第68話 合わせ鏡の罠

「……でっかいな」

「……そっすね」

「……一体、何部屋あるんだ?」

「……さあ? 窓の装飾一つ取っても、妙に凝ってませんか?」

「……薔薇のアーチとか、本当にあるんだな。しかもアーチっつーより、これ、トンネルじゃねぇか」

「……誰が手入れしてるんですかね?」

「おおい! どうしたんだ二人とも? 早く入ろうぜ」


 采希さいきれいを置いてさっさと薔薇のトンネルを潜り抜けたシュウが、大きな玄関のドアの前で手を振る。

 呑気そうなその姿に、黎が大きく肩を落とし、のっそりと歩き出した。


「鍵は?」

「ここにある」


 何とも大仰な、そして古風な鍵にシュウが苦戦している間、采希はゆっくりと辺りを見渡した。

 広い敷地にきちんと造成された庭。

 二階建てのわりに屋敷の屋根が高いのは、内部の天井の高さのせいだろうと思った。


 采希の眼の前には洋館と呼ぶのに相応しいような大きな屋敷がそびえていた。

 人里離れた山中に建てられているとは信じ難いほど、手入れが行き届いているように見える。

 屋敷の背後には切り取られたような山肌が見えている。元々、山だった部分を切り崩してこの広い敷地を確保したようだ。


 何故か采希は、その削り取られた山肌が痛々しい傷に思えた。

 草木も生えず、剥き出しになった土。

 抉られたようなその断崖から、つい眼を逸らす。


 元はどんな人が住んでいたんだろうと考えた。かなりの富裕層であることは間違いなさそうだが、もしかしたら日本人ではないかもしれないと思った。

 庭の花々を見てもかなりの種類の薔薇など、大振りな花弁を持つ豪華な花が咲き揃っている。


「よし開いたぞ」

「はいはい、大変お待ちしておりました」

「……すまない」

「ほら、行くぞ」


 不機嫌そうな黎と少し肩を落としたシュウの後に続いて、采希も屋敷のドアの中に入る。

 一瞬、軽い耳鳴りがして、左手に装着したバングルがぶるっと震えた。


(……琥珀?)

《采希さん……ここはちょっと……》


 琥珀の気持ちは采希にも分かった。

 屋敷の中に足を踏み入れた途端、複数の視線に見つめられている感覚があった。無遠慮に値踏みするような視線、興味深そうに見入る視線、そして――悪意満載の視線。


「……気持ち悪いな」


 黎が心底嫌そうに呟いた。采希も同感だった。


「気持ち悪い? 何がだ? 掃除も手入れもよく行き届いているようだが」

「ま、お前には分からんだろ。――采希、大丈夫か?」


 肩越しに黎が采希を振り返る。


「多分……この視線、何とかならないもんですかね?」

「視線?」

「ああ、これは耐えるしかないかな。隠形しても纏わりつきそうだ」

「……やっぱりそうですか」

「一体、何のことだ?」


 ちょいちょい会話に割り込むシュウを、黎が舌打ちと共に睨みつける。


「お前には何も視えないんだから、少し黙ってろ」


 昨夜、采希は黎から、シュウには霊を視ることができないと聞いていた。ならば、琥珀すら警戒するこの状況では同行しない方がいいんじゃないかと思う。


(黎さんには、シュウさんを護り切る自信があるってことか……)


