第101話 填充される呪い

「こいつは……稀に見る禍々しさだな」

「俺にも嫌な感じが伝わるぞ。こんな念を受けて、鳴海社長はよく平気だったな」


 れいとカイが蓋の開けられたアルミケースを覗き込みながら言った。

 シンは一瞥して、そっと後退って距離を取る。


「僕も祈祷しているあの女の近くには寄りたくないって思ったからね。ここまで恨む事ができるって、ある意味感心するよねぇ」


 微笑みながら言う柊耶とうやに、全員が嫌な表情になる。

 采希さいきたちが持ち帰った肉塊を封じた小さな立方体キューブはまだ小刻みに動いていた。


「これをどうやって始末するか、だが……」


 呟く黎に、全員が一斉に唸って黙り込んでしまった。

 下手に手出しすれば周囲に悪意を巻き散らすのは明らかだった。

 これほどの邪気は黎にとっても滅多に見られない代物で、采希に至っては当然初めて目にする物だった。


 たった一人の人間がこんな邪気を作り出せるとは思ってもみなかった。

 この立方体だけで心霊スポットが簡単に完成する。


「こんな濃い邪気、作れるものなんですね」

「……作ろうと思えばお前にも出来るぞ」


 采希は少し嫌そうな表情で黎を見る。


「マジすか?」

「ああ。俺やあきらにも多分出来る。要は気を練り上げる事が出来れば可能って事だ。ただし、邪気を凝縮させる程の恨みの念が保持できるなら、だけどな。そういう意味ではお前には無理かもな」

「あー、そういう事ですか……。これは、時間を掛けてゆっくり邪気を浄化するしかないですかね」


 腕組みをして考え込んでいたカイがふと顔を上げた。


「こいつを、もっと凝縮させるってのは可能か?」


 采希と黎、そして柊耶の顔を交互に見る。

 カイの次の言葉を待つように見返す黎を見て、采希と柊耶の視線が交差した。


「どうだろう、采希くん」

「出来ない事はないと思います。このまま凝縮させても扱いに困る事には変わりないので、何か媒体があった方がいいかもしれませんが」

「媒体?」

「はい。何か――例えばナイフにこの邪気を纏わせて固定するとか。ただ単純に凝縮させると、何かの弾みで周囲に邪気を撒き散らす可能性があります。だから何かに固定して封じ込めた方がいいかと」

