第64話 戦力分断

那岐なぎ!》


 空からの声に、那岐は即座に顔を上げる。そこにはれいの八咫烏の姿があった。


采希さいきは地下だ》


 その答えを聞くなり、那岐は地下に意識を凝らして跳ぼうとした。だが那岐の眼には何も確認できなかった。


「黎さん、地下の様子が分からない!」

《――だろうな。防護壁があるようだ。……ああ、その先だな。一本だけ妙に太くて真っすぐな木……作り物だな。その幹に、スイッチがあるはずだ》


 ぐるりと見渡した那岐は、一本だけ全くの感じられない木を見つけた。駆け寄って幹に触れると、僅かな段差がある。

 きゅっと段差のあたりを押してみると、かちりと音がして幹の一部がスライドし、小さな操作盤が現れた。数字キーが並んでいる。


「……パスが必要、みたい」


 那岐の呟きに、琉斗りゅうとが那岐の肩越しに覗き込んだ。


「機械の内部を読み取って、パスコードを入力すればいいんじゃないか?」

「……そんな芸当、できるのは采希兄さんぐらいっすよ」


 那岐が溜息と共に振り返ると、琉斗は小さく唸った。


 ――しゃらん


(……? この音……あきらちゃんの鈴だ!)


 那岐がそう思った瞬間、那岐の脳裏に数字が羅列される。


「あ、待って待って! ……えっと……」


 20桁を超える数字を、那岐は大急ぎで打ち込んでいった。

 かすかに地面が振動し、琉斗の足元のすぐ傍がぱっくりと口を開いた。


「――階段? 行くぞ、那岐!」

「いや、琉斗兄さん、ちょっと待って! みんなを待たないの?」

「……お前なら、待てるか?」

「……琉斗兄さん、行きまっせ!!」


 勢いをつけ、那岐は階段を飛び降りた。



 * * * * * *



「へえ……ちょっと凄くね? 自力で機械と呪の両方の呪縛から抜け出したっての? ……お前、本っ当に腹が立つ」


 サングラスを投げ出し、異様な眼球が露わになったニット帽がゆっくりと采希の身体に近付く。

 男はガラスの球体が割れた事で采希が呪縛から解放されたのには気付いたが、采希の意識がどこにいるのかは分からず、あらぬ方向を見ていた。


「だけどさぁ、意識だけでお前の能力って、どこまで発揮できるわけ? 今、俺がこの身体、息の根を止めることもできんだぞ」


 嬉しそうに透明な棺の中の采希の身体を見下ろす。

 ゆっくりとガラスの棺に手を伸ばすニット帽に意識を向けようとした采希の頭に、馴染んだ声が響いた。


『采希兄さぁん! どこっすかぁ?!』

(那岐!)


 無意識に応えた采希に、すぐさま返事が返って来る。


『兄さん、見つけた!』

『待て、那岐! 一人で跳ぶんじゃない!』

(……は? 跳ぶ? 那岐、どこまで来てるんだ?)


 采希がそう思った時には、部屋の中に見慣れた二人が現れていた。


「お……前ら……一体、どこから……」


 ニット帽が驚いて後退り、たたらを踏んだ。

 琉斗と那岐、二人の視線が棺に横たわる采希の身体を見て、一瞬で表情が変わる。


「お前――采希に、何を……」


 琉斗の身体から青い炎が噴き出した。

 那岐は俯き加減にニット帽を見つめている。


(……やば……すっげー怒って……那岐! おい!)


 はっと弾かれたように那岐がきょろきょろと辺りを見渡した。

 ふと那岐の眼が采希の意識が浮かんでいる辺りで止まる。

 にっこりと笑って近付き、静かに手を伸ばす。


「……兄さん」


 那岐の両手で采希の意識が包まれ、同時に癒しの気が注ぎ込まれた。


「大丈夫?」


(ああ。それより琉斗が――)



 ニット帽に真っすぐ向き合った琉斗が右手を肩の辺りまで上げると、右手が一瞬で紅い炎に包まれ、紅蓮が木刀の形態で現れた。


「……貴様、覚悟を決めろ」


 琉斗の地を這うような声が響く。

 ニット帽の男を叩きのめすつもりで構えているのに間違いはないだろうと、采希は思った。采希の思考が伝わった那岐も同意を返す。


「僕は琉斗兄さんに賛成。采希兄さんをこんな目に合わせた奴、許さない」


 那岐の眼に宿った剣呑な光に采希は慌てた。


(いや、それより那岐、俺の身体が収められたあの棺、電磁波かなんかで覆われていて近付けないんだ。だからそれを切って身体に戻りたいんだけど)


 采希の説明に那岐が首を傾げる。

 部屋に配置された機器を見渡すが、困ったように冷や汗が流れているのが見えた。


(……無理か。那岐、機械に弱いんだっけ……)


 凱斗かいと榛冴はるひがいたら何とかなったかもしれないと思いつつ、采希は琉斗の方に意識を移した。

 紅蓮を中段に構えたまま、じりじりとニット帽を追い詰めている。


(琉斗、気を付けろ! そいつはおかしな技を――って、聞こえてないのか?)