 しょんぼり肩を落としながら黎の後ろをぴったりと付いて行くシュウを、随分素直で律儀な人だと思いながら見つめた。

 時々暑そうにボタンを外した上着をぱたぱたと振っている。


「シュウさん、暑いなら上着、脱いだらどうですか?」

「ん~? 別に暑くはないぞ」

「でも、スーツで腕まくり……」

「ああ、この方がカッコいいだろう?」

「……」


 本人が気に入っているのなら、采希のアドバイスは余計なお世話なのだろうと思い、黙る。

 確かに軽めの態度に良く似合ってはいる。

 スーツの仕立てに記憶があるな、と采希が思ったところでシュウが溜息をついた。


「黎もスーツにしろって言ったんだがな」

「スーツ? どうしてですか?」

「俺が選んだ淡い銀色の生地で仕立てたスーツがあるんだ。とても似合ってるから采希にも見せてやりたかったんだけどな」


 銀のスーツと聞いて采希は思い出した。

 本家に殴り込み――いや、お邪魔したときのスーツとシュウのスーツは同じ仕立てに見える。


「銀の三つ揃いとボルサリーノなら、一度拝見してますよ」

「え? そうなのか? 俺の前では中々着てくれないんだ……一緒に着て並んで歩きたかったのに」


 あからさまにがっかりした顔をする。

 ふと采希はその雰囲気が琉斗と酷似している気がした。ただ琉斗とよく似たその顔は、琉斗よりも表情が豊かだ。


「並んで――それはちょっと……。そんな二人と一緒にいたら、俺、マフィアに連行されてるみたいじゃないですか」


 ぼそりと呟いた采希の顔を覗き込み、シュウがにっと笑う。


「だったら、采希も一緒に着ればいい」

「そんな面倒な事を俺の弟子に押し付けないでくれませんかね。――采希、ひとまず異変があるらしい屋敷の東側から見て行くぞ。おかしなところがあれば些細な事でもいいから言ってくれ」


 黎の言葉に、采希は一瞬返答に困った。

 自分の力はほとんど封印されているし、どう考えても黎の方が能力が上のはずだった。

 そんな采希の心情が伝わったように、黎が采希の肩に手を乗せる。


「俺はな、どっちかってーとヒトの念やら霊、つまり人間がらみの方が得意だ。お前やあきらは動物や神霊と平気で接しているが、俺は苦手なんだ」

「苦手、ですか?」

「覚悟と準備が必要だからな、疲れるし、正直、面倒だ。……お前もヒトの念には弱いみたいだな」


 黎からの思いがけない言葉に、采希は一瞬目を見開く。


(…………そうかも。今まで考えた事がなかったな。……あれ? って事は、あきらも?)


「だから……あんな呪に絡めとられて……」

「……あきらの事か? ま、そうだな。しばらく俺と離れたところで依頼を受けていたんで、俺も気付かなかった。そのまま姿をくらましてしまったからな」


 それは自分にも巫女と同様に念の攻撃を喰らう可能性があるということではないのか、と采希は思った。

 ちょっと眉間に皺を寄せていると、黎がくすりと笑う。


「とりあえず、お前の場合はあいつらの傍にいりゃ、大丈夫だと思うぞ」


 からかうように言われ、苦笑いする。

 確かに自分の弟や従兄弟たちが勢ぞろいすれば、大概の霊や念には対抗できるかもしれないと思った。


(ずっと傍にいるとか、そんな簡単じゃないんだけどな……)


「心得ておきます。――じゃあ、黎さんは今の状態のあきらに会っていないんですか? どんな様子なのかも知らないってこと?」

「ああ、この眼で見ていないからよく分かっていないな」

「……だったら……実際に会えたら、もしかして黎さんに呪の解除が出来るかも……」


 自分が助けると決めたものの、未だ自信のない采希は思わず呟いた。

 采希の方を見ずに、黎が俯いて小さく息を吐いた。


「――采希、その話は後日だな。それと前にも言ったが、俺に敬語はやめてくれ」


 そう言いながら、一番玄関に近い部屋のドアを勢いよく開いた。




 玄関から東方向に向かって、部屋のドアを全て開けて確認する。

 まっすぐな廊下の端まで辿り着くと、そこから南の方角へと細い廊下が伸びていた。

 そちらへ向かおうとする黎を、采希は服の裾を引いて引き留めた。


「……采希? どうかしたか?」

「黎さん、ここ、おかしい。窓の数が合わない」

「……窓?」

「うん、さっき外から確認した窓の数と、中の部屋から見た窓の数が違っているんだ。外の方が窓が二つ、多い」


 一瞬、黎の眼が見開かれ、すぐに伏せられて眉間に深い皺が寄る。


「……二つ……確認したドアは開け放しておいたから、見落としはない。だとすると、隠し部屋があるか? ざっと見た感じでは分からなかったが……どこかに隠し扉があったのかもな。これも、ウインチェスターもどきの仕掛けか?」


