この道で魔法が使えたら

はっさく

僕の1歩目

この日の朝、天海桔梗はうんざりしていた。


家を出てすぐ靴ひもが切れ、いつも乗るバスを逃し、

昨晩のうちにやっておいた宿題をすべて自宅に忘れ、

あげくには昨日の雨の残滓をまき散らす車に出会い、

彼のフラストレーションは溜まりにたまっていた。



口を一文字にした桔梗が花屋「言の葉」に着くと、

店主の雲霞幻弥は陽気に挨拶をしてきた。


「いらっしゃい。いや言わなくてもわかるよ。そんな日もあるさ。」

「・・・まだ何も言ってません。」

「いやほんと災難だったね。靴紐が朝から切れるなんて。そのせいでバスも乗り遅れた。宿題はきみのせいだけど、車に関しては運転手の配慮が欲しかったところだよね。」


この人はいつもそうだ。何も言ってないのに、すべてを見てきたかのようにいろんなことを知っている。


県内で一番小さいこの町では、知らないことなんてないほどの情報通だ。

ほんとうに何でも知ってるんですね、と少し引き気味な口調で尋ねると


「たまたまさ。ここにはいろんなお客様がくるからね。おかげで知りたくもないこともたくさん知ってるよ」

「それこそ、隣の近藤さんの今日のパンツの色までね」


桔梗はその三白眼で軽蔑のまなざしを向けつつ、いつものヒヤシンスを1つ購入した。


「毎日ありがとう。それじゃあ、気を付けてね」


いつもかけられるその言葉には、優しさと温かさと、

どこか見透かされているような緊張感が混じっていてた。



店を出て歩くこと数分、桔梗はある交差点に着いていた。花壇の多い住宅街、開かずの踏切、緑化計画の一部で作られた街路樹を通って、車も人通りも少ない殺風景なこの交差点にでる。

寂れた電信柱と人を急かす信号機しかないこの道で、

花を道に添え、両手を合わると、どこからか豪快で高らかな笑い声が聞こえてきた。


「いやーしっかし今日は本当についてねえなあ、きーくんよ!」

「なんで君まで知ってるのさ」

「細かいことはいいじゃねえの。んで、今日はどんなことがあったんだ?」


桔梗はここで、幽霊との会話が日課になっている。

彼女の名前は青木風信子(あおき かのこ)。

この交差点の地縛霊で、僕の恋人でもある。

この小さい町には珍しい、金髪碧眼の俗にいうギャルという、自分とは真逆の見た目をしているが、こんな自分にも分け隔てなく接してくれている。

芯が強く、優しい彼女との会話は、毎日の他愛ないできごとで溢れ、幸せに満ちていた。


「・・・というわけで、クラスみんなで前原先生の家の桜を見にいったんだ」

「ふーん。あいつらも暇なんだなー。」


テキトーな相槌、でも少しうらやましそうな声で風信子は返した。


「きーくんはいかなかったのかよ」

「俺は・・・別にいいかな」

「んだよ。そんなんじゃいつまでも友達できねーぞ」

「いいよ、友達なんて。」

「僕には・・・」


心に浮かび上がった愛を声に乗せようとしたが、自分の唇は動かなかった。

動かすことが、できなかった。


「大丈夫だよ。伝わってっから。」


情けない自分の手を引くように、彼女は微笑んだ。



彼女は、風信子はここで、この無機質な交差点で命を落とした。

これから鮮やかな色彩で埋めていくはずだった人生のページを、無残にも破り捨てられたのだ。

まだ犯人は捕まっておらず、この町にいるのか、もうどこか遠くへ逃げたのか。

そして彼女が何に未練を感じてこの場所にとどまっているのか。

自分には分からない。

分からないが、目の前に彼女がいることは紛れもない事実なのだ。

だから、天海桔梗は心に決めていた。

彼女を天国に送り届けることを。

犯人捜しよりも、なによりも。

彼女のためになるのは、きっとこれなんだ、と。


「なあ、ちょっと考えてみたんだけどさ」


と、風信子は話を切り替えてきた。

桔梗は返事の変わりに、冷えたお茶を飲むのをやめて、風信子を見つめた。


「あたしの姿って、まわりに見えてねえんだよな?」


そのまま無言で頷く。


「それ周りから変に思われねえか?電柱にでも会話してるみてえじゃねえか」


桔梗は「かまわないよ」と笑うように微笑み、何事もなかったかのようにまたお茶を飲み始めた。


「いやいやいや。お前は良くても、あたしが気にすんだよ。」


しばらくの沈黙のあと、桔梗は硬い口角筋を動かした


「いまさら変人のレッテル貼られたって気にしないよ。」


呆れたように笑う風信子だったが、少し安心した様子だった。




この場所で魔法が使えたら。

ふと、楽しそうにこの国の四季を語る君に微笑みながら、そんな突拍子も無いことを考えている。

雪の降る日には燦々と輝く太陽で雪を照らし、

梅雨の時期には降りしきる雨を雪に変えて。


この場所で魔法が使えたら。

君はもう、四季を存分に感じることはできないのだ。


僕に魔法が使えたら。

僕を残して旅立った君に。

人生という本のページをめくっていくはずだった君に。

君を守ることができなかった自分に。


そんなファンタジーは、ありえないとわかっていても。君がここにいることが、そんな夢をみさせてくれる。

ありえるかもしれない、と。

神様の気まぐれが、もしかしたらあるかもしれないと。


だからそれまで、こんな他愛ない会話を続けよう。

この道で君を救える魔法を、

僕が使えるようになるその日まで。



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