幕間 5

朔を統べる者 前編

 細い細い、糸のような雨が降る。

 俯いた俺の後頭部からうなじに雨が伝っていく。

 顔を上げて見上げれば、高い煙突から天に向かって立ち昇るひと筋の煙が見えるのだろう。

 たった一人の娘を残し、この世を去った俺の姉。

 彼女が煙となって空気に溶けていく。

 その工程を確認することも出来ず、俺はずっと眼を閉じたまま立ち竦んでいた。




「じゃあ、れい、あきらをお願いね」


 俺の隣で木刀を壁の定位置に戻しながら姪のあきらが笑う。


「お母さん、もう行かないと間に合わなくなるよ」


 慌てて腕時計を確認し、小さく声を上げる。ばたばたと出掛ける後ろ姿をあきらと一緒に見送った。


「夕飯はお二人で召し上がってください、だそうですよ。あきらさん、今日は何を作りましょうか?」


 ずっとこの家の賄いをしている家政婦さんが笑顔であきらに問い掛けるのを聞きながら、俺は着替えるために、本家にまだ残されている自室に向かった。



 俺の名前は、黎。


 幼い頃にこの家に引き取られてきた。元々は婿養子に据えるためだったようだが、この家の跡取り娘は、俺ではない別の男性を選んだ。

 特に居づらい訳ではないが、今はこの家の先代が使っていた別邸に一人で住んでいる。

 この家は代々、霊能力に長けた血筋なので、その方面の依頼を受けて解決することを生業としている。

 能力を買われて引き取られた俺も例に漏れず、様々な依頼を受ける傍ら、一族が待ち望んでいた力を持って産まれた姪・あきらの教育係をしている。



『俺なんかより、あきらの方が潜在能力は上でしょう? 婆様が直接教えた方がいいんじゃないすかね』


 産まれて間もない姪をあやしながらそう言った俺に、あきらの曾祖母である朔の一族の当主は鼻で笑った。


『いや、能力はお前の方が上のようだよ、黎。お前、こっそりうちの蔵に出入りしているだろう? あの蔵は、当主と次代の当主にしか開けられない。知らなかっただろう?』


 俺の全身から冷や汗が流れる。


(バレていたのか……。いや、待て、鍵もないあの蔵が? そんな仕掛けがあったのか……)


『蔵の二階で密かに飼っているあの高貴な猫は母屋につれておいで。あんな狭い所じゃ可哀想だ』


 蔵とはいえ、決して狭くはないその場所で今は微睡んでいるであろうまだ幼い猫を思い浮かべる。母屋で堂々と飼えるならそれに越したことはないが……。


『婆様、ちょっと待ってくれ、俺が――当主? 次代の? あきらじゃなかったのか?』

『当主に選ばれるのは力の大きさだからね』


 そうだったのか? 俺はてっきり予知力の有無だとばかり思っていた。


『……だって、あきらには先見さきみの力が――』

『先見の力の有無ではなく、霊能力そのものだろうね。それを言ったら現当主である私にも先見の力はない。龍神はあの子をと言っていたよ』

『巫女……? でもあきらより俺の方が能力が高いとか……考えられない。あきらはまだ子供だからじゃないのか? 大きくなったらきっと――』


 往生際悪く愚図つく俺に、婆様は本当におかしそうに笑っていた。

 それから五年後、婆様は俺を当主に指名して亡くなった。本家からはるかに遠い血筋の俺が選定されたことに対する不満の声は多かったが、直系のあきらが当主になるまでの繋ぎだろうと周りには勝手に判断されたようだった。

 その日以来、俺は本家に通っては姪のあきらの訓練に付き合っている。



「黎さん、シェンが見当たらないんだ」


 すでに入浴をすませたらしいあきらが居間に駆け込んできた。乾かしたばかりの短い明るめの髪が頭の動きに合わせてふわふわと揺れる。

 凛々しい少年のような顔立ちは、眉を寄せると一層際立った。


「シェンなら今日はうちに置いてきた」

「……そうなのか」


 何故だかシェンは、本家に連れてくると落ち着かない。今日は特に機嫌がよくなかったので連れて来なかったと言うと、あきらは、がっかりしたようにテーブルを挟んで俺の向かいに座ろうとした。

