第15話 開いた距離
(昨日の澪はなんだったんだ……)
昨日の放課後見た、彼女の笑顔が忘れられない。あんな泣きそうな笑い方をする澪は初めて見た。一体なんなのか。まったく分からない。
せっかく澪にこだわるのをやめて前を向こうと思ったのに。澪のことが気になって仕方がない。ほんとなんなんだ。
別に気にする必要なんてないのに。ただのいつもと同じ会話をしただけなのに。なんで忘れられないんだ。
はぁ。
小さく息を吐く。張り付いて消えない澪の笑顔を忘れるために。全てを吐き出すように。
でも、もやもやとしたものはいつまでも胸の内で燻り続ける。
「どしたの?仁?ため息なんか吐いて。難しい顔してるし」
どうやら顔に出ていたらしい。不思議そうにきょとんとした表情で隣の舞が覗き込んできた。
「いや、なんでもない」
「そ?恋の悩みなら相談に乗るよ?」
恋、か。そんなわけがない。そんないいものではない。そんなものはとうの昔に終わっている。嫌いな奴相手に恋なんてものが残るはずがない。
気付きたくない何かを振り払うように言葉を吐いた。
「いいや、大丈夫」
「それならいいけど。いつか困ったときはこの恋愛マスター、舞ちゃんに任せなさい」
そう言って舞は自分の胸をぽんと叩く。自信満々なその表情がやけにうざい。
「舞に相談したら失敗しそうだからやめとくわ」
「ちょっと!私、これでも出来る女なんだからね!?」
「はいはい」
不満そうに頰を膨らませる舞を宥める。うがーっと文句を言う姿を見ていると、少しだけ気持ちが軽くなってくる。
そのことに、なんだかんだ舞にも救われてるな、と心の中だけで感謝していると柔らかな声が耳に届いた。
「何話してるの?二人とも」
「あ、美優!おはよ!」
そちらを向けば葉月美優が、ゆらりと黒髪を揺らして立っていた。今朝も部活があったのか、毛先が僅かに濡れ、頰をほんのりと上気して桜色に染まっている。
「おはよう。美優。今朝も部活か?お疲れ様」
「そう。ほんと疲れた。授業、寝ちゃいそうで少し心配」
美優は口を隠しながらふわぁと小さく欠伸をする。
そんな美優の言葉に舞が何やら思うところがあったようで、舞をビシッと指刺した。
「そんなこと言って、美優はいつも真面目に授業受けてるでしょ。私は寝てるのに。この裏切り者」
「それは寝てる舞ちゃんが悪いだけでしょ」
「……はい」
文句を言うも、美優に呆気なく完膚なきまでに反論され、舞は肩を落としてだらんと腕を下げた。そりゃあ、反撃されるだろ。この子、アホなのかな?
しょんぼりする舞を放置して、美優は話を進めてくる。
「それで、二人は何話してたの?」
「ああ、舞が『恋の相談は任せて』って言うから、相談したら失敗しそうっていじってた」
「なるほどね。確かに舞ちゃんは……ね」
中学時代からきっと色々あったのだろう。美優は諦めたような可哀想な子を見る目で舞を見る。
すると舞は、不服そうにムッとしてぽつりと言葉を零した。
「美優まで酷い。ちゃんと相談にのれるもん」
「そもそもに舞ちゃんはまず自分のことでしょ。修くんとの関係をなんとかしたら?」
「……そ、そうだね。あはは。でも、やっぱりそういうのって恥ずかしくて」
美優の言及に、ほんのりと顔を赤らめて照れ笑う舞。
普段の二人を見る感じ、互いに想いあってる者同士なのはなんとなく分かる。だが友人っぽい関係性が強いせいか、本人的にはそういう男女っぽい雰囲気が恥ずかしいのだろう。舞が照れてしまうのも仕方がない。
だが、気のせいだろうか?
一瞬だけ、最初美優に言及された時に、言い淀んだような気がしたのは。
改めて見るが、既に妙な雰囲気はなく、普通の元気な舞だ。快活な笑い、楽しそうに美優と話している。
やはり気のせいか?様子が一瞬だけ変わったように見えたのはなんだったのか、内心で首を傾げた。
「ほら、席に着けー。ホームルーム始めるぞ」
ちょうど良いタイミングで先生も入って来たことで、美優は「じゃあね」と言い残し、自分の席へと戻っていく。周りの人達もそれぞれ自分の席へと戻った。
いつものように出席を取られて、今日一日の用事や今週の出来事、一部の生徒への呼び出しなんかがありながら進んでいく。淡々と。日常を消化していく。
「じゃあ、これでホームルームは終わりだ。何か知らせることがある奴はいるか?」
パタンッと出席簿を閉じながら、付け足すように先生は告げる。大抵の場合はそんな話す人などいないのだが、今日は別だ。
昨日、澪に頼まれた体育祭のお知らせがある。
そっと手を挙げると「はいよ、成瀬」と名前を呼ばれた。一斉に皆の注目が集まる。ドクンッと緊張が込み上げてくるが、深く一呼吸してその緊張を飲み込む。大丈夫、いつものように。
澪の方に視線を向けると、澪もこちらを向いていた。こくりと一度頷いて目配せする。
互いに教壇前にして、澪に昨日もらったプリントを渡す。
「じゃあ、これ、配ってもらえるか?」
「ん、わかった」
澪は首肯して、ゆらりと長い黒髪を煌めかせながらプリントを配っていく。配り終えるのを見守って、説明を始めた。
「えっと、一部の人は知っていると思いますが、7月頭に体育祭があります」
体育祭、その単語に教室が少しざわつく。まあ、入学して初めての大きなイベントだし、期待するのは分からなくはない。実際、俺も楽しみだし。
騒々しくなり始めた声に負けないように、さっきよりも声を張って説明を続ける。
「そこで参加する競技を男女それぞれで決めたいと思います。競技の候補はプリントに記載してあります。今日の帰りのホームルームまでに、希望をそのプリントに書いて、俺か姫乃さんに渡してください」
一気に説明を終えて、自分の席へと戻る。ふぅ、前に立つというのは中学の時から何度かやったが、微妙に緊張するな。
まあ、噛まなかったし成功と言っていいだろう。
「よし、じゃあ他はいるか?……いないな。これでホームルームは終わる。委員長と副委員長はこのプリントを職員室に運んでおいてくれ」
先生のその声と共に、話し声が一気に教室内に広がった。「どうする?」「どれに参加する?」そんな声があちこちから聞こえる。
もちろん、俺たちも例外ではないわけで、修と涼が寄ってきた。
「どうする?2人はどれに参加するんだい?」
修の問いかけに、涼は声を高らかにして胸を張る。その表情はどこか生き生きとしているようにも見えた。
「そんなの決まってる。サッカー部なんだからサッカーだろ。俺は体育祭で活躍してモテモテになるんだ!」
「涼がそれでモテモテになれるかは置いておいて、まあ、確かに修も涼もサッカー部だし、俺としてもサッカーでいいと思うぞ」
「ちょ、ちょっと。俺がモテモテになれるかを置いておかないでよ!そこが大事なんだから」
俺の発言に涼が嘆く。だが、そんなこと言われても、どうしようもない。お前はまずもっと女子と緊張せずに話せるようになってからじゃないと、何も始まらないぞ?
涼の扱いには慣れた修も、少しうんざりした表情でぽんっと涼の肩を叩く。
「はいはい。とりあえず、じゃあ、僕達はサッカーでオッケー?」
「うん」
「俺もそれでいいと思うぞ」
互いに頷き合ったところで、澪がプリントを運ぼうとしているところが目に入る。
(あっ、忘れてた)
さっきの先生の発言でプリントを職員室に運ぶように言われていたことを思い出す。つい、修達が来たことで忘れてしまっていた。
「あ。悪い。やること思い出した」
「え、どうしたの?」
「委員長の仕事忘れてたわ。少し手伝ってくる」
それだけ言い残して急いで澪の元へと駆け寄る。流石に仕事をサボって人に押し付けるのはまずい。しかも力仕事なら尚更だ。
澪に声をかけながら、プリントを受け取ろうと手を差し出す。
「悪い。澪。一人で運ばせて。俺も運ぶ」
「ありがとう。でも、大丈夫」
「いや、一応俺の仕事でもあるし、手伝う」
「……じゃあ、次の時は仁が運んでくれる?今回は私が運ぶから」
前にプリント運びを手伝った時も、最初は拒否していたが最終的には一緒に運んだ。だから、今回も一緒に運ぶと勝手に思っていた。
……だが、返ってきた答えは全く違うものだった。
澪の言葉に、置いていかれたような寂しさが僅かに胸の内に湧く。だが、それはすぐに心の奥底にしまい込む。
別にいいじゃないか。何を気にしているんだ、俺は。嫌いな奴と一緒に運ばなくて済むのだから、これほど良いことはない。こんな孤独感にも似た感情など抱かなくていい。
澪のその返答は自分に取って望むものだ。それゆえに俺は頷く。
「……ああ。それならいいけど」
「ん。その……手伝おうとしてくれたのは嬉しかった。ありがとう」
