第17章 呼応する邪神

第88話 龍殺しの闘神

 うとうとと微睡まどろんでいた彼女はふと嫌な気配を感じた。

 どろりとした粘着質なその気配は彼女を不快にさせる。

 いつもならば優しくて暖かい真っすぐな気に包まれているのに、どうした事だろうと思った。

 常に触れていた温もりが消失し、自分が重力の作用を受けているのが分かった。


 からん


 落下した先にあった石で跳ね返り、僅かに転がってぱたりと地に横たわる。


(ここ、どこ?)


 小さく呟いた声は、誰にも届いた気配はなかった。



 * * * * * *



「あれ? 琉斗兄さんはまだ帰ってないの?」


 母屋での夕食を終えて那岐とくつろいでいた采希は、離れの居間の入り口を振り返る。


「ああ、凱斗もまだだな」

「凱斗兄さんは遅くなるからご飯いらないって。片付かなくて母さんが困ってるんだけど、琉斗兄さんから何か連絡は?」


 采希も那岐も『聞いていない』と首を振る。


「珍しいね、そういう所はマメなのに。まあそのうち帰ってくるか。采希兄さん、ちょっと相談してもいい?」

「何でしょう?」

「玄武さまたちの事なんだけど。玄武さまは北の守護だよね?」

「そうだな」

「朱雀さまは南で、白虎さまは西。凱斗兄さんの炎駒さまは麒麟だから中央だよね? あとは青龍がいれば四神が揃うでしょ。だからもしかして、琉斗兄さんの守護に青龍さまが就いてくれるんじゃないかって思ったんだけど」


 嬉しそうに身を乗り出す榛冴を、采希は無表情に見返した。


「それは、ない」

「……どうして? ここまで四神が揃ったのなら――」

「揃ったから、どうするんだ?」

「…………」

「四神を揃えて、お前は何がしたいんだ? 何のために四神を揃えるんだ?」

「……だって」


 榛冴は玄武の守護を受けた。だからと言って、浮かれている訳ではない事は采希にも分かっていた。

 朱雀も玄武も、那岐と榛冴の力を認めて助力を申し出てくれた。

 ここまでとんとん拍子に四神の守護が得られたなら、次は残された琉斗に、と考えるのも無理はないだろうと采希は思った。


 だが、おそらく琉斗の守護に青龍が就くことはない。


「榛冴、お前の気持ちも分かるけどな。琉斗はお前たちとは違う。あいつは青龍の力を断りもなしに使った。神様の力を勝手に使う、その意味は分かるだろ?」


 榛冴の眼に不安な色が拡がる。

 神様の声を聞き取る榛冴には、それがどんなに危うい事かよくわかった。思わず項垂れる。


「……そうだよね。ごめん、采希兄さん。ちょっと軽率だった」

「そもそも、どうして琉斗兄さんは青龍の力を無断拝借できたんだろうね。兄さん、その辺は聞いてる?」


 那岐の問いに采希は首を傾げた。


「前に一度、榛冴の中に降りて来た時の気配を覚えていたらしいって、お姉さんから聞いてたけどな。それだけで青龍の力を使えるとは、俺には思えないんだ。だから何か、琉斗に青龍と繋がれる資質みたいなものがあるんじゃないか、と思った。だけど――」


