第100話 脹れる悪意

「こんにちは。鳴海社長とこの時間に約束していたと申しますが」


 凱斗かいとがホールの受付にいた女性ににっこりと笑いかける。

 営業スマイル全開の凱斗に、受付の女性は少し首を傾げた。


「はい……ですが、さん、ではなかったですか?」

「……え?」

「先週、いらっしゃった時はそう仰っておられました」

「……」


 たった一度訪問しただけの凱斗は、自分の顔が覚えられていた事に驚いて眼を見開く。

 凱斗の背後で采希さいき那岐なぎがそっと視線を交わした。

 凱斗に自覚はなかったが、その容姿はかなり整っている。人好きのする笑顔の効果もあり、受付の女性は覚えていたのだろうと思った。


 コツコツとヒールの音を立て、エレベーターホールの方から一人の女性が歩いて来る。


「宮守様、お待たせして申し訳ございません。ご案内いたします」


 シンプルなスーツに身を包んだ若い女性が微笑みながら近付いて来た。

 きちんと身体に合わせて仕立てられたスーツにきっちりと纏められた髪、自然な化粧メイクと、いかにも優秀そうな秘書といった風体の女性は、凱斗以外の面子の様子に僅かに目を瞠る。


 彼女に何が見えたのか、と思わず笑みを浮かべた采希と眼が合った秘書風の女性は、少し戸惑った表情を隠しつつ、先に立ってエレベーターに向かう。


「この度は――」


 きちんとお腹の辺りに手を揃えて頭を下げる秘書風の女性を采希が制する。


「その前に、申し訳ないですが、堅苦しいのは緊張してしまうので普通に話してもらっていいですか?」

「……よろしいのですか?」

「はい。凱斗は営業だから慣れているんですが、残りの面子は……ちょっと敬語が怪しいのもいるので、出来れば」

「承知いたしました。では、少し砕けさせていただきますね」


 ほっと息を吐き出す琉斗りゅうとと那岐に苦笑しながら、采希は凱斗と並んで社長室の前に立った。


 凱斗が小さく唸る。

 言葉には出さなかったが、采希は扉の向こうの様子が以前の状態に戻ってしまっているのだろうと思った。

 濃い邪気に采希の中の守護たちが一斉に反応した。


「……琉斗、気を纏え。那岐、凱斗に防護壁を」

「了解」

「……采希、何で琉斗? それに俺に防護壁って……」


 怪訝そうな凱斗に、采希は扉を見つめながら答える。


「中に居るのは邪念だけじゃない、憑依できる程の力を持った死霊も集められている。それと、前にも言ったけど邪念の操るは凱斗にも有効だ。まだ咄嗟の攻撃には反応出来ないようだってカイさんから聞いてる。だからだな」


