第85話 邪神の抵抗

「これは、凄いな。シュウから話は聞いていたけど……本当に全員、能力者なんだなぁ」


 榛冴はるひの後ろでカイが小さく呟いた。


「それぞれ持っている力は違うんですが、そうですね、一応みんな能力者です。那岐なぎ兄さんはこの結界を見て分かる通り、かなりの力を持っています。でも普段の琉斗りゅうと兄さんはほとんど力を持たないんです。采希さいき兄さんの力を受け取ることで、紅蓮――あの刀を破邪刀として使う事が出来るんですよ」


 カイと、カイの隣にいたシンが感心したように眼を見張る。何故かシュウは誇らし気に胸を張っていた。


「琉斗兄さんには、何か条件がないと発動しない謎の力があるようなんですが、今はその力も覚醒しているみたいですね。凱斗かいと兄さんも力を自分でコントロールできないので、今回はかなり守護たちに手助けを受けている感じです。……まあ、視えるだけの僕よりはマシだと思いますけど」


 榛冴がちょっと自嘲気味に笑ってみせると、シンが真顔で榛冴を見つめた。


「視える、だけ? 違うでしょ? 神様の声を聞いたり神様をその身に降ろしたりできるのは榛冴くんだけだって聞いてるよ。謙虚と自分を低く捉える事とは違うからね、もっと自信を持って、さらに磨きをかける努力をする方が建設的だと僕は思うけど」


 そう言ってにっこり笑ったシンが榛冴の肩を軽く叩き、カイと一緒に何やら機器類を設置し始める。

 何でもない事のようにシンが言った言葉は、榛冴には自分に対するエールに聞こえた。

 シンの背中に向かって、榛冴は小さく頷く。


「いいぞ、シン。設置完了だ。お前と黎の思惑通りには設計できたはずだ」


 何かの機械を組み立てていたカイが立ち上がる。

 その一部、アンテナのような形状の物を戦闘が行われている方角に向けた。


「――うん、いいみたい。カイくん、見てみて」


 ノートPCの画面を見つめながらシンがカイを手招きした。


「榛冴、お前も見てみろ。――おお、ばっちり映ってんな。さすが天才!」


 画面を覗き込んだ榛冴が眼を見張る。そこに表示されていたのは、自分の兄弟たちが闘う姿と、無数に動く白い物体だった。


「……これって、まさか霊体が映ってるんじゃ……」

「はい、ご名答。ちなみに、実際の君の眼にはどんな風に視えているの?」


 シンが興味津々の顔で榛冴に尋ねる。


「そうですね……人型をしていたり、影のようにしか見えなかったり、いびつな球状とか、色々ですね。ちゃんと人のような色彩を纏った霊もいますよ」


 榛冴の答えに、カイとシン、シュウが一斉に感嘆の声を上げる。何か、変な事を言ったかと榛冴は不安になった。


「次世代機を製作する際には榛冴の意見が必要だな」

「それがいいね。れいくんは面倒がって結構適当に答えちゃうし、柊耶とうやくんは実際には視えていないらしいし」


 シンの口から出た意外な内容に、榛冴は驚愕の表情で眼を見開いた。


「視えて、いない? ちょ……まさかでしょ? 琥珀の眼を借りて攻撃している凱斗兄さんより、はるかに正確に奴らを消しているのに?」


 カイは榛冴の言葉に同意するように頷いた。


「凱斗は力を使うのが苦手なようだな。ま、だから俺にお呼びが掛かったんだろうけど」


 どう言う意味だろう、と榛冴は思った。カイは能力者じゃないと黎から聞いてる。

 戸惑いながら見つめる榛冴に、カイがにやりと笑った。


「俺の声な、よく通るらしいんだわ」

「……通る?」

「そ。大きい声を出してる訳じゃないのに、よく聞こえる声の通し方ってのがあってさ、俺はそれができる。お前らが采希を迎えに行っている間に、黎から『お前は凱斗担当な』って言われてさぁ。何の事だろうと思ってたんだけど……実際凱斗の動きを見て、なるほどと思ったわけ。あいつ、力を使う事に集中しすぎて効率悪すぎ」


 そう言うとカイは、シンから渡されたPCと同じ画面が表示されたタブレットを手に立ち上がって前に進む。

 結界の手前で立ち止まり、宣言通り凱斗に指示を出し始めた。

 今では伝説となったボーカリスト、その声が戦場を突き抜けて、真っ直ぐに凱斗に向かう。




「シュウくん、そろそろ始めようか」


 シンがシュウを促す声を耳にして、榛冴は怪訝そうに眉を上げた。


(……シュウさんって、何のために連れて来たんだろう? サトリの力を使う局面って、あるの?)


 そう考えながらシュウを見つめた榛冴に、シュウが困ったように笑う。


「そんな役立たずみたいな言い方は俺でもちょっと傷付くぞ、榛冴。――俺はな、邪霊や土地神様の声を聞いてカイたちに届けるために来たんだ。お前たちと違って、普通の人間には聞こえないからな」


 シュウの言葉に、榛冴は思わずあっと声を上げた。


「……そっか、そうですよね。すみません、失言でした。声は……そうか、聞こえないのが普通……」


 何となくこんな生活に慣れてきて、視えたり聞こえたりが当たり前になっている事に改めて気付かされた。

 そのせいで友人である陸玖りくをかなり困惑させたのに、また忘れてしまっていた。


 時折カイが戻って来てはシンと一緒に画面を見つめる。

 シュウがシンの背後で、サトリの耳が拾い集めた言葉を紡いでいく。

 シンはその言葉と映し出された映像から戦況を判断し、カイと共に戦略を整えていった。


 榛冴が驚いたのは、シュウが榛冴にも聞こえない声を拾い上げていたことだ。そっと管狐に確認すると、驚愕の応えが返ってくる。


(僕よりたくさんの声が聞こえているの? そうか、僕には神様たちが僕に伝えようとしてくださった言葉は聞こえる。でもシュウさんは霊や神様の……僕らの感覚で言うと『言葉に出そうと思っていない』声も聞こえているんだ)


 自分の兄である双子の弟と同じように、あまり役には立っていないと思い込んでいたシュウのその能力に、榛冴は素直に感嘆した。

 高位の神霊ではないとはいえ、自分よりも多くの声を聞き取るとは思ってもみなかった。


(さすがはサトリだよなぁ)


 榛冴は見鬼の力を稼働させながら結界にも力を通し続けているので、シュウほどには声に集中出来ていないからだったが、榛冴はシュウを見る目を改めた。

 黎は言うに及ばず、今この眼で見ている柊耶の人間離れした動きやシュウの特異能力。

 シンの霊体を画面に映し出すというプログラムを組む技術や、冷静な参謀ぶり。

 そして凱斗の能力を即座に見極め、的確な指示を出し続けるカイは、霊体を捉えるアンテナの開発にも携わっていた。


(黎さんの組織って、なんでこんな人材ばかり……その筆頭に立つ黎さんと、組織が巫女と崇めるあきらちゃん。どちらも、そんな凄い人たちが後ろに控えていることを微塵も感じさせなかったのに)


 榛冴はぶるっと身震いする。

 自分もここにいる以上、足手まといになってはならないと思った。

 今の自分に出来る事を確実にこなしていこうと顔を上げる。


「……玄武さま、お力添えをお願いできますか?」



 * * * * * *



 カイの声に従う凱斗の動きが格段に良くなった。

 いつもは防御が出来ない琉斗を庇いながら闘っていた那岐も、今日は自分の動きに集中できているようで、采希が考えていた以上に邪霊どもがその数を減らしていく。

 ふと気配を察して采希は意識の視点を動かした。


《待たせたのう》

(三郎さん!)


 黎の背後に、憮然とした表情の戦国武将が姿を現わした。


「三郎、早かったな。向こうは片付いたのか?」

《思いのほか人使いの荒い当主の、要望通りには片が付いたと思うが。……全く、後始末を儂に任せてさっさと消えおって……》


 三郎が不満そうに黎を横目で睨む。

 采希の声を追って琉斗の身体を認め、頭からつま先までゆっくり眺めてにやりと笑った。


《何があった、采希? 何やら面白い事になっておるの》


 一瞥して三郎は采希が琉斗の中にいることに気付いた。


(……説明は後で。ひとまずこの念たちを片付けて、背後にいる土地神を炙り出したい。手伝ってもらいたいんだ)


 納得したように頷きながら周囲を眺め、結界の中にいるカイたちに気付いて眼を細める。


《みな、揃っておったか。――この者どもは何処の主君に仕える者か? お主ならば知っておるだろう》


 シュウが眼を閉じたまま、三郎の言葉をなぞる。シンが自分に向けられた問いに即座に答えた。

 シンの視線と三郎の浮かんだ位置はかけ離れているが、迷うことなく答えを返すところをみると、これまでも彼らの間で似たようなやり取りが幾度かあったのだろうと思われた。


「この地ならば、北条家ですね」


 三郎が嫌そうに顔をしかめながらゆっくりと目を伏せ、ゆっくり息を吐いた。


《北条……》

「でも三郎さん、ほとんどは雑兵みたいですよ」

《榛冴、分かるのか? ……この気配、くろの……?》

「さっきシュウさんが聞き取った声が、ほとんど下っ端みたいだったので。おそらくですが、北条の血筋に繋がる方々はいません」


 難しい顔で榛冴を見ていた三郎が、少し高い位置に移動して暴れまわる雑霊を見降ろした。


《鎮まれ! 新九郎の意に逆らうか!》


 響き渡る一喝に、辺り一帯の邪霊が硬直する。ざわざわと落ち着かない気配が漂った。


(新九郎? 意に逆らうって事は、こいつらが従っているのは主君の命令じゃないってことか?)


 では、誰が操っているのだろう、と斬撃を飛ばし続ける琉斗の中で考えた。

 怯んだ霊の集団を、榛冴は見逃さない。


「凱斗兄さん! 一気に取り囲んで!」

「黎くん、采希くん、那岐くん! 浄化を!」


 榛冴とほぼ同時にシンが叫ぶ。

 凱斗の両手から放出された炎駒の炎が、森を取り囲むように白い檻を作る。

 那岐と眼が合った瞬間、琉斗が身体の動きを采希に預けた。


「ナーガ、ガイア、浄化だ。一気に行くぞ」


 采希の声に応え、炎駒の作った檻の中に大きな浄化の気が拡がっていく。三郎と白狼を琉斗の身体に収容し、那岐と黎も浄化の力を解き放った。




 邪霊が放つ念ごと、浄化によって一掃された空間に訪れたのは、清浄な【気】ではなかった。

 炎駒が作り出した炎の環が崩れるように消えて行く。その様子に、思わず采希は黎を見た。


「炎駒の檻が、こんな消え方……もしかして、消されたか?」


 采希の呟きに黎が慌てて空を見上げ、目を凝らす。

 結界の中から榛冴の悲鳴が上がった。


「采希兄さん! 来るよ、ガードして!」

「黎さん!」

「采希、那岐、結界を! 凱斗、柊耶、こっちだ!」


 柊耶と凱斗が駆け寄って来るのを確認して、采希は那岐とタイミングを合わせる。

 二人分の結界がモザイクのように重なり合って展開していった。

 ずしん、と重力が掛かり、琉斗の身体と那岐が思わず膝をついた。今は肉体を持たない采希にも分かるほどの、重圧。


「大丈夫か? ……特に琉斗」


 黎が心配そうに声を掛けてくれた。中に居る采希には琉斗の表情は分からないが、頭を上げる事が出来ないのはわかった。

 傍にいる那岐も、蒼褪めた顔色に見える。


(琉斗、苦しいか? お前、邪霊だけじゃなく神様系の念とも相性悪いみたいだな。お前もかなり消耗したようだし、俺に身体のコントロールを完全に預けてくれないか?)


 采希が琉斗の身体を動かしても、完全に琉斗の意思が反映されなくなる訳ではなかった。

 琉斗を休ませるためにも采希は琉斗の全身に意識を凝らす。

 琉斗の口元が笑ったように感じ、ふっと身体が軽くなる。


(任せる、采希)

「ああ、少し休んでろ」


 そう言いながら立ち上がり、采希は隣にいる那岐の肩に手を乗せる。ゆっくりと気を流すと、那岐が小さく声を上げて立ち上がった。


「兄さん……楽になった、ありがとう!」


 那岐の頬に赤みが戻ったのを確認して安堵すると、頭上からしゃがれた声が降って来た。


《宮守の者か……小賢しい真似を。我らの邪魔をしようとするか!》


 一体誰の声だ? と采希は反射的に空を見上げる。

 視界に入ったその異形の姿に、片方の頬が痙攣するように引き攣れたのを感じた。

 名指しされた当の本人は、涼しい顔で柊耶と凱斗の肩に手を掛け、笑っている。


「別に小賢しくはないだろう? 采希の力を手に入れるために、わざわざ眠っていた北条の家臣どもを讒言でかき集めて奸計を巡らす輩よりは、真っ当な手だと思うがな。この二人がいる限り、お前は手出し出来ない」


