第4章 選択の代償

第17話 予兆と予感

「またあの踏切で事故? 最近多いな」


 テレビのニュースを見ながら凱斗かいとが呟く。

 画面には見慣れた踏切の景色と、亡くなった人の名前と年齢が表示されていた。


「まだ若いのになぁ。先週も若い女の人だったな」

「そう言えば、そうだっけ」

「この一年くらい、あの踏切での事故が頻繁に起きているようだが、以前からそうだったか?」


 琉斗りゅうとも渋い顔でテーブルに寄り掛かりながら凱斗に応えている。

 榛冴はるひは敢えてテレビ画面を見ないようにしていた。まるで画面越しに何か見えたら大変、とばかりに。

 その様子を見ながら采希さいきは、『榛冴、いい勘してんじゃん』と思った。


 采希と那岐なぎの眼には見えていた。

 悪意に満ちた女の顔が、画面いっぱいに。

 満足気な高笑いが聞こえてきそうな、醜悪な顔だった。



 * * * * * *



 入り口をくぐった途端、視界に入る限りのスペースいっぱいに猫がいた。

 采希と那岐は榛冴に連れられ、複数のペットショップが合同で開催している「世界の猫展」のイベントを見に来ていた。


 猫広場は仔猫が産まれたのを期に、野良猫を保護している施設に連絡を取って保護を依頼した。そのうちの何匹かは引き取れるよう、家族と交渉中だった。

 暇を持て余していた休日に誘ってくれたのはありがたいが、榛冴が後日、女の子を誘う口実にするためなので、まあダシにされたようなものだと分かっている。


『この間さぁ、珍しい猫を集めたイベントに行ったんだ。僕の従兄弟の兄さんが猫好きでさ、付き合わされちゃって。僕も好きだからいいんだけどね、可愛かったよ。――え、君も猫、好きなの? じゃあさ、今度一緒に行こうよ』


 榛冴の様子が目に浮かぶようだと采希は思った。

 それでも、普段お目に掛かれないような猫が勢ぞろいしているので、そわそわしながらゆっくり深呼吸をした。

 触れる事は出来なくても、見ているだけで采希は幸せだった。

 ゆっくりと嬉しさを噛み締める。


「どう、采希兄さん? 嬉しいでしょ?」


 榛冴が首を傾げ、下から覗き込むように話しかけてくる。


「……まぁね」

「え~。せっかく連れて来てあげたんだから、もう少し楽しそうにしてよ」

「うん、ありがとな榛冴」

「よし、じゃあ采希兄さん、説明よろしく。あ、何か役立ちそうな情報もお願い」

「……情報?」

「女の子が喜びそうな、猫の雑学的なヤツ。特に感心してもらえそうなネタにしてね。間違っても怖い話とかグロい話はダメだから」


 ここまであからさまに言われると、逆に清々しいと采希は苦笑した。



 榛冴の思惑に乗ってやろうと思ったわけではないが、成猫から仔猫まで実物を見たこともない猫がたくさんいて、采希の気分も上々だった。

 なので、意図せず弾んだ調子で説明してしまう。

 被毛を持たないスフィンクス、脚の短いマンチカン、本当に猫なのか疑うような肢体のオリエンタルショートヘア、長い毛が絡まりそうな王子様ノルウェージャンフォレスト。

 仔猫の細い尻尾や豆粒のような肉球に思わず頬が緩む。


 時折、榛冴や那岐の質問に答えながら、ゆっくりと見て回る。

 ふと、ロシアンブルーの仔猫が目に留まった。

 その銀の被毛とエメラルドの眼に、采希はほとんど逢えない友人を思い出す。小さな前肢や見上げてくる丸い眼にため息が出た。


「兄さん、ロシアンブルーって、みんな緑色の眼なのかな?」


 那岐がケースに手を当てて覗き込む。


「青銀の毛に緑の眼ってのがロシアンブルー、って定義だねぇ」

「ふーん。あれ? この子もロシアンブルー?」


 那岐が隣のケースを指さす。

 いつの間にか榛冴はずっと前方にいて、采希は那岐専門のナビゲーターのようになっていた。


「いや、多分コラットかな。こっちに比べてちょっと丸顔気味だろ。こっちはロシア、その子はタイが原産。あと、フランスにもブルーの毛の子がいる。シャルトリューってオレンジの眼の子」

