第61話 呪術の資質

《これは――ある意味、見事ですね》

「そうだな、これが蜘蛛だと思わなければだけど」


 白虎の力で地中に遁甲した采希さいきは、思った以上に広い空間で上方を見上げる。

 天井――空間の上の壁に並んだ無数の大きな丸い塊。濃い灰色のそれは、蜘蛛の卵嚢に見えた。

 どのくらいの大きさの蜘蛛がどれだけ潜んでいるか見当もつかなかったが、背筋にぞくりと寒気が上ってくる。


「この卵の中から、どれだけの数が孵化するんだ?」

《種類にもよりますが……多いものだと、千、と言われています》

「……一つの卵嚢から?」

《はい。ここにはざっと――》

「いや、琥珀。数えなくていい」


 慌てて制する采希に、琥珀がちょっと微笑んだ。


「卵があるってことは、ここに親もいるのか?」


 采希の質問に琥珀よりも一瞬早く、白虎が左前方を見据える。

 そこには更に奥へと続くと思われる入口のような穴が見えた。


「あの奥? そこにイクルミが召喚した親玉がいるのか?」


 そちらに向かって歩き出すと、白虎が采希の前に立ちはだかろうとする。采希が怪訝に思っていると、白虎は尾をぱたんと振った。


《采希さん、白虎さまが行ってはいけないと。あの穴の向こうには、どうかお行きになりませんよう》

「危険ってことか……」


 守護たちの忠告を無視する気は、采希にはさらさらない。


《あの奥は、おそらくかなりの狭さかと存じます。闘うのであれば、こちらのスペースの方が――しかし》

「琥珀」


 琥珀の言葉を遮り、采希はその小さな頭部を指で優しく撫でる。


「心配させて悪いな。でもあいつは放って置く訳にいかないんだ」


 術師のいない今、このまま人里で開放する事は考えられなかった。

 ぷつりと音がして、背後にぶら下がっていた卵嚢から無数の小さな蜘蛛が溢れ出した。


「迷ってる暇はなさそうだしな」


 俯いていた琥珀がかすかな溜息を漏らす。

 こくりと頷くと、采希の指示を待たずに弓に変化した。


「ヴァイス、防御は全面的に任せる。ガイア、天の気をこの空間に繋げ。ナーガ、来い!」


 采希の周りに一陣の風が巻き、龍神ナーガの宝珠が現れた。


《采希、制御か攻撃か?》

「ナーガは攻撃を。俺の力の制御はガイアに」


 第一の封印が解除された状態の采希は、死なない程度の力の制御を意思ガイアに任せるつもりだった。

 身体への攻撃は白虎が防御してくれる。なので龍神には攻撃するための力を借りることにした。

 常に采希と共にある白虎ヴァイスや喚べば応える龍神ナーガとは違い、意思ガイアは采希がある種の気を纏って呼び掛ける事で力を借りる事が出来た。

 ただし意志疎通を交わす事は出来ず、采希の要請に自動的に稼働するその様子に、采希は何となく違和感を感じていた。


 巫女が囚われた際に『何かの意思に判断された』と言っていたため『意思』と呼んではいるものの、采希には単独の意思を持った存在には思えなかった。

 身体の中にじわりと意思ガイアの力が広がる。采希自身の筋力などを補助する訳ではなかったが、力が暴れるのは防いでくれるはずだった。


「琥珀、行くぞ」

《はい》


 左手に握った弓をゆっくりと頭上で旋回させる。

 その動きに呼応するように采希の周りで風が巻き起こった。


 卵嚢から溢れた小さな――それでも通常よりはかなり大きな――蜘蛛が次々に巻き上げられ、壁に叩きつけられる。

 天井から下がっていた大小数十の卵嚢も、天井から引き千切られて暴風の中で粉々になっていく。

 風の中に作り出された真空が、かまいたちとなって荒れ狂っていた。


 奥へと続く穴の方から、錆びた金属が擦れるような音が響いた。

 暗い穴の中に、小さな赤い光がいくつか光る。

 采希が腕を降ろすと、風はぴたりと収まった。


「琥珀」

《来ました。イクルミによって召喚された、土蜘蛛本体です》


 ごそり、と毛むくじゃらの細い肢が一本、穴の中から出てくる。その長さから、かなりの大きさである事が推測された。

 次の瞬間、采希の身体は何かの体当たりを受けたように仰向けに倒された。

 巨大な土蜘蛛の二本の前肢が采希の両腕を抑え込もうとするが、白虎の気配で阻まれる。

 白虎の見えない壁で土蜘蛛が采希に触れる事は出来なかったが、至近距離で見る土蜘蛛の姿に、慌ててその体躯の下から逃げ出した。

 普段目にする蜘蛛よりその体躯も脚もずんぐりとしており、どちらかと言うとタランチュラを連想させるような姿だった。


《采希さん!》

「琥珀! 一旦、変化を解くんだ! こいつに触れるな!」


 琥珀が左腕のバングルに吸い込まれるのを見届けて、采希は正面を見据えたまま叫んだ。


上総介かずさのすけ殿! 蛍丸!」


 声に応え、マントを羽織った武将が太刀を携えて現れる。

 采希を一瞥し、無言で再び采希に襲い掛かろうとしていた蜘蛛の前肢を斬り落とした。

 大きな蜘蛛の体躯はそのまま倒れるかと思いきや、後方に飛び跳ねて残りの肢でその重量を支えた。


(――蜘蛛って、軽いんだっけ。どこが急所なんだ?)


