第20話 暴走する力

 那岐なぎ琉斗りゅうとを背負って3人で家に戻ると、玄関で正座をした榛冴はるひが出迎えてくれた。

 正確には、榛冴に降りたお稲荷様だ。


「えっと、お稲荷様、ありがとうございました。おかげで助かりました」


 那岐が丁寧に頭を下げる。

 にっこりと榛冴ではない笑みが返って来た。榛冴の口から少し響くような不思議な声が紡ぎ出される。


管狐くだぎつねでは役に立たなかったようだ。恩人が困っているのに、手を貸さない訳にはいくまい。この者が神降ろしの性質だったので、くだを通じてその者に呼んでもらった》


 ゆっくりと右手を持ち上げて那岐を指さす。


《この者があんなに怯えなければ、もっと話は早かったのだが……》


 お稲荷様が苦笑し、那岐も頷く。

 何となくそのやり取りが想像できて、采希さいきも苦笑しながらお稲荷様に頭を下げる。


「すみません、榛冴は怖がりなので。管狐も、いずれはうまく使えるようになると思うんですけど」


 分かっている、と言うように頷き、榛冴の身体がぐらりとかしいだ。慌てて采希が支える。


「……帰られたみたいだね」


 那岐が琉斗を背中から降ろしながら言った。


凱斗かいと、大丈夫か?」


 采希が家の中に向かって声を掛けながら靴を脱いだ。


「おー、身体はまだ痺れてるけどな」


 榛冴の身体を抱きかかえ、琉斗を引きずった那岐と一緒に居間に入る。

 胡坐をかいて壁に寄り掛かってはいるものの、凱斗は片手を上げて采希に応えた。


「琉斗のヤツ、また憑かれやがって……」


 榛冴の身体をそっと横たえていた采希は思わず凱斗を見る。


「え? 琉斗、憑かれてたのか?」


 女が宙に浮かんでいたので、単に操られていたのかと思っていた采希は驚く。

 那岐も気を失ったままの琉斗を改めて見つめた。


「うん、お前らから『今から踏切に向かう』って連絡があって十分くらい経った頃かな……」




 采希たちから連絡がある少し前、采希と那岐が踏切に行くと聞いて心配した榛冴がやってきていた。

 連絡があってから程なくして、玄関の外から声が聞こえてきた。


「琉斗兄さん、助けて。采希兄さんが……」


 那岐の声だった。

 凱斗と榛冴の視線が交差する。

 黙って榛冴が首を横に振った。


「急に倒れたんだ。手が離せないから、開けてくれる?」


 訝しむ凱斗の制止を振り切って、琉斗が玄関に向かった。

 慌てた榛冴も琉斗を止めようとする。


「采希が心配じゃないのか!」


 そう叫んで琉斗が玄関を開けた途端、真っ黒な霧が入り込んできて、まず榛冴が倒れた。

 榛冴は声も出せずにぱたりと倒れ、その霧が濃厚な邪気であることを凱斗は察した。

 急激に邪気に晒され、管狐も龍の姫も、硬直したように動けない。

 凱斗だけが何の影響も受けず、慌てて玄関の引き戸を閉めたが、すでに何かが琉斗の中に入り込んでいた。

 琉斗に憑依したモノは、琉斗の身体を使って凱斗を昏倒させた。