 那岐の手の中で、采希は自分に何かできないかと焦る。

 さっき自分が喰らったように、全ての感覚を遮断されたら琉斗や那岐でも対抗出来ないと思った。


「……へぇ、お前、こいつの兄弟か何かなわけ? 助けに来たのか。でも、全員、ここで終わりだよ」


 ニット帽の気配が変わる。銀の虹彩が光を増し、男の身体からどす黒い気が放たれる。

 あっという間に琉斗が飲み込まれた。


(琉斗!!)

「兄さん!!」


 嬉しそうにニット帽が笑った。だが、その表情が一瞬で凍り付く。

 左手で黒い霧を振り払った琉斗は、ちょっと顎を上げてニット帽を見据える。


「……何が、したいんだ?」


 采希にも何が起きたのか、理解できなかった。

 確かに自分はあの時、感覚をすべて奪われたはずだった。なのに、何故琉斗は平然としているのだろうと思った。


「……効かない……? まさか……」


 ニット帽が慌てたようにその右手を琉斗に向けた。

 次々と【気】が小さな刃となって琉斗に襲い掛かる。

 そして、それは全てが琉斗の身体に触れることも出来ずに消失した。


(……どういう……? 琉斗には効かないのか?)


 ふっと琉斗が笑みをもらした。それは、見た事もないような冷徹な笑顔だった。


「……終わりか? では、こちらの番だ」


 僅かに沈んだ体勢から、一瞬でニット帽との間を詰める。

 横薙ぎに払った木刀は男の身体をくの字に折り、吹き飛ばす。

 壁に激突しながらも果敢に立ち上がるニット帽に、琉斗の容赦ない打突が繰り返された。


「――あ! そっか!」


 突然、那岐が声を上げ、采希の意識を囲っていた手を離す。

 そのままくるりと振り返り、采希の身体が入った棺ごと持ち上げた。ぶちぶちと音がして、棺に繋がれていたコードが千切れていく。

 そのまま棺を運び、部屋の隅に置いた。


「兄さん、ここなら、身体に入れそう?」


 なるほど力技か、と思いつつ、采希は那岐が棺の蓋を上げたタイミングで、身体に飛び込む。

 その瞬間、采希の意識は身体にぴったりと収まった。


「――やった! ……兄さん、動ける?」


 采希は眼を開け、何度か瞬きする。ゆっくりと右手を顔の傍に持ってきて、掌握運動。ゆっくりと手を付いて、身体を起こし、胸元に手をあてながら辺りを見渡すといくつかのガラスの球体が眼に入った。


(――呪で覆われている……琥珀たちはあの中か)


