第84話 巡る闘気
ゆっくりと身体に意識が戻るのを確認して、
瞼の動きが自分の意思と微妙にずれている気がしたが、それも僅かな時間だった。
真っ先に采希の視界に入ったのは、ベッドに横たわった自分の姿だった。
(!! 何? なんで俺が……)
声が出せない。身体も視線すら自分の思い通りに動かない。
横たわったまま動かない采希の身体を、
「……采希、戻ったんだよな? 俺、確かに采希の手を掴んだはずだし」
「それが……」
那岐の両側に、
(この人が、
二人が采希の方をじっと見つめている。
(……俺、もしかして戻れなかったのか? じゃ、俺って、今浮遊霊みたいに……)
(そうじゃないぞ、采希)
誰かの声が頭に流れ込み、采希の思考は一瞬止まった。
(???)
「大丈夫か、
采希は、黎が真っすぐに自分の方を見ていると思った。なのに黎は琉斗に話し掛けている。
(……は?)
「問題ないぞ、黎さん」
琉斗の声が応える。その声は、自分の身体から発したような気がした。
「え? 何? どうしたんだ、那岐?」
黎と琉斗を交互に見ながら、凱斗が那岐に尋ねる。
「……やっぱり采希兄さんを戻すことは出来なかったんだけど……」
「マジで? じゃあ采希はまたあそこに戻ったのか?」
「ううん、違うよ。……僕らが連れて来た采希兄さんは、身体に戻ることが出来なくて弾かれた。一部はさっきの場所に戻ったみたいだけど……残りは……琉斗兄さんの中に……」
「「はああああ?」」
凱斗と
その声に、『俺も叫びたい』と采希は思う。
「琉斗の、中に?」
「采希兄さんが? 黎さん、一部ってどう言う意味なんですか?」
よくぞ聞いてくれた榛冴、と采希は思った。
「……俺もこんな事は初めてなんでな、よく分からないんだが……。うちの情報部門の
全員の視線がベッドの反対側でぱたんとノートPCを閉じた男に集中する。
「はい。あらためまして、情報部門のシンです。よろしくね」
そう言いながら、座っていた椅子から立ち上がり歩み寄って来た。
「僕もこんなケースを見たのは初めてなんだけどね、似たような現象は情報があるよ。僕たちが
那岐が眉間にぎゅっと力を入れたまま固まっている。凱斗と榛冴が呆けたように口を半開きにしていた。
采希にも良く分からなかったが、ひとまず自分の魂魄が分裂しているらしい事は分かった。
弾かれたもう片方は巫女の居た空間に戻ったのか、と考えていると、采希の耳元で囁くような声が聞こえた。
《そのようだな》
(……あきら?)
《うん。お前たちを送り出したと思ったら、お前の一部が戻って来たんで驚いたぞ》
(…………元々は、こんな大雑把な提案をしたあんたのせいじゃないか?)
《でも、琉斗の身体にうまく入れてもらえたようじゃないか。結果オーライだな》
(…………どう考えても『all right』じゃない)
「采希くん、誰かと話してる?」
柊耶が面白そうに琉斗の方を見た。その視線が、どうしても琉斗の中に居る采希を見ているように感じた。
巫女と自分の会話が聞こえているはずはないのに、と采希は思った。
「そうみたいだ。あきらの声が俺にも聞こえた」
琉斗が淡々と声に出し、采希は息が止まるかと思うほど驚いた。
(なんで……琉斗、俺の声が聞こえてるのか?)
「ああ、そうだぞ采希。お前が焦っているから、いつ声を掛けたものかと困っていたんだ」
(おま……そう言う事は早く言えって!)