 凱斗の意識が途切れる直前、琉斗の身体にしがみ付いた龍の姫が、身体の中に溶け込んだように見えた。



 淡々と語る凱斗の話を采希は黙って聞いていた。

 那岐がぽつりと呟く。


「じゃあ、姫様は命懸けで琉斗兄さんの身体からそいつを追い出してくれたんだ……」

「……命懸け?」


 眉をひそめた凱斗の言葉に那岐が頷く。


「まだ、眼を覚まさない。今は采希兄さんの中で眠っている」

「……そうか。あとで姫さんにお礼言わなきゃな」

「姫が元気になったら、言ってやって。――ちょろきち、無事か?」


 榛冴の首に下げられた銀笛から、管狐が飛び出して采希に身体を擦り寄せる。


「ちょろきちも、悪かったな。琉斗が玄関を開けようとした時、危ないって俺に教えてくれたのに」


 凱斗が少し笑って顔を伏せ、右手で額を押さえる。

 その指先に力が入り、僅かに震えた。自分に何も出来なかった事が本当に悔しかった。

 采希は黙ってその指先を見つめる。


「……俺にちゃんと力が使えたら、ちょろきちの警告にすぐに対応できたんだろな……」


 凱斗は視線を落としながら、ため息をつく。


「ほんっと、俺と琉斗は役立たずだよなぁ」


 落ち込んだ様子の凱斗に、那岐が首を傾げる。


「凱斗兄さんが役立たずなら、僕も役立たずだね」


 思いがけない那岐の言葉に反論しようとした凱斗を、那岐が眼で制する。


「凱斗兄さんの力は神域に近いから、扱いが難しいとは思う。単なる人間の僕らが扱うには過ぎた力なのかもね。でも、これまでその力を使った事がないんだから、凱斗兄さんにいきなり『力があるんだから何とかして!』なんて誰も言わないよ」

「……」


「だけどね、僕は小さい頃から普通に力を使っている。だから凱斗兄さんの力を借りて使ったり、力の使い方を一緒に考えたり出来るかもしれない。それなのに、僕にはそれが出来なかった。役に立たないのは僕も同じだ」

「……それは、違うだろ? お前と俺では――」

「同じだと思うよ。でも、ほら、前に采希兄さんがうまいこと凱斗兄さんの力を利用したでしょ? あんな感じで使わせてもらえばいいんだって、思ったよ」

「……」

「凱斗兄さんは、役立たずなんかじゃない」


 那岐が真顔で淡々と告げる。

 凱斗は黙ったまま、俯いている。采希がその肩を指でつついて、にっと笑ってみせた。


「俺もさ、自分の力、うまく使えていないと思うんだ。那岐やヴァイスやシェンがいなかったら、持て余してるか死んでたと思う。実際何度か死にかけてるし。一人で何とかしようとか、思わない方がいいんじゃないか?」


 采希の言葉に、凱斗が少し考えるように采希を見る。


「だから、みんなで何とかする、って考えたらどうかと思うんだ。俺と那岐も微妙に能力できることが違うみたいだし、誰も同じ力を持ってなくて、それなのにこんなに近くにいるってことは、それぞれ違う役割があるってことなんじゃないか? 無理に俺たちと同じ事をするんじゃなくて……その……」