 ぶつぶつ呟く黎に、シュウが首を横に振ってみせる。


「いや、この東棟は手を付けていないはずだぞ。増築したのは西側と南側だと聞いているからな」


 そう言われてみれば、ここまではごく普通の洋館だったと采希は思い出す。では、元々ここには隠された部屋が存在していると言う事かと思った。


(隠し扉……探して開けてみたい……)


 うずうずしている采希に気付いた黎がにやりと笑って采希の肩に手を乗せる。


「こういう謎解き、お前は好きそうだな。――俺もだ。だから、楽しみは後に取っておこう」




 廊下を南方向に進むと、明らかにアメリカの某屋敷を真似たようなおかしな造りになっていた。

 ドアを開けたら眼の前が壁。登るにつれて幅が狭くなって天井に行き当たる階段。逆に天井から逆さまに降りて来るような造りの階段もあった。ドアの先にまたドアが続き、1m四方程の部屋にも到着した。

 いい加減に采希と黎がうんざりした頃、やっとシュウが本題を口にした。


「――で、どうなんだ? やはり霊が迷っているのか?」


 采希と黎は無言で首を横に振る。


「では、この増築は功を奏したと言う事か? ……異変は増築した南棟に多いと言う話だったんだが……依頼主の勘違いか」


 思わず采希は黎と顔を見合わせてしまう。

 異変がこのおかしな造りの棟に集中していると言われても、玄関ホールで視線を感じて以降、こちらの建物には全くそれが現れない。


 ただ一つ、采希には気になる気配が感じられていた。

 その大きな気配は地龍に似ているようだが、どこか根本的に違うように思えた。




 やたらとドアや階段がある棟の一階をぐるりと一周して玄関ホールに戻る。

 バカでかい緩いカーブの階段を昇り、二階の増築棟を目指す。一階と同様に東の端まで行き付いた所で南に向かう通路があった。


「一階はやたらとソファが置いてあるような、居間っぽい部屋が多かったが……二階は寝室が多いな」


 シュウが不思議そうに呟くと、黎が通って来た廊下を振り返りながら答えた。


「一階は――何て言うか、ウエイティングルーム? 映画で見た舞踏会に参加する人達がたむろっている部屋っぽく見えたな。二階は多分、ゲストルームだろ。ホテルの部屋みたいで生活感がない」