 納得したように頷きながらも凱斗は不服そうに口を引き結んだ。


「あの……」

「ああ、すみません。案内してもらってもいいですか?」


 困った表情のまま口元に笑みを浮かべ、秘書風の女性がゆっくりとドアをノックし、中からの返事を待ってドアを開けた。


 采希が軽く一礼して一歩部屋に踏み込んだ途端、部屋の中の空気がぐにゃりと動いた。

 攻撃の体勢を取りかけた邪念たちが采希の気配に気付いて戸惑っているのが伝わった。

 それが分かっても、采希は容赦するつもりはない。


「失礼します! ナーガ、吹き飛ばせ!」


 そう叫んで采希は拳を床に叩きつける。

 辺りに金属音が響き、采希を中心に光が波状に広がった。

 采希たちの後ろに立っていた秘書風の女性が思わず驚愕の声を上げる。


「…………」


 自分の執務室に突然現れた閃光と聞き慣れない音に驚いて固まった鳴海社長の前に、凱斗がゆっくりと歩み寄った。


「鳴海社長、先日はありがとうございました」

「…………上代、さん、か?」

「はい。今日は社長の御依頼を受け、さくの組織として参じました。お話をお聞かせいただけますか?」


 思わず止めていた息をゆっくりと吐き出し、鳴海社長は凱斗とその背後に並んだ同じスーツを身に付けた四人を見つめながら立ち上がった。


「まずは挨拶を――」

「お父さん、出来れば堅苦しくないように、お願い。この方たちは取引先ではなくて、私たちの依頼を引き受けて下さったんですから」


 秘書風の女性が悪戯っぽい笑顔を見せると、鳴海社長も破顔した。


「そうだな、その方が説明もしやすいだろう。――わたしが、依頼した鳴海です、よろしくお願いします」


 応接セットに全員が座ったところで鳴海社長が軽く頭を下げる。


「かみ……あ、申し訳ありません、社長。ここに来た全員が上代姓なので、下の名前を紹介します」

「全員? 親族なのか?」

「そうです。自分は先日も自己紹介させていただきましたが、上代凱斗です。隣が従兄弟の采希と那岐、向かいに座っているのが自分の弟の琉斗と榛冴はるひです」


 少し驚いた顔で見渡し、鳴海社長はふと首を傾げた。


「上代さん……凱斗くんの親類に、織羽おとはさんという方はいらっしゃるか?」


 采希と凱斗は思わず顔を見合わせる。


「……祖母を、ご存じなんですか?」

「やっぱり織羽さんのお孫さんか。榛冴くん、だったか? 織羽さんの面影がある。何度か織羽さんにはお世話になった事があるんだ。今は引退されていると聞いているが……」

「そうですね、今は隠居して旅行三昧です」

「そうなのか……織羽さんの占いは本当に的確で、ここまでこれたのは織羽さんのアドバイスのおかげだと思っている」


 祖母に似ていると言われて微妙な表情になった榛冴に、視線で『耐えろ』と訴えながら、采希は鳴海社長に笑顔を見せる。


「祖母の性格的に、自分の意見を一切入れずにな結果だけを端的に伝えたと思います。その内容を受け入れてご自身で考えられたからこその、会社の発展ではないかと思います。多分、祖母もそう言うと思います」


 采希の言葉に、鳴海社長はそっと目を細めた。

 かつて自分に厳しくも的確な言葉を繰り出した女性の姿が思い出された。


「なるほど、采希くん、君が織羽さんの後継者あとつぎなのか?」

「いえ、実は自分たちは、祖母の仕事の事をよく知らなかったんです。最近になって祖母と話した時に占い事をしていたと聞かされました。それに、自分は祖母から言わせると異質だそうです。後継は多分、さっき鳴海社長が仰ったように、榛冴ですね」

