第15話 蛇霊の因子

 ――夢を見ていた。


 色彩の渦に溺れ、大きな球に追いかけられ、竜巻に翻弄される。

 子供の頃、熱をだした時によく見ていた夢だった。

 何度か眼を開けたが、覚醒しないまま、また眠りに落ちた。


 眼を開けるたびに誰かが顔を覗き込んでいた。

 それが誰なのかも認識できない。

 ずっと頭がぐらぐらしている感じで、呼吸が浅いのがわかった。息苦しい。

 まともに何かを考えることが出来ない。

 どのくらいそんな状態が続いたのか、ふと気付くと額に冷たい感触を感じた。


(あー……気持ちいいな……)


 そう考えたところで、自分が少し復調したことに気付く。


 采希さいきが重い瞼をむりやり開けると、ベッドに横たわった采希を琉斗りゅうとが覗き込んでいた。

 ほっとしたように振り返って何事か喋り、再びこちらを覗き込んで話しかけた。


(……聞こえない……)


 世界から全ての音が消えている。

 どうしようもなくて、琉斗の顔をじっと見る。

 琉斗が慌てて振り返ると、すぐに那岐なぎが顔を覗かせた。

 那岐の口が何か話すように動く。

 その動きを見ても、何が言いたいのか采希にはわからない。


 ふと、那岐が采希の手を布団から出して、握りしめた。


《兄さん、これなら聞こえる?》


 声に出すのも億劫で頭の中で返事をするが、那岐には聞こえないようだった。

 采希は改めて那岐を見つめながら頷いてみせる。


《よかった、これで通じなかったらどうしようと思ったよ。兄さん、声は出せる?》


 口を開いて、声帯を震わせてみる。喉が貼り付いているように感じた。


「……あー」

《出るみたいだね。僕には兄さんの思考が読み取れないみたいだから、兄さんは口で喋ってくれる?》


 以前、那岐は采希に、声を出さずに意思を伝えていた。

 あれは精神感応テレパシーだと思っていたが、違うんだろうかと疑問に思った。


「読めない? お前、伝えるだけの一方通行なのか?」


 采希には自分の声が聞こえていなかったので、きちんと話せているか自信がなかった。一言一言、ゆっくりと声に出す。


《僕はちょっと苦手。僕の思考を兄さんが読み取ってくれてるんだ。とりあえず熱は下がったみたいだけど、苦しくない? 水、飲める?》

「……すっげー欲しい」


 那岐が琉斗の方を向いて声を掛けると、琉斗が慌てて吸い飲みを持って来て、采希の頭部をほんの少し浮かせ、口にあてがってくれた。

 喉を通る水は、ほんのり暖かい温度で喉を潤していく。あっという間に飲み干すと、琉斗は用意されていた湯冷ましを注ぎ直す。


「那岐、俺、熱だしてたのか?」

《そう。姫様の話だと、力の使い過ぎだって。兄さん、器の話、された?》

「……俺の器に対して力がでかすぎる、って話?」

《うん。その器って、実際の兄さんの身体のことも指してるらしいんだ。力を使いすぎると、心臓とかに負担がかかるんだって》


 それは何度か言われていて、采希にも分かっていた。

 分かってはいるが、毎回倒れている状況にもいい加減うんざりしていた。

 それでも今回は、そんなに力を使ったという記憶がない。使用した力量がHPゲージのように分かればいいのに、と考え、思わず苦笑した。


「力を使っても大丈夫なように、何か方法ってないもんかな。訓練するとか、修行みたいなのとか」


 那岐が首を振る。


《簡単には出来ないみたい。一度こじ開けてしまっているから、何かあった時、兄さんの身体は無意識に限界まで力を使おうとする。今のままだともう封印も効果は期待できないんだって、姫様が。以前巫女さまもそんな事を言ってたし。もう一度、封印し直すのが一番いいらしいけど》


