第52話 不安と焦燥

 采希さいきたち三人は、道場にほど近い部屋をあてがわれた。三組の布団を敷いて、川の字に並んで横になる。

 間もなく那岐なぎの寝息が聞こえ始めた。


「――采希、起きてるか?」


 琉斗りゅうとが小さく囁く声に、采希は面倒そうに答える。


「……いいえ、もう寝てます」

「……立派な寝言だな。昼の話なんだが……あきらがれいさんのことをって」


 その話か、と采希はもそもそと寝返りを打って、琉斗の方を向いた。


「推測だけどな、多分そうじゃないかと思う」

「だけど、これまであきらの口から黎さんの話題はなかったんだろう?」

「そうだな。この間別れ際にあきらが、黎さんが俺に似てるって言ってたんだ。その時のあいつの表情でさ、何となくそう思った。あの写真――部屋に飾ってあった写真はあの2枚だけだったしな、それが2枚とも黎さんの写真ってことは、多分そうだと思う」

「……采希、お前本当にあきらのことは――」

「だから、違うって言ってんだろ? 恋愛感情があったら、びびって触ることも出来ねぇわ」

「……触ったのか?」


 小声で恐る恐る聞いてくる琉斗を、采希はちょっと眼をみはって見返す。思わず吹き出した。


「うん、手に。あ、そういや、後ろから抱き着いたな」

「!!」

「そんなに驚く事か? ま、そりゃそうか。でも、緊急事態だったしな、別に何とも思わなかったと思う。それに女の人って、あんなに筋肉ついてないと思ってたんだけど。細いのにさ、腕とかかなり筋肉質だった」

「…………」


 琉斗に黙り込まれ、何を考えているのだろうと思いながら琉斗の言葉を待った。


「…………それでも……あきらはお前に好意を持っていると思うぞ」

「黎さんに似てるらしいからだろ」

「采希、それは――ちょっとあきらに失礼だと思う」

「そうだな。でも、多分そう言うことだと思うんだ」

「…………叔父さんだぞ」

「だけど、血は繋がっていない」

「……」

「でも黎さんは、あきらのお母さんに想いを寄せてたんじゃないかと思ってる」

「……え?」

「写真を見た時の黎さんの様子がさ、ああこれは……って思った」

「――よく見ているな」

「うーん……勘?」


 琉斗がきゅっと眉根を寄せる。学生時代も今も、采希は相手の好意に気付かない事が多く、琉斗も女の子から采希に対する想いを相談された事があった。

 興味がないと言う事ではなく、自分に対する好意に恐ろしく鈍感なのだろうと琉斗は思っていた。


「どうして人の事だとそんなによく気付くんだ?」

「――?? 何のことだ?」

「……いや、いい。――だったらあきらは片思いってことなのか? 自分の気持ちを伝えたりはしなかったんだろうか?」

「近くに居すぎるからな。告白して玉砕した時のことを考えたら、やっぱり躊躇するだろ」

「……そんなものなのか……」


 そりゃそうだろうと采希は頷く。意を決して伝えて、もしもダメだったら。しかも同じ屋根の下にいるとなれば自分でも足踏みするだろうと思った。


「あきらは、未来が見えるんだろう? 自分の未来を見てみたりとか、しなかったんだろうか」


 唐突にそんな事を言い出した琉斗を、采希は思わず見返してしまった。


「――は? 未来? なんで?」

「いや、その……ほら、女子はそういうの、好きだろう? 彼との相性がどうの、とか」

「ああ、そういう事か。未来を占ってもらう、的な事だな? 直接確認したことはないけど、占い師とかは自分の未来はよく見えないって聞いた気がする」

「……そうなのか」


 琉斗がただの興味だけでそんな事を言い出したとは思えなかったが、何となく意図が掴めないまま采希は話を合わせる。


「未来なんか、知らない方がいいんじゃないかと思うけどな。もしも自分の将来の伴侶はこの人です、って占い師に言われたら、自分の意思じゃなくてもその人と結婚するのか? そんなの、おかしいだろ。あきらは『可能性の未来』って言ってた。そんな未来に引き摺られる方が問題だと、俺は思うけど」