「そうか……ここに居ると言う事は、君たち全員、朔の一族の一員ということなのか?」

「正式には自分だけです。凱斗たちにはちょっと難しい案件の時に助力を願っています」

「ほう」


 何か言いたげな鳴海社長の視線を受け、榛冴が居心地悪そうに身動ぎする。

 視線を少しずらしながら早口で言った。


「早速ですが、神棚を拝見させて頂いてもよろしいですか? 神様の状態を確認した方がいいと思いますので」


 うまく逃げられるといいな、と含み笑いをしながら采希が立ち上がる。

 祖母の後継として榛冴に助言をもらえないか、そう鳴海社長の脳裏を過ったであろうことは想像に難くない。

 秘書風の女性――鳴海社長の娘である香奈枝が踏み台を用意してくれていた。


「采希、俺が確認しようか?」

「いや、問題ない。凱斗、窓際に居てくれるか?」


 采希の言葉に、凱斗が慌てて窓の方を振り返る。


「まさか、もう戻って来たのか?」

「すぐに呪えるように、あいつがここの神棚に基点を定めているのかもね。凱斗兄さん、僕も手伝うよ」


 ちょっと怯えたように半身になる凱斗を促し、那岐が窓の方へと向かう。

 部屋を見渡していた琉斗が黙って窓の反対側、入口の方へと移動した。

 榛冴は兄たちの動きを確認して、采希の隣に立つ。

 神棚を見ていた采希が榛冴に声を掛けた。


「榛冴、お前の眼にはどう映っている?」

「神棚にぽっかり穴が開いているように見えるよ」


 榛冴の答えに『そうか』と頷き、采希は柏手を打って神棚に手を合わせる。

 そっと神棚の扉を開け、中を覗き込む。

 小さく唸りながら、中から小さな金属片を取り出した。


「……采希兄さん、それ、素手じゃ危ないよ」

「そうか?」

「うん、多分、自分に向かって来る力を感知したら反撃する仕様になってると思う」

「それは困るな」


 采希は笑ってポケットから取り出した透明な小箱に金属片を収める。中には小さな紙が敷いてあり、そこには何かの方陣が描かれていた。


「采希さん、それは?」


 香奈枝が采希の手の中にある金属片を覗き込む。


「呪具だから、触らないでくださいね。榛冴、神様は?」


 采希に代わって踏み台に乗った榛冴がそっと神棚に触れ、静かに扉を閉める。


「大丈夫、その呪具で抑えられていただけらしいね。――凄いよ、これだけの呪具にも負けない強い神様だ」

「なら、あとの問題は窓の外の招かれざる客人だけだな」


 采希の言葉に全員の視線が窓へと向けられる。

 窓は一面が白く覆われていた。

 白い物体なのに、凱斗と那岐には悍ましい気配にしか思えなかった。


 その窓いっぱいに張り付いたぶよぶよとした白い物体に凱斗が思わず後退ると、いつの間にか窓辺に駆け寄った琉斗によって襟首を引かれ、体を入れ替えられる。


「那岐!」

「わかった。社長さん、香奈枝さん、そこの隅の方に移動してもらえますか?」


 那岐が振り返ってドアの横の観葉植物が置かれた一角を指差した。

 窓に張り付いた物体に息を飲んで固まっていた鳴海社長親子は、弾かれたように動き出す。

 観葉植物の傍に辿り着くと、陶器を弾いたような音と共に二人の周囲に半透明の壁が取り巻いた。


「那岐、窓の外の防護壁を一旦解除する。奴を漏らさず取り囲めるか?」

「大丈夫だよ、兄さん。瀧夜叉さまに手伝ってもらうから」

「琉斗、少し下がって那岐の前に立て。紅蓮で可能な限り削ってくれ。一瞬だから、出来る範囲で構わない」

「了解だ。――紅蓮」


 琉斗が紅蓮を呼び出しながら、那岐と共に指示された位置に着くと、采希は琉斗の隣に並んだ。


 采希の手刀印がすっと左から右に払われ、きんっと小さな音がして防護壁が消失したのが分かった。

 巨大な白い肉塊が怒りの色を纏って采希に襲い掛かる。

 琉斗が真横に薙ぎ払った紅蓮の軌跡は、肉塊の一部を消失させる。

 まだ大部分が残った白い肉塊を那岐の結界が閉じ込めた。

 ぶよぶよの白い肉に埋もれた小さな丸い目が血走って采希を睨みつける。


「……は? お前、自分が仕出かした事を棚に上げて、何言ってるんだ?」


 采希が肉塊を斜めに見上げて嫌そうに呟く。


「……自分は何をしても許される存在だとでも言うのか? 自分は間違っていない? あー、いるな、こういうバカはどこにでも。だけどな、俺はそういう奴が大っ嫌いなんだ。覚えとけ」


 そう言ってゆっくりと肉塊が捕らえられた結界に手を当てる。結界はぶるんと大きく震え、急激に小さく収縮していった。



「うわー、みっちみちに入っているね。突いたら破裂しそう」


 掌に乗る程に小さくなった肉塊を収めた結界の立方体キューブは、暴れるようにことこととテーブルの上で動いていた。

 気味の悪い物を見るように、榛冴が半眼になる。


「これは?」

「風間貴理、でしょうね。身体ではなく、彼女の力の一部です」


 淡々と答える采希に、鳴海社長は思わず采希を見返す。


「もしかして、こちらの事情はもう把握しているのか?」

「それが朔の一族の仕事ですので」

「……では、私が部下の本質も見抜けないような者だという事も朔の一族に把握されているという事だね」

「そうではないですよ」


 采希がにっこりと笑うと、鳴海社長は怪訝そうに眉をぴくりと動かした。


「この女は、巧妙でした。悪い意味で」


 テーブルの上の小さな塊を采希は指で弾く。


「この女の口車に乗せられた連中と、この女の狡さ。社長である鳴海さんが気付かなくても当然と、朔の当主は判断しています。それに、娘である香奈枝さんが無条件に協力していること、部下から人としてもトップとしても尊敬されていることから、依頼を引き受けました」