 少しこみ上げて来た怒りに任せ、采希は念動で強引に球体を砕く。ぽっかりと空洞になっていた采希の中に、慣れた気配が収まった。


「……いけそうだな。ありがとう、那岐」


 にっこり笑った那岐が、采希の背後で不穏な音を立てている琉斗の方を見た。


「……琉斗、もういい」


 采希の声に、琉斗が慌てて振り返った。


「――采希……」


 采希は肩をゆっくり回しながら琉斗の隣を通り過ぎ、床に這いつくばっているニット帽を見下ろす。


「……お前のその怒りは、八つ当たりだ。自分が罪を犯したのに逆恨みしてそんな力に頼るとか、ばかじゃねぇの?」


 男は口の端から流れる血を服の袖で拭いながら、采希を睨みつける。


「……何を、偉そうに……あいつには効かなくても……今度こそお前の力を……!」


 さっきより幾分弱い【気】が采希を囲いこもうとする。


「采希!!」

「動くな、琉斗。――問題ない」


 今の采希は、意識も身体も何の呪縛も受けてはいない。一度見た力は、采希には防ぐことなど雑作もなかった。

 腕の一本も動かすことなく【気】の霧を消滅させる。

 ニット帽の男が息を飲み込む音が周囲に響いた。


 ポケットに手を突っ込んだまま、采希は念動でニット帽の首を圧迫し、身体を吊り上げる。

 首を締められながらほんの少し床から浮いた男が苦しそうに足をじたばたさせた。


「反省する気もないのか。だったら仕方ないよな」


 采希が左手を水平に薙ぐと、手の中に白銀の弓が現れる。

 無表情に男を見ながら、采希はゼロ距離で琥珀の矢を男の身体に打ち込んだ。

 以前、紛い物の陰陽師に使ったのと同じく力を消し去る光の矢だった。白目と光彩がヒトのモノに変化するのを見届け、采希は男を床に降ろした。


「お前のその力、誰にもらったんだ?」


 苦しそうに喘ぎながらも、男は答えようとはせずに采希を睨みつける。


「……答えたくないのか?」


 采希の身体の周りに風が舞い始める。その風は真空を作り出し、ひゅんひゅんと音を立てて采希の周りで渦巻き、男の身体の表面を切り裂いていった。


「やめ、やめてくれ……頼む、知らないんだ! どこの誰かも……人間かどうかすら……頼む、殺さないで……」


(――ヒトではない? そうか、その可能性も……あ!)


 目の前の男が苦悶の表情を浮かべたまま、徐々にその姿を消していく。


(しまった、逃げられ――)

「兄さん! 何か、来る!!」


 那岐の声とほとんど同時に、采希たちの周囲の空気がずしんと重くなる。思わず膝を付いてしまいそうになった。


(……これは……?)

