長いこと待たせた…、よな?」
背中に回した腕を解き、少しだけ上向いた彼の頬を撫でてみる。
すると白い肌が、仄かに赤く染まった。
「ふふ、擽ったいよ…」
「相変わらずだな、その反応?」
昔と変わらない彼の仕草に、思わず笑ってしまう。
でもそれはほんの一瞬のことで…
長い睫毛に縁どられた瞼がそっと伏せられると、俺は引き寄せられるように彼の唇に、自分のそれを重ねた。
軽く触れるだけのキスをすると、彼の瞼がゆっくりと開き、拗ねたように頬を膨らませた。
その顔は、もっとして…、そう言っているような気がして…
俺は再び彼の唇に吸い付くと、今度は舌先で閉じたままの唇を突っついてやる。
そうすると、彼は少しだけ照れたように、その固く閉じた扉を開いて、俺を招き入れてくれるんだ。
歯列をなぞり、上顎を舐めてやると、彼の身体は脱力して…
俺は腕を腰に回して、今にも崩れそうな彼の身体を支え、深く口付けたまま彼の背中を壁に押し付けてから、緩く結んだだけのネクタイを解いた。
シャツのボタンを上から順に外し、外気に晒した肌に手のひらを滑らせてやると、重ねた唇の隙間から、堪え切れない吐息が漏れ始め…
相変わらず敏感な身体は、軽く触れただけで紅潮し始める。
もう、自分を抑えることなんて出来なかった。
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