「すまない。――黎さん、采希の声をみんなに届ける方法はあるのか?」
「采希が琉斗の声帯を使う意思があれば、声は出せると思うけどな」
自分の意思、と黎にあっさりと言われて、逆に訝しんでしまった。そんなに簡単に他人の身体を動かすことが出来るのだろうか、と思った。
ふと、これまで琉斗が何度も憑依されてきた事を思い出す。
(これって、憑依と同じ状態か? だったら……ちょっと試すか。琉斗、借りるぞ)
返事を待たずに采希は意識を集中する。
ゆっくりと、静かに声を出してみる。
「あー……あ~~、うん、いけそうか?」
凱斗と榛冴が引き攣った顔でこちらを見ていた。
「……うわ、琉斗兄さんから采希兄さんの声……怖っ」
「……え? 采希が喋ってるんだよね? いつもの采希の声なのはどうしてだ?」
「――お前らは母親が一卵性の双子なんだし、采希と琉斗は似たような背丈だからな。筋肉量の違いはあっても骨格が似てるから、声帯の構造も同じような物だろう。声に個性が出るのは、声帯の使い方の違いだろうからな」
黎が呆れたように両手を軽く広げる。
「特に凱斗と琉斗と采希は、大声で叫ばれると誰の声か俺には判別できない事があるぞ」
咄嗟に上げた声がすごくそっくりなんだ、と黎がカイに説明をしていると、采希の喉が勝手に動き出す。
「……俺と采希が同時に話そうとしたらどうなるんだ?」
「いや、琉斗、問題はそこじゃねぇ。どうやったら俺が身体に戻れるかってことで――」
全員の視線が集まった。空気が凍り付いたその刹那、高らかな笑い声が響く。
「一人芝居みてぇだな。お前ら、面白いよ」
カイが身体をくの字にして笑っている。
「いや、カイさん、笑いごとじゃないっすよ……」
凱斗が慌てたようにカイに手の平を向けた。
「そうだよ、カイくん。これからどうするか考えないと」
シンが顔をしかめながら言うと、カイがひらひらと手を振りながら答えた。
「だ~いじょうぶだって。要は大元の呪を解いて、采希の身体に中身を戻せばいいんだろ?」
「……簡単に言ってしまえば、そうだな」
黎が疲れたように溜息をつく。
「――じゃ、やるべき事は決まってんじゃん。行くか」
「「何処へ?」」
シンと榛冴が同時に畳み掛ける。揃って眼を見開いて、首を傾げた。
「そんなの、聞くまでもないだろ。――こいつらが攻撃された場所だ」
* * * * * *
白虎と瀧夜叉姫を采希の身体に残し、凱斗たちは地下駐車場から二台の車に乗り込んだ。
ワゴン車には運転席に黎、助手席には柊耶が座り、凱斗と琉斗、那岐と榛冴が後席と中央に身体を寄せ合って座った。
セダンにはカイとシン。途中でシュウを拾って合流すると言って、先行していた。
「……黎さん、大丈夫なのか? あの場所に行って、また同じ目に遭ったりは……?」
不安気に尋ねる琉斗に、助手席の柊耶が振り返って微笑んだ。
「平気。黎くんがいるからね、心配ない」
「……俺なんかより、お前だろ柊耶。まあ、ここには采希の身体が
最後にぼそっと呟いた言葉を采希が気にしていると、頭の中に巫女の声が響いた。
《なあ采希、琥珀はどこにいる?》
(は? バングルなら凱斗の腕に装着されてるけど)
《凱斗か……。どうりで気配が視えないと思った。采希、悪いが琥珀のバングルに触れてくれ。伝えたい事がある》
(わかった)
くるりと振り返り、後席の凱斗の腕に手を伸ばす。
「何、琉斗?」
「俺じゃない、采希だ」
琉斗の口が苦笑いするのがわかった。無意識に琉斗の身体を動かしてしまった事に気付き、采希も少し驚いた。
凱斗の腕のバングルに触れると、琥珀の気配が感じられた。
《采希さん!!》
(琥珀、大丈夫か? ごめん、俺……)
《はい、問題が無くはないのですが、私は大丈夫です》
(……問題?)
《琉斗の身体では、恐らく琥珀を使役できないという事だ》
巫女の声が割り込む。
(俺ではダメなのか?)
《お前には紅蓮がいる。問題ないだろう?》
琉斗まで混じってきた。問題なく聞き分けは出来るが、采希は混乱しそうになる。
《琥珀、お前は凱斗の気とも馴染みやすいようだ。だから今回は凱斗のサポートに回れ。采希、琥珀に命令を》
巫女の言葉に、采希は思わず眉を寄せた。白虎も呪術師も武将もいないのに、この上琥珀までいなくなったらどうすればいいのだろう、と思った。ましてや今の采希には自分の身体すらここにいない。
孤独と焦燥感を抑えつつ、琉斗の身体にいる限り琥珀を扱えないのであれば仕方がない、と自分に言い聞かせた。
(…………琥珀、凱斗の中に)
采希の気持ちを察してか、琥珀が無言で凱斗の中に溶け込む。
「……お? 何だ? これ……琥珀?」
「ああ。俺には今、琥珀を使えないらしいから。――琥珀、凱斗の力になってくれ」
ぴくりと凱斗の眉が動き、琉斗の中の采希を見つめる。眼の奥を覗き込むように凝視したのち、ふっと破顔した。
「りょーかい。預かっとく。琥珀ぅ、よろしくな。大好きな采希じゃなくて悪いけど、頼むよ」
琥珀が短く応えた気配がした。
「ところで黎さん、一つ、困ったことがあるんだが」
琉斗が身を乗り出し、運転席に手を掛けて黎を覗き込んだ。
「なんだ?」
「俺は采希の力を受け取らないと、紅蓮を使えない。今の状態で、どうやったら闘気の受け渡しが可能か教えてもらいたいんだが……」
黎が呆れたように大きく息を吐く。
「そもそも、力の受け渡しなんて裏技、お前らにしか出来ないんだから、俺に分かるはずがないだろう」
「…………そうか」
琉斗が考え込むように腕組みをする。さっきから琉斗がもやもやと考えていたのは、それか、と采希は納得した。
身体を共有していても、琉斗が意識して采希に話し掛けなければ琉斗の意思は采希には伝わらない。
「今はさ、采希くんが中にいるんだから受け渡す必要はないんじゃない? 一部をあきらちゃんの所に置いて来たみたいだけど、琉斗くんが封印している部分は琉斗くんに引き寄せられたんじゃないかな」
前方に眼を据えたまま、柊耶が言った。
「僕も、そう思う。琉斗兄さんの気に采希兄さんの色が混じってるよ」
隣に座った那岐もこちらを見てにっこりと笑った。
* * * * * *
車を停めて、少し歩いて辿り着いたのは、滝の神様がいた滝の更に奥、うっそうと繁った木々が立ち並ぶ森の中にぽっかりと開いた場所だった。体育館程度の広さはある。
「ここなら榛冴も力を借りやすいだろうと思ってな」
「僕? 誰に……あ、滝の神様?」
榛冴の声に黎が頷く。何やら愉しげに笑っている。
「それと、もう一柱、お前に力を貸してくれるようだ」
「え?」
榛冴の首から下げられた小さな銀笛から管狐が飛び出し、榛冴の眼の前に浮かんだ。
《榛冴、北の守護神を呼びなさい》
管狐から聞こえて来たのは、榛冴には聞き慣れた
思いもよらない言葉に、榛冴は口をぱくぱくと動かしながら黎の方を見た。
「山神さまを宥めた件と先日の神社の鎮守を復活させた件、その他にも世話になった事の、礼だそうだ。
「いや、でも……」
「榛冴、今は怖がっている場合じゃないよ。白虎さんも瀧夜叉さまもいないんだ、ご厚意に感謝しようよ」
那岐が榛冴の肩にそっと手を掛ける。小さく震えながら頷いて、榛冴は眼を閉じて声を上げた。
「北の守護神、玄武!
大地から沸き上がる大きな力が、榛冴をゆっくりと包み込んだ。
「今回は瀧夜叉も白虎もいない。これまでと違って、圧倒的に防御が足りないからな、玄武が協力してくれて助かった。――采希、どうだ?」
みんなから少し離れた場所で琉斗の身体に力を通す実験をしていた采希は、振り返ってゆっくりと歩きながら黎の傍に戻った。
「どうやら問題ないみたいです。きちんと俺の力もこの身体に巡っている。――ナーガ、ガイア、いるか?」
空のかなり高い位置と踏みしめた大地の奥底から反応が返って来た。
「……邪魔が入ってる」
那岐が呟いて顔を上げると、柊耶が同じ角度で空を見上げた。
やっぱりこの二人には分かるのか、と思いながら黎は口元に笑いを浮かべた。
今は采希が主になっている琉斗の視線と黎の眼が合い、同時に頷く。
「ナーガ!」
「ガイア、来い!」
黎と采希の声に、天と地中から気の柱が繋がった。
それでも、かなり気配が薄い。これではいつものように頼ることは出来ないかもしれない、と采希は思った。
「黎くんと采希くんの力は似てるよね。……君の力は?」
柊耶が那岐に尋ねる。那岐はちょっと首を傾げ、どう説明したらいいのか言葉を探しているように見えた。