 急いで身体を起こしながら、采希の頭は目まぐるしく情報を検索する。蜘蛛は天敵だらけだった、という事だけを思い出した。

 考えながら、采希は思わず目をみはる。蜘蛛の肢が再生されようとしていた。

 斬り落とされた肢が動き出し、斬られた部分に貼りつこうとしている。


《采希、斬るだけではいかんようじゃの》


 武将が面白そうに笑いながら采希の顔を少し高い位置から覗き込む。


「――琥珀」


 待ちかねたように采希の左腕に現れた白銀の弓を、横に倒して構える。その動きに合わせて琥珀は和弓よりも小さなサイズに姿を変えた。

 采希が弦を引くと、光る二本の矢が現れた。その矢に炎をイメージした気を乗せ、迷わず手を離す。

 二本の矢は真っすぐに切り口に同化しようとしていた肢にそれぞれ突き刺さり、真っ赤な炎を上げる。

 土蜘蛛が驚いたように後退った。


「やっぱり有効なのは、火でよさそうだな」


 粉々になって洞窟の壁際に積み上がった蜘蛛の卵の残骸を見渡す。采希の傍に浮かんでいた龍神の珠を手に取り、両手で包み込むようにしてイメージを送る。

 采希の身体の周囲にぽつぽつと白い炎が浮かび上がる。

 それらは龍神の起こす風に乗って大きく広がり、卵の残骸を焼き尽くした。


 金属のような土蜘蛛の鳴き声が響く。

 巨大な体躯を沈み込ませたかと思うと、その尻から大量の糸が吐き出される。

 采希に届くかと思われたその直前で、白虎が振るった爪で叩き落された。


 八つの眼が真っ赤に光り、半分を失った前肢を高く上げながら采希に飛び掛かる。

 ゆらりと采希の前に武将の背中が立ち塞がり、一瞬でその姿は土蜘蛛の背の上に移る。

 深々とその背に大太刀の刀身が突き立てられた。

 肩越しに采希を振り返った武将が顎をしゃくる。


とどめを、采希」


 采希は頷きを返し、いつもの和弓に戻った琥珀を頭上に構える。腕をゆっくりと下ろしながら弦を引ききり、指を離した。



 * * * * * *



 ぼんやりと見るともなしに眺めていた空の風景に、キャップを被ったぼさぼさの頭が入り込む。


「待たせたな。――お疲れさん、よく頑張ったな」


 目の前に、見慣れたコーヒーの缶が差し出され、采希は小さく頭を下げて受け取る。

 れいの屋敷裏の畑を見渡せる四阿あずまやで、采希は野菜の葉が風に揺れるのを眺めていた。


 イクルミ事件の後、采希は一人でこの家にやって来た。

 黎は驚きもせず、畑の世話が終わるまで待てと告げた。


「――頑張った、って……言えるんですかね。結局、救えたのはお姉さんの方だけで、妹と、妹を傀儡かいらいにしようとしてたヤツは……」

「ああ、妹の方は完全に理性の糸が切れたらしいな。イクルミは……まぁ、自業自得だろう。あの連中のしてきた事を考えたらな」


 喉を押し広げるようにしてコーヒーを飲み込む。


「黎さん、あいつを知ってるんですか?」

「こっちの世界ではな、催眠系で有名な集団の……確か、あいつの親父が幹部の一人だったと思うぞ。ただ今回の一件は、あいつの単独行動だったらしい。教団とは何の関りもないと、正式にうちに連絡があった」

「連絡……」

「お前さんはうちの下請けじゃないって、説明はしてるんだけどな。正規ルートではお前たちに連絡できないんで、こっちに言い訳したんだろう」

「催眠系の……? では、あの土蜘蛛はあの男が自分の力だけで召喚したんですか? それ程の力があって、どうして……」

「さあな。自分の力を過信していたのは間違いないが。あの依頼者の父親の会社を手に入れるのが目的だったにしても、お前らを安く見積もりすぎたな」


 采希は両手で持ったコーヒーの缶に視線を落とす。


「何にせよ、お前らが無事で良かった。催眠が効かないってのは驚いたが。お前や那岐は四神を抱え込んでいるから分かるが、琉斗にはその時ロキは居なかったんだろ? あいつの能力がどんなものなのか気になるな……琉斗、覚醒したんだって?」


 ぼんやりしていた采希はちょっと驚いて顔を上げる。黎は面白そうに采希を横目でみていた。


「覚醒、なんですかね。何が起こったのかは正直良く分からなかったし、実際どんな力なのかも確認できてないです。那岐でさえ『なんか違う。でも、何が違うのかわからない』って言ってたので、俺や那岐とも違うみたいですけど」

「うーん……俺が視た感じでも、どんな種類の力なのか微妙だったしな。発動条件も分からない。これからどう使えるのか、……そもそも発動出来るのかも問題か」


 黎の言葉に采希が思わず黎の顔を見つめる。


「……、ってどうやって? ……黎さん、千里眼ですか?」

「千里眼なのは、うちの八咫烏だな。その辺にいる鳥類からの情報も得る事ができる」


 必要とあらば采希たちの様子も確認できるその力に、采希は驚きながらも首を傾げた。


「もしかして、あきらも同じ事が出来ますか?」

「いや、封印を施したお前の様子を確認するのには、あいつも八咫烏の眼を使っていた。八咫烏は俺の守護だから、俺が仕事で不在の時には見えていなかったはずだぞ。だから、地龍の山では対応が遅れてみすみす那岐を攫われた。相当悔しかったらしくてな、お前が呼んだのを幸いとシェンを無理矢理送り込んだんだ」


 那岐が、巫女は采希を心配して時々様子を覗いていたようだ、と言っていたのを采希は思い出していた。

 龍神の眼を借りていたのだろうかと思っていたが、黎の八咫烏の眼だと聞いてなるほどと思った。

 しかも、『采希に巻き込まれた』とシェンに怒られたあの一件が巫女のせいだと知らされて、采希は不満げに小さく唸る。


「今回の一件は正式な依頼じゃなかったけど、陽那さんの親父さんから報酬が出たらしいな」

「迷惑料のつもりだと思いますけどね。元々、後継者は会社に貢献した社員の中から選ぶ予定だったようですし、イクルミは無駄骨だった訳ですね」

「あわよくばと思ったのか、自分の優秀な父親に対抗したかったのか。あれほどの能力者、少しもったいない気もするな。土蜘蛛はいらんが」


 その意見には采希も同意した。土蜘蛛など、居ても扱いに困るだけだ。

 動くな、という瀧夜叉姫の言霊に縛られたイクルミは、身体が硬直したまま今も自力で動くことが出来ない。


「そう言えば、陽那さんなんですけど、瀧夜叉の話によると呪術の素質があるらしいですね」

「……そうなのか?」

「はい、本人には誰かに呪を掛けるなんて考えはないようなんですが、うちには瀧夜叉の力を受けられるのが榛冴だけですからね。陽那さんの元から瀧夜叉を引き上げる時は残念そうでしたよ」

