第三