「ああ、なるほどな。だがダンスホールのような部屋は見当たらないぞ」

「それを潰して南側の棟を作ったんじゃないか?」

「それっぽいですね。南棟の材質の方が新しくて少し安価な気がします」


 そう言いながら南棟の最初のドアを開けて、采希は思わず立ち竦んだ。全身から汗が噴き出す。

 ドアの先は何もなかった。ドアから一歩踏み出したらそのまま屋敷の外の庭に真っ逆さまだ。

 落ちたとしても二階部分からなので、この高さなら何とか足から着地できそうだったが、采希は止めていた息をゆっくり吐き出す。


「……あっぶな。知らないで落ちた人とか、いるんじゃないすかね?」

「こんな所まで模倣するのか。――さて、どんな霊を迷わせるつもりだったんだか……」


 未だに異変の原因も掴めない状況に、黎が少し疲弊したように溜息をついた。




 通路の中ほどにある部屋のドアを開けた采希の身体は再び硬直した。


「何、だ? これ……」


 采希の肩越しに部屋を覗いた黎が低く呻く。


「おおっ! 凄いな、壮観だ」


 シュウのはしゃいだ声に、采希は思わずその顔をまじまじと見てしまった。壮観とはとても思えなかった。

 その部屋は、壁を埋め尽くすようにたくさんの鏡が並べられていた。

 大小さまざまな、色んな形の鏡。一体、何枚あるのだろう。

 入り口で立ち尽くした采希と黎を意に介さず、シュウが部屋の中に入っていった。


「……どう、思います?」

「…………魔除け、のつもりか?」


 恐る恐る尋ねた采希に、黎が腕組みをして考え込む。


「魔除け?」

「古来から鏡は魔除けに効果があると考えられていたようだ。――まあ、魔除けだけじゃなくて、その逆の効果もあるらしいけどな」

「あー、婆ちゃんから聞いた事あります。でもこの屋敷の全体を覆っている気配、これ、山神さまじゃないですかね?」

「多分な。ただ、山神にしては何だか違和感がある」

「はい、なんとなく重苦しい感じです。でも山神さまの気配があるのに魔除けって、必要なんですか?」

「……分からん。随所で不気味な屋敷だな」


 鏡だらけの部屋の入り口で、采希と黎は部屋を眉を寄せながら見渡す。

 ひときわ目を引いたのは、ドアの真正面にある大仰な装飾の大きな鏡だった。シュウが全身を映して嬉しそうにポーズを取っている。


「……シュウ、もう行くぞ」


 部屋に入ろうともせずに黎が背中を向け、向かいの部屋のドアを静かに開けた。


「――!! しまっ……采希!!」


 黎の声に振り向いた采希は、その姿を確認する事は出来なかった。



 * * * * * *



琉斗りゅうとさん、おひとりですか? 那岐なぎさんたちは?」


 陽那ひなが上代家の離れを訪れると、琉斗が出迎えてくれた。


「ああ、那岐は榛冴はるひと出掛けている。凱斗かいとは、知らん。今日はどうしたんだ?」

「ちょっと朱莉あかりさんと蒼依あおいさんにお裾分けに伺いました。珍しいお菓子を頂いたので」


 何だかんだと理由を付けては那岐に会いに来る陽那に、琉斗は思わず微笑む。

 行動が見透かされていると気付いた陽那が赤面しながら琉斗に続いて居間に入った。


「別に理由などなくても那岐に会いに来るのまで采希は制限しないだろう。采希が危惧しているのは陽那が事件に巻き込まれる事だからな」

「……」


 陽那が口を尖らせながら琉斗から目を逸らすのを面白そうに見やり、琉斗は台所に消えて行った。

 少し火照った頬を押さえながら陽那は居間の棚に置かれた卓上ミラーに眼を留めた。

 直径15㎝程の小さな鏡に、あり得ないものが、映っている。

 息を止めた陽那は、慌てて棚に駆け寄った。


「陽那?」


 お茶を用意して居間に戻った琉斗の怪訝そうな声を完全に無視して、陽那は鏡の中に呼び掛ける。


「采希さん? なんでそんな所に……ちょ……聞こえていないんですか? 采希さん!!」


 陽那の声に、琉斗が凄い形相で鏡をひったくる。


「…………なんだ、これは。どうして鏡に采希が映って……」


 本来、その眼の前にあるものを映すはずの鏡が、陽那でも琉斗でもなく、ここにはいないはずの采希の姿を映し出していた。

 鏡の中の采希は怯えたように手を胸元に引き寄せ、少し前屈みになって俯いている。小さな鏡の中にその全身が映っていた。


(何、これ? 辺りは真っ暗に見えるし、一体何処の景色が……ううん、それよりこれはどうなってるの?)


 さっきから琉斗が何度も大声で呼び掛けているが、鏡の中の采希には全く聞こえていないようだ。


(采希さんは今、黎さんの依頼に同行しているって那岐さんが……。きっと、何かあったんだ。那岐さんならこの状況に答えをくれるかも……)

「……陽那、これはどういう状況なんだ?」

「分からないです」


 琉斗は思わず舌打ちしそうになって思い留まる。


 ここに映った采希が、今、本当はどこでどうしているのか。

 この鏡は采希の危機を知らせようとしているんじゃないんだろうか。

 琉斗は自分の中の感覚を探る。


(――采希……)


 小刻みに震えたまま、立ち竦む優しい従兄弟の鏡像をそっと指先でなぞる。

 鏡を覗き込んでいた陽那が小さく声を上げた。


「琉斗さん、ここってもしかして――」


 采希の様子に何か気付いた陽那が鏡の表面に触れる。

 ふいに抵抗がなくなった陽那の指先が、あっという間に鏡の中に吸い込まれた。



 * * * * * *



 真っ暗な空間の中で、采希は何かの気配を感じて振り返る。


「あああっ……とと……は? えっと……は?」


 奇妙な声を上げながら、つんのめりそうになっている陽那を見て、采希は息が止まりそうになった。


「……なんで、ここにいる?」

「…………その前に、采希さん、ここ、どこですか?」


 驚きのためか怒ったように見える表情で陽那が采希に顔を寄せる。その手は小刻みに震えていた。


「――多分、だけど……鏡の中、かな」

「……どこの、ですか?」

「シュウさんの依頼の……お化け屋敷?」

「……何、それ? なんでそんな所と……」

「俺がここに飛ばされる瞬間、合わせ鏡になった大きな二枚の姿見が、俺に凄い勢いで迫って来て……そのまま鏡に飲み込まれたような気がしたんだ。だから、俺は鏡の中だと判断したんだけど……」


