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電話の相手は分かっている。

この着信音は、お袋だ。


どうせ”まだ着かないのか”とか、催促の電話に決まってる。


「ゴメン、また来るから…」


俺は一体、何に向かって謝っているのか…

でもそうせずにはいられなかった。


ひょっとしたら、これも”鬱”の症状なんだろうか…?


俺は放り出したトランクを拾い上げると、さっき来た道をまたトボトボと戻って行った。


実家への道すがら、俺はお袋に電話をかけた。

無視することも出来たけど、無視すればしたで、後からクドクド文句を言われるのは火を見るよりも明らかだ。


「もしもし、俺だけど…あの…」


「アンタ今どこよ? あとどれくらいかかるの?」


コール音を一切聞くことなく電話に出たお袋は、俺の言葉を遮るように捲くし立てた。


俺は適当に返事を返すと、お袋との電話を早々に切り上げ、俺は歩く速度を少しだけ速めた。


電話で散々文句を言われたのに、これ以上文句を言われるのは、正直ごめんだ。

それこそ”鬱”が悪化する。




そうして漸く実家に着いた頃には、すっかり日も暮れていた。


街灯なんて殆どないから、辺りはポツンポツンとある家の玄関灯だけが灯っているだけだ。


「ただいまー」


都会で疲れ果てた俺を、暖かく出迎えてくれることを期待して、玄関ドアを開き、声をかける、が…


どれだけ待っても返ってくる言葉はなく、淡い期待は、その瞬間見事に打ち砕かれた。


玄関脇にトランクを置き、足を締め付けていた靴を脱ぎ捨て、ついでに蒸れた靴下も脱いだ。

ダイニングに続く廊下を、わざと大きな足音を響かせながら歩く。


子供染みたことをしているって分かってる。

でも気付いて欲しかったんだ…


俺の存在に…


あんなに憧れ続けた都会は、俺の存在なんて、無いも同然だった。

だから、ココに帰って来た時ぐらいは…


「ただいま…」


ガックリと肩を落とし、ダイニングに続くドアを開けた。

丁度夕食時だったのか、その場にいた全員の箸が止まり、視線が俺に集中した。


「あら、いつ帰って来たの? ただいまぐらい言いなさいよ」


さも面倒臭そうにお袋が言う。


いや、言ったけどね?

聞いてなかったのは、そっちじゃん…


喉元まで出かかった言葉を、俺はグッと飲み込んだ。

言い訳するのも、それこそ面倒臭い。


それより今は…


「腹減った…。俺の分の飯は?」


何事もなかったように、ダイニングテーブルの、一つだけポツンと空いた席に腰を下ろす。


「あら、あんまり遅いから、食べて来るのかと思って、用意してないわよ?」


なんだよそれ…

こんな何もない田舎町の、どこで飯食うっての?


もうここまで来ると、諦めも極地に達する。


「じゃあ、いいよ。自分でやるから。カップラーメンとかあんでしょ?」


俺は肩を更に落とし、キッチンに入ると、食器棚の扉を開けた。

昔からカップラーメンの保管場所は、ココと決まっている…筈なのに…


「そこじゃないわよ。そっちの棚よ」


座ったままで、お袋が俺の知らない棚を指さす。


10年も経つと、家の中も変わるんだな…

まるで他人の家にいるみたいな気すらする。


カップラーメンにポットからお湯を注ぎ、それを手にまた席に着くと、お袋が割り箸を用意してくれた。


俺は客かよ…


三分待って、俺は割り箸を割った。


「いただきます…」


熱々のスープを一口啜ると、ずっと空腹に耐えていた腹の虫が、歓喜の声を上げた。


「うっま…」


長い一人暮らしで、こんな物飽きるほど口にしてきた筈なのに、特別美味く感じてしまうから不思議だ。


「これこれ、もうちょっとゆっくり食わんか」


隣に座った婆ちゃんが、俺の飛ばした汁を布巾で拭きながら言う。


歯の数はすっかり減ってしまったようだけど、その口調だけは変わってなくて、少しだけホッとする。


「あ、そう言えばさ、来る途中学校に寄ったんだけど、もう桜満開なんだな?」


カップラーメンのスープを一滴も残すことなく平らげ、箸を置いた俺は、偶然見かけた光景を話して聞かせた。


「他の木はみんな枯れて蕾も付けないのに、一本だけ咲いてんのな? 凄い生命力だよね…って、何? 俺、何かおかしなこと言ってる?」


嬉々として話す俺に、その場にいた全員の怪訝そうな視線が集中し、無言で席を立つと、それぞれ思い思いの場所へと移動して行った。


最終的にダイニングに残ったのは…俺と婆ちゃんだけ。


「俺何かおかしなこと言ってる?」


婆ちゃんに言うと、婆ちゃんは顔をクシャッとさせて、


「あそこにはもう何年も桜なんて咲きゃあせんよ?」


と笑った。

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