「……それって、そのナイフ、呪具になっちゃわない?」


 鼻の頭に皺を寄せたシンがそっと肉塊の立方体を指す。

 柊耶が嬉しそうにシンに笑いかけた。


「まさに、呪具になるね。カイくん、呪具に変えて術者に返すつもりなのかな?」


 シンから視線を移されたカイは、真顔で頷いた。


「俺たちが苦労して処分するより、本人に返した方がいいだろう。自業自得だ」

「…………そうだな。シン、陽那ひなを呼んでくれ。采希、瀧夜叉を――」


 黎の言葉を遮るように、テーブルの上に放り出していた采希のスマホが震える。

 通知画面に表示されたのは『凱斗かいと』の文字。

 慌てて通話のアイコンに触れた采希がスマホを耳に当てるより早く、凱斗の声が響いた。


「采希! また現れた! あの女だ!」



 * * * * * *



「凱斗兄さん! 大丈夫?」


 案内する香奈枝を追い抜くようにして、那岐なぎ琉斗りゅうと榛冴はるひが社長室に駆け込む。

 窓の外には白い物体。

 結界が侵入を阻んでいるが、凱斗は蹲っている。

 窓辺で片膝をついた凱斗が振り返った。


「那岐、こっちは何とか。――采希は?」


 蒼褪めた顔の凱斗が、引き攣るように口角を上げてみせる。

 散乱した応接セットを見た那岐はすぐに背後を振り返る。


「榛冴、凱斗兄さんを」

「分かった。凱斗兄さん、こっちで少し休んで。……肋骨、折れてるね。何を喰らったの?」

「さすが見鬼、お見通しか。あのテーブルがすげぇ勢いで飛んで来た」


 凱斗が顎で示した先には、見るからに重そうなテーブルがひっくり返っていた。


「……邪気は効かなくても、邪気の繰り出す物理攻撃は凱斗兄さんにも効くって、聞いてなかったの?」


 呆れたように言いながら榛冴が凱斗の腹部に手を翳す。

 急激に熱くなる患部に、凱斗は思わず唸り声を上げた。


「聞いてたけどな、動けなかった。――あの女、念攻撃してきたぞ」

「念? ……那岐兄さん!」

「やっぱり、凱斗兄さんにもヒトの・・・念は有効ってことか。ごり押しで結界を通す念をねじ込んでるみたいだね。だったら琉斗兄さん、行ける?」


 那岐の肩をぽんっと叩き、琉斗が那岐の前に出る。


「任せろ」


 再び窓の外に広がった白い肉塊から琉斗に向けて放たれた念は、琉斗の前で掻き消えた。

 やはり琉斗にヒトの念は効果がない。那岐はそっと笑みを浮かべる。


 強大な力の気配がする凱斗ですら自分の念で動けなくなった。

 肉塊は自信満々に琉斗に力を放ったが、その力は琉斗に届かなかった。

 驚いたようにほんの少し見開かれたごく小さな目が怒りで血走っていく。

 次々に繰り出される念の矢は琉斗には効かず、冷たい目で肉塊を眺めながら琉斗は左腕のバングルに触れた。


「紅蓮、出番だ」



「榛冴、采希は?」

「ちょっと遅れるって。何とか持ち堪えてくれって言ってた」

「……何か策があるのか?」

「うん、そんな感じだった。――もう平気?」

「ああ、助かった。榛冴、お前凄いな」

「何を、今さら」


 にっこりと笑う榛冴に、凱斗も片方の口角を上げてみせる。


「じゃあ反撃といきますか。――榛冴、頼む」


 あーあ、と榛冴は軽く天を仰ぐ。


 あの顔は、相当怒っている。

 正当防衛と称して暴れる気満々の顔だ。

 こんな醜悪な邪気にまで嬉しそうに向かっていくとか、勘弁してほしい。


 そんな思いを押し殺しながら、榛冴はポケットからお札を取り出す。


「なうまく さまんだ ぼだなん きりか そわか」


 榛冴の声に応え、巨大な白狐が姿を現わした。


茶枳尼ダキニてんさま、僕ら以外の人たちの護りをお願いします。香奈枝さん、社長を安全な所に避難させてください。多分今なら琉斗兄さんと那岐兄さんに奴の意識が集中しているはずなので」


 振り返らずに告げた榛冴の背後で、小さくお礼の声が聞こえた。

 正面から視線を逸らさずに確認した榛冴は、そっと息を吐き出す。


(さて、どの位、持ち堪えられるかな。采希兄さん、急いで!)



 * * * * * *



「念を、凝縮して変質させる、ですか?」

「そう。急いでくれ陽那、時間がない」


 陽那は目の前の弾けそうに膨らんだ立方体を見る。

 まだ修行中の陽那にも分かる程の邪気が溢れそうになっていた。


「瀧夜叉が方法を知っている。ちょっと面倒な術式なんで、陽那の身体を借りたいそうだ。大丈夫か?」

「そういう事なら、大丈夫です。五月姫さま、私に頂けますか?」


 ふわりと浮かび上がった瀧夜叉姫の姿が、陽那に重なった。

 薄緑の光を放ち始めた陽那を確認し、采希は立ち上がる。


「それで、采希くん、何を媒体にする?」


 柊耶の問い掛けに、采希はうーん、と首を捻る。

 何が適しているのか、采希には分からなかった。


「何がいいですかね……まさか本当にナイフって訳には……あ、これ、使っていいですか?」


 采希が黎の執務用の机の脇にある棚から何かを取り上げて黎の方に差し出した。

 采希の手を覗き込んだ黎は、少し瞬きして采希を上目遣いに見る。


「この大きさまで、凝縮できるのか?」

「問題ないと思います」

「……よし、いいぞ、使ってくれ」


 口元に笑みを浮かべながら頷いて、采希は肉塊の立方体の念を解きほぐす作業を始める陽那の元に戻った。


「采希くんの力、また強くなってるね」

「柊耶、やっぱりそうなのか?」


 不安そうに囁くカイに、柊耶が真顔で答える。その顔にいつもの笑みはなかった。


「……シュウくんの精密検査の結果は――」

「特に問題はないそうだ。過労気味だってことくらいだな」

「そう……」

「お前には何か感じられるのか?」


 静かに隣に立つ黎が柊耶を見る。

 黎の方に向き直った柊耶の眼が深い暗い色を湛えていた。


「采希くんに流れている気脈が、黎くんやあきらちゃんよりも遥かに大きくなっている。――あれで身体が無事なのが、不思議なくらいだ」


 ごくりとカイが息を飲む気配が伝わった。

 黎の背中を冷たい汗が流れ落ちる。


(――采希……)