 采希は自分の手の平に視線を落とす。


「あんなことを仕出かした以上、青龍の加護を受けることはないだろうな」

「琉斗兄さんの中に居た時、何か感じなかった?」

「……は?」


 眉を片方上げながら、采希は自分を覗き込む那岐を見返した。

 何かあっただろうか、と思いながら記憶を探るが、凱斗が初めて自分の意思で覚醒した時も青龍の気配を感じることはなかった。


「特に何もなかったと思うぞ」

「そう?」

「ああ。……何かあったのか?」

「……兄さん、『龍殺し』って、知ってる?」


 那岐が聞きたいのは『龍殺し』のことだろう、と采希は戸惑った。

 ゲームでの職業ジョブなのか武器名なのか、采希にはどれを答えていいのか分からない。


「あの土地神の件の帰りにね、疲れてうとうとしていたら黎さんと柊耶さんが話しているのが聞こえたんだ」



『――じゃあ、琉斗の能力は龍殺しってことなのか?』

『能力がそうなのかは分からない。だけどあの力の気配を感じた時、僕はこれは龍殺しの力だって、そう思ったよ』

『だったら琉斗は青龍やナーガとは合わないんじゃ……』

『ううん。龍殺しの意味は確か、邪霊や邪神に対してだったと記憶している。だから聖獣・神霊のような龍を退治するって事じゃないよ』

『……邪神ですら滅する程の力、って事か? だったら采希も同じだろう?』

『黎くん、采希くんの力はだ』



 那岐が静かに告げると、采希は眼を見開いたまま固まっていた。榛冴に目の前で手を振られ、ようやく我に返る。


「采希兄さん、大丈夫?」

「…………ああ。そうか、思い出した。琉斗の中で巡っていた闘気だ」

「闘気? 兄さんが琉斗兄さんに渡している、あれ?」

「あんなの、渡す必要があったのかと思えるくらい、もの凄い闘気が琉斗の中に存在してた」

「……それが龍殺しの力?」


 唸るように尋ねる那岐に、采希は頷くと同時に嘆息した。


「俺には正直、何の力なのか分からなかった。だけど柊耶さんがそう感じたなら、多分そうなんだろうな」

「龍殺しって言うと……ジークフリートとか?」

「北欧神話だと、そうだね。日本だとスサノオかな」


 榛冴と那岐の会話を聞きながら、采希は視線を窓の外に向ける。庭の灌木がうっすらと見えた。


(龍殺しの闘神スサノオ? 琉斗の中にあった闘気がそれだって言うのか? だけどあの力の大きさは……どうしてあれだけの力に今まで気付かなかったんだろう)


 琉斗の中の闘気を思い出す。

 いつだったか、自分が大勢に囲まれて暴れている時に感じたような妙な高揚感。それに似た気持ちを抱いた事を覚えている。


(……柊耶さん、一体何が見えたんだ?)



「ただいま」

「お帰り凱斗兄さん」

「……榛冴、琉斗は帰ってるか?」


 軽く飲んでいるようだが、凱斗は硬い表情で榛冴の隣に座った。采希と那岐が同時に首を振って否定する。

 凱斗の眉がぴくりと動き、僅かに目を伏せる。

 黙ったままの凱斗に、那岐と榛冴がお互いの視線を合わせる。


「……采希、これって、琉斗のか?」


 スーツのポケットから取り出した物を、凱斗は静かに卓上に置いた。

 細かい傷の残る金のバングル。

 思わず采希は自分の腕を見た。

 左腕に装着したバングルは銀。同じものを色違いで購入したのは采希なので、見紛うはずもなかった。


「凱斗――」

「琉斗の、なんだな?」

「……なんで、紅蓮がいないんだ?」


 少し声が上擦った采希の言葉に、榛冴がバングルを見つめた。

 確かに何の気配もない。


「やっぱり、そうなのか」

「どういうこと? 琉斗兄さんは?」

「凱斗、これはどこにあったんだ?」


 凱斗と采希の会話に榛冴は戸惑った。

 琉斗のバングルだけがここにあって、中に居たはずの紅蓮も装着者の琉斗もいない。

 凱斗はどうして空のバングルだけを持ち帰ったのだろうと思った。

 困ったように口元に拳を当て、凱斗が視線を上げた。


「これな、この先の神社の裏手にある林の中にあったんだ」

「…………」

「普段ならそんな所は通らない。神社の近くを通りかかった時、神社の奥の方で小さな光がすっと昇って行くのが見えた。俺にも視えるって何だろうと思ったんで、ちょっと神社の境内に入ってみた。そしたら何となくざわざわした気配があって、気になったから炎駒を呼んだんだ。――これは、炎駒が見つけてくれた」

「この中身と、これを通していたはずの腕は?」

「見当たらない。この輪っかだけだ」


 凱斗の言葉に、三人の間に一斉に緊張が走る。


「琥珀、捜せ」

「朱雀さん、黎さんの八咫烏に繋いで」

「玄武さま、神社の気配が何者かわかりますか?」


 慌てたように動き出す采希たちに軽く手を上げ、凱斗が立ち上がった三人に座るように促した。


「炎駒にも探査してもらった。ちょっと厄介そうだから、まずは聞いてくれ。無駄な動きは可能な限り避けたい」


 帰って来てから凱斗がずっと難しい顔をしていたことに、采希はようやく気付いた。

 那岐と榛冴も怪訝そうに凱斗を見ている。

 再び三人が座ると、凱斗はそれぞれの顔を見渡した。


「紅蓮は、誰か人の手によって神社の裏の林に放り込まれている。その後、何か神社の気配よりも高位の存在によって紅蓮はバングルから抜き出され、どこかに運ばれたらしい。俺が見た小さな光が、紅蓮だったようだ。炎駒にも何度も確認してもらったけど、その近辺に琉斗がいた気配はなかった」