 陽那が何とも言えない表情を作る。

 普段は穏やかな笑みを湛えている事が多い陽那のそんな表情に、采希はふっと破顔した。


「陽那は何でここにいるんだ? どこから入って来た?」

「私は……采希さんちの居間の卓上ミラーから……」

「…………は? 卓上って、あのちっこいのか?」

「はい」

「あんな小さな鏡にどうやって?」

「采希さんが映っていたんです」

「…………」


 采希も眉間に皺を寄せたまま、どう考えたらいいか分からず固まってしまった。

 どこから突っ込んで、どう尋ねたらいいか考え込んだ采希を、陽那がそっと覗き込んだ。


「――采希さん、大丈夫ですか?」

「…………え?」

「さっき、鏡に映っていた采希さんが立ち竦んで小さくなって、怯えているように見えたんです。だから――」


 采希はじっと陽那に視線を合わせる。


「周りは真っ暗で何処なのかわからなかったですけど、采希さんの姿が本当に泣きそうに見えて……。でも采希さんの腕時計がいつもと逆だったので、もしかして鏡に映っている采希さんの姿なんじゃないかって思って、琉斗さんに伝えようと鏡を指差したら――吸い込まれていました」

「……腕時計? よく知ってたな」


 采希はいつも右腕に耐衝撃のアナログの腕時計をしている。左腕だと邪魔になるためだった。


「普段は右利きに見えるのに、どうして右手にしているのかなって不思議に思っていたので。采希さん、両利きだったんですね」

「凱斗と同じくな。那岐は左利きだけど」


 そんな所まで観察されていたのか、と采希は首の後ろを掻きながら眼を逸らした。

 恐らくは、那岐をずっと見ていたので一緒にいる采希の動きも視界に入っていたのだろうと思った。

 目の前にいる陽那が、自分の大事な弟を想ってくれているのは嬉しかったが、弟のためにも危ない事には巻き込みたくなかった。


 この空間が何なのか見極めようと思っていたが、陽那が現れた事でその方針を変えることにした。

 急いで出口を探す意志を固める。


「ちなみに、俺、さっきあんたに会うまで、一度も立ち止まっていないぞ」

「え?」

「ずっと歩き回ってた」

「…………じゃあ、私が見た采希さんの姿は……?」


 それは采希にも分からなかった。黙って首を横に振った采希を、陽那が困ったように見つめている。


「――あの……そうですか、何か辛い目に遭っている訳ではなかったのなら、よかったです。…………出口、どこですかね」

「……そだな」


 心配させてしまったらしい事に対してお詫びを言いたかったが、采希は何となくタイミングを逃してしまった。

 隣に並んで歩く陽那の横顔をそっと眺める。

 自分のよく知る巫女とは違い、この娘はごく普通の生活を送って来たはずだ。それなのにこんな状況で取り乱すこともない。


「……陽那、怖くないのか? こんな場所に放り込まれて」


 采希をちらりと横目で見た陽那が、軽く首を傾げて考えるような仕草をする。


「……う~ん……今はそんなに怖くないですね。采希さんが一緒ですし、いざとなったら五月姫さまの扇もあります。きっと何とかなるんじゃないですか?」


 陽那は采希に向かってちょっと悪戯っぽく笑ってみせる。

 それが精一杯の強がりなのは、固く握りしめられた拳で采希にも分かった。さっき気付いた微かな震えも、まだ収まってはいない。


「……もちろん、何かあったら俺が対処させてもらう。――でもこの場所な、ヴァイスでも出られないらしい。瀧夜叉には専門外だって言われたしな。琥珀が言うには、何者かが意図して作った【何か】の内部で、結界とはまた微妙に造りが違っているらしい。…………陽那? ちょっと……大丈夫か?」


 采希の隣で陽那が能面のような顔で硬直していた。

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