 黎の視線の先で、采希が手を翳した立方体が急激に光を放つ。

 その光は、隣に置かれた小さなに吸い込まれていった。



 * * * * * *



 凱斗が右手に意識を込めると、手の中に采希の金剛杵が現れた。

 すっかり俺の手に馴染んだな、と苦笑しながら、凱斗は右手を大きく振り下ろす。

 金剛杵は凱斗の手の中で錫杖へと姿を変えた。


「凱斗、お前にこいつの念は消せない。少し下がってろ」


 琉斗が紅蓮を振りながら凱斗に視線を投げて来た。


「そだな。でもお前もこいつの邪気には苦労してんじゃん」

「……そうだ。だがな――」

「だから、分担しようぜ。幸い、こいつの邪気は纏っているだけ。俺たちに向けて飛ばせるのは、念攻撃のみだ。だったら――」


 凱斗の狙いを把握した琉斗が不敵に笑う。


「よし、凱斗、俺の後ろに付け。那岐、フォローを頼んだ」

「うん、任せて琉斗兄さん」


 ちらりと那岐が榛冴を振り返ると、心得たように榛冴の手からお札が放たれ、凱斗の背中に貼り付いた。

 凱斗の身体を不可視の薄い膜が覆う。


「来い、化け物」


 琉斗の声に、男を篭絡する自信を持った女の気配が歪む。

 イラついたように放たれるどす黒い念を那岐の左手から放出された力が方向を誘導するように絡めとる。

 そのまま真っすぐに琉斗の方へと収束させた。


 正面から向かって来た念攻撃を琉斗は難なく紅蓮を一閃させて断ち切った。

 その琉斗の背後からすかさず凱斗が錫杖を手に飛び出した。


「くらえぇぇぇ!!」


 錫杖を叩きつけるように振るった凱斗の身体は、すでに窓の外だった。

 眼が眩むような閃光の中、那岐は榛冴が貼り付けたお札の気配を頼りに凱斗に向かって腕を伸ばす。

 がくん、と窓枠で止まった自分の身体ごと、那岐は急いで凱斗を引き上げた。


 目の前の肉塊は凱斗の攻撃でその真ん中に大きな空洞が出来ていた。


「――!! 凱斗兄さん、逃げる気だ!」

「那岐、捕まえろ!」

「はい!」


 肉塊の挙動に気付いた榛冴の声に凱斗と那岐が即座に反応した。

 逃げ出そうとする肉塊を、ぎりぎりと音を立てて那岐の念が抑える。その様子は那岐であっても全力を振り絞っているように榛冴には見えた。


(どうしよう……あの肉塊の位置だと凱斗兄さんの攻撃は届かない。采希兄さん、早く――)