 何故か、琉斗がちょっと困ったような顔をしていた。

 采希の意見が気に入らなかったのかと不安を感じていると、琉斗は手を額に乗せながらゆっくりと呟いた。


「でも……でもな、どうしても自分の想いが苦しくて相手の気持ちが知りたいとか、未来を覗きたくなることだって、あるだろう?」

「……あんたは、女子ですか? まあ、そう思うこともあるだろうな。だけど、覗いたその未来に自分の隣にいるのが、今、想っている人じゃなかったら? そしたらお前はその人を諦められるのか?」

「――いや、無理だな」


 きっぱりと応え、はっとしたように采希を見返す。


「…………なるほど。そうだな……未来は、知らない方がいいのかも……」

「うん。もしも可能性の未来じゃなくて確定した未来でも、それに振り回されるのは嫌だって思う」

「運命に抗う、か」


 琉斗が面白そうに笑う。


「そんな大仰な事じゃねぇよ。お前の好きそうな言葉で言うと『定められた未来なんていらない』ってとこか?」

「いいな、それは」


 嬉しそうに声を上げて笑い、慌てて口を押さえる。ふと、真顔になった琉斗が視線を泳がせた。


「……では、采希は誰かの自分に対する気持ちを知りたいと、そう思った事はないのか?」

「うーん……あったかな? ……まぁ、無くもないと思うけど」

「だろう? だったら――」

「いや、何の話だよ。――あきらの片思いの話から、何で俺の話になってんだ? それに――お前なら相手の気持ちが知りたかったら単刀直入に聞くんじゃないのか?」


 何となく慌ててしまった采希に、琉斗がちょっと困ったように見える笑顔を作った。


「……そんな事はない。俺だって、相手の気持ちを知るのは怖いと思うことがあったぞ」


 お互い黙り込む。妙にしんとした空気に、何やら落ち着かない気持ちになった。

 巫女の黎に対する気持ちに気付いてはいたが、いざ口に出してみるとその切なさが窺われて、采希は何となく心が痛んだ。


「お前がそんな風に躊躇する場面なんて想像できないけどな。――なぁ、そろそろ寝ないか? 明日、起きれなくなる」

「…………そうだな」


 采希は寝返りをうって、琉斗に背中を向ける。小さな溜息と、おやすみの声が聞こえた。

 眠ろうとしながらも采希は琉斗の言葉が気に掛かっていた。

 その口調から誰か想う相手がいるように思えたが、考える前に采希は眠りに引き込まれていった。



 朝早い時間に、采希は那岐に叩き起こされる。


「今日は黎さんが稽古をつけてくれるんだよ。兄さん、早く!」


 どれだけ楽しみなのか、采希は急かされながら朝食を終え、琉斗と那岐によって道場に連行される。

 黎はもう道着と袴を身に付け、道場の中央で静かに眼を閉じて正座していた。

 意外なほど背筋が綺麗に伸びている。身体の傍には木刀が一振り置かれていた。

 ゆっくりと眼を開け、采希たちに眼を留める。


「――来たか。じゃ、誰から始めるんだ?」

「はいっ!! 僕からお願いしまっす!」


 那岐が高く右手を挙げた。

 壁に掛かっていた長い棒術用の棒を手に取る。

 采希と琉斗は壁際に座り込み、二人の手合わせを眺める事にした。


「ジャージじゃなく、俺たちも道着が欲しいな」

「……別に、ジャージで充分だろ。お前、恰好から入るタイプだよな」

「……そうかもな」


 早くて重い那岐の攻撃をいとも簡単そうに受け流しながら、黎は那岐の動きに次々とダメ出しをしている。

 ほとんど立ち位置の変わらない黎の動きに、采希が感心しながら見つめていると、隣で琉斗が何やら唸っているのに気がついた。


「――うるさいぞ」

「あ、ああ、すまん。――すごいな。那岐の動きがどんどん良くなっている。あれだけ動きながらアドバイスができるとは……黎さんの眼は一体どうなっているんだ?」

「……剣術の動きそのものが身体に染み付いているんだろうな。考えなくても身体が動くんだろう。眼は……経験則から那岐の動きの無駄な部分が見えているのと、那岐並みに勘がいいせい……かな? そんな気がする」


