第80話 目指す背中
からころと軽やかな音を立ててドアが開く。
店内に入って来た人物を認め、
遠目にも整った顔が、薄暗い店内に慣らすように、きゅっと眼を閉じる。
「
いかにも気乗りしていなさそうな采希は、こちらを見てちょっと眼を細めた。静かな雰囲気の異国風の喫茶店を居心地悪そうに見渡す。
ゆっくりとした足取りで店内を横切り、陸玖の向かいの席に座った。
「…………ひとり?」
「はい」
「……
「今日ここに来ることは、榛冴くんには話していません。――采希さんと話してみたいと思って。……迷惑でしたか?」
「……いや、別に……」
少し困ったように視線を逸らす。陸玖には想定内の反応だった。
「…………話って?」
陸玖はゆっくりと息を吸い込んだ。
采希は無駄な話をしない。それはこの僅かな付き合いでもよく分かった。
人付き合いが苦手、と榛冴は言っていたが、それよりも相手を気遣うが故の口数の少なさではないかと陸玖は思った。
「ちょっと思い出したことがありまして、確認したかったんですが、子供の頃から『霊感少年』として有名だったのは采希さんですか?」
「それは、
陸玖は小さく頭を傾ける。自分の記憶にある笑顔と、今、告げられた人物の笑顔は一致しなかった。
「――僕が小学生の頃、学校の女子の間でおかしな遊びが流行っていたんです。よくある
采希はストローを手に、アイスティーの氷をからんと回す。
「そんなある日の休日、僕は家族と出掛けたんですが、そこで休んでいたはずの彼女に会いました。彼女は虚ろな目で僕を見ると、急に飛び掛かって来て僕に噛み付きました。まるで野生動物のように」
ふと采希の瞼がぴくりと反応する。長い睫毛が微かに揺れた。
「恐怖で固まった僕の眼に入ったのは、そっと彼女の背中を撫でている少年でした。僕より少し年上の彼は、黙って彼女の背を撫でているだけでしたが、彼女が次第に正気に戻るのがはっきりと分かりました。あれは、何をしたんですか?」
「特に何も。あれは何かに憑かれていた訳じゃ……あ!」
しまった、という顔で陸玖から目を逸らす采希に、陸玖は嬉しそうに笑った。
「やっぱり、あれは采希さんだったんですね」
ゆっくりと陸玖は頭を下げる。采希は所在なさげに視線を動かしていた。
「二度も助けて頂いて、ありがとうございます。それで、今回除霊していただいたお礼についてなんですが……」
「要らないって、言ったじゃん」
「いえ、そう言う訳には……
依頼料の交渉はもう三度目だった。
采希は頑なに報酬を受け取ろうせず、陸玖は困りながらも時計を見た。もうすぐ時間のはず。
鈴の音を立てないようにそっと店の扉を開けて店内を見渡す女性が眼に入った。ほっとしながら陸玖は小さく手を上げる。
陸玖の視線と動きに、訝し気に振り返った采希がちょっと眼を見張った。
「こんにちは、采希さん。無事に退院できました、ありがとうございます」
そう言って満面の笑顔を見せる亜妃から眼を逸らして、采希は陸玖を睨みつけた。
「二人がかりってのは、ちょっと狡いんじゃないか?」
「どうしても受け取って頂きたかったもので」
「そうですよ、采希さん。采希さんが身体を張って下さった分にはきちんと対価を払わないと。そうでないと私は
確かに亜妃の部屋にいた霊の攻撃から榛冴と陸玖を庇ったせいで、采希は大神さまに助けて頂いている。
そのお礼はいつか大神さまにお返しさせて頂こうと考えていただけに、『施し』と言われたら亜妃の言葉に納得せざるを得なかった。
小さく息を吐いて、采希は陸玖を見た。
「俺の従兄弟が、困っている友人を助けたいと願って俺に頼ってきた。俺はそれに応えただけだ。だから、対価が必要っていう認識はないな。今回は、仕事じゃない」
困ったように亜妃が陸玖の方を見る。
お礼がしたかったのは本当だが、采希との繋がりを無くしたくない気持ちも強かった。
決して強い視線ではないのに、采希の眼にはそんな心を見透かされているように感じた。
「……榛冴の、友達でいてくれて、ありがとう」
眼を細めてくすりと笑う采希に、陸玖は喉の辺りがきゅっとなった。
采希と榛冴だけではない。彼らは全員がお互いをすごく大事に思っているように陸玖には思えた。
それぞれが違う能力を持っているのは、お互いが支え合い、補えるように配剤されているのではないか、そんな風に感じた。
(天の配剤……)
ふと、そんな言葉が浮かんだ。
『天は物事を適切に配する』というその言葉は、意味は違っても、彼らの存在をうまく言い表しているような、そんな気持ちになった。
「……本当に、仲がいいんですね。羨ましいです」
「それはこっちの台詞だな」
思いがけない采希の言葉に、陸玖は思わず変な声が出た。