 采希の言葉に、鳴海社長は小さく首を振った。


「誰もが私を信頼してくれている訳ではない」

「それは自分の利益のみに走ったごく一部の人間ですね」


 断言する采希に、全員の視線が集中する。


「自分の部下に対する対応と、自分の子供に対する対応はいつの間にか似てくるようですよ。だから部下を蔑ろにするような輩は、いつか自分の子供からも蔑ろにされる」

「でも采希、自分の子供は溺愛してるのに部下には冷徹とか、よく聞く気がするけど。――あ、鳴海社長はそうじゃないですよ」


 慌てて顔の前で手を振る凱斗に、香奈枝は思わず吹き出した。


「采希さんの仰ること、分かる気がします。自分の子供を溺愛して部下には冷たい人って、多分自分の子供を自分の所有物扱いしているような人じゃないかと私は思うんです。うちの父は、私たちをとても愛してくれていますが、決して甘やかす事はしません。厳しくても自分たちの事を考えてくれているのが分かるから、私も父のために動こうと思いました」


 へえ、と呟いて、凱斗が采希と顔を見合わせ、嬉しそうに笑う。

 照れくさそうに笑う強面の社長が、そっと鼻を啜った。



 厳重に封じられた動く肉塊を収納したアルミケースを車に乗せ、凱斗がぽつりと呟いた。


「いい親子だな、少し羨ましかった」

「……そうだな」


 自分たちには父親がいない。

 幼い頃の記憶ももうかなり怪しくなっていた。

 ふと、今の自分を見たら父はどんな反応をするのだろう、と采希は思った。

 幼い自分が力を使い過ぎた時など、父は苦笑しながらも頭を撫でてくれた。


『きちんと自分の力と、相手の力、それを見極める目を鍛えなさい。お前が那岐や他の者を護りたいと思う気持ちは分かる。だけど、それでお前が怪我をしたり命を落としたりしたら、那岐たちの心をとても傷つけてしまう。それを忘れないようにな』


 霊能力とは縁のない父だったが、采希や那岐を理解しようと努めてくれた。

 それでも、今の采希には眉を顰めるかもしれないと思った。


 母の朱莉あかりは仕事を辞めて黎の仕事を手伝うと告げた采希に、これまで見た事もないような渋い顔をしていた。


『采希、黎くんの仕事を手伝うっていうのは、これまで以上に危険な目に遭うってことじゃないの?』

『……そうですね』

『それが分かっていて、そうかじゃあ頑張って、とは言える訳がないだろう?』

『…………うん』


 ずっと眉間に皺を作ったままの母の顔を見返す。

 心配ばかり掛けているのに、自分の行動を見守ってくれているのをありがたいと思うと同時に、申し訳なく思った。


『巫女殿のため、なんだよね?』

『……うん。どうにかして助けたい。だけどその方法が分からない。だから黎さんの組織の力を借りようと思った。だけど……』

『?』

『巫女の役割は、組織にも伝えられていないみたいなんだ。宮守本家の蔵に収められている資料にヒントがありそうなんで、今度黎さんと探す予定だけど』


 うーん、と小さく唸り、朱莉は腕を組んだ。

 考えるように視線を泳がせ、溜息まじりに呟いた。


『お婆ちゃんに、聞いてみる?』


 采希は驚いて朱莉を見返した。

 祖母が占い事をしているのは最近知ったが、本当に口コミだけで、自分たちの前でも決して話題にすることはなかった。


『当たりすぎて怖いから、私も蒼依あおいも頼ろうと思った事はないけど。ヒントくらいなら、見つかるんじゃない?』

『婆ちゃんの占い……? 占いで、分かるような事かな?』

『お婆ちゃんはカードやら色々使うけど、実際にはチャネリングで言葉を紡いでいる。私たちには分からないけど、お婆ちゃんには高次元に存在する何かの声が聞こえている、らしい』


(……宣託を受けている、ってことか? それって巫女……いや、巫女は宣託じゃなくてだ。うちの婆ちゃんって、一体……)

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