「まさか、このまま地中に埋もれさせようというのか?」


 琉斗の慌てる声に、采希は思わず振り返る。


「地中? ……ここは、地下なのか?」

「そう……だが」


 無意識に琉斗の胸倉を掴み上げてしまった手を緩める。


「地下……そうか。――ガイア! 防御だ! 瓦解を止めろ! 地下にいる人間を遠くに避難させるんだ! ヴァイス、来い!」


 ふわりと采希の目の前に白虎が現れる。


「跳ぶぞ、ヴァイス。琉斗と那岐を頼む。――お前ら、脱出するぞ!」




 一瞬の跳躍で采希が降り立ったのは、見渡す限りの森の中だった。

 采希の隣に、その背に琉斗と那岐を乗せた白虎がゆっくりと着地する。


「――どこだ、ここ?」


 采希の呟きに、那岐が困ったように首を横に振った。


「琉斗兄さんが跳んだのにくっ付いて来たから……僕にも分からない」


 無駄と思いつつ采希はゆっくりと琉斗の方を見る。無表情な従兄弟を見て、采希は小さく溜息をついた。


《采希!》


 声に釣られて空を見上げると、大きな八咫烏が舞い降りて来る。


「黎さん!」

《無事だったみたいだな。身体はどうだ?》

「ちょっと怠い感じですけど多分、大丈夫です。それより黎さん、さっき鈴が――」

「おお~い! 采希~!」


 見上げた空に、背中に凱斗、榛冴、陽那を乗せた龍の姿が現れる。地龍の姫だった。


「凱斗!」


 地龍の姫が着地するのももどかしいように、凱斗が飛び降りて来る。


「何だよ、もう解決? 俺の出番は?」


 凱斗が采希の首に腕を巻き付ける。


「凱斗兄さんたら、『采希をこんなに鮮やかに連れ去るような相手じゃ無理に決まってんじゃん!』とか騒いでたくせに。解決してて、ほっとしてるんでしょ?」


 榛冴の言葉に、凱斗はにんまりと笑う。


「さすが采希だ。仕事が早いな」


 采希に巻き付けていた右手を離し、ぐしゃぐしゃと頭を掻きまわす。


「この地下に捕えられていたんですか? 何かの組織でしょうか? 一朝一夕にそんな地下施設が作れるものではないと思うんですけど。この辺りの森もごく自然に見えますし」


 陽那が冷静に地面に触れながら周囲を確認している。


「まだ、不明だな。親玉すら確認できていないんだ。それより、どうしてここにいる?」

「采希さんが五月姫さまと共に捕らえられたと……何の力にもなれず、すみません」

「……誰だ、巻き込んだのは?」

「僕だよ。打てる手は全て使う。黎さんの許可も貰ってる」


 榛冴の言葉に采希が小さく舌打ちした。

 しゃがみ込んだまま項垂れる陽那の腕を取って、那岐が笑いかける。


「僕らもあまり役には立っていないよ。兄さんは多分、自分で逃れる事が出来たと思うんだ」

「そうでもないぞ。来てくれて助かった。陽那を巻き込んだ件は、榛冴、後でな。――そう言えば、黎さん」


 采希が木の枝に留まっている八咫烏を見上げた時だった。ふいに視界が上下にブレる。

 周囲が一瞬で霧に囲まれたように霞んだ。

 霧が収縮しながら自分たちの周りに集まって来るのを確認し、那岐が陽那を引き寄せた。

 采希は生き物のように蠢く霧に思わず身体を強張らせる。


「え……何これ、霧ってこんなんじゃないよね?」


 榛冴が怯えながら采希の傍に来ると、凱斗と琉斗も辺りを不安気に見ながら采希の隣に立った。

 采希たちの周りで霧が濃度を増し、圧縮された空気に采希は息が出来なくなる。

 盛大な耳鳴りと圧迫感に思わず目を閉じた。

 ふと身体が軽くなった気がして、采希はそっと眼を開けてみる。


(……何だ、これ?)



 白いものに包まれた采希たちは、霧に囲まれた時のまま、全員が宙に浮いていた。

 凱斗と琉斗が眼を見開いて答えを求めるように采希を見た。左右対称の二人の動きに采希は黙って首を横に振る。

 采希と背中合わせに立った那岐も『これ……何?』と呟いている。榛冴と陽那は怯えたように顔を伏せている。


 ふいに空気が変化した。

 再び耳鳴りが大きくなったと思うと、采希たちの身体が上下に揺れる。巨大なシェーカーでゆっくりと振られているように思いながら、采希は不安定な状況を何とかしようと足元を見つめていた。

 那岐は自分たちの周囲の霧が単なる水分ではない事に気付いた。霧が采希だけを狙うように動き出す。

 口を開いた途端に那岐の喉に侵入して来た霧に思わずむせると、一気に霧が濃くなった。自分がその肩を掴んでいるはずの陽那の顔すら見えない。


 がくんと足元が抜けるような衝撃があり、那岐の手から陽那の気配が消えた。慌てて手を伸ばすが、那岐の手には何の感触も掴めなかった。

 凱斗の声が遠のいていくのを聞き取った采希は大きく叫ぶ。


「凱斗!!」


 同時に琉斗が凱斗を追うように手を伸ばした気配がした。


「待て、琉斗!」


 こんなに濃厚な霧の中でバラバラになったら捜し出すことは難しいと思った。


「采希、榛冴を――」

「陽那さん!」


 琉斗の声が那岐の叫びでかき消された。




「ねぇ、僕たち、どうなったの? 凱斗兄さんたち、どこに行ったの?」


 おろおろと声をだす榛冴を、采希はゆっくりと振り返る。

 霧は急激に薄くなり、采希は自分の隣に那岐と榛冴が一緒にいるのが確認できた。

 凱斗と琉斗、そして陽那は視界のどこにもいない。

 自分の隣で唇を噛みしめて俯いている那岐の肩に手を乗せながら采希は小さく答えた。


「…………そうだな。俺たちがいるこの場所も、一体どこなんだろうな」


 そこは荒れ果てたような地面が広がっていた。

 乾いてひび割れた大地と、枯れ木が所々に見える。地にへばり付くように生えた草も、くすんだ緑色で大地に横たわっているようだ。

 さっきまでいたはずの森はどこにもなかった。


「本当に、どこなんだろうね。現代の日本にこんな場所って、あるのかな?」


 木や草が立ち枯れるような気候は、采希の記憶では思い付かなかった。妙に乾いた風が土埃を舞い上げる。

 俯いていた那岐がはっとしたように顔を上げ、呆然と遠くを見遣ったまま呟いた。


「采希兄さん、凱斗兄さんと琉斗兄さんと陽那さんだけって……ヤバくない?」


 采希の不安をそのまま那岐が口にした。采希は黙って溜息をつく。


「え……そっか、あの三人だと誰も……あ、でも、琉斗兄さんは覚醒してるんでしょ? だったら――」

「ううん榛冴、さっき琉斗兄さんは普通に見えたでしょ?」

「……普通? うん、いつもの琉斗兄さんだったけど」

「どうやら覚醒状態の時は身体から炎が見えるらしいんだ。だけど……」


 那岐の言葉に、榛冴がひゅっと息を飲んだ。


「じゃあ……向こうの三人は……」

「ほぼ無力だな。邪霊相手なら凱斗の傍にいればある程度は防げるだろうけど、さっき言ったように相手の正体は分からないんだ」


 采希は蒼褪めた榛冴の頭をぽんぽんと叩く。


「一刻も早く、見つけ出すぞ。――こいつを片付けて」



 目の前には、巨大な異形の存在が影絵のように揺らぎながら現れていた。

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