「あの冷静な末っ子が、あんたのために必死にお願いして来たって
「そうだったんですか。でも僕は、榛冴から全幅の信頼を得ている采希さんが羨ましいです」
「俺?」
「はい。彼はあんなに無条件に相手を信頼するようなタイプじゃないと思っていたので。それほどの信頼を、こちらにも向けて欲しいというか……」
「要は、もっと榛冴と仲良くなりたいって事?」
「はい」
「そうなんですよ、采希さん。榛冴くんって意外と人気があるんですけど、陸玖くんたら絶対、女の子に榛冴くんを紹介しないんです。どうしてだと思います?」
悪戯っぽい顔で亜妃が身を乗り出す。
采希は思わず笑みを浮かべ、亜妃の望む言葉を紡いだ。
「……なんで?」
「榛冴くんに彼女が出来たら榛冴くんと遊ぶ時間が減るから、だそうです」
「……陸玖くん、そっちの――」
「断じて、違います。榛冴とは気兼ねなく話せるし、趣味も合うので。今はまだ責任とかに縛られないで自由を満喫したいだけです」
「あー、なるほど」
「そんな訳で、陸玖くんには絶対に邪魔される事になっています。だから、采希さん」
「…………嫌な予感がするぞ」
「私と榛冴くんとの仲、取り持ってもらえませんか?」
朗らかに笑う亜妃を見て、采希はどっと疲れた気持ちになった。
「――ああ、ここにいたのか。……随分と落ち着いた店だな」
低い声が采希の背後から聞こえ、振り返るとそこには
「おう、やっと来たか。俺一人じゃ分が悪い。助けてくれ」
「…………何があったんだ?」
「榛冴と付き合いたい彼女と、榛冴と遊ぶために彼女を作らせたくない彼に、板挟みにあっている」
「何だ、それは」
「何で俺はこんな目に遭っているんだ……」
頭を抱えた采希を見下ろし、琉斗は真顔で言った。
「人に頼ろうという時点で、どちらもどうかと思うが」
陸玖と亜妃は思わず互いに顔を見合わせる。その一言で上代家の教育方針が見えた気がした。
自分の言葉に表情が強張った二人に、琉斗は余計なお世話だったと苦笑する。
この二人が采希を呼んだ理由は恐らく
『金の事とか、多分、口実だと思うぞ』
『では何が目的だ?』
『采希』
『は?』
『――と言うか、采希の持つ
『……邪霊どものようにか?』
『違う違う。お前もいい加減、気付いているだろ。
不愛想に見えるほどに人付き合いが苦手な従兄弟は、ほんの少し懐に踏み込んだだけでもその深い優しさに気付かされる。
無意識に本人が発している気が邪気だけではなく、人も神気すらも引き付けているように思えた。
『無自覚に、周りを惹き付ける。采希を嫌うとしたら、采希を妬むような奴くらいだろ』
『……』
『ま、どう考えても邪気は余計だけどな』
そう言って、周囲の邪気すら跳ね除ける凱斗が苦笑していた。
采希は、いつも周りの者を全力で護ろうとする。
ならば自分たちが采希を護ろう、と言う双子の兄の言葉に、琉斗は無言で兄の手を固く握った。
「采希の母が何か頼みたいそうで、だから俺が迎えに来た。悪いが采希を連れて帰っていいか?」
「……分かりました。あ、采希さん、やっぱりお礼を……」
立ち去ろうとする采希の袖を、思わず陸玖は掴んでしまった。
「あー……じゃ、猫缶で」
「……は?」
「うちの御貴族様っぽい猫が最近、高級志向で困ってる。母たちが甘やかすからな。だからちょっといい猫缶で。それでチャラ。いいか?」
「は……い」
にっと笑って歩き出す背中を見送る。
榛冴が実の兄よりも絶大な信頼を抱く、大きな力を持った彼の従兄弟。
「……采希さんって、榛冴くんが自慢する気持ち、なんとなく分かるなぁ」
店の前を通って行く采希の姿を眼で追いながら亜妃が小さく呟いた。
「榛冴を諦めて采希さんにする?」
「いや、どうやら私の後ろにいる飛鳥の巫女さまとやらが、もの凄く采希さんを敬っている気配がするの。多分、私じゃ釣り合わない気がする」
「最後に神様を助けた時の采希さんも凄かったよ。傍に立っているだけで、身体中が熱く感じた。榛冴に聞いたら『采希兄さんの
いつの間にか、陸玖が『上代』から『榛冴』呼びになっているのに、亜妃は気付いた。
悔しそうに陸玖を見る亜妃の目線から逃れるようにそっと俯く。
(……僕じゃ、采希さんには敵わない)
小さく息を吐く。
家族への信頼と友人への信頼、それが違っているのは分かっている。それでも、目指す背中があんなに遠いとは思わなかった。
「……さて、僕には何が出来るのか。負けてばかりはねぇ」
* * * * * *
「わざわざ『何か理由をつけて迎えに来い』と連絡を寄越すほど、あの二人はしつこかったのか?」
「しつこくはない。あの二人に悪気は全くないしな。思った以上に榛冴が好意を持たれているのは嬉しいと思ったけど、どっちかの味方は出来ないと思った。だから呼んだんだ」