ふっと顔を上げ、にっこり笑った那岐が榛冴を振り返る。
すうっと息を吸い込みながら両手を胸の辺りで組み合わせると、陶器を弾く音と共に榛冴の周りに結界が組み上がった。
「僕は、これです」
「……凄いな、鉄壁の防御だね。凱斗くんは、いいの?」
凱斗は結界の外にいて、柊耶に笑顔を見せる。
「大丈夫っすよ、柊耶さん。俺にも守護がいるんで。今日は琥珀もいるし」
にやりと笑って凱斗が自分の右手に視線を落とすと、右手が紅い焔を纏う。琥珀が炎駒の力を媒介しているのだろうと那岐は思った。
光の柱を見上げていた黎が西の空に視線を動かした。
「来るぞ、采希」
「……もう?」
「こんな目立つ物があるからな。――ああ、着いたか」
黎が森の入り口の方角を見ると、カイの明るい声が響いた。
「お待たせ~。……で、シュウも連れて来たけどさ、こんな大掛かりな仕掛けが必要な状況って……もしかして俺ら、邪魔じゃない?」
普通の人にも分かりやすいように可視化した那岐の結界と天と地を結ぶ光の柱を見て、カイがちょっと身体を引いた。
「大丈夫、みんな結界に入っててくれ。榛冴が中心だ」
結界の中では榛冴が上着を脱いで地面に置き、その上で結跏趺坐を組んだ。
ふと、空気が変わる。
いつもより、自分の感覚が鋭敏になっている事に采希は気付いた。
黙って那岐を見ると、那岐と視線が合った。
アイコンタクトのみで二人同時に天に向かって腕を伸ばす。
何百体もの霊の集団が一つになって襲い掛かるのを、采希と那岐の念で受け止めた。ずしりと足が土にめり込む。
「そのまま、キープして!」
柊耶が叫び、近くにある木を次々に蹴りながら反動を使って空中に飛び上がる。
采希たちが押し留めた霊の塊にその身体一つで突っ込んで行った。
「おお……黎さん、柊耶さん大丈夫なの? 生身であんな霊の集団に……」
「心配ない。柊耶には邪霊が近寄らないんだ、凱斗みたいにな。凱斗と違うのは、神様も近寄れないって事かな」
黎の言葉に、思わず采希と那岐は顔を見合わせてしまう。
空中に駆け上がるようなその身体捌きといい、視えない事を補って余りある勘の良さといい、思わず背筋がぞくりとした。
(柊耶さんには死角や弱点って、あるのか?)
柊耶のおかげで団子状に固まっていた霊たちが弾けるようにバラバラになった。采希は那岐と共に支えていた防護壁を解除する。
「凱斗、那岐、攻撃に移れ! 榛冴、そっちの結界を強化だ! ナーガ、ガイア、榛冴を援護してくれ!」
一息に叫んで、采希は琉斗の身体を琉斗の意思に預ける。
(琉斗、紅蓮を呼べ。この身体のコントロールはお前に返す。防御は俺に任せて、存分に暴れていいぞ)
片方の口角をきゅっと上げて笑った琉斗が、右手をバングルに添える。
「紅蓮!!」
声に応えて現れた紅蓮は、いつもと違う朱金の刀身をしていた。同時に和太鼓のような音がして、琉斗の身体が念の青い炎を纏う。
琉斗の身体の中にいる采希にはすぐに分かった。これは琉斗の覚醒状態だが、青龍の力は巡っていない。
(……今、こいつの意思で覚醒した? なんだこの力、琉斗の中にはこんな闘気が巡っていたのか?)
紅蓮を扱うために采希が渡していた闘気の比ではない程の、濃厚で強大な力が琉斗の中に存在した。
これまで采希は全く気付かなかった。おそらく那岐も気付いていないだろう。
ましてや琉斗本人ですら、自らの体内を巡るのがこれほどの力だとは知らなかった。
紅蓮を下段に構えた琉斗が走り出す。
気を纏わせた三節棍を振り回す那岐と背中合わせに、森を埋め尽くす程の霊の大群に斬撃を飛ばす。
これまでに見た事もない威力の、炎を帯びた斬撃が次々に繰り出される。
少し離れて黎と凱斗が右手から次々と気の弾丸を放ち、特に攻撃的な邪霊を選んで攻撃していた。
(柊耶さんは……?)
柊耶は、木々の間を飛び回りながら次々に霊たちを消滅させていく。一体、どんな方法で除霊しているのか、采希にも確認できない程の速さだった。
霊能力はない、と聞いているが、確実に何十体かは減っている。
(この面子なら心配無さそうだけど、数が多すぎるな。……ロキ、行けるか?)
琉斗の中で力を使い果たしていた白狼に呼び掛ける。采希が琉斗の身体に入ったことで白狼への気脈が通じていたはずだと考えていた。
《問題ない》
力強い声とともに、琉斗の中から白狼が飛び出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます