第42話 喧騒の潜入

 那岐なぎをその場に残し、各々が龍神ナーガに示された場所へと向かう。

 結界の外周に沿って移動するような恰好になり、采希さいき地龍サーガラの姫と共に左手方向に歩き出した。


《――大丈夫かな?》

凱斗かいとのことか?」

《うん》

「人質として囚われている分には無事だと思うぞ。こんな言い方で悪いけど」

《凱斗に、付いていればよかった》

「それは今更だ。どうやって助け出すか、考える」

《…………うん。凱斗、采希には『相手は人間だ』って言ってたけど、凱斗だって無敵なのは霊に対してだけだって分かってると思う?》

「考えていないだろうな。姫は知らないだろうけど、あいつ、喧嘩になると笑うんだぞ」


 思い出し笑いをする采希に、龍の姫が首を傾げる。


「別に喧嘩好きってんじゃないけどな、傍から見たら嬉しそうに相手をぶちのめしているように見える」

《凱斗、強いの?》

「ガチでやったら那岐には負ける。あんまり本気にはならないけど、琉斗りゅうとも凱斗よりは強いかもな。だけど凱斗は器用というか姑息というか……」


 小さく息を吐きながら龍の姫がビルの上に視線を投げた。


榛冴はるひと采希以外はヒト相手でも負けなさそうってこと?》


 龍の姫の質問に、采希は眼を逸らす。その訳ありげな様子に、姫は采希の肩に降りた。


《――なるほど》

「……読むなよ、姫」


 五人が五人とも、同じ程度には強いという事を采希の思考から読み取った。

 その戦闘スタイルとキレやすさに違いはあるものの、それぞれ十人程度に囲まれても勝てるくらいには強かった。

 武術を学んでいた那岐と、キレやすい自分を自戒している采希、普段からあまり怒らない琉斗、面倒事と怪我を嫌う榛冴は、可能な限り自分を抑えてそういった事を回避する事が出来ていた。


「――凱斗はなぁ……、正当防衛だって事になったら大暴れしそうなんだよな」


 溜息まじりに采希は呟く。

 邪霊は論外だが、ヒトの念が凱斗にどこまで通用するかは分からない。

 例え凱斗が腕力に訴えたとしても、相手は何十人いるのか見当も付かなかった。


「俺らが行くまで、大人しくしててくれればいいんだけどな」


 それは無理だろう、と思った龍の姫は采希から目を逸らした。




 建物の真西の位置に付き、采希は白虎の首に腕を回して毛皮に顔を埋める。

 采希の位置からは、正面玄関と思われる大きなガラス張りのエントランスホールが確認できる。特に人気ひとけはないように見えた。


 一人になると余計な事ばかり考えてしまう。

 怪我はしていないか、きちんとした扱いをされているか、軟禁されていたりしないか、どうして金剛杵を持たせておかなかったのか、凱斗に洗脳や催眠に対する耐性はあるのか。


 眼を閉じて白虎の毛皮をきゅっと掴むと、白虎が自分の頭を采希の頭に擦り寄せてくる。それだけで、采希の不安が和らいでいった。


《采希、聞こえる?》


 龍の姫の声が采希の耳に届く。そちらに意識を向けると、本体の地龍の気配がした。


「おう。感度良好だ」

《琉斗、那岐、榛冴、配置は完了?》

「大丈夫!」

「OKだぜ」


 返事が一つ足りない。采希はビルの上方を見上げ、榛冴を呼ぶ。


「……榛冴?」

「聞こえ……てる……。こわっ……怖いんですけど!」

「よし、全員位置に付いたな」

「――スルーかよ! 僕が要なんじゃないの?! なのにこの仕打ち? ふざけんな!」


 思った以上に元気な榛冴の声に、采希は思わず吹き出す。


「榛冴、余裕じゃん」

「うるさいよ、采希兄さん!」

「榛冴、コースター系のアトラクション、好きだよね?」

「こんな何の支えもなく宙に浮くアトラクションなんかねぇよ!」

「榛……」

「黙れ! 何か言うくらいならお前が替われよ!」


 半ギレになった榛冴が那岐と琉斗に噛み付く。



「ナーガ、全員配置完了だ。どうすればいい?」


 まだ何やら喚いている榛冴を完全に無視して、采希が龍神の指示を仰ぐ。


《では、行くぞ》


 龍神の号令で、白虎が身体から淡く燐光を放った。

 その光は天に向かって伸び、北と南、東の各方向でも同じように光の筋が天に向かう。

 わずかに軌道が内側に変化し、それぞれの光が中空で一つに交わる。そのまま螺旋状に絡み合い、まっすぐに降りて来た光が向かったのは、中央の榛冴が浮かぶ場所。


 榛冴の、声にならない叫びが聞こえた気がした。



《今だ、榛冴。結界を砕け》

「――どうやって?」

《お前の武器は何だ》


 白狼ロキに促され、榛冴が慌ててお札を取り出す。


「「「榛冴!!」」」


 采希たちに一斉に呼ばれ、無造作に振るった榛冴の右手から放たれたお札は分裂し、采希たちの待つ方向にそれぞれ一直線に飛ぶ。

 采希の眼の前でぴたりと停止したお札の周囲の空間が、ガラスのようにひび割れるのが見えた。

 亀裂は一瞬で拡がり、派手な絵面にも関わらず、結界は音もなく消滅した。


 結界が消滅すると同時に、正面入り口からバタバタと十数人が飛び出して来た。

 全員、同じような格好をしている。作業服に見えるが、この怪しげな集団の制服のようなものだろうと采希は思った。


 運悪く正面玄関が西向きだったので、自然と全員が采希に向かって来る形になる。


「ヴァイス!」


 采希の声に応えて、白虎が少し伏せる。その背に飛び乗ると、一気に跳躍して空へ飛び上がる。

 上空では少し放心気味の榛冴が自分の手を見つめていた。

 その肩をねぎらうように軽く叩いて、ビルの屋上へと促した。


「那岐、正面は無理だ。屋上から攻略するって事で、どうだ?」


 采希の提案に、すかさず那岐から同意が返される。

 朱雀に跨った那岐、地龍サーガラの頭に乗った姫、そして龍神ナーガの口に咥えられた琉斗が屋上に到達した。


「ナーガ、どうして俺だけ咥えて運ばれるんだ?」

「ナーガはでかいからな。その方が早いんだろ」

「いや、しかしだな……」

「琉斗兄さん、つべこべ言わないで。何もしてないんだから」


 兄に向かって辛辣な言葉を投げつける榛冴に、琉斗が心外そうに片眉を上げた。

 采希はその様子を呆れたように見ながら手の平の上で龍神の宝珠に自分の闘気を移す。

 先程、凱斗の心配をしている間に湧き上がってきた闘気は、龍神の宝珠の中で炎のように揺らいでいた。


「じゃあ、行くか。――琉斗、これを持ってろ」


 龍神の宝珠を琉斗に渡すと、宝珠が少し光量を増し、琉斗の身体を包み込んだ。

 そのままふわりと浮き上がった宝珠は、琉斗の頭上付近に留まり琉斗の動きに合わせて付いて来た。


「采希兄さん、凱斗兄さんの囚われている場所は?」

「――分からない。だから全員、ぶちのめす」



 * * * * * *



「采希兄さん、金剛杵、出せる?」


 屋上から内部へのドアに向かっていると、采希の前を歩いていた那岐が急に振り返る。


「んあ? こうか?」


 采希の右手に馴染んだ感触の五鈷杵が現れる。

 采希の手の中を覗き込んでいた那岐が、五鈷杵に手をかざす。


「……ん~~、僕じゃだめか。采希兄さん、この金剛杵はさ、これまで采希兄さんの使途に合わせて姿を少しずつ変えていたと思うんだ。だから、もしかしたら――」

「――あ」


 なるほど、と采希は思った。

 左手を添え、五鈷杵を身体の正面で構える。

 采希が五鈷杵に気を流すと、手の中でかすかに震えた五鈷杵がゆるりと姿を変える。

 両端の五鈷が溶け合うように一つになり独鈷杵に変わったかと思うと、そのままするりと伸びて両端がそれぞれ1メートル弱ほどの長さになった。


「これ、長すぎないか? 屋内では不向きだろ」

「いや、兄さん、これだと真ん中を持って闘うタイプじゃない?」


 那岐の言葉に納得する。自分が今、握っている状態のまま、ぶんっと振り回してみた。


「ああそうか、なるほどな。了解。お前、朱雀は?」

「僕の中にいる。もう少し力を貸してくれるんだって」

「そうなのか?」

「もういい? そろそろ行こうよ」


 痺れを切らした榛冴が早口で告げる。


「急がないと、屋上で追い詰められるとか、冗談じゃない」


 一息に喋ってさっさと歩き出す。那岐がその後に続いてコンクリートで囲まれた扉に向かった。

 采希は龍の姫を肩に乗せ、白虎を伴って歩き出そうとして、ふと立ち止まる。


「――采希?」


 訝し気に声を掛けた琉斗を振り返り、その身体を乱暴に除けて独鈷杵をくるりと振った。

 きんっと音を立てて弾き飛ばされたのは、小さな金属の刃だった。


「……クナイ? 飛苦無とびくないか?」


 采希が拾い上げた物を、琉斗も覗き込む。


「ここには忍者でもいるのか?」

「フラグを立てるのはやめろ。――出て来い。この程度の技術うでじゃ、俺には当てられない」


 采希が声を向けた方には、薄墨の作務衣さむえのような物を纏った数人がいた。5階の窓から登ってきたらしく、屋上の縁に鉤爪のような物が引っ掛かっている。


「まずは第一陣。――とっとと片づけるぞ」


 琉斗の方を振り返らずに告げ、采希は走り出した。




「采希兄さんはまだなの?」

「まだ来ないよ、琉斗兄さんも! 榛冴、ロキさんにしがみ付かないで! ロキさんが闘えない!」

「――だって、那岐兄さん」


 階段の真下辺りから那岐と榛冴の声が聞こえる。

 采希が階段の手すりから身を乗り出して確認すると、三節棍を振り回す那岐が見えた。榛冴を背後に護っている。

 采希は階段の手すりを跨いで飛び降りた。


「采希兄さん!」

「お待たせ、那岐」


 ふわりと舞い降りた采希の隣に、重そうな音を立てて琉斗が着地した。


「後は任せろ!」


 琉斗と同時に、采希は白い作業服のような集団に向かって飛び出す。

 確実に脚の脛を狙って独鈷杵を叩きつけていく。

 琉斗は木刀に変化へんげした紅蓮を力任せに振り回し、次々と昏倒させている。ヒトを殺めないため、琉斗が指示するまでもなく紅蓮は自ら木刀に変化した。


「那岐、下がってろ。少し休め」

「采希兄さん、僕はまだ――」

「わかってる。殿しんがりで退路を確保してくれ。さっき屋上で襲われたからな。それと榛冴、いい加減ロキを開放しろ。ヴァイス、榛冴を護れ」


 ようやく榛冴の腕から解き放たれた白狼が采希の隣に並ぶ。


「悪いな、ロキ」

《構わんが。お前たちは揃いも揃って自らの力を過小評価し、使いこなせておらんな。那岐ですらそうだ。お前の力を信じ切っている琉斗は別だがな》


 白狼の鼻面にくしゃりと皺が寄る。采希にはそれが、嬉しそうに笑っているように見えた。



 建物の中に入っても、内部を探索しづらいと榛冴が言うので、一旦階段のあるホールから4階のフロアに出る。

 榛冴が床に手をついて辺りをいる間、采希と琉斗、那岐はまたもや集団で湧き出してきた白作業服に向き合う。


「――狼、だと? そんな使い魔を持っているのか?」

「怯むな、こちらには青龍と白虎がいる!」


 白作業服の男たちの言葉に、白狼がぴくりと反応して耳を立てる。


(……あ、マズい……)


 采希が白狼を振り返ると、ふわりと白狼の毛が逆立ち、全身から白い炎が上がった。


《――我を、使い魔、だと?》


 白狼が首を振ると、炎が前にいた数人を一瞬で薙ぎ払う。


「ロキ!!」


 壁に叩きつけられ、ぴくりとも動かない仲間を見て、白作業服たちが騒めく。


「待て、ロキ。俺に任せてくれ」


 采希は膝を付いてロキの首に腕を巻き付け、宥めるようにぽんぽんと叩く。


「急げ、白虎と青龍を!」


 集団の真ん中あたりにいるスキンヘッドの男が叫ぶと、後ろで何やら唱えていた女が両手をこちらに向けた。

 ぼんやりと白い四つ足の獣のような姿と、同じくうすぼんやりと靄のような長い物体が現れる。

 二体とも采希の予想した以上に小さく、小型犬と其処らにいそうな小さな蛇のように見えた。


「行け! 白虎、青龍!」


(――は? あれが白虎と青龍? 冗談だろ)


 白狼の首に左腕を添えたまま、采希は右手を二つの物体に翳す。そのまま右手を拳に握ると、二体ともぴたりと動きを止めた。


(……なるほどな、これで動きが封じられるってことは……)

「どうした! 攻撃しろ、白虎、青龍!」


 このグループのリーダーらしきスキンヘッド男が金切り声で叫ぶ。

 采希は右手を握ったまま、ゆっくりと立ち上がった。


「これが白虎? 笑わせてくれるな。こんなどこかの動物霊を四神と崇めているのか。――ヴァイス、ナーガ、来い」


 采希の後ろから、大きな白虎が頭上を飛び越して着地する。同時に琉斗の傍に漂っていた宝珠から龍神の頭部が通路いっぱいに現れた。

 白作業服の連中が、息を飲んで立ち尽くす。


《所詮はヒトの作った紛い物。我らに対抗できるはずもない。即刻立ち去れ。さもなくば、我らをかたったとがを受けてもらおう》


 龍神の声がフロアの通路に響き渡る。その瞬間に合わせて、采希は動きを封じていた白い動物霊を消滅させた。

 奇声を上げて数人が逃げ出すが、手に手に金剛杵やら錫杖やらを構えた何人かがその場に留まった。


 さっきのフロアは体術系の集団だったが、ここは霊能力自慢が揃っているのかと采希は思った。

 震える手で印を結び、なにやらぶつぶつと唱えている。


「琉斗、下がれ。那岐、前に出ろ」


 采希の指示で、琉斗が榛冴のいる場所まで後退する。

 采希と那岐は白虎の両脇に陣取った。



 数人の男が気合いと共に何か仕掛けたようだが、何も起こらない。当人たちも呆然としている。


「……那岐、こいつらは何をしているんだ?」

「自分が何かの術を駆使できると錯覚させられている、とかかな?」


 だったらここは洗脳系の団体なのだろうか、と采希は考える。

 正面にいたスキンヘッドの男が必死の形相で九字を切った。

 四縦五横に切られた九字が、采希に向かって走る。

 九字は使えるのか、と思いつつ、采希がゆっくりと左手をかざす。九字は采希の前でぴたりと止まった。


「そこのお兄さん、九字は人に向けちゃだめだよ。ほら、こんな風にね」


 にっこりと笑う那岐の右手が、見えない速さで九字を切る。

 さっき相手が繰り出したそれとは桁違いの速さで九字が飛ぶ。

 四縦五横の軌跡がスキンヘッドの腹部に焼け焦げのような跡を作った。

 一瞬遅れて叫び声を上げたスキンヘッドが倒れ込み、タイル張りの通路でのたうち回る。


「那岐さん、言ってる事とやってる事が真逆ですが。――ったく、俺が返してやろうと思ってたのに。仕方ないな、ここは連帯責任ってことで」


 采希も微笑みながら、さっき押し留めた九字に気を流して大きくする。

 一様にぎくりとした顔を貼りつけ、後退ろうとする白作業服集団に、巨大な九字が襲い掛かった。

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