3
物置然とした自室に入ると、開けっ放した窓から、まだ少し冷たい風が流れ込んで来た。
春とはいえ、周囲を山と田畑に囲まれた土地では、夜になればまだ冬並みに寒い。
「ったく、窓ぐらい閉めといてくれたって良いのに…」
独りごちりながら、窓をピシャンと閉める。
その時、俺の髪に絡まっていたんだろうか…桜の花弁が一枚、机の上にハラリと落ちた。
「婆ちゃんは咲かない、って言ってたけど…咲いてたよな…」
指で小さな花弁を摘み、蛍光灯に透かしてみると、しっかりとした花脈がみえて…
「やっぱ本物だよな…」
俺は机の上に並べられたままになっていた適当なノートに、その小さな花弁を挟むと、机の引き出しにしまった。
押し花なんて、乙女な趣味は持ってないけどな…
それにしても疲れた…
俺は倒れるようにベッドに寝転んだ。
散々歩き回った足は、しっかり棒のようになっていて、ズッシリと重い。
シャワーだって浴びたいけど…
それに婆ちゃんの言ってたことも気になるけど…
でも、今日はもう眠ってしまおう…
で、明日になったら、もう一度学校へ行こう…
今はただ、打ち寄せてくる睡魔の波に身を任せよう…
「起きて? ねぇ、起きて?」
誰だよ…
俺はまだ眠ぃんだよ…
「いいから、起きて?」
ったく、しょうがねぇなぁ…
なに、どうしたの…?
「ねぇ、早く僕を探してよ…」
は?
何言ってんの?
あ、分かった!
また俺のこと揶揄ってんだろ…
ったく、もういい歳なんだからさ、いい加減ガキっぽいことやめろよな?
「いい年って…。失礼だな…。僕は君とは違って…」
な、何だよ…
俺、何か変なこと言ったか?
っつかさぁ、んな顔すんなって…
悪かったって…
な?
だからさ、笑ってよ…
いつもみたいにさ、笑って…?
「じゃあ早く僕を探して? そしたらさ、僕はまた笑えるから…。
ね、お願いだから、
僕を探して…」
「待って!」
自分の声でベッドから飛び起きる。
一気に覚醒させたせいか、まだぼんやりとする目を擦り、グルリと巡らせる。
でもそこは間違いなく俺の部屋で…
「えっ…、あ…、夢…か…」
それにしても妙にリアルだったような…
だって…、耳に残るこの感触…
まるで彼の吐息が触れたような、擽ったいような感触…
夢…なんだよな…?
「っつか、寒っ…」
俺はベッドの上に脱いだパーカーを引き寄せ、それを肩に掛けた。
ベッドを抜け出し、机の上に置きっ放しにしたスマホを手に取った。
着信は…ない…
当たり前か…
俺の番号を知ってる奴なんて、たかが知れてる。
俺はスマホの電源を落とした。
そして机の引き出しを開けると、桜の花弁を挟んだノートの上に置いた。
かけることも、かかってくることもない電話なんて、もう必要ないから…
窓の外に視線を向けると、白々と明けて行く空の向こうに、遠く霞む山並みが見える。
都会暮らしでは、決して見ることのない景色に、清々しささえ感じる。
って、こんな感傷に浸ってる俺って、やっぱ病気なんだろうな…
俺は自嘲気味に笑って、トランクを開けた。
少し厚手のセーターと、お気に入りのホワイトジーンズを出すと、急いで着替えを済ませた。
階下に降りると、早朝にも関わらず、キッチンの明かりが点っていた。
流石、田舎の朝は早い。
「おはよう…」
包丁を手に、豆腐と格闘するお袋の背中に声をかける。
「ああ、びっくりした…。随分早いわねぇ?」
そう大して驚いてもないのに、わざとらしいよ…
「お袋こそ、早いじゃん」
「私はいつもこの時間には起きてるわよ。それより顔先に洗ってらっしゃい? 涎の跡、ついてるわよ?」
俺の顔なんて見ても無いくせに、よくそんなこと言えるよな?
親…だからか?
「うん。飯、俺の分もある?」
昨夜のことがある。
ここはしっかり確認しておかないと…
「あるに決まってるでしょ? ほら、さっさと顔洗ってらっしゃい。その間に用意しておくから」
その言葉に、ホッと胸を撫で下ろすって、どんなんだよ…
「卵焼き、食いたいな…」
きっと聞こえてないだろうな…
そう思いながら、洗面所に向かった。
冷たい水で顔を洗うと、気持ちまでシャンとしたような気分になるから、不思議なもんだ。
ついでに寝癖の付いた髪を整え、キッチンに戻ると、味噌汁のいい匂いが腹の虫を刺激した。
「もう出来るから、待ってな?」
「うん」
俺はまだ無人のダイニングの椅子に腰を下ろした。
その俺の前に、ご飯と、味噌汁、干物、それから卵焼きが並べられた。
なんだ、ちゃんと聞こえてんじゃんか…
「いただきます」
俺はお袋の背中に向かって両手を合わせた。
久々に食べたお袋の手料理は、やっぱり美味かった。
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