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「ごちそうさまでした」
米一粒残すことなく平らげ、俺はまたお袋の背中に声をかけた。
「はい、お粗末さまでした」
こんなありきたらりな返事が返って来るのが、何だか嬉しく感じる。
「あ、あのさ、チャリンコ借りてもいい?」
「出かけるの? どこに?」
一応、気にしてくれてんの…かな?
「ん〜、ちょっと散歩?」
学校に…、って言いかけたけど、やめた。
理由は分からない。
けど、いい顔しないんじゃないか、って思ったら、正直に言わない方がいいんじゃないかって、さ…
「あ、そう。行ってらっしゃい」
「うん…行ってくる」
食べ終えた食器を重ね、シンクに置くとキッチンを出た。
セーターの上にパーカーを引っ掛け庭に出ると、いつの間に起きたのか、婆ちゃんが待っていたかのように、俺に向かって手招きをした。
「なに?」
「学校へ行くんじゃろ?」
「なんで分かんの?」
「そりゃ分かるさ」
婆ちゃんは自慢げに鼻を鳴らし、皺だらけの顔でクシャッと笑った。
「気ぃつけて行って来るんじゃよ? で、ちゃーんと帰って来るんじゃよ?」
「分かってるよ。行ってくる」
俺は婆ちゃんに見送られながら、チャリンコのペダルを漕ぎ始めた。
農道をチャリンコで走る。
田舎の空気は、都会のそれとは全然違って、やっぱり美味い。
それもそのはず、ここにはスモッグを吐き出す工場もなければ、排気ガスを垂れ流して走る車だって、ビックリするほど少ない。
”のどか”そんな言葉がピッタリ当てはまるこの町に、俺は帰って来たんだと、今更ながらに実感する。
暫くチャリンコを走らせると、どこからともなく、花の甘い香りが漂ってきた。
桜の香りだ…
俺は残りの距離を、全力でペダルを漕ぎ、チャリンコを走らせた。
長い年月の間をかけて苔に覆われた門の脇にチャリンコを停め、一目散に桜の木の下まで駆け寄った。
乾いた樹皮にそっと手をそっと触れてみる。
瞬間、俺の足元をブワッと風が通り抜けた。
そして、指の触れた部分から、ドクドクと伝わってくる桜の木の脈。
『探して? 早く僕を探して…』
そう言っている気がして、俺は太い幹に両腕を巻き付けた。
「教えて? 君はどこにいるの?」
耳を寄せ、桜の木の声を聞いてみる。
当然だけど、答える筈なんてなくて、俺は巻き付けた腕を解き、根元に腰を下ろした。
幹に背中を預け、下から桜の木を見上げると、風に揺られた花弁が、俺の上に舞い落ちてきた。
「待ってて? すぐに見つけるから…」
俺は桜の香りに酔わされるように、そっと目を閉じた。
「ねぇ、キス、していい?」
ん?
いいけど…?
「何それ、イヤなの?」
そうじゃないけどさ…
別に聞くことでもなくね?
「だって僕の方からイキナリしたら、ビックリするでしょ?」
まあ、それもそうだよな?
お前が積極的な時なんて、滅多にないもんな。
「ふふ、でしょ?」
うん、たまには積極的なのも、悪くないかもな?
「ねぇ、ちゃんと目閉じて?」
何で?
俺はお前の顔、ずっと見てたいけど?
「やだよ、恥ずかしいもん…」
ばぁか、今更照れるような関係か?
ほら、早くしてくれよ、キス。
「う、うん。じゃあ、いくよ?」
うん、思いっきり濃厚なヤツ頼むわ。
「バ、バカ…。もう知らない…」
嘘うそ、冗談だよ?
お前からしてくれるなら、どんなキスでも、俺は嬉しいからさ…
「もう…、照れるじゃんか…」
照れてなくていいからさ、ん…
チュッ…
冷たい風が肌を撫でて、肌寒さに重い瞼を持ち上げた。
「また夢…」
それにしてもリアル、だったよな…
だって、唇の感触が…残ってる…
ちゃんと、暖かかった。
ちゃんと、柔らかかった。
「なぁ、そこにいるのか?」
問いかけたって答える筈なんてないのに、頭上で風に揺れる桜の花に聞いてみる。
でも答えてくれるわけもなく…
「そうだよな? 俺が見つけなきゃなんないだよな?」
地面に根っこのように張り付いた重い腰を上げると、もう一度両腕を木の幹に巻き付けた。
「また来るから…。絶対見つけ出すから…。
それまで待ってなよ?」
硬い樹皮に口付け、そっと撫でてやると、
『待ってるから…』
桜の木がそう言っているような気がした。
その日から、俺は毎日のように学校に通い続けた。
来る日も来る日も桜の木の下で時間を過ごし、夕方日が暮れる頃に家に戻る…その繰り返しだった。
家族は何も言わなかったが、お袋だけは違った。
まあ、お袋の愛車を我が物顔で毎日乗り回してりゃ、文句の一つも言いたくなる気持ちは、分からなくもない。
それでも俺は学校に通うのをやめようとは思わなかった。
だって、俺はまだ彼を見つけてないから…
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