 采希は上手い言葉が見つからず、口籠くちごもる。

 凱斗がその力を使ってくれる事を期待している訳ではない。


 采希にとって凱斗は、惑う自分を後押ししてくれたり、先に立って手を引いてくれる、そんな存在だった。

 それをどうしたら凱斗に伝えられるだろう。


 必死に伝えようとする采希に、凱斗の口元がふと緩んだ。


「……あー、だから……」

「采希、ありがとな。そうだな、あんま焦んないようにする。自分の中の力がどんなもんかを見極めるのが先だろうし。なぁ、那岐」


 那岐がぱあっと笑う。


「僕も、手伝うよ!」

「うん、頼むわ。よろしくな」



 * * * * * *



「采希、今日は暇か?」


 琉斗がギターケースを抱えて居間に降りて来た。

 畳に新聞を広げ、胡坐をいて読んでいた采希がむっとした顔を上げる。


「……御覧のとおりですけど」

「だったら、一緒に行かないか?」


 何処に、とは聞くまでもないだろう。わざわざギターを用意しているのを見れば分かる。


「何、また俺にも歌えって?」

「お前の歌をあの子も気に入ったようだしな」

「ま、小さなレディのためなら、しょうがない」


 褒められて悪い気はしないが、わざと面倒くさそうに立ち上がる。

 例の踏切の女も気になるが、あれから3日、何もないのがかえって采希には不安だった。

 琉斗は龍の姫が憑依を防いでくれたお陰ですぐに回復し、その姫もやっと采希の中から出られるまでに元気になった。


 身の内に龍の欠片を抱えているのは妙な気分だったが、その間、采希はたくさん龍と対話することができた。


 気の使い方、気脈と呼ばれるものについて、霊の性質、そして神の名を冠する存在。

 はっきり答えが貰えなかった事もあったが、采希にはとても有意義な時間だった。


 その中で、あの女は単体の霊ではなく他の霊を取り込んだ集合体であること、そのためかなり凶悪な邪気を発していることが分かった。

 あの女が琉斗を諦めたとは思えなかったし、根城と思われた踏切の様子を確認するためにも好都合だと采希は考えていた。


「琉斗兄さん、出掛けるの?」

「ああ、那岐、お前も一緒に行くか?」


 那岐はここ数日、兄の采希がずっと警戒しながら気を張り詰めていたのを知っている。

 何かあった時にはすぐに采希の手助けができるよう、那岐もまた身構えながら気を配っていた。

 ちらりと采希が頷くのを確認し、那岐が嬉しそうに答える。


「はーい、行きまっす!」


 それぞれの思惑を抱え、電車に乗るために駅に向かった。




 電車は駅を出て間もなく、踏切に差し掛かる。隣に座った采希から那岐に緊張が伝わって来た。

 二人とも全身をセンサーのようにしていたが、何も感じない。

 意外な結果に、采希と那岐が顔を見合わせる。


「兄さん?」

「……居ないな」


 那岐がいるから近寄れない、とかそういう感じではなさそうだと采希は思った。那岐も肩透かしを喰らったように感じていた。


「すごく、琉斗兄さんに執着しているように感じたんだけどな……」

「ま、いなくなってくれたなら、ラッキーってことで」


 不安が消えたわけではなかったが、周囲に他人もいる電車内での騒ぎにならずに済んだことに安心した。

 こっそりと話す二人の隣で、琉斗は独りぶつぶつとコードの確認をしていた。




 駅を出て埠頭に向かう。近付くにつれ、肌がぴりぴりとした何かを感じ取る。

 那岐の顔が少し険しくなった。


「采希兄さん、この感じ……」

「この先に、何かいるな。まさか……?」

「うん、この間感じたのと同じ匂い。でも、もっと別の気配も……」


 二人が顔を見合わせる。

 別々の気配が混じっているのは、経験上、全くいい事がない。

 龍からの情報でも、あの女の霊が他の霊を取り込んでいる事を聞いている。

 この先の道を折れたらもう埠頭だ。


 采希は先を歩く琉斗の肩に手を掛け、引き留めるように身体を引いた。


「待て、琉斗はここにいろ。この先はマズい気がする」

「いや、しかし」

「いいから、ここから動くな」

「……ダメだよ采希兄さん、見つかった」


 那岐の視線を追って、采希は息を飲んだ。

 踏切にいた女が、宙に浮いて手招きしている。

 もう片方の手に、あの女の子がぶら下がっていた。腕を掴まれ、吊り下げられている。


「……レディ?」

「え? 琉斗にも視えるのか?」


 不気味な笑みを張り付けたまま、女は彼らを誘うように埠頭の方へふわふわと飛び去る。


「兄さん、どうしよう? あの子……」


 那岐の言葉が終わるのも待たず、琉斗が走り出した。


「おい! 行くな、琉斗!」


 那岐も猛ダッシュで走り出す。


「――ちっ、この脳筋コンビが!」


 采希も後を追って走り出すが、角を曲がった所で慌てて立ち止まる。


「……何だ、これ?」




 采希の視界に入ってきたのは、どこから集まってきたのかと思う程の霊の集合体。

 原型が分からないほどに崩れているのもいれば、はっきりと苦悶の表情が見て取れるものもいた。

 黒いゲル状に見えるモノに包まれたその集団は、ビルの高さ三階分、十メートル以上の大きさだ。


 中心には、はっきりとあの女の姿が見えた。


「那岐、これって……」

「おそらく、あの女が集めたんだろうね。次々と取り込んで、いずれあの子も……」


 采希は那岐と共に琉斗の前に立ち、琉斗を背に庇うように霊の集団と対峙する。

 琉斗は目の前に立ちはだかった采希の肩を掴む。


「采希、あの子が苦しそうだ! 助けなくては……俺に力を貸してくれ!」

「ダメだ。あの女の狙いがお前なら、お前を取り込むためにあの状態になったんだと思う。俺の気を纏った位じゃ、対抗できない」

「だから、気ではなく力を……」

「それこそダメだろ! お前が危険になるかもしれないんだ!」

「采希!」

「それに、無理だ。……何度試しても、出来なかっただろう?」


 悔しそうに吐き出す采希に、琉斗も唇を噛みしめる。

 自分の背後にいる琉斗に気を取られ、采希は気付くのが遅れた。

 霊の集合体から槍のように伸びた攻撃が、采希に向かって繰り出される。


「……あ……」

「兄さん!!」


 反応できない采希の前に那岐が立ち塞がった。

 その腹部の真ん中を黒い槍が貫くのを、采希の眼はスローモーションで捉えていた。




「那岐!!」


 琉斗の声が遠くに聞こえる。采希は動けない。


 ――どっくん。


 耳元で、心臓の鼓動が響く。身体は強張ったまま動かない。

 眼の前が、赤く染まる。

 耳鳴りがして周囲の音が消える。

 額の真ん中が熱い。

 髪の毛が逆立つ。

 身体中から、炎が上がるような感覚。


 采希の周りで風が渦を巻く。竜巻のように、渦を巻きながら上空に登り、海水を巻き上げ雲を作る。

 上空で雷が響く。

 霊の集合体が暴風に耐え切れずに、少しずつその周りから削り取られるように消えていった。


「采希! どうしたんだ? お前の力なのか? やめるんだ、あの子が――」


 琉斗の声が遠くに聞こえる。


(あの子? あの子って誰だ? 俺はこいつらを……。こいつらが那岐を……)


 頭の中で思考が渦を巻く。


(――許さない)


 怒りだけが采希の身体を、頭の中を支配する。

 暴風とともに何度も叩きつけられる落雷に、霊の集合体は徐々に削られていった。



 腰のあたりに暖かい気配を感じて、采希は自然に視線を落とす。


「……那、岐?」

「采希に……さ……。ダメ……あの……子……」


 采希の感覚が、緩やかに戻ってくる。

 意識が徐々に浮上し、周囲の状況が鮮明になる。

 それと呼応するように、竜巻が急速に小さくなって消滅した。

 霊の集合体は采希の攻撃に、全体が苦悶するように蠢いている。

 既に三分の二ほどの大きさになっていた。


「……俺、何があった?」

「……兄さん……よか……」

「那岐!」


 崩れ落ちる那岐の身体を采希が受け止めた。屈み込んで、那岐の腹部に手を当てる。

 那岐の身体を貫いたはずの黒い槍はどこにもなかった。傷付いた形跡もない。

 那岐の腹部の気だけがごっそりと消失していた。

 その気を補うように、采希は自分の気を那岐に纏わせる。


 琉斗に力を分けようと奮闘した時とは違い、采希の癒しの気はするりと那岐の中に取り込まれていった。

 血の気の引いた顔に、微かに赤みが戻る。

 那岐がゆっくりと眼を開け、采希も安堵の息を吐いた。


「兄さん、暴走したらダメだよ。あの子も強制的に除霊しちゃう。あの子をあそこから切り離さないと……」

「……分かった。ヴァイス、那岐を頼む」


 声に応えて白虎が現れる。那岐の身体を抱え込むように伏せた姿勢で横たわる。

 その様子を確認して采希は立ち上がり、眼の前の霊の集団を見上げた。

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