 采希の返答に、琉斗が采希をじっと凝視する。


「……何か、変だったか?」

「いや……。本当に采希は良く見えているな」

「そうか?」

「ああ、俺は眼で追うのがやっとだ。……采希は人の事はよく分析――」

「あ~~! もう、全っ然敵わない! 琉斗兄さん、交代!」


 那岐が采希の眼の前で仰向けに倒れ込む。汗だくで荒い呼吸を繰り返している。

 顔を上げると、黎は涼しい顔でこちらを見ていた。息一つ乱れてはいない。

 掌を上に向けて指先で琉斗を招く仕草をする。

 無精髭は変わらないが、黎の所作は畑にしゃがみ込んで草むしりしていた人と同一人物には見えなかった。

 琉斗が壁に準備されていた木刀を手に取ろうとすると、黎がにやりと笑った。


「琉斗、紅蓮でいいぞ」

「……いいのか?」

「おう」


 琉斗はちょっと考えるように小首を傾げ、黎に向き直る。


「紅蓮!」


 声に応えて現れた紅蓮は、日本刀の姿だった。


「……は? 紅蓮、どうした? 何故、刀に……」

《ここ、すごく気が満ちている。この姿の方が、楽》


 驚いた表情の琉斗が采希に問い掛けるように采希に視線を向けた。

 自分の闘気を渡していないのに刀になれるのか、と視線を向けられた采希の方が驚いていた。


「では、こちらも真剣でお相手するか。采希、あきらの太刀、借りるぞ」

「――――え???」


 黎が采希の方に左手を差し出すと、采希の胸の辺りからぽうっと金色の光が浮かび上がる。

 光は采希の中から飛び出してそのまま黎の左手に収まり、一瞬、強い光を放った。

 その手に握られていたのは、打ち刀。紅蓮とほぼ同じサイズだ。


「――っし、久し振りだな、蛍丸。訓練だからな、斬る必要はない。――行くぞ」


 嬉しそうに笑う黎を見ながら采希は耳にした単語に反応した。


(――蛍丸? どこかで聞いた気が……)


 鞘を払い、すっと下手に構えられた位置から一瞬で琉斗との間合いを詰め、気付くと琉斗の手から紅蓮が弾き飛ばされていた。

 あまりの速さに那岐も息を飲んでいる。


「……すっげ……見えなかった……」

「お前でも、見えなかったのか?」

「うん。……マジで見えなかった。辛うじて腕の振りの残像が見えただけで……」

「……あんな速さ、人間なのか?」


 采希の声に、黎が振り返る。


「琉斗みたいな力技タイプには効果的だろ? あきらには無理だったが、采希、お前さんになら出来ると思うぞ」


 采希には咄嗟に何を言われたのか分からなかった。一拍置いて、采希はぶんぶんと首を振る。


「――いや、無理っす! そんなん、どう頑張っても無理!」

「そうかな?」


 采希の隣で那岐が口元に手を当てて呟く。


「……那岐?」

「兄さん、出来そうな気がする」

「お前、何言って……」

「あの技、一瞬の勝負でしょ? 何となく、兄さんには向いている気がする」


 采希の背中を、だらだらと変な汗が流れてくる。

 世にも情けない顔をしている采希に笑いながら、黎が琉斗に告げた。


「悪かったな、琉斗。どうやら采希は剣術に苦手意識があるようなんで、采希にしか出来ない技があるって教えてやりたかったんだ。――さて上代家次男坊、本格的に手合わせといこうか」



 力技では通用しないのは、那岐との稽古を目の当たりにした琉斗にも分かっていた。

 いつもの大振りではなく、緩急をつけた打突が繰り出される。

 黎の方が速さは段違いに上だが、敢えて琉斗の太刀筋を受け止めているように見えた。


 重そうな剣戟の音が道場の空気を震わせる。

 那岐も琉斗も、確実に腕を上げているのが分かる。

 采希は琉斗の太刀筋を眺めながら巫女の剣技を思い出していた。


 神霊クラスとヒトの呪を纏っているという巫女。采希には解呪もできず、どうすれば助けられるのか全く考えもつかない。

 見棄てるという選択肢は存在しなかったが、自分にできるのかと考え始めると采希は恐ろしい程の焦燥感に襲われる。

 自分の手はあまりにも小さく、自分の力はあまりにも弱いように思われた。


 采希がそう考えた時、軽く眩暈がした。

 変に動悸がして、腹の辺りから不安な気持ちが立ち上ってくる。

 耳鳴りと共に視界が急激に狭くなり、周囲の景色が歪んだような気がした。


 呼吸が浅く、速くなった采希の様子に那岐が気付く。


「兄さん? どうかした?」

「――いや、なんでもない。大丈夫」


 努めて明るい声を絞り出したが、那岐は采希の顔を覗き込み、額に手を当てる。


「顔色、悪いよ。汗もすごい。僕、お水取って来るから待ってて」


 采希の返事を待たずに道場から飛び出して行った。

 やり取りは聞こえなかったが、突然飛び出して行った那岐に気付いた黎と琉斗が采希の傍に歩いて来る。


「采希、どうかしたのか? 具合でも悪いのか?」


 黎がしゃがみ込んで那岐と同じように采希の額に触れた。

 はっとしたような表情を張り付けたまま、采希の眼を覗き込む。


「采希、お前……」

「ごめんくださぁい! 誰か、いませんか~!」

「ちょ――やめなって、恥ずかしい」


 玄関の方から耳に馴染んだ声が聞こえた。思わず采希と琉斗は顔を見合わせる。


「……この気配、お前の兄貴と弟か? ってことは、凱斗かいと榛冴はるひ、だっけ? こちらも元気だな」


 黎が笑いながら琉斗の背中をぽんぽんと叩く。立ち上がろうとした采希の二の腕を取って支えようとした。


「あ~~~! どうしたの、凱斗兄さん?!」

「おお、那岐! お前たちだけじゃ、寂しいんじゃないかと思ってさ。来てあげたよ~」

「――なんで来たんだ?」


 いつの間に移動したのか、琉斗の声が玄関から聞こえる。怒っているような低音に、思わず采希と黎は視線を合わせる。


「采希や那岐が心配だからに決まってんだろ?」

「――邪魔だ。お前はいつも引っ掻き回すだけだろう」

「……んだとぉ? てめ……っざっけんな!」



 慌てて玄関に辿り着くと、案の定、双子が睨みあっていて、那岐と榛冴がおろおろと宥めている。

 采希は琉斗の肩を掴んで引き寄せようとするが、びくともしない。


「待て、琉斗! お前、なんで凱斗に突っ掛かってんだ?」

「別に突っ掛かってなどいない。どうせ暇だからと軽い気持ちで邪魔をしに来たんだろう。――帰れ」


 言い返そうと大きく開いた凱斗の口を、榛冴が慌てて塞ぐ。


「ま、実際軽い気持ちで来た事は否定しないけどね。琉斗兄さんと那岐兄さんだって、遊び半分で采希兄さんに付いて来たんでしょ? ――あ、すみません、騒がしくして。初めまして、僕は榛冴と申します」


 采希の背後に向かって挨拶した榛冴の視線に釣られて振り返る。

 黎が笑いながら中に入るよう促しているのが眼に入ったが、采希の視界はぐるりと回って斜めになった。


「兄さん!」


 那岐にがっしりと受け止められ、その手から落ちた水のペットボトルが転がっていくのを見ながら、采希の眼は急激にノイズで覆われた。

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