「へぇぇ。――あ、この子は? 眼の色が左右で違ってる」

「ターキッシュアンゴラかな。オッドアイは珍しいんだって」

「おっど……?」

「オッドアイ。左右の眼の色が、この青と金みたいに全然違ってるのをそう言うんだ」

「すっげーキレイ!」

「でも、虹彩異色症っていう遺伝子異常じゃないかって言われててさ、短命な子も多いみたいだぞ。幸運を運ぶ猫って言われても、短命なのは可哀想だな」


 那岐が突然、眉間に皺を寄せる。真顔で采希の肩に手を乗せた。


「兄さんは、長生きしてね」

「は? なに、いきなり」

「兄さんの眼、時々、片目だけ紫になってるから」


 那岐の言葉に、采希は一瞬目を見開いて『ああ』と納得した。

 采希の眼は、力を使うと両眼の虹彩の色が変わって見える。無意識に力を使っている時は、その力加減で片目だけが色を纏っていた。


「大丈夫だ、那岐。姫によると、実際に色が変わっている訳じゃないらしいから」

「そうなの?」

「ああ、虹彩の色自体が変化してる訳じゃなくて、オーラの色らしい」

「兄さんの【気】を通して見てるから、色が変わって見えるってこと?」

「そんな感じ」


 立ち止まって二人で話し込んでいる事に気付いた榛冴が、駆け戻ってくる。真っ赤な顔で、怒っていた。


「ちょっとぉ、ちゃんと説明お願いって言ったじゃん! 僕、独りごと言いながら一人で猫を見に来た寂しい人みたいになってるから!」




「そんなに怒んないで、榛冴」

「怒ってないけど! 周囲の親子連れやカップルに可哀想な顔で見られたけどね!」

「何で? 一人で猫を見に来たら、可哀想なの?」

「……そうじゃなくて!」


 会話がいまいち噛み合わない那岐と榛冴の後ろを、采希は笑いを堪えながら歩く。

 別に成人男子が一人で猫を見に来ていてもおかしくはない。

 榛冴の感覚が理解出来ない那岐は、不思議そうに首を傾げていた。


 イベントの会場を出て、特に行先を決めずにぶらぶらしていた。たまにはこんな風に弟たちとのんびりと歩くのも悪くない、と思っていると、どこからか微かに歌が聞こえてきた。