 半分腰を下ろしかけて固まっている。


「――あきら? どうかし……」


 八咫烏からの映像が唐突に俺の脳裏に浮かぶ。

 幼い頃から俺の傍にいた霊鳥・八咫烏。その千里眼が届けてくれたのは、信じられない光景だった。


 大破して原型を留めない乗用車、盛大な炎が上がっている。そのナンバーは――


「!!!」


 慌てて立ち上がると、あきらが崩れ落ちるように座り込んだ。


「れ……黎さん……」


 がくがくと震える姪の身体を抱きかかえる。

 八咫烏からの映像は、あきらの両親が乗った乗用車の事故を捉えていた。道路から遥か下方の崖下で燃え盛っている。

 尋常でない能力を持った俺の姪は、その力で両親の危機を感じ取ったのだろう。


(この様子だと、運よく車外に放り出されたとしても……)


「あきら、ここで待ってろ。俺が――」


 俺の言葉を遮るように、あきらが俺の服の胸元を握りしめる。

 自分も行くと、そう言いたいのだろうと察した。


「……あきら、お前の両親がどんな状態か分からない。お前に見せてはいけないような姿かもしれないんだ。頼むから、大人しく待っててくれ」


 ぶんぶんと大きく首を横に振る。


「連れてってくれ、黎さん。絶対、泣かないから」


 小学二年生になったばかりの姪の身体から、オーラが立ち上る。淡い色のそれは、炎のような動きで身体を包み込む。


 俺は意を決し、姪の身体を抱えて跳んだ。



 * * * * * *



 ふいに身体に降り注いでいた雨の感触が消えた。

 ぎゅっと閉じていた眼を開けると、小さな手が大きな傘を俺の上に差し出していた。


「…………あ……」

「黎さん、雨は冷たいから身体によくないと思う。……もう、中に入ろう」


 静かな落ち着いた声が、まだ幼い姪の口から発せられる。


「……そう、だな」


 やっと声を絞り出す。

 直系の、本家の血筋はこのあきら一人になってしまった。残されたのが当主とは名ばかりのこの俺では、分家やらの親戚連中の思惑どおりにされかねない。


(俺が、護らないと……)


 眼を閉じて深呼吸すると、俺の身体や礼服から一瞬で水分が蒸発した。


「黎さん、今のは……?」

「風邪をひくのは御免だからな。――あきら、お前、これから……」


 これからどうする? と聞きかけて、両親を亡くしたばかりの子供には酷な質問だと思い留まる。

 あきらの手から傘を受け取り、小さな身体が濡れないように片手で抱き上げる。


(重くなった……。でもまだまだ庇護を受けるべき子供だ。……俺に、何が出来る?)


 ゆっくりと宮守の関係者が待つ控室に戻った。




「ああ、黎くん、ちょっと……その……話があるんだけど」


 額の汗をひっきりなしに拭いながら、小さくずんぐりとした男が話しかけてきた。


「……なんすか?」


 分家筋の何とかいう親類だ。申し訳ないが、この男の家族にはいい思い出がないのであからさまに冷たい態度になってしまう。


「あの……あきらちゃんの事なんだけど……ご両親も亡くなって、こんな小さな子がたった一人では暮らせないだろう? ……だから、うちであきらちゃんを引き取ろうと思ってて……ほら、うちには同じ年頃の息子もいるし、仲良くできると思うんだよね」


 少し離れた椅子でこちらを窺っている中年女性に、一瞬視線を走らせる。


(寿恵おば様の差し金か……。あの女なら真っ先に言い出すだろうとは思ったけど)