少しだけ目を伏せ、それだけ言い残して去っていく。その後ろ姿に何も言うことは思いつかず、ひたすら黙ったまま見送り続けた。
僅かに重くなった足取りで、自分の席へと戻る。とぼとぼと歩いて席につけば、涼が声をかけてきた。
「あーあ。ナンパは失敗?もしかして姫乃さんに振られちゃった?」
「うるさいな。そもそもに振られてないから。それと勝手にナンパ扱いにするな」
「あれ?おかしいな?仁はナンパばっかりしてるって聞いたのに」
「おい。それ絶対聞いた相手、舞だろ」
「よく分かったね!」
ったく。あいつはどこまで俺を女好きにさせたいんだ。
冗談なのは分かっているが、相変わらず碌なことをしない舞に呆れてしまう。心の中で悪態をついていると、チャイムが鳴って1時間目が始まった。その音の合図と共に涼と修は「じゃあね」と戻っていく。
自分も席に座って授業の用意を進めた。
放課後、帰りのホームルームで教壇の前に立つ。そのままプリントを回収するため、みんなに呼びかける。
「朝も言った通り、渡したプリントに参加希望の種目を書いて、男子は俺、女子は姫乃さんに渡してください」
俺の声かけに応じて、みんなそれぞれプリントを渡してくれる。それを出席番号順に揃え整理しながら受け取っていく。
「ありがとうございます。一応言っておくと、まだ参加希望の段階なので、選択した競技で出られない可能性もあるので、よろしくお願いします。以上です」
無事プリント回収も済み、あとは淡々と進み帰りのホームルームが終わった。
皆が帰り始め、教室の中の人数が減り始めた頃、澪が受け取った女子のプリントも貰うため、澪に声をかける。
「澪、プリント預かる」
「はい、これ。じゃあ、今朝も話したけど、提出は仁に任せても良い?」
「ああ、生徒会に出せばいいんだよな?」
「うん、昨日そう言ってた」
「りょーかい」
「ありがとう」
「まあ、今朝は澪に運んでもらったしな」
「そうだね……」
少しだけ何かを言いたげに語尾が後を引く。その様子の変化に少しだけ首を傾げる。声をかけると、澪は瞳を僅かに揺らした。
「どうした?」
「……仁」
「なに?」
真っ直ぐに何か覚悟した真剣な瞳がこちらを向く。その瞳は透き通るように綺麗で、いつもよりも光が強いような気がした。
「これまで、何度も助けてくれてありがとう」
「あ、ああ。なんだよ、改まって」
やっと最近は澪に感謝の言葉を伝えられるのが慣れたとはいえ、こんなに畏まって言われると流石に少し恥ずかしかった。
「今朝プリントを運ぶのを手伝おうとしてくれたのは嬉しかった。けど、もうプリント運び以外にも、帰り一緒に帰ったりとかも心配してくれなくて大丈夫だよ。これからは互いにそれぞれやっていこう?」
「……どうしたんだ、急に」
突然の言葉には戸惑いを隠せない。動揺。混乱。頭の中で感情が形を成さないままぐるぐると回り続ける。
「これまで仁に頼りきりだったから。でも、これからは助けてくれなくて大丈夫。きちんと私1人でやっていけるから。心配してくれるのは嬉しいけど、もう大丈夫」
「……そうなのか?」
「うん、これまでありがとう」
澪からここまではっきりとした意思の言葉を聞くのは初めてだ。それだけ確固たる想いがあることはすぐに分かった。そんな言葉を言われては、頷くしかない。
「……ああ、分かった」
「うん、じゃあ、プリントの提出はよろしくね」
「おう」
澪は唇をきゅっと引き結んで、視線を最後までこちらに残しながら、身体を俺から背けた。
そのまま自分の足跡を残すように教室を出て行く。
その後ろ姿が見えなくなるまで呆然と眺めて、自分の席へと戻る。プリントを机に預けて、一気に座り込む。
そして全体重を背もたれに預けるようにして、はぁっと大きく息を吐いた。
なんなんだよ。一体どうしたんだ……。
最近は「ありがとう」と言われることも多くなって、そのことについては段々と慣れてきた。その点で言えば今日の澪はいつもと変わらない。
だが、本当に全く普段通りの澪だっただろうか?俺が違和感を覚えているのは何かの勘違いか?
コツン。コツン。
意味もなくシャーペンの先で机をノックしながら思考に耽る。脳裏には見送った澪の後ろ姿が描かれ続ける。
これまでにも澪を手助けしたことが何度もあった。そしてその度に、手伝う申し出を述べ、彼女から色んな返事をもらってきた。
刺すような冷たい言葉。淡々とした断り。弱さを隠す強がりのための拒否。そんな言葉が必ず一度は挟まれたが、最終的には澪は承諾してくれ、俺は手助けしてきた。
だが、今回は違う。
そんな酷い言葉は投げかけられていないし、淡々とした刺々しい言葉も吐かれていない。むしろ、俺の手伝う申し出には感謝された。
彼女が口にしたのは、やんわりと遠ざけるような、そんな意図を持った言葉だ。
はっきりとした輪郭はなく、曖昧にぼやけた拒否。それを人はなんというのか?
『遠慮』
頭の中に浮かんだその言葉に、俺は握ったペンを落とした。
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