 思わず采希は足を止める。


「どうしたの、采希兄さん?」

「この声、琉斗りゅうとか?」


 二人も耳を澄ます。

 こんな場所で身内の歌声が聞こえてくるような状況に、特に榛冴が嫌そうな表情になった。


「埠頭の方からかな。行ってみる?」



 交差点を埠頭の方に曲がると、はっきりと聞こえてきた。間違いなく琉斗の声だ。

 建物の角を曲がると、人のいない埠頭の柵に腰掛けて、琉斗が歌っているのが見えた。

 意外と狭いその場所は、周囲から忘れられているような寂しさがあった。

 琉斗の足元にしゃがみ込んで聞いている、小学生くらいの小さな女の子がいた。

 采希と那岐の眼には、その身体の向こうが透けて視えていた。


「琉斗兄さん!」


 榛冴が声を上げて走り出すが、采希と那岐は困ったように顔を見合わせる。


「兄さん、どうする?」

「……ひとまず、様子見」

「うぃっす」


 榛冴の声に気付いてこちらを見た琉斗が笑顔になる。


「どうしたんだ、三人揃ってこんな所で」

「『どうした』は、こっちの台詞! 何、恥ずかしいことしてんの!」

「……恥ずかしい?」

「こんなとこで恰好つけて一人で歌ってるって、恥ずかしいでしょ?」

「……え……?」


 琉斗が慌てて辺りを見回す。その視界に、さっきまでいた存在がいない事に気付いて柵から腰を上げる。


「あれ?」

「琉斗兄さん、あの子なら、消えたよ」


 那岐の言葉に、琉斗と榛冴が驚いた顔で那岐の方を向いた。


「消えた?」

「は? ……あの子って?」


 琉斗と榛冴が同時に答える。二人が顔を見合わせた。

 同じ言葉に対して違う反応をした互いを、怪訝そうに見つめ合う。


「「それって……」」


 察した二人の顔色が、同時に蒼褪める。

 やっぱり気付いていなかったのか、と思いながら、采希が苦笑いした。


「そう。琉斗は身体を持たない女の子に歌を聞かせてて、榛冴にはそれが見えなかった。だから会話も、嚙み合わない」


 榛冴が手近にいた琉斗にしがみ付こうとして、慌てて那岐に駆け寄る。さっきまで霊と接していた人間に触れるのは嫌だったのだろう。


「しかし、俺には生きてるように見えたぞ。そもそも、俺に霊は視えないはずじゃ……」


 声を震わせながら、冷や汗が琉斗の顔を伝っていく。

 ハンカチでその汗を拭ってやっている那岐を見ながら、確認するように采希が那岐に話し掛けた。


「……あー、あまり気持ちのいい話じゃないけどな。視える人の傍にずっといると、視えない人も視えるようになるって、聞いたことあんだけど」

「うん、それよく聞くね」

「……!」


 那岐が同意し、琉斗から再び盛大に冷や汗が流れる。

 琉斗が予想通りの反応をみせた事に、采希は少し気の毒そうに笑う。


「俺には、表情は見えなかったけど。あの子、お前の歌をどんな顔で聞いてた?」

「あ……そうだな……少し泣きそうな、でも嬉しそうに聞いてくれたぞ」

「ふーん」


 まだ蒼褪あおざめたままの琉斗の背中を軽く叩く。


「だったら、いいんじゃないか? あの子を幸せな気持ちにしてあげたんだろうから」

「……そう、なのか?」

「多分ね」


 くしゃりと、琉斗が笑う。采希には琉斗の方が、ちょっと泣きそうな表情に見えた。


「そうか。だったら良かった」





「え?! お前も視えるようになったの? ずるいぞ、琉斗! 一体どうやったんだ?」


 帰るなり、琉斗が凱斗の質問責めにあう。


「いや、視えるようになった訳では……どうなんだろう?」


 首を傾げて采希に同意を求める琉斗に、肩をすくめて見せる。答えは『さあね?』だ。


「榛冴には視えなかったんだよな。その管狐くだぎつねの力を借りたら、もしかして視えたのか?」


 悔しそうな凱斗が榛冴に尋ねる。

 榛冴が少し唸りながら自分の胸元に目を向けた。


「この子は僕に危険が及んだ時に助けてくれるって、お稲荷様が言ってたから。――じゃ、その霊は危険じゃなかったってこと?」

「危険な感じはしなかったよ」


 那岐が断言する。


「だからくだくんも無反応だったでしょ?」

「『くだくん』って……。那岐兄さん、変な名前で呼ばないで」

「じゃあ、なんて呼ぶの?」

「……それは、まだ……」


 口ごもる榛冴に、まだ機嫌の直らない凱斗が追い打ちを掛ける。


「琉斗はまだしも、俺や采希の考えた名前に散々文句を言ったんだ、さぞかし立派なネーミングセンスなんだろうなぁ」


 榛冴がむっとした顔を凱斗に向けた。


「ちゃんと考えてるから。兄さんたちみたいに適当に呼んだりしないし」


 名前が大事なのは分かるが、そんなに構えなくても気持ちのこもった呼び方なら相手は応えてくれるだろうに、と采希は思った。

 ぼりぼりと頭を掻きながら、ぼそりと呟く。


「あー、もう面倒くさい。那岐の言うように『くだくん』でいいじゃん。そいつちょろちょろしてるから『ちょろきち』とか」


 しっかり聞き咎めた榛冴に睨まれる。


「ちょ……やめてよ! どこの森の住人だよ! ネズミじゃないし!」


 榛冴が必死に否定するが、采希の声は管狐に届いてしまった。

 榛冴の胸元に下がった小さな笛の形の銀細工から、管狐が飛び出す。

 ひゅるんと采希の顔の前に飛んで来た。采希が手を出すと、手の平にちょこんと座り込む。ふわふわと二本の尾を振っている。

 小さな小さな狐だ。采希は、にやりと笑って話しかける。


「お? お前も気に入ったか?」


 凱斗が腹を抱えて笑い出す。


「いいんじゃね? ちょろきちで」

「冗談じゃない!」


 調子に乗ってふざけた兄に、弟の説教が始まる気配を感じた琉斗と采希と那岐は、急いで母屋から逃げ出した。

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