第16話 三度目の再会

 遠慮、か。


 その言葉は重い鉛のようで、ずしりと胸の奥に沈み込む。奥底にしまい込んでいた何かと共鳴するように。


 どうしてあんなことを言い出したのか。なぜ、澪は急に遠慮し始めたのか。何に対して遠慮しているのか。


 俺の優しさ?お節介?それらが負担だったのか?

 でも嬉しいとは言っていたし、その言葉は本音にしか思えなかった。なら、何に?


 考えても分からない。思考は道に迷い、行き着く先のない闇の中で停滞してしまう。


 仕方ない、見方を変えよう。


 行き詰まった時は、見方をやり方を変えてみれば新しいことが分かるときが多い。だから、今回も変えてみる。


 遠慮をして何になる?遠慮をするということはどういうことだ?


 拒否。拒絶。そんな言葉が頭に浮かぶ。だが、澪は俺の申し出自体は嬉しいと言っていたのだから、そのニュアンスは違うと思う。なら、なんだ?

 新たな見方。新たな捉え方。意味の解釈の変化。あらゆる方向から考え進める。


 ……どのくらい経っただろうか。考え続けた末に、澪の発言を一つ思い出した。


『これからは互いにそれぞれやっていこう?』


 ああ、そうか。澪は俺と距離を置きたかったのか。


 一度気づいてしまえば、そのことはストンッと腑に落ちた。カチリッと残り1ピースのパズルがハマるように。ぼやけていた輪郭がはっきりと浮かび上がるように。


 なんてことはない。簡単なことだった。なんだ、いいじゃないか。澪から距離を置きたがっているなら、離れて。

 こっちだって嫌いな奴と関わらなくて済むのだし、せいせいするじゃないか。


 そう心の中で呟いてはみても、晴々とした気分にはなれそうになかった。


(仕方ない。とりあえずプリントを届けにいこう)