「どうして? じゃあ誰が――」


 不安そうに見つめる榛冴に、凱斗はちょっと首を傾けたまま視線を誘導するようにバングルを見た。

 その視線に那岐が気付く。


「采希兄さん、読めそう?」

「……あ、サイコメトリー」

「どのくらい情報が残っているか分からないけどな、なるべく触らないように心掛けた。出来るか?」


 那岐と榛冴と凱斗、順繰りに視線を返して、采希はそっと左手に金のバングルを乗せた。



 誰かに声を掛けられた。道を尋ねられたような気配だった。

 疑うことなく、車の窓から差し出された紙片を覗き込む。

 その首筋の後ろにちくりとした感触を感じ、琉斗の意識は途切れた。


『ああ、その腕輪は外して捨てろとの指示だ。お前、人目につかないような場所に捨てて来てくれ』


 恐る恐るバングルに触れた気配は女だった。

 ハンカチで軽く包んだそれは、数キロ先の神社の林でハンカチごと放り棄てられた。

 ゆっくりと降りて来た強い気配が紅蓮を包み込む。



 采希は大きく息を吐く。

 いつもならもっと鮮明に見えるはずが、何故か途切れ途切れの断片しか見えなかった。


「見えないって、どうしてだ?」


 凱斗がバングルを玩びながら尋ねる。


「何だろうね。何か邪魔が入ってるとか……兄さんの能力を把握した上で、サイコメトリーを阻害する技術や力を持っているのかも」

「そんな技術、あるの?」

「俺は、知らねぇな。カイさんとかシンさんに聞いてみるか?」


 那岐と榛冴と凱斗が話しているのを、采希は卓の上に顔を伏せながら聞いていた。

 こんなに疲れる程がんばったのに、紅蓮の行方は分からない。

 しかも琉斗にも何かあったらしい。

 唸るような溜息が出てしまい、采希は眼を閉じた。


「あ、シンさん、榛冴です。ちょっと教えてほしい事があるんですけど、明日とかお時間ありますか?」


 早速電話し出した榛冴を、顎を卓に乗せたまま眺める。

 個人的に黎に頼むと、黎は単独で動く。

 組織は多くの依頼を受けているので、無理を言って優先させるよりは、と黎が組織を使わず率先して動いてくれていた。

 それでも必要な情報を得るには組織の情報部門に聞いた方が早いと榛冴は判断した。


 先日の事件から榛冴と凱斗はカイたちとよく連絡を取るようになった。

 黎の傍には柊耶が影となって控えているので、那岐も采希とともに黎のところに出向いては柊耶を捜して追い回していた。

 仲良くなったのはいいが、忙しいカイたちまで巻き込むのはどうかと考えながら、采希は榛冴を見ていた。


(ひとまず出来ることをするか……)


 采希は立ち上がり、出掛ける準備を整えるために部屋に向かった。



 * * * * * *



 榛冴を黎の組織の本部へと送り届けた凱斗が黎の別邸に到着すると、ちょうど那岐と柊耶が玄関をくぐろうとしていた。

 身体が薄汚れていて髪の毛は乱れ、疲れたような風体の二人に声を掛ける。


「あ、凱斗兄さん」

「凱斗くん、いらっしゃい」

「その恰好、また身を隠した柊耶さんを那岐が追ったんですか?」

「そう。どこまでも追いかけて来るからさ、さすがに疲れた。まだ20代の君たちとは違うんだから、手加減してほしいよね」

「那岐、少しは追い付けるようになったか?」

「……全然。居場所を特定するまでは大分慣れたけど、二時間追っても追いつけなかった」

「降参したのか?」

「…………うん」


 悔しそうに俯く那岐の背中を軽く押して家の中へと促す。

 那岐の頭に付いたままの小枝を取ってやっていると、黎が玄関に出て来た。


「あれ? 采希を見なかったか?」

「采希くん? どこかに行ったの?」

「いや、龍たちの探索が一段落したらしくて、その情報を受け取りに外に出ただけだ」


 そう黎が応えると、タイミングよく采希が戻って来た。


「凱斗、榛冴は?」

「時間掛かりそうだから、本部で待つって。何か進展はあったか?」

「さっぱりだ」


 居間へと移動しながら采希が口元を歪ませる。

 黎は居間にやってきた采希の表情を確認して溜息をつく。


「どうして琉斗を連れ去ったのかが分かれば、居場所の特定にも繋がりそうなんだけどな」

「連れ去った理由、ですか?」

「ああ。凱斗、お前が拉致された時は采希を呼びよせる人質として、だったよな?」


 黎が尋ねると、凱斗は黙って頷いた。


「那岐の時は霊能力者として有名だった那岐を隔離するため。采希の時は――あれは解決していなかったな。あの時は采希の能力を封じようとしていたらしい、と。……お前ら、よく攫われてるな」

「好きで拉致られた訳じゃないですけどね。俺と那岐は不意打ちを喰らって、凱斗は榛冴を盾に脅された。琉斗も後ろから恐らく何か注射みたいなもので薬剤を注入されていると思う。痕跡を残さないようにしたのと、薬剤が使われた点では俺のときに近いのかな。だけど黎さん、琉斗を攫う理由が分からないんだ」


 采希の言葉に、全員が項垂れる。


「確かに琉斗の能力は俺たちですらよく分かっていないのに、何が目的なんだろうな」

「やっぱり人質ってのが妥当か? お前らの中では唯一守護がいないし、紅蓮が居なければ大した脅威ではないと思われそうだしな」

「そう言えば、ロキさんは?」

「琉斗の中だ。……なのに、琥珀も姫さんもロキと繋がれないらしい」


 凱斗が呟くと、那岐が小さく声を上げて柊耶を見た。


「そうだ、聞こうと思ってたんだ。柊耶さん、どうして琉斗兄さんを『龍殺し』って思ったの?」


 柊耶は僅かに首を傾げて那岐を見返した。


「どうして……? うーん、琉斗くんの気配に触れた時、頭に浮かんだんだよね。理由は僕にも分からない」

「それは、例えば龍退治の伝説の人物のような力があるって思った、ってこと?」


 少し考えるように視線を伏せながら、柊耶が答えた。


「……凱斗くんは邪気を寄せ付けない。榛冴くんは邪気を見極められる。采希くんと那岐くんは邪気を浄化、もしくは粉砕することが出来る。――これで、合ってる?」

「うん」

「琉斗くんは多分、邪気をその魂ごと消滅させることが出来る」


 淡々と告げる柊耶に、采希は思わず息を飲んだ。


「……これまで琉斗にそんな事が出来た事はないんですけど」

「琉斗くんが無意識にセーブしているんだと思うよ。彼は普段、あんまり怒らないんじゃない?」

「はい」

「自分の中に荒ぶる魂がある事を自覚しているんだと思う。采希くんと同じようにね」


 黙り込んでしまった采希に代わり、凱斗が身を乗り出した。


「柊耶さん、何で分かったのか不思議ですが、確かに琉斗はそうです。子供の頃、映画やドラマの戦闘シーンを見てる時のあいつの反応を指摘した事があって。その荒ぶる魂とやらを自覚してからは一切、挑発には乗らなくなったんですよ。だけどそんなあいつの気質に気付ける奴なんているんですか? うちの家族でさえ忘れていると思いますよ」

「僕は、気付いたよ」


 お前は特殊だ、と言いたげに目を逸らす黎の気持ちが、采希と那岐にはよく分かった。

 だが、世の中には先見さきみの巫女に近い能力を持った人間もいる。柊耶のように隠された気質を見抜ける者がいてもおかしくはなかった。


「それを見抜いた奴がいると仮定して、琉斗を連れ去ったのはなぜだと思う?」


 黎が問い掛けると、柊耶は静かな口調で返す。


「琉斗くんのこれまで発揮した能力の様子から、何となく推測できる気がするけどね」

「琉斗の? えっと、紅蓮の使い手で?」

「ロキさんもいるね。自分の意思ではないけど転移もしている。覚醒条件や覚醒する力はまだよく分かっていないけど。後は――」


 凱斗と那岐が考えながら口にして、采希は渋面を作りながら呟いた。


「――憑依体質」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る