 でっぷりと太って閉じる事のできない下腿をだらしなく広げた女。まだ三十代だろうに、ショートボブの細く薄い頭髪が頭の形をくっきりと見せていた。


「ねえ、あきらちゃん。うちの子に――」


 男が汗ばんだ両手をあきらに差し出すと、あきらは俺の後ろに隠れるように後退った。俺は身体をずらして姪と男の間に割り込む。


「ご心配いただき、ありがとうございます。しかし、あなたの所で暮らすとなるとちょっと遠すぎる。あきらには仕事もあるんでね」

「それだよ! いくら稀有な能力者とはいえ、こんな幼い子に仕事をさせるなんて! ボクはね、そんな生活からあきらちゃんを救いたいんだ!」


(なるほど、そう言うシナリオか……)


 親切心からの提案だと、周囲に思わせたいって訳だ。

 寿恵おば様の丸い身体が満足そうに揺れる。

 俺は天を仰ぎ、小さく溜息をついた。


「――で? あきらを引き取って宮守の家から引き離し、独自に依頼を受けて稼ごうって腹ですか」


 男の顔から汗がどっと吹き出す。


(シュウ、これで合っているか?)

《ビンゴだ、黎。ついでに自分の息子と結婚させて一生縛り付けるつもりのようだぞ》


 控室の隅でシュウが苦虫を噛み潰したような顔で立っている。

 すっきりと整ったアーモンド型の眼が伏せられる。

 こいつは人の表層意識が読めるので、ここにいる連中の思惑を確認してもらっていた。

 汗を振り飛ばしながら反論しようともがく男をその場に残し、まっすぐに黒幕の女に歩み寄る。


「そんな企みにあきらを利用させる訳にはいかないんで。そちらの申し出は承服できません。あきらは、俺が育てます」


 細く描かれた柳眉を吊り上げ、わなわなと口元を震わせながら寿恵おば様が立ち上がる。


「何を……何を根拠にそんな事を……! 企みですって? 若造のくせに人を陥れようとするなんて!」

「若造でも、俺が当主だ。何だったら、うちの情報部門を総動員してでも裏付けを取らせてもらう。――あんたらがロクでもない野望を抱いていることは承知してるんでね」


 女の傍でひたすら目の前の食べ物に没頭している息子に視線を移す。両親と同じ丸々とした身体に、いかにも愚鈍そうな生気の感じられない表情。こいつの興味は食べ物とごく一部のゲームのみだと聞いている。


「あんたはこれまで通り、その息子を使って詐欺まがいの霊感商法をしてりゃいい。ただし、宮守の名前を無断使用したあかつきには、覚悟していただきます」

「貴様……!」


 女が拳を振り上げたその時、そっと女の背後に立っていた組織の事務部門責任者がぱんぱんと手を叩いた。


「はい、そこまでですね。黎様は正当な当主です。その当主に手を上げると言う事がどういう事なのか――お分かりですね? 理解できましたなら、即刻、この場から退席していただきます」



 怒りでどす黒く変色した女の顔を見ていても仕方ないので、踵を返して黙って控室奥の小部屋に逃げ込む。

 一言であの毒婦を黙らせた事務方トップの男とシュウも後に続いた。

 きっちりと七三に整えていた髪に手を突っ込んで、少し崩したのは、朔の一族、事務部門のトップ、カイだ。


「さすがの貫禄だなカイ、あの毒婦を黙らせるとは」

「それは褒めてるのか、シュウ? ああいう輩にはここまで言っても足りないと思うけどな」


 部屋の中には情報部門トップのシンがいた。

 さらさらの前髪が邪魔になるのか、頭の上で結んでいる。――一人足りない。


柊耶とうやは? さっきまで一緒だったよな?」


 入って来た入り口を振り返りながら尋ねると、PCのキーボードを叩きながらシンが答える。


「見回り中。さっきは屋上にいたみたい」

「……どうやって上ったんだ? この建物にあるのは屋上ではなく屋根じゃなかったか?」


 シュウが首を傾げ、窓枠に器用に腰掛けたカイも同意したように頷く。

 警備部門トップの柊耶はその地位に据えた今でも真っ先に自分が先頭に立って行動を起こす。それでは部下もやりにくいと思うのだが、本人の性分なので半ば諦めている。


「さすがにこんな時に事を起こそうなんてバカはいないと思うんだが。柊耶は何を警戒しているんだ?」


 シュウの呟きをカイが拾い上げる。


「こんな時だからこそ、って考える輩もいんだろ。3年前に先代の遺言で全部門の頭が総取り換えになったのを未だに納得できない連中もいるようだしな。いつぞやの誘拐未遂も解決してない」


 苦笑いしながらカイが窓の外に視線を薙ぐ。


「……そうか、黎の組織も色々と大変そうだな」

「だからお前もこっち側で手伝えって」

「いや、カイ、俺は……俺にも考えがあって、敢えて距離を置いているんだ。何かあれば協力は惜しまないと、以前から言っているだろう?」

「考え、ねぇ……」

「まあ、いいんじゃない?」


 シンがノートPCをぱたりと閉じた。


「シュウくんが僕らとは別に外で動いてくれて助かってる部分もあるしね。カイくん、見つけたよ」


 カイが立ち上がる。


「どこまで掴んだ、シン? 金の流れの行先までか?」

「最終的な口座も特定できたよ。でもまずはあの毒婦親子の悪業サイト等々、サーバーからは締め出しておいた。宮守の名前どころか『さくの月』の名称を堂々と出すとか、あり得ないよねぇ」


 冷ややかな笑みを浮かべながら、黎は一仕事終えたシンに軽く頭を下げる。


「苦労かけたな、シン。口座は放って置いていい。二度とうちの名前をかたって儲けようとさえしなければそれでいいんだ」


 俺の台詞に、シンが呆れた溜息をつく。


「甘いよね、黎くん。でもまあ、そう言うだろうと思ってたし。今後二度とネット上で儲けさせたりしないから、安心して。顧客の皆様にはカイくんが注意喚起してるんでしょ?」


 きゅっと口角を上げながらシンがカイを振り返る。


「いやぁ~大変だったわ。あの毒婦、この俺より口が上手いんじゃねぇの? 元々の大口顧客は大丈夫だったんだけどな、噂を聞きつけてネット検索した連中が主に引っ掛かったみたいだな。『うちはネットでの依頼は受け付けておりませんので』って台詞、もう言い飽きたよ」


 大して大変そうには聞こえない口調に、俺はカイの気遣いを感じた。


 大人たちの話が終わるまでの間、小さな姪は俺の手を握ったまま離さない。わずかに俯いたまま、微動だにしなかった。

 気遣うように歩み寄って来たカイがあきらの頭に手を乗せ、ゆっくりと撫でる。その様子を眺めていたシンが小さく溜息をついた。


「――で、黎くん、本当にあきらちゃんを引き取るつもりなの?」


 昔のバンド仲間でもある男の疑問をスルーし、俺はしゃがみ込んで幼い姪と視線を合わせる。


「あきら、お前が嫌じゃなければ……俺と一緒に暮らさないか? お前の親代わりにはなれないし、お前にとっての幸せがどんなものかも俺には分からない。だけど――」


 事故から葬儀の間もずっと泣かずに唇を噛みしめていた姪の頬に、ひと筋の涙が零れる。


「……あきら……? あの……嫌なら無理にとは……」


 あきらが無言でぶんぶんと首を横に振る。

 堪えていたモノが一気に溢れ出すように、涙が止まらない。

 小さな顔を両手で包むようにして、改めて幼い姪に目線を合わせる。


「あきら……俺にはお前をきちんと育てる自信はない。だけど、お前がいないと俺は独りぼっちだ。――俺と、暮らそう」


 まだ涙の残る顔で、それでもにっこりと笑ったあきらはしっかりと頷いた。



 * * * * * *



 バンド仲間であるカイたちがうちの組織に入ってくれたのは本当にありがたかった。

 それぞれの部門の先代たちも、かなり信用のおける人物揃いだったのだが、如何せん俺の祖母、つまり、あきらの曾祖母に仕えていた方々なので、世の中の定年を超えてもまだ働いてくれていた。


 いい加減、後進を育てなくてはと切羽詰まった頃、その事件は起きた。



 俺たちはその日、ライブの予定だった。そこそこ売れ始め、メディアへの露出も増えていた。

 会場のチェックやらリハーサルやらで、かなり早い時間に会場入りしていたのだが、メイク前にシャワーでも浴びようと立ち上がった俺の携帯が震えた。


(……? 真琴まことさん? 今日はあきらと二人でテーマパークに行ったはず……)


 ライブ前の激励かもと思いつつ通話のボタンを押した。


『黎!! どうしよう、あきらが……』

「……は? あきらがどうしたの?」

『いないの、どこにも。さっきパーク内の露店で飲み物を買ってお金を払っている間に……気付いたらいなくなって――捜しても見つからないの……』

「すぐ行く。そこ動かないで、分かった?」


 返事も待たずに通話を切り、みんなを振り返る。


「ごめん、みんな。俺の姪が……」


 眉間に皺を寄せながら説明しようとした俺に、シュウが小さく唸った。


「黎、それは誘拐じゃないのか?」


 シュウの物騒な単語に全員に緊張が走ったのが分かった。


(こいつ、俺の思考を読みやがったな)


「……考えたくはないけど、その可能性は高いと思う。あきらの声が届かない。多分、眠らされているかなんかだと思う」

「あきらちゃんって、まだ三歳くらいだろ? そんな小さな子を親に気付かれずに連れ去るなら……」

「――薬、使ったかな?」


 カイとシンが腕組みをしながら顔を見合わせている。


「だから、悪いんだけど、俺、行かなきゃ。もしかしたらライブには――」

「みんなで行けば、早いんじゃない? その方がきっと効率がいいよね」


 柊耶がさらりと言うと、シンが眼を見開いた。


「ちょ……ライブまであと三時間もないんだよ? もし間に合わなかったら……」


 半分困って半分怒っているような、泣きそうな顔のシンの頭をカイがぽんっと叩く。


「間に合わせる。任せろ」


 そのままカイは楽屋を出て行った。どこに向かったのかと訝しみながら、俺はシンに声を掛けた。


「シン、不安ならお前だけ残っても――」

「行く! もちろん僕も行くよ。ここで一人で待ってる方が不安だからね」


 かぶせ気味の返答に、シュウがくすりと笑う。


「でも、この会場からだと現地に着くまで一時間はかかるよ? もし誘拐だったら逃げられちゃうんじゃない?」


 まだ不安そうなシンの言葉に、柊耶が俺を振り返る。

 ゆるい癖毛の前髪から、切れ長の眼が覗く。


「黎くん、跳ぶ?」

「……そうだな」

「全員連れて、跳べる?」

「…………やった事ない」

「え? 二人とも、何の話をしてるの?」


 俺の力の事は、仲間うちではシュウと幼馴染みの柊耶しか知らない。

 カイは家業の事は知っているので、恐らく『霊退治できるらしい』とは認識しているはず。


「黎、この際だからカイとシンにも話してしまおう。協力してもらうなら、話しておいた方がいいだろう」


 シュウが俺の肩に手を乗せて促すように軽く叩く。


(こんな形で告白することになるとはな……)


 別に隠しておきたい訳ではなかったが、説明するのが面倒だとほんの少し思ってしまった。今は筋道立ててうまく説明できる余裕がない。


「柊耶、カイを呼んで来てくれ。ここから跳ぶ。――シン、まずは俺んちの仕事から説明させて」



 * * * * * *



 平日の午後だというのに、テーマパークは大勢の人で賑わっていた。

 気配を頼りにあきらの母、真琴さんを捜し出す。

 俺と同行したシュウの額が光を放っている。一緒に走りながら、付近の人達の表層意識を確認しているのだろうと思った。


「シュウ、そうやって漫然と意識を読むのは疲れるだろ? あんまり無理しない方が――」

「こんな緊急事態に無理をしないで、いつ無理ができるんだ? あきらは俺にとっても可愛い姪のようなものなんだ。絶対に捜し出して連れ戻す」


 いつになく強い口調に、思わず口元が綻ぶ。


「――わかった。頼む、何とか捜し出してくれ」


 真琴さんを視界に確認したタイミングで、シンから着信があった。他の仲間たちは中央ゲートの外に待機しているはず。


『黎くん、あきらちゃんの服装を真琴さんに聞いてくれる? まだこんな時間なのに、かなりの人数がゲートから出て来てるんだ』


 それは予想外だった。

 何とは無しに、ほとんどが閉園時間近くまで、少なくとも名物のナイトパレードの時間まで留まっているんじゃないかと考えていた。

 慌ててこちらに駆け寄って来た真琴さんに、あきらの今日の着衣を確認する。


「シン、淡いクリーム色のワンピースに薄ピンクのボレロだそうだ」


 携帯電話に向かって話しながら辺りの地面に視線を走らせる。

 俺の眼には視えるはずのモノが視えないことに気付いた。


『ミルキーベージュのワンピースにベビーピンクのボレロだね。いつかライブに着て来てたヤツ』

『いや、ちょっと待て、黎。服装は当てにならないと思うぞ』


 シンの近くにいるらしいカイの声が聴こえる。


「カイ、どう言うことだ?」

『母親の傍にいた子供をそっと連れ去って、すぐに走り出したりしたら周りに不審に思われるよな? かと言って、誘拐するのにのんびりとしている訳にもいかない。路上とかなら建物に隠れるなり車に押し込むなり出来るかもしれないけど、ここはほぼオープンスペースだ。だったら――』

『僕なら、一見して分からないように服を隠す。着替えさせるのは無理でも、何か服の上から羽織らせたらすぐには見つからないよね?』


 柊耶の声が割り込む。こちらの通話はスピーカーにしていたのだが、向こうも同様だったようだ。

 柊耶の言葉に真琴さんが小さく悲鳴を上げる。


『ねえ真琴さん、あきらちゃんの靴は? 相当に計画的な誘拐だとしても、小さな子の靴のサイズまで正確に把握すんのは難しいんじゃない?』


 さらにカイの声が聴こえた。

 ――そう、さっきから俺が確認しているのも、まさにそれだ。


「靴そのものは市販の子供用のスニーカーのはず。でも――柊耶、お前、俺の【気】が視えるって言ったよな?」


 電話から少し離れていたのか、柊耶の声が近付いたように徐々に大きくなる。


『うん、視えるよ』

「だったら、靴の裏を見て捜してくれ。あきらが歩いた跡が分かるように、あきらの靴には全て俺の気を纏わせている。この辺にはその跡が見当たらないから、多分抱きかかえられていると思う」

『了解』


 柊耶の傍で、カイとシンが同時に息を吐いた気配が伝わる。


『……いや、猫っ可愛がりしているとは思ってたけどさ……』

『これって、もう束縛の部類に入るんじゃ……』

『黎がストーカーになったら無敵だな』

「いや、何の話だよ。じゃ、柊耶――」

「ちょっと待ってくれ、みんな」


 シュウが俺の手を掴んで携帯電話を俺の手ごと引き寄せる。


「全員、中央ゲート前にいるのか? 他の出入り口があったりしないのか?」

『シュウくん……この手のテーマパークは防犯上、客が出入り出来る場所は限られてるんだよ。ここは特にセキュリティがしっかりしているからね、スタッフ以外は中央ゲートからしか出入り出来ない。真琴さんがあきらちゃんを見失った場所から【歩いて】来たとしたら、そろそろこのゲートに到着するはずなんだよ。――人の話、聞いてた?』


 ついさっき全員で確認したはずの内容を、シンがゆっくりと言い含めるように繰り返す。呆れたような溜息も忘れてはいなかった。



『黎くん、見つけた』


 柊耶の声が繋ぎっぱなしの電話から聞こえたのは、それから数分経った頃だった。


『え? どこ? ――あ、ちょっとカイくん、勝手に……ああ、柊耶くんまで……ちょ、待っ……確認してから……ああ! もう!』


 ぱたぱたと、シンの小走りする音が聞こえる。


「シュウ、跳ぶぞ」


 きちんとゲートから入場した真琴さんをその場に残し、俺とシュウは来た時同様に一気に中央ゲートの外に跳んだ。


 ゲートの外に着地すると同時に走り出した俺の視界に、目深に被ったキャップの上にパーカーのフードを被った人物の背後から近寄ってその肩に手を掛けた柊耶を捉える。

 小さな子供を抱えているのが遠目にも分かった。このテーマパークで販売しているポンチョのような物を羽織らされている。

 俺たちよりも早くカイが駆け寄った。


「はいは~い、お兄さんちょっといいかな?」


 カイがにこやかに笑いながら、そいつの前に立ちはだかる。


「その子、お兄さんとどういう関係? 無理矢理眠らせられているよねぇ? それって、普通じゃないと思うんだけど」


 声を掛けられた男は、慌てたように背後の柊耶と目の前のカイを見比べる。――見た事もない若い男だ。


「未成年者略取及び誘拐罪については刑法第224条。営利目的等略取及び誘拐罪は刑法第225条。お兄さんはどちらがご希望なのかな?」


 カイが微笑みながら告げ、男の抱えていたあきらを一瞬で奪い取る。その瞬間、柊耶のローキックが男の膝裏に入った。

 ごきりと鈍い音がする。


(……膝裏へのキックで骨にダメージって……柊耶、どんな蹴りだ……)


 堪らず崩れ落ちそうになる男の腹部に、カイの膝がめり込んだ。

 そのまま前に回り込んだ柊耶が男の腕を取り、一瞬で背負い投げを喰らわせた。


「間に合ったか」


 俺の後ろでシュウがほっとしたように呟いた。


「黎、こいつ、知ってるヤツ?」

「……いや、見覚えはない」

「ふーん。ま、とりあえず、誘拐なんかするようなヤツなら尋問が必要かな」


 カイの顔から笑みが消える。しゃがみ込んで男の顔を覗き込む。


「……誰の差し金だ。何のためにこの子を攫った」


 男が生気のない眼でカイを見返す。

 折れた膝関節も腹部への膝蹴りも、受け身なしで喰らった背負い投げも相当に痛かったはず。なのに痛がる素振りもない。


(これは……もしかして……)


「シュウ! こいつの意識が読めるか?」

「…………いや、無理だ」


 瞳孔が開いたままのような眼をしたその男の、輪郭がゆらりと揺らぐ。


「!! しまった! カイ、そいつから手を離せ!」


 俺の叫びに即座に反応したカイが手を引いた瞬間、空気に溶けるように男の姿が消えた。


「……逃げられたか」


 カイが舌打ちすると、柊耶が北西の方角を指差す。


「黎くん、向こうに行った。追いかける?」

「距離は?」

「120」


 無表情な柊耶のくぐもった声が告げる。恐らく、単位はmではなく㎞だ。


(追うのは無理か……)


 その距離を転移させられる能力を持った人物は限られるだろう。――いずれ、見つけ出してやる。


「カイくん、あきらちゃんの様子は?」


 携帯電話をポケットに収めながらシンがカイの腕の中のあきらを覗き込む。


「まだ薬が効いているみたいだな。クロロフォルム系の匂いがする」

「これ、かなりの量が使われていない?」


 心配そうに振り返る二人に近寄り、あきらにそっと右手を翳す。薬剤を全てあきらの体内から排出させた。


「――あきら、大丈夫か?」


 眠そうに瞬きを繰り返しながら、あきらが俺を見た。


「……れいしゃん……」


 全員、大きな溜息をつく。ようやくゲートから出られた真琴さんにあきらを渡したところで、シンの声が響いた。


「やっば! マネージャーから電話! ちょ、誰も彼に説明してないの?」

「誰か、言った?」

「いや、楽屋から直接跳んだじゃん」

「僕ら、会場から急に消えたことになってるんじゃ……」

「ああ、その可能性はあるね。とりあえず、シン、電話に出れば?」

「嫌だよ! 僕だけ怒られるなんて!」

「じゃ、全員で怒られに行きますか」


 ライブ会場に戻った俺たちは、マネージャーの甲高い怒鳴り声を物ともせず、本番までのわずかな時間を泥のように眠った。



 * * * * * *



「婆様、話があるんだ」

「おや、黎、奇遇だねえ。私からも話があるんだよ」


 本家の当主の部屋の入り口で正座した俺に、婆様が手招きをする。


「まあ、お茶でも淹れてあげよう。落ち着いてお話し」

「いや、落ち着いては……婆様も聞いているだろう? あきらが誘拐されて――」

「お前たちが未然に防いでくれたそうじゃないか」

「未然って言えるのか? 実際、誘拐されて……。――婆様、やっぱり犯人は身内だったのか?」


 組織の当主は俺の顔を見ずに頷く。

 あれから三日は経っているのに、組織のどの部門も動いた気配がなかったので、そうじゃないかとは思っていた。

 正座したまま俺は膝の上で拳を握りしめる。

 身内に犯人がいるのなら尚更だ。とっ捕まえて弾劾すべきだろう。そう言い募ろうとした俺に、婆様の穏やかな声が掛かる。


「この件は任せなさい。ちょっと厄介な相手が絡んでいる。迂闊に動くのは利口ではないよ」


(厄介な相手? 外部の人間も絡んでいるってことか?)


 そういう事であれば、よく分からないまま俺が動いては組織の邪魔をしてしまう可能性がある。

 ここは一旦、怒りを抑えるべきだろうか。

 その分あきらの身辺にもっと気を配ろう、と考えていた俺の気持ちを見透かすように婆様が笑いながら再度手招きをする。

 俺はゆっくりとにじり寄って婆様と同じ卓についた。


「婆様の話って?」


 当主が手ずから淹れてくれたお茶を啜りながら尋ねる。


「今回のお前たちの活躍ぶりは情報部門と警備部門から聞いた。――いい仲間を持ったね。お前が見せてくれたその時の映像に、事務部門からも依頼が来ている。お前のお仲間たちにその気があるなら、うちの組織を手伝って欲しいそうだ」

「え? でも……多分、柊耶以外は霊とか、そっち関係とは無縁だと思うんだけど」

「霊能力よりも、カイとシンの持つ資格と技術が欲しいそうだ。柊耶はあの身体能力だね。黎、柊耶は能力者じゃないとか言ってなかったかい?」

「いや、あいつは何て言うか……もの凄く眼と勘がいい。俺の気に関しても、『視えている』と言うよりそこに『ある』と『認識している』みたいな感じで。俺たちが知っている霊能力者とは何かが違う」


 ちょっと驚いたように婆様が眼を見開く。


「それは――面白いねえ。とにかくそれぞれの部門の長たちが実際に会いたいと願い出ているんだ。お前たちの音楽活動優先でいい。うちの組織に手を貸してもらえないかねえ?」


 婆様ほどではないが、長たちもかなりの高齢だ。後継者が必要なのは分かっている。それでも、念願のメジャーデビューを果たした仲間たちにお願いするのは心苦しく思った。


「一応、話してはみるけど……あんまり期待しないでもらえると……それに、シュウは婆様も知っての通り【サトリ】だ。なるべく組織には入れたくない」

「ああ、サトリの力を怖がる者たちも多いからね。分かっているよ。――長たちも私も、そう先は長くない。信頼できる後継が必要なんだよ。特に、黎、お前のためにもね」

「――俺の? こんなに直系から遠い俺を、婆様は本気で当主に据えるつもりなのか?」


 思わず腰を浮かせて言い募った俺に、婆様はしっかりと頷いた。


「組織を存続させるためにはお前が一番適任だと、龍神も言っていた。あきらのためを思うなら、引き受けてくれないか? 私からの最後のお願いだよ」


 これでは俺も承諾せざるを得なかった。


「いい子だね、黎。お前がいてくれてよかった。――あきらを、頼んだよ」



 それから婆様が亡くなるまでの間を、俺はあきらを護る事と能力の使い方を教えることに費やした。

 バンドもそこそこ売れてはいたが、組織の長たちに会ってバイト感覚で組織を手伝い始めたメンバーが、思った以上に適性を現わした。


 ――そして俺たちは、静かに伝説になった。

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