どちらか一方の肩を持てない、という理由が、いかにも采希らしいと琉斗は思った。
疲れたように呟く采希を気の毒そうに見ながら、琉斗は自分も昔、同じように『采希に紹介してくれ』と頼まれて困った事を思い出した。
「それに多分、依頼料の話だと思ったしな。榛冴の友達からお金は受け取れない」
微笑みながら、琉斗は頷く。采希ならそう言うだろう、と琉斗は思っていた。
おそらく、全てを采希に任せたらこんな風に『受け取れない』と言い出すのが分かっていたから、だから黎は全て自分を通すようにと言ってくれたんじゃないだろうか、と考えた。
断ることも苦手な采希は、放って置いたら無償で自分が倒れるまで依頼を受けてしまうだろう。
(黎さんに、感謝だな……)
「それにしても、お前、凄いな」
「…………何がだ?」
「陸玖くんから聞いた。高校生の時、榛冴の学校に練習試合に行って敵側の女子に絶大な人気だったって。榛冴がえらい迷惑したらしいな」
そんな事があったか、と琉斗は首を傾げる。全く記憶になかった。
「いや、知らないぞ。俺はモテなかったからな、凱斗か那岐の間違いじゃないのか?」
「榛冴が間違えるかよ。お前がモテなかったとか、ふざけてんのか?」
「……え?」
「気付いてなかったのか。お前が助っ人に入る試合を必死に追いかけている集団がいたぞ」
どう言うことかと訝しんでいると、采希は遠い眼をした。
「……俺に相談してくる子もいた」
それは自分をダシに采希と話したかったのではないかと琉斗は思ったが、口には出さなかった。
ふと琉斗は亜妃の部屋で倒れていた女の事を思い出した。琉斗たちが采希を抱えて部屋を出た後、陸玖が救急車を呼んだはずだった。
どんな女性かは知らないが、『女子に対しては常に紳士的』と榛冴が評価していた割に、陸玖は倒れた女にとても冷たい目をしていた。そんな目付きになってしまうとは、余程の
ぼんやりと考えながら歩く琉斗は、不意に肩を叩かれた。
「……おい、聞いてるか?」
采希が怪訝そうに琉斗の顔を覗き込む。
「ああ、聞いているぞ」
「嘘つけ。――結局、陸玖くんが見つけた情報のリーク元は解らなかったそうだ。黎さんのとこの情報部門でも見つけ出せなかったらしい」
「……そうか」
「しばらく大人しくしとこうかって、凱斗と話してたんだけどな」
昨日、凱斗と何やら話し込んでいたのはそれか、と思った。
「それは、しばらく依頼を受けないと言うことか?」
「そうだな」
琉斗には采希が笑った顔がほんの少し寂しそうに見えた。
決して霊退治が楽しい訳ではない。それでも霊障を解決し続ければ巫女を助ける
思いつめる性質の采希は、休めと言われても素直に従うとは思えなかった。
どうにか休ませる口実はないかと考えていた琉斗は、ふとある店先に置かれた置物に眼を留める。
眉を寄せて後頭部を掻いた。
「また、青龍に頼ってしまったな」
「……俺が倒れた時か?」
「そうだ。あの後、滝夜叉に頼んで青龍にお詫びをお伝えしたんだが、怒ってはいなかったらしい。滝夜叉が困った顔をしていたから、快く思っている訳ではなさそうだがな」
「……だろうな」
きちんと自分から青龍に話をするべきだとは思ったが、琉斗にはどうすれば四神と繋がる事が出来るのか分からない。
巫女に相談しようとも思ったが、何故か采希の紫水晶は琉斗の呼び掛けに反応しなかった。
(何故あの時は、あっさりとあきらに繋がったんだろう……)
「そう言えば采希、封印は――」
「あ、いつの間にかきちんと鍵かかってた」
「いつの間にか?」
「多分、大神さまの力を頂いた時じゃないかと思う」
「そうか――もう心配いらないなら、采希、みんなで旅行でもしないか?」
「……は?」
「しばらくは依頼もないんだろうし、ゆっくり温泉にでもどうだろうと思ってな」
我ながら、いい事を思い付いたと琉斗は思った。
旅先でなら、采希も気が紛れてゆっくり楽しめるんじゃないだろうか。
「いいけど……仕事は?」
琉斗は一瞬、答えに詰まる。
結構、有休を使っていた記憶がある。あとどれくらい残っていたか、と考えて、琉斗の背中を汗が流れていった。
「――俺、みんなで車でのんびり旅、とか、行きたい」
「……車?」
「あいつら、電車でもはしゃぎそうだしな。大きめの車でなら騒いでもそんなに周りの迷惑にならないだろ」
「……そうだな」
「どこ行こうか……琉斗、本屋に寄っていくぞ。お前、行きたい所ある? 俺はさ――」
嬉しそうに話し続ける采希を、琉斗は慌てて追いかけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます