第41話 歪んだ箱

「まずは凱斗かいと兄さんが連れて行かれた場所を特定したいんだけど、榛冴はるひ、凱斗兄さんが車に乗せられたのは、どの辺だったか教えて」


 那岐なぎが母屋から持ち出した大きな地図を広げる。


「僕が凱斗兄さんと会ったのはここ。須永さんの店の近くだよ。……実は、様子がおかしいと思って綱丸つなまるに車の後をつけさせたんだ。でも気付かれて、弾き飛ばされちゃって……」

「綱丸?」


 那岐が首を傾げると、榛冴が口を尖らせた。


管狐くだぎつねの名前だよ。だからもうなんて呼ばないでね」

「……どうして綱丸なんだ? 随分古風だと思うんだが」


 琉斗りゅうと采希さいきの袖を引いて尋ねる。


「あー、管狐のことを飯綱いづなとも言うんだ。だからじゃないか?」

「榛冴のセンスも大したことないね」

「そこの三人!! うるさいよ!」


 采希と那岐が笑いながら首を竦め、琉斗は名付けが不満であるかのように片眉を上げた。


「弾かれた?」

「うん。綱丸が僕にそう伝えて来た」

「――で、その弾かれた場所は?」


 采希の問いに、榛冴が地図の一点を指差すと、采希が腕組みをして考え込む。

 思考の邪魔をするように、琉斗の声が通る。


「狐を弾き飛ばす? 一体、どうやったんだ?」

「ん~、僕なら壁を作るかな」

「壁? なら、壁がない所を通ればいいんじゃないのか?」

「琉斗兄さん、そんな簡単なことじゃなくて……」

「だって壁なんだろう? 上とか左右とか、天まで届く壁という訳でもないだろうに」

「いや、だからね兄さん……」


 不毛な会話を始めた琉斗と那岐から、采希はそっと距離を取る。

 案の定、険しい顔で立ち上がった榛冴が、床に広げた地図を跨いで琉斗の傍へ行き、仁王立ちになって睨みつける。


「う・る・さ・い! 邪魔しないで、琉斗兄さん!」


 その癇癪に思わず首を竦め、采希は地図を覗き込むフリをした。


(――天まで届く……壁?)


 琉斗の言葉が采希の中で引っ掛かった。

 言われてみれば、管狐自体を結界などで囲わない限り、壁ならばどこか抜けられそうなものだが、管狐は

 どんな技を使われたのかも不明だが、それ以上に何かが采希の中で微かな違和感となっていた。


「どう、采希兄さん? 連れて行かれた先に見当はつきそう?」


 地図に屈み込んだ采希の頭上から榛冴の声がする。


「ちょろきちを弾き飛ばした……そんな芸当が出来るなら、こちらからは内部を窺い知ることが出来ないようになっている場所にいるのかもな」

「……え?」

「おそらくはちょろきちの感覚を攪乱かくらんしたんじゃないかと思う。結界で覆われたならちょろきちにも分かるはずなのに、ちょろきちは『弾かれた』と感じた。壁ならければいいのに、だ。だからそんな風に感覚を誤魔化されている場所を探せば――」

「綱丸だってば!」


 榛冴が声を上げるが、那岐は眼を見開いて采希を凝視していた。


(……あれ? 俺、おかしなこと言ったか?)


 采希が戸惑っていると、足元に広げた地図を跨ぐことも忘れ、那岐が采希に一瞬で詰め寄る。

 思わず身を引いた采希の肩をがっしり掴んだ那岐が、嬉しそうに笑った。


「采希兄さん! そうだよきっと。視ようとしても視えない場所だ!」


 琉斗と榛冴が、きょとんとして那岐を見つめる。

 那岐が二人を振り返り、満面の笑顔を見せた。


「ちょろ――綱丸の眼を誤魔化せる手段が向こうにはあるんだよ。だとすると凱斗兄さんを捜そうとしても誤魔化される可能性が高い。だから凱斗兄さんじゃなくて、視えないように細工されている場所を探せばいいんだよ」

「分からん」

「あー、そう言う事か」


 腕組みをした琉斗とぽんっと手を叩いた榛冴がお互いを怪訝そうに見る。


「……榛冴、分かったのか?」

「……琉斗兄さん、少しは人の話を聞こうか」




「姫、ちょっと来てくれ」


 天井付近に現れた龍の姫がふわりと采希の肩に降りる。


「じゃあ、どこから探す?」


 采希と那岐、榛冴の三人が地図を覗き込む。


「綱丸が弾かれたこの位置から、車の進行方向に向かって少しずつ、扇状に範囲を拡げてみるか」

「じゃ、姫様と榛冴ね。采希兄さんは僕と一緒に来て」

「え? 那岐兄さんたち、どこに行くの?」


 采希と那岐が顔を見合わせる。どちらからともなく笑い合い、お互い同時に手を差し伸べる。


「じゃあ那岐、用意はいいか?」

「いつでもどうぞ。兄さん、お手柔らかにね」


 そう言いながら、采希は頭の中で龍神を呼ぶ。


(ナーガ、俺にお前の眼を貸してくれ)


 眼を閉じた采希の視界が空を映す。視線を落とすと、きちんと離れの屋根が見えた。

 視覚を共有しているはずの那岐と共に、采希は管狐が凱斗を見失った場所まで視線を移動させた。



「采希兄さん、意識をレーダーみたいに拡げるつもりで……そうそう、そんな感じ。じゃ、行くよ」


 二人で、意識を拡げながら進んでいく。采希と那岐の眼が探知機で、榛冴と龍の姫が管制官のような役割をしていた。

 采希の肩に乗っていた龍の姫がふと違和感に気付く。


「采希、少し戻って。……そこから右方向、15度くらい。その先に、場所がある」


 龍の姫の言い様に、采希はちょっと納得しながら笑う。


「なるほど、何もない場所だな」


 龍の姫が指摘した場所は、采希と那岐には最初は分からなかった。

 実際には5階建てのビルがあったのだが、采希はその場所を一度、見逃した。

 注意深く確認していたはずなのに、采希の意識はそのビルを素通りしようとした。視界で例えるなら、眼に入っているのに認識しないで見逃すような、そんな感じだった。

 市街地のほとんど端、倉庫や小さな工場などがぽつぽつと点在する場所に、そのビルはあった。



 采希は那岐と一緒にビルの近くまで寄って、集中しながら確認する。


「なんだろう、このビル全体が存在感が薄いね。ビルにこの表現はおかしいけど」

「そうだな、周りから認識されたくないって意図が伝わってくる。――ビンゴ、かな」


 采希と那岐の視界を確認した榛冴が嫌そうな声を上げた。


「……うわ、なんなのこの結界。手応えが気持ち悪い」

「悪いが榛冴、俺にも分かるように言ってくれないか?」


 琉斗の声に榛冴が答える。


「なんて言ったらいいのかな……。こう、こちら側から結界の中を覗こうとするでしょ? すると向こう側から覗かれているんだ。位置を変えても同じ。必ずこちらを見返す【眼】が見えるんだ」


 采希と那岐が龍の眼を切り離して戻ってくるなり、そんな話が聞こえて思わず采希から変な声が出た。


「それって、なんだか妖怪みたいだな。確かに気持ち悪そうだ」


 琉斗も嫌そうに顔をしかめる。

 榛冴の肩を労うように軽く叩き、采希が言った。


「あの場所で間違いなさそうだな。もうすぐ日が暮れる。急いで行って片付けるぞ」



 * * * * * *



 ビルの傍まで来ると、采希たちにはその異様さがよく分かった。

 意外なほど広いその所有地は、ビルの周囲がちょっとした公園のように無数の木が植えられている。

 その境界の外から様子を確認する。


「……何だこれ、ビルが歪んで見えるな」

「注視しようとすると、そう見えるみたいだね。よっぽど第三者に認識されたくないんだろうけど。かなり強力な結界みたいだ」


 采希と那岐の会話に、琉斗が怪訝そうに割り込む。


「――何を、言っているんだ? 至って普通のビルに見えるが。どこが歪んでいるというんだ?」


 琉斗の心底不思議そうな発言に、三人は一斉に琉斗を見つめる。全員の視線を受け、さすがに決まり悪そうに眉をひそめた。


「俺は、何かおかしな事を言ったか?」


 采希は琉斗の視線を受けながら、眼をまたたかせる。


「――いや……そうか、お前には普通に見えるのか」

「ああ、それが何か……?」

「うん――那岐、これってもしかしたら……」


 采希の問いに、俯きがちに首を横に振りながら那岐が小さく息を吐く。


「――能力者にだけ効果のある、視覚の攪乱かな? これってかなり難易度が高いんじゃないかと思うけど――」


 那岐が難しそうな顔で口元を覆っている。


「でも、仕組みがよくわからない」

《――そうか?》


 笑いを含んだような白狼の声がする。


「……ロキさん?」

《白虎には隠形おんぎょうができる。それと同じ仕組みだ》


 そう言われて、采希と那岐は顔を見合わせた。そう言われても仕組みが理解できた訳ではなかったが、理屈は何となく分かった。


「じゃあ、ヴァイスやロキみたいな霊獣があいつらにもいるってことか?」

《いや、そうではない。この建物には四神の結界が使われているからな、そのせいだろう》

「――四神の結界? 僕たちに破れる? 四神が味方してるってことなんでしょ?」


 那岐が不安そうに尋ねると、白狼が采希の方を見た。


《采希、龍神を呼べ。先刻よりお前に呼ばれるのを待っている。うるさくてかなわん》

「……ナーガを?」


 唐突な白狼の提案に少し戸惑いながら、采希は天を仰いで声に出さずに龍神ナーガを呼ぶ。

 暮れ始めた空にぼんやりと見える雲が、見知った龍の頭部を形作る。


《我はお前の守護なのだからすぐにでも呼ぶべきところだぞ。巫女といい、お前といい……》

「悪いな、ナーガ。あんまり頼るのもどうかと思ってさ」


 采希は軽く頭を下げる。なにせ、相手は龍だ。人間の都合ですぐに助けを求めるのは、何か間違っている気がした。


《龍神、この結界について此奴等に協力しに参ったのであろう? 拗ねるのも大概に、教えてやってはどうだ》


 白狼が面白そうに天に向かって言った。


「協力? ナーガ、このおかしな幻視を破れるのか? 凱斗が中に囚われているんだ。方法が分かるなら教えてくれ」


 采希が勢い込んで言うと、雲の一点がきらりと光った。

 ゆっくりと采希の手の中に降りてきたそれは、金色に光る宝珠だった。珠の中で光の粒子が絶えず渦巻いている。



《結界に四神が使われているのは、白狼から聞いたであろう。しかし、所詮はヒトの作ったモノ。四神に似せた気を使っているに過ぎん。ならば、我らが作り出すによって無効化させることが可能だ》


 宝珠から龍神ナーガの声がする。


「ナーガたちの気? ナーガと……あ! ヴァイスか! じゃあ、ナーガが東の青龍……あれ?」


 東の青龍は川の気を持つ四神だったはず、と采希は思い出す。龍神は『空の龍』ではなかったか、と首を傾げた。


《我でも問題はない。白虎は言うに及ばずだ》

「でも、玄武と朱雀は?」

《玄武は地を治める者。お前の地龍に大地――山の気を運んでもらえば良い。龍の欠片、お前が媒体だ》


 采希の肩に乗っていた龍の姫が、こくりと頷く。


《そして朱雀は、南方の大きな湖の気。これは代用できぬのでな、海神わだつみにご助力願おう》

「は? 海神って……」


 先頃、紛れ込んでしまった海辺の街。そこで偶然、采希は海神の祠を浄化することになった。采希にはその海神のことしか思い浮かばなかった。

 那岐が突然、くるりと後ろを振り返る。黙ったまま見つめるその先の空に、小さな星が瞬いて見えた。

 あろうことか、その小さな星が近付いて来る。大きくなるにつれ、ほんのり赤い光を纏っているのが分かった。

 呆けたように見つめる采希たちの中で、那岐だけが首を傾げる。


「――うーん……この気配、知ってるんだけど……でも……」


 何のことだか分からず、采希が那岐の横顔を見ると、しきりに首を振りながら考え込んでいるようだった。

 どんどん近付き、かなりの大きさになった星は、大きな鳥であることが確認できた。

 炎のような長い冠羽と尾羽を持つ朱金の巨鳥。その背には高校生くらいの少女が乗っている。


(あれが、朱雀? ……って、あの子、なんで朱雀の背に?)


 少女は采希たちの姿を認め、大きく手を振る。全員がざわつき始めた。


「――誰?」

「ちょ、誰の知り合い? JKじゃないの?」

「……あんなモノを乗りこなすとは……一体、何者なんだ?」


 那岐が、あっと小さく声を上げ眼を見開く。その瞬間だった。



「ちーにーしゃ!」

(――……は? ちーにーしゃ……って……)


「はああああ? 小春?!」


 采希の傍でふわりと着地した朱雀の背の上から、少女が笑いかける。


「そう、小春だよ、ちーにーしゃ」

「……いや、でもお前、その姿……。まさか俺の暗示がもう解けて?」

《いや、采希の暗示はこの先も有効だ。この娘はいずれ朱雀の加護を受ける。この姿は一番可能性のある未来の姿だろう》


 宝珠から龍神の笑いを含んだ声がする。


「可能性の未来? だから透けているのか? 実体じゃないから?」

《おそらくはな》


 言われて改めて見てみれば、幼い小春の面影がある。こんなに可愛らしい少女に成長するのかと、采希は感心しながら見入った。


「巫女さまと海神さまが朱雀に力を貸してってお願いをしたの。朱雀さまは私にも繋がる縁だからって引き受けて下さったんだけど、先見さきみの巫女さまが『だったら采希を驚かせよう』って、まだ小さな私の魂から未来の姿を先見してくれた」


 小春の、鈴が転がるような声が告げる。


「――マジか。それにしても朱雀って……一体、何があったんだ?」

「それはまだ分かんない。十年以上先だと思うし。でも、ちーにーしゃに会いたかったから。だから私からもお願いしたの」


 にっこりと笑うその顔は、幼い笑顔とはまた違っていて、采希は少し寂しいような気分を感じていた。


「そっか。……もう会えないと思ってた」

「うん。この事は、すぐに記憶の奥底に沈んでしまうけど……でも、いつか思い出すから。きっと、会いに行くから待っててね」

「――その頃には俺もいい加減、おっさんになってると思うけどな。小春がちゃんと覚えていたら、会いに来てくれ」


 嬉しそうに頷きながら、小春がふわりと光って消えていった。



「……大きくなったもんだ」


 采希は急に歳を取ったような気持ちになって呟く。


《魂と肉体の年齢は同一ではないからな》


 龍神の言葉に那岐が反応した。


「それ、聞いた事があるよ。子供に退行催眠をかけたら、急に大人の言葉で前世を語り出したって話」

「へえ、そうなのか。――で? 朱雀に何をしてもらうんだ?」

《ここがあの場所の南だ。ここに朱雀を配置する。同時に、お前たちにも一人ずつ四神の気と共に居てもらう》


 采希と那岐が同時に腕組みをして考え込む。

 先に声を発したのは那岐だった。


「じゃあ、僕がここに残る。朱雀さまの気は僕と相性がいいみたいだから」

「――そうだな。西は白虎だから俺で決まりか。北は姫とサーガラにも来てもらうとして、東はナーガ……。だったら、東は琉斗だな」

「琉斗兄さんで妥当だろうね。龍神さまがいれば僕らとの通信も出来るし」


 那岐と采希は感応による通信が出来たし、采希を介してなら榛冴も辛うじて繋がれた。

 問題は琉斗だったが、龍神が傍にいればその問題も解消される。



 会話を黙って聞いていた榛冴の眼が不安そうに泳ぐ。采希がその肩をぽんっと叩くと、こっちが驚くほどに飛び上がった。


「――榛冴、お前が中央だ」

「むっ! 無理無理むりむり!!!」


 首が取れそうな勢いで振られた榛冴から、采希の予想通りの反応が返る。


「お前には、ロキが同行する。四神の中央だから、神降ろしが出来るお前がいいんだ。――頼む、榛冴」


 怯えて涙目になっている榛冴を采希が覗き込む。


「結界を破ったら、すぐにお前の傍に行く。約束するよ」

「…………本当に?」

「大丈夫! 榛冴は僕たちが護るから!」


 那岐と琉斗が力強く頷いてみせる。榛冴は鼻を啜りながら采希を見た。

 決して口数が多い方ではないが、自分の兄たちよりは信用出来ると思った。

 下唇を噛んでビルを見上げる。


「でも中央って、どうやってここの中心に行くの? 中心はあのビルなんじゃない?」

「そう、ビルの上――つまり結界の上だな。ロキが連れて行ってくれる」


 世にも恐ろしいモノを見るような顔で、榛冴が采希を睨みつける。


「……ゆうに20メートル以上はありそうなんですけど」

「まあ、5階建てだしな」

「!!!」


 そんな所から落ちたらどうすんの! と反論したいが、榛冴の口は声も出せずにぱくぱくと動く。

 そんな榛冴の気持ちをくみ取り、采希はにっこり笑って言い放つ。


「大丈夫、ロキの背なら安全だ。あの琉斗が振り落とされなかったんだからな」

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