 それって、自分が制御できなかったら自分の命を削るってことか、と、采希は眼を閉じて、ゆっくり息を吐く。


《少しずつなら身体も慣れるみたいだけどね。あとは、兄さんが力を制御できるようになればって言ってたよ》

「……わかった。気を付ける。お前と一緒の時はうまく力を制御できてる気がするんだ。これからもよろしくな」


 辛そうに話していた那岐が、やっと少し笑顔になった。

 龍の姫から話を聞かされてずっと心配していたのかと思うと、采希は申し訳ない気持ちになった。


 二人の会話が聞こえない琉斗が、ずっと困ったような顔をしている。多分、従兄弟たちには話していなかったんだろうと思った。


 ふと、放任主義に見えて実はかなり心配性な母、朱莉あかりの顔が浮かんだ。


「母さんにまた、怒られそうだな」

《それは元気になってからにするって》

「怒られるのは、確定事項なのか」

《さっきまでここに来てたんだけどね、確定だろうと思うよ。――兄さん、もう少し休む? 何か食べられる?》

「いや、もう少し眠りたい」

《わかった》


 那岐が采希から手を離す。再び、静寂がやって来た。




 体力を取り戻そうとするかのように、夢も見ずに深い眠りに落ちていた采希は、いきなり身体にかかった衝撃で目覚めた。


「……何?」


 視界に入ったのは、暴れている凱斗かいとと琉斗、そして那岐だった。目覚めたばかりで働かない頭が、状況を理解出来ずに混乱していた。


(……違う、暴れているのは……琉斗だ)


 徐々に醒める意識が、凱斗と那岐の二人が琉斗を抑えようとしているようだ、と判断した。

 突き飛ばされたらしい凱斗が采希の身体に倒れ込みそうになって、采希の上に体重が掛かり眼が覚めたようだった。


(何が起きているんだ? どうして喧嘩なんて)


 相変わらず、采希の耳は音を捉えていない。

 体幹に優れていて力も強く、武道の心得もある那岐だったが、だからこそ喧嘩にその技を使うことはない。

 その点、凱斗はいざとなれば弟と取っ組み合いの喧嘩をすることもあり、琉斗に対して遠慮はなかったが、那岐の次に強いのは琉斗なので、自然に凱斗も押され気味になっていた。

 琉斗は、凱斗や那岐に対しても全く遠慮なくその拳を振るっているように見えて、采希は一体何があったのかと驚愕していた。


「何で……?」


 呟いた采希の声に反応したかのように、琉斗が振り返る。

 その眼の虹彩は、赤。血の色のような赤い色だった。

 采希を見て、にやりと笑う。爬虫類のように冷たい気配がした。


 アルビノのように思えたが、瞳孔が黒く見える事から采希が力を使った時のように、色が変わって見えているのだろうと思った。

 アルビノは瞳孔も赤いと聞いた覚えがある。


 凱斗と那岐が時間差で殴り飛ばされ、琉斗がゆっくり采希に近付いてくる。

 何か言っているようだが、采希には聞こえない。実際、凱斗と那岐にもその言葉の意味は分からなかった。

 琉斗の姿をしたその何かは、横たわったままの采希に覆いかぶさるようにして顔を覗き込む。

 布団越しに、琉斗の手が采希の身体の上にあるのに気付いた。


(思考、読めるか?)


 采希がそう考えた途端、琉斗の身体の中にいるモノの意識が流れ込んでくる。


(こいつ……蛇だ)


 瞬時に采希は理解した。


 昨日、琉斗の身体に憑依した蛇は、那岐が追い出して凱斗の気で消滅させた。

 その蛇の卵をお稲荷様に産み付けたヤツは、龍神が浄化している。

 ならばこいつは、いつ、どこから琉斗に入り込んだのだろうと疑念を浮かべた時、蛇の意識が采希に伝わってきた。


 昨日琉斗に憑依した蛇は、消滅させられる刹那、秘かに琉斗の身体に自分の一部を残した。気付かれないように、ごく小さな砂粒のような意識を琉斗の体内で切り離していた。


 実際の生態とは違う、小さな小さな邪霊の卵。それは那岐の眼をすり抜けて、琉斗の身体に潜んでいた。龍神やお稲荷様にも気付かれないよう、慎重に。


 ――目の前の身体さいきに入り込んで、この力を取り込む。


 蛇の意識はその欲求に支配されていた。

 采希は蛇の意識に触れ、ぞくりと身震いする。

 蛇の攻撃を背中に受けただけでも、そのおぞましさに恐怖した。身体に入り込まれるなど、考えたくもなかった。

 蛇の意識に紛れ、微かに琉斗の意識が伝わってくる。


《采希、俺の身体ごと、こいつを……》


 琉斗が何を言おうとしたのかをすぐに察し、采希は舌打ちしながら布団の中で右手を開く。

 そのまま握り込むと、手の中に金剛杵が現れた。


(俺の、身体……動け!)


 急激にどこかから力が流れ込むのを感じ、一気に身体が楽になった。

 采希の変化に気付いたのか、蛇が一瞬警戒するように身を引いた。

 その隙に采希は急いで立ち上がり、身体の前に金剛杵を構える。

 鈍い金色の金剛杵は、今は独鈷杵とっこしょと呼ばれる両端が一本の物に変わっていた。


「その身体から、出て行ってもらいたいんだけど」


 そう呟くと、琉斗の身体の周りにぼんやりと浮かび上がる大蛇の姿が見えた気がした。


「……みずち……?」


 采希の耳が那岐の声を拾う。いつの間にか聴力が戻っていたことに気付いた。


「那岐、って何?」

「采希兄さん、耳、聞こえるの?」


 那岐の問いに答えるいとまもなく、大蛇の尻尾が采希に襲い掛かる。

 振り下ろされた尻尾をぎりぎりで後ろに飛んで躱す。

 狭い部屋の壁に背中が触れた。


「那岐、蛇の天敵の……あー、それより、この大きさの蛇ってどうしたらいいんだ?」


 采希の言葉に、那岐はとっさに返答できなかった。

 先日と同じ手を使うなら、凱斗の協力が必要だ。でも、この状況では、琉斗の身体に触れる事すら困難だった。


 尾の攻撃をぎりぎりで躱しながら、采希は独鈷杵に気を纏わせ、気を刃のようにして蛇の身体を薙ぐように削ってみる。

 少しずつではあるが、削り取る事はできるようだ。

 ただその体躯は大きく、この方法ではらちが明かない。


「ヴァイス!」


 呼ぶ声に応えて現れた白虎は、いつもよりも薄っすらとした姿に見えた。

 采希の横に立ち、その意図を酌んだかのように大きな体躯を沈め、立ちはだかる琉斗に狙いを定める。

 琉斗の身体に向かって跳躍しながら、太い前脚を振るう。

 琉斗は慌てて両腕で顔の辺りをガードするが、白虎の攻撃は琉斗の身体には全く触れずに、内部の蛇霊だけに作用した。


 ずるりと、大蛇が琉斗の身体から剥がれ落ちる。意識を失った琉斗が膝から崩れ落ちるように倒れた。

 その様子を確認した那岐が、急いで立ち上がって蛇の頭の方に走り寄った。

 大蛇の頭部を踏みつけ、凱斗を呼ぶ。


「凱斗兄さん、ここ、ここに頭があるから押さえてて!」

「――お、おう。お前は?」

「尻尾、押さえてくる!」


 那岐の指示に従った凱斗は、的確に大蛇の頭の上に座っている。

 本人には蛇に触れている感覚も何もなかったが、その力は蛇の霊力を確実に削いでいった。

 その様子を見た采希は、本当に視えていないのかと訝しむ。それほど的確に凱斗は大蛇を抑え込んでいた。

 那岐は暴れる尾にしがみ付き、押さえようとしていた。こちらは意識的に全身から繰り出した気で捕縛している。


「ヴァイス、あいつを消せるか。卵を残すような真似が出来ないように、徹底的に消滅させたい」


 采希の問い掛けに、白虎の言葉ではない意思が伝わって来る。

 采希は了解の意を込めて、小さく頷いた。

 白虎が再び低く構え、大蛇に飛び掛かる。同時に采希は右手に持った金剛杵に可能な限りの力を集め、大蛇の頭から尾に向けて【気】の刃で一気に薙ぎ払うように分断した。

 大蛇の全身が白い炎に包まれる。

 全く温度を感じさせないその炎は蛇を焼き尽くすように輝き、采希は思わず目を細めた。

 金属が擦れるような音を残して、大蛇が消滅する。


 ほっとすると同時に、采希は自分の身体が大きく前に傾くのを感じた。

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