 確実に挑発するような笑みを浮かべた黎に、采希は小声で話し掛ける。


「……黎さん、何か策があるんですか? さっきの浄化でナーガとガイアはしばらく動けない。……あの声って、ここの土地神ですよね?」


 期待を含んで尋ねた采希を肩越しに振り返りながら、黎はあっさりと答える。


「策? ないぞ、そんなもん」


 ほんの少し指を動かして空に広がる異形の物を指し、楽しそうに笑った。


「柊耶には神様も近寄れないって、言っただろう? それに、凱斗は邪念を受け付けない。たとえ神格を持っていても、その性質が【邪】であれば凱斗は無敵だ。そんな二人が揃っていてお前たちが結界を張っている。あいつらには手の出しようがないだろ」


 確かに、それはそうだろうと思った。大きく張った結界の上から、歯噛みしそうな気配が伝わってくる。


「でも、あんなでかいの相手に、どうします? このままずっと膠着状態、なんてことになったりしたら……」

「……ああ、それは困るな」


 黎が采希と顔を見合わせ、柊耶に視線を移した。柊耶は困ったように首を傾げる。


「僕には何が起こっているのか、把握できていないんだけど」


 苦笑しながら柊耶に言われ、改めて采希は思い出した。

 黎の仲間に、視える人はいない。さっきの声も、柊耶には聞こえていなかったのだろうと思った。


(聞こえたのは俺たちと……シュウさんか)


 そう思いながら榛冴たちを護っている防御の結界の方を見ると、顔面蒼白になって震えている榛冴が目に入った。



 * * * * * *



 榛冴たちが護られている結界の、さらに外側に大きく展開された采希と那岐の結界。

 その結界に阻まれて怒りに震える土地神の姿を、榛冴の眼が捉えた。

 信じたくないような物が見える。


「……何だよ、あれ……」

「榛冴くん、何が見えているの?」


 榛冴の表情から何かを察したシンが、怯えた様子で榛冴の顔を覗き込む。


「……シンさんも、見ますか?」


 泣きそうに歪めた榛冴の顔をみて、シンが嫌そうな表情になる。


「できれば見たくないけど……」


 小さくぼやくシンの背後で凱斗が促すように榛冴に笑ってみせた。小さな声で綱丸に可視化の指示を出す。

 森の木々の間から広がる空に、それは大きく浮かび上がった。


「――あれって、がしゃどくろ……?」

「……いや、がしゃ髑髏と言う名は後世の人が付けたものだ。元々は浮世絵の……確か、瀧夜叉姫が操る大量の骸骨を大きな骸骨一体で表現した絵に対して、そういった名称がつけられたものだったはず」


 巨大な髑髏が見えているはずのカイが、怯えた声を上げる榛冴に、冷静に答える。


「……マジか。お前たち、いつもこんなのを見てるのか?」

「…………」


 シュウが凍り付いたように立ち竦み、シンは今にも倒れそうに震えている。


「榛冴、この中は……大丈夫なんだよな?」


 シュウが掠れた声で尋ねるのに対し、榛冴は引きつりながらも精一杯笑顔を作ってみせる。


「大丈夫ですよ。うちの采希兄さんと那岐兄さんの力はシュウさんもご存じですよね」

「……ああ、そうか。采希は琉斗の中にいるんだったか……ややこしいな」


 さっきまでシュウは眼を閉じてサトリの力を使っていた。聞こえる声だけをカイたちに届けていたので、琉斗の中に居る采希の声も普通に聞こえてしまっていた。

 改めて周囲を見て、采希の姿が見えない事に不安になってしまったのだろうと思った。


「どうやら采希兄さんは魂魄の一部を、あきらちゃんがいる空間に置いて来てしまったようですね。でも……琉斗兄さんの身体に入ったことで采希兄さんの力がいつもより大きくなってる気がするんだけど……」


 シュウに説明しながら、榛冴はちょっと視線を泳がせる。特に、今の状態は何が起こったのかと思った。

 身体のコントロールを琉斗から采希に移した瞬間、琉斗の身体の気配が変わった。

 とんでもない大きさのオーラを纏っている。


(采希兄さんがよく『身体の器が力と釣り合っていない』と言ってたけど。采希兄さんの力は自分の身体では持て余すってこと? だとしたら……琉斗兄さんの中にいる時の方が、本来の力を発揮できるんじゃ……)


 その采希の気配を纏った琉斗の身体は、黎と何やら話し込んでいる。


「……榛冴、あの髑髏、黎や采希たちにも見えているんだよな? なのに、何の行動も起こさないってことは、まさか……」


 カイが榛冴と同じ不安を口にする。

 もしかしたら、とは思った。


(打つ手がない、のか?)

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