 これ以上、澪のことを気にしていても仕方がない。トントンッとプリントを綺麗に揃えて、右手で持つ。シワにならないよう丁寧に持ち運んで、生徒会室へと向かった。


 二度目の生徒会室。扉の前に立つが、少しだけ入るのを躊躇する。

 理由は単純。生徒会長だ。あの人は苦手だし、どうにも俺のことを生徒会へと入れたがっているみたいなのであまり顔を合わせたくない。


 だが、いつまでもここにいるわけにもいかない。それに、生徒会長がいない可能性も十分ある。そう自分に言い聞かせて、扉をノックした。


「失礼します」


「はい、いいよー」


 明るい元気な声。心地いい響きが耳を震わせる。

 最悪だ……。心の中で嘆きながら中へと入った。


「一年四組の成瀬仁です。体育祭の参加希望のプリントを提出しに来ました」


「あ、成瀬くんじゃん!久しぶりー、元気にしてたー?」


 俺の畏まった言動など気にすることなく、天月蘭さんは馴染んだように声をかけてくる。

 にっこりと太陽のような微笑みは相変わらず完璧だ。


「はぁ、まあ、それなりに元気よくやってますよ。これ、プリントです」


「お、ありがとう。昨日配られたはずなんだけど、集めるの早いね。さすが仕事が出来る!」


 労うように俺の方をぽんぽんと軽く叩く。やはり天真爛漫という言葉を体現したようなその笑顔はとても魅力的で、そして歪だ。


「はいはい。もう分かっていますから、その貼り付けたような笑顔はやめてください」


「なーんだ、残念。今回も分かっちゃうのか」


 俺の言葉に天月さんは笑みを消して、つまらなそうにつま先でトンッと床を打つ。

 その姿は少し落ち込んでいるようにも見えて、フォローする意味で言葉を付け足した。


「……まあ、普通の人なら分からないと思いますよ」


「おかしいなー。割とみんなの思う理想の女の子のはずなんだけど。なんで成瀬くんは分かったの」


「完璧すぎるからですよ」


「完璧すぎる?」


「そうです。人というのは不完全な生き物ですから、それが完璧なのは逆に違和感があるんです」


 どんな人だって何かしら苦手なものや、嫌いな部分、欠点などマイナスな所がある。その不完全さこそが人の魅力だ。だから、逆にそれが一切ないのが違和感になる。

 それを避けるために、俺自身は計算して弱みを見せているから気付けたが、普通の人ならそんな視点で人を見ないので、天月さんに違和感なんかは一切抱かないだろう。


 俺の説明に天月さんは瞳を丸くして、驚いたような感心したような声を漏らした。


「……なるほどね。それは盲点だったなー」


「まあ、それは多分俺だから気付けただけであって、他の人はそういう感じ方はしないと思いますよ。それでは失礼します」


 これ以上ここにいても妙な絡まれ方をされるのは目に見えているので、さっさと去ろうとする。

 だが、天月さんは逃してくれなかった。パシッと肩を掴まれる。


「あ、ちょっと待ってよ」


「……なんですか?」


「実は、体育祭のプリントの整理がまだ終わってなくて。成瀬くん、手伝ってくれない?」


「嫌ですよ、大体それは生徒会の仕事でしょう?」


「まあ、そう言わずに、ね?」


 あざとく腰を屈めて上目遣いにこちらを見てくる。そのまま顔の前で両手を合わせた。庇護欲をそそられるようなそんな仕草は、本当に可愛らしい。

 だが、もちろん二面性を知っている俺に通じるはずはなく、断ろうと口を開く。しかしそれよりも前に、続け様に天月さんは言葉を放った。


「さっき私の疑問に答えてくれたお礼。悩んでいるなら聞くよ?」


「悩んでいるとして、わざわざ親しくもない天月さんに話す必要はないでしょう」


「でも、ほとんど赤の他人だからこそ話せることもある?そうでしょ?」


 まったく、本当にやりにくい人だ。確かに澪のことは修や舞にはまだ話せない。それでも、もし誰かに話したいなら、確かに天月さんは理想的だろう。

 彼女の言葉が分かってしまう。理解できてしまう。それゆえに頷くしかない。


「……分かりました。手伝いますよ」


「そう?ありがと!」


 俺の返事に天月さんは完璧な満面の笑みを浮かべた。


 パラ。パラ。パラ。


 紙のめくれる音が耳をくすぐる。軽やかなリズムを刻みながら、紙をまとめていく。天月さんに指示された通りにプリントを並べ替えて、まとめなおす作業が淡々と続いた。


「……それで?何に悩んでるの?」


「人が特定の人に距離を置くようになるのはどんな時ですか?」


「なに?姫乃さんにでも距離を置かれた?」


「なんであいつだと思うんですか?」


「そんなの簡単だよ。君の中で姫乃ちゃんが特別なのはすぐに分かったからね。そんな誰かに相談してまで悩むのは彼女だけでしょ」


「そんなことは……」


 澪が特別?そんなことはない。そんな感情は捨てたはずだ。今はただの幼馴染。それ以上でもそれ以下でもない。


 否定しようと思うが、それより早く天月さんはつまらなそうにぷいっとそっぽを向いた。


「ふーん、まあ、認めないなら別にいいけど。私には関係ないし。それで、確かどういう時に人は距離を置くかだったよね?」


「はい」


「そういうのは成瀬くんだって詳しいと思うけど、嫌われたり苦手になったりしたら距離を置くんじゃない?」


「まあ、そうですよね」


 天月さんの答えは、俺も考えた通りのものだった。

 だが、それらはやはり澪の態度が急変した理由には当てはまらない気がする。求めていた答えは得られなかったか、と残念に思っていると、さらに天月さんは言葉を付け足した。


「どのみち、人の態度が変わるのはそれなりの出来事が起こった時だよ。最近、何かあったんじゃないの?」


 その言葉は晴天の霹靂。だが、確かに言われて思い当たることが一つだけあった。


 俺が結衣と出かけることになった噂だ。

 

 全てが繋がる。おそらく、澪は結衣に遠慮して俺との距離を置こうと思ったのだろう。女子同士の遠慮。それが澪の態度が変化した理由か。


 確かに今のクラスの雰囲気には、俺と結衣がくっつきそう、みたいな雰囲気が流れている。舞や美優はよく話す友達というイメージが、結衣との出かける噂よりも前に広まっていたので勘違いはされない。

 だが、澪の場合は違う。委員が一緒というだけの関係性しかないのだから、過度に優しくされたり一緒に帰っているところを見られると困るのだろう。


 別に気にしなくてもいいのに。そう思わなくはない。だが、澪の態度も納得の出来るものではあった。


 結局、澪の態度の変化は自分の選択の結果だった。俺が結衣と出かけることを選択した結果、澪との距離は離れてしまった。

 行動を起こせば何かが変わる。それが今回は澪だったという話だ。


「ああ、分かりました。色々解決しました。天月さん、ありがとうございました」


「そう?なら、もう帰っていいよ」


「いや、一度引き受けましたし、最後まで手伝いますよ」


「自分一人で出来るから大丈夫。ほら、悩みが晴れたなら帰った帰った」


 しっしっと背中を押されながら、生徒会室を追い出される。

 本当に天月さんは、俺の相談に乗るために、わざわざ誘ってくれたらしい。善意というよりは、借りを返したという感じだろうが。

 それでも理由が分かったのは天月さんのおかげに違いないので、閉まった扉に礼をして、教室へと戻ることにした。


 カツン。カツン。


 静かな廊下に靴音だけが響く。その音は寂しく木霊していた。既に人気はない。それなりの時間が経過しているし、皆部活や帰宅したのだろう。

 夕焼けに照らされた廊下は赤く染まる。その光景がより一層、哀愁を漂わせていた。


(結衣に遠慮してだったのか)


 歩きながら、ポツリと心の中で呟く。すると自分の中にその言葉は改めて沈んでいく。どこまでも深く。


 ……なぜだろう。仕方ないとは分かっていても、やるせないものが胸の内で燻り続ける。


 本当はもう自覚していた。分かっていた。だが認めるわけにはいかなかった。それは自分の気持ちと矛盾してしまうから。それでも、この気持ちはもう誤魔化しようがない。


 そっと小さく息吐いて、唇を引き結んだ。


 認めよう。あの時間は確かに気に入っていた。楽しんでいた。

 最初こそ気まずかったが、それでもだんだんと気まずさは薄れていった。澪も柔らかくなり付き合っていた頃よりも話しやすく、それなりに落ち着いた時間だったと思う。


 認めてしまえば簡単だ。素直に自分の気持ちと向き合える。理解できる。だけど、今更惜しんだとしても、もう遅い。


————変わった関係は元に戻らない。

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