「…………」


 黙り込んだ黎に采希が気付いた。どうしたのかと采希が黎を覗き込むと、考え込んでいるように足元の一点を見つめていた。


「黎さん?」

「采希、呪術の才能があるって事は確かに誰かに呪を掛ける力があるってことだ。だけどな、その逆も可能だって事だぞ」


 黎が静かに采希を見つめる。その言葉が采希の頭に沁み込むのに、少し時間がかかった。


「じゃあ、あきらの呪も――」

「可能性はあるかもな」


 巫女の解呪に協力してもらえるかもしれない、と頭をよぎったが采希は思い留まる。

 全く関係のない陽那を巻き込むことは采希には考えられなかった。

 今回彼女を助けた事はきちんと対価を受けている。優しそうな彼女の心情に付け込んで強要する事は出来ないと思った。


 自身の守護――霊亀からその資質を知らされた陽那は、那岐に呪術を学びたいと願い出た。その時は那岐も危険だからと考え直すよう諭している。

 いつの間に仲良くなったのかと思いつつ、采希も那岐が反対した気持ちはよく分かった。


「俺、少し勉強してみますかね?」

「呪術のか? 多分お前は向いていないぞ」


 誰かに巫女の解呪を預けられないのであれば自分でやるしかない、と考えた采希は、あっさりと黎に否定される。


「向いてない、ですか?」

「うちの家系はある程度小さな頃から訓練するからあきらも呪術には詳しい方だ。それでも呪の攻撃を喰らっている。お前は神霊系の加護を受けやすいみたいだから、下手に呪術を学ぶよりも祝詞や真言の方がいいんじゃないか?」


 祝詞や真言と言われた采希は、思わず嫌そうな顔になる。

 正式に学ぶとすれば、どれ程の時間を要するのだろう、と思った。


 不動明王の真言などは、いつの間にか無意識に使っている。

 だがそれらは、まるで采希が覚えているかのように、記憶の底から浮上してきていた。


「……そう言えばずっと疑問に思っていたんですけど、黎さんって陰陽師かなんかですか?」

「昔は陰陽寮の仕事についていた先祖もいたらしいけど、俺は違うぞ。使えるものはお経だろうが何でも使う」

「僧侶じゃなくてもお経って効き目あるんですか?」

「きちんと修行した本当に力のある僧侶にはとても及ばないけどな、自分の気を集中させたり高めたりするのには効果的だ。お前の真言もそうだろう?」


 これまで無意識に使っていたので、真言の役割や意味を理解していなかった事に気付く。

 付け焼刃で唱えても効果はないと、自分が琉斗に言った事を思い出して苦笑した。


「力の矛先を定めるってことですか?」

「それもあるな。その前に、必要な気を生み出して大きくしたり凝縮させて練り上げたり、神霊からお借りする事もある。そうして放出するまでの一連の流れをスムーズにするために、宗派にこだわりなく使っている」


 ようは力を行使するために自分の中のを整えたりといった作業をしやすくするのか、と采希はイメージした。

 黎に師事することで自分に合った方法を模索できるかもしれないと思いながら、采希は大きく息を吐いた。


「俺は、黎さんがあきらを助けた方が安心で確実なんじゃないかと今でも思ってるんですけど。正直な話、俺に出来ると思いますか?」


 心細げに呟く采希に、黎は姪から全く同じことを訊かれた事を思い出して口元が綻ぶ。

 自分や家族を危険に晒す覚悟を持って、自分のたった一人の姪を助けようとしてくれる采希を、黎はこの上なく優しい眼で眺めた。


「可能性としてはお前たちに利があるな。俺たちの組織よりお前たちの方が能力の幅もある。改めてお願いするが、あきらをどうか助けてやってくれ」


 采希は自信なさげに視線を揺らがせながらも顔を上げ、空を見ながら口角を引いて微笑んでみせた。

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