 迷う榛冴の前で、琉斗の身体から青い炎が上がった。


「青龍!」


 力を貸してくれ。


 琉斗は右手に力を込める。左手を刀身に添えると、紅蓮が大きな朱金の炎を纏った。

 逆手に握り直した紅蓮を大きく振りかぶる。

 そのまま力一杯投擲された紅蓮は、肉塊の二つの眼と思われる部分の間を貫いた。


 肉塊からおぞましい叫び声が発せられる。

 同時に那岐の身体が膝から崩れるように倒れた。

 反射的に那岐の身体を支えた凱斗の耳に、待ち望んだ声が届く。


「那岐、放せ! 琉斗、紅蓮を呼び戻すんだ!」


 ふっと力が抜けた那岐の身体を凱斗が抱え直す。


「采希!」


 社長室に駆け込んで来た采希の右手が左から右に払われ、その手から何かが肉塊に向かって矢のように飛んで行く。

 呪縛から解放された、既に四分の一ほどの大きさになった肉塊は、そのまま何処かに飛び去っていた。

 采希の手から飛び出した光を纏った何かがその後を追う。


「采希兄さん、今のは……?」

「あの女が放った念と邪気、それを返した」

「返した?」


 鳴海社長たちが出て行ったドアを背後に庇うように立っていた榛冴を労うように、肩をぽんと叩いて采希は那岐の元へと歩み寄る。


「采希、返したって事は、あの肉塊は本人の所に帰ろうとしていたって事か?」

「そう。前回は俺たちに捕えられたからな、また力を削がれるのは嫌だったんだろう」

「力を失うと自分の命が危ないとか?」

「いや、これ以上力を失うと呪えなくなるからだろ」

「……は?」

「さっき逃げる時、そう言っていた」


 凱斗は呆然と采希を見つめる。

 そこまで自分の命を削ってまで果たしたい恨みって、なんだ? どう考えても我が儘な逆恨みにしか思えないのに。


 ――いや、それより。

 凱斗は静かに口を開く。


「前の時もだけど……お前、あの邪気の声が聞こえるのか?」

「ああ、聞こえたな」


 凱斗の背筋を嫌な汗が流れる。

 なんだろう、この嫌な感触は。

 邪気の声が聞こえる? 多分そんなこと、榛冴くらいにしか……。


 そっと末の弟の方に視線を動かすと、榛冴は目を伏せて小さく首を横に振った。


 どうした事だ、自分の中の何かが鑢のような物で削られているような感触は。



 目の前で那岐に肩を貸している采希の姿が、凱斗には酷く遠くに見えた。



 * * * * * *



 肉塊の元になった女――風間貴理の部屋の窓が見降ろせるビルの屋上で、黎は大きく息を吐いた。


 采希が放った小さな羽根は、正確に女の念を追い掛けて来た。

 采希と瀧夜叉姫に身体を貸した陽那が変質させた念。それが凝縮された羽根は、女の放った肉塊の後を追うように身体に吸い込まれ、女の気脈を焼き尽くした。

 声も出せずに倒れ伏した女に、二度と念を操ることは出来ないだろうと黎は確信を持つ。


 瀧夜叉姫の呪術により変質した女の念は、今後作り出される念を全て女の身体の中に留めるように作用するはずだった。


「これから先、あの女の念は自分の身体を蝕み続けるって訳だ。おっかない呪いだな」


 ぽつりと呟いた黎に、隣に並んだ柊耶が冷たい目で笑う。


「自業自得ってやつでしょ? 僕は瀧夜叉姫の提案に賛成だ。采希くんはかなり迷ってたみたいだけど」


 そうだな、と小さく言って、黎は眉を寄せる。


 あの女の唯一人の娘は、母親を嫌っていて滅多に顔を出さない。

 矜持プライドの高いあの女は娘の元に押しかけては孫との写真を撮って、仲の良さをアピールしていたらしいが、周囲には友人もいない孤独な女だと正確に認識されていた。


「このままにしていたら発見されずに衰弱するんじゃないか?」

「意識さえ戻れば、自分で救急車くらいは呼べる。まぁ、しばらくはまともに動くことも出来ないだろうけどね」


 あまり負の感情を表に出さない相棒が、いつになく冷たい目をしているのを見て、黎は柊耶の母親を思い出していた。


 まだ幼い柊耶を気味悪そうに見ていた気の強そうな母親は、友人として紹介された黎に対しても同じ目を向けた。


 お前も同類の化け物か、と。


 既に自分の力を自覚していた黎は、祖母から教えられた穏やかな気を放出して対処していたが、腸が煮えくり返るような悔しさを必死に抑えていた。

 少しでも柊耶が嫌な気持ちを忘れられるように、出来るだけ傍にいようと思った。


 その柊耶の母親に、あの女は似通った姿をしていた。

 今はもう居ない母親を、思い出しているのだろうか。


 黎が隣に立つ柊耶を見ていると、柊耶がいつもの笑顔になる。


「帰ろう、黎くん」

「……そうだな、采希も初めての力が上手く作用したか気になっているだろうし」

「うん。……采希くんの力、どこまで――」


 言いかけた柊耶が言葉を切る。

 僅かに震える柊耶の睫毛に、黎は自分と同じ不安を感じている事を悟った。


 相手から削り取った念を瀧夜叉姫が変質させ、相手を再起不能にする術を掛ける。

 それを采希が媒体に乗せ、念を放った相手に正確に返す。


 そんな事は、巫女と呼ばれる姪にも、ましてや当主と呼ばれている自分にも出来ない。

 せいぜい、念をそのまま相手に返す程度だ。


(采希の力は、どこまで行くんだろうな)


 相棒が飲み込んだ言葉を、黎は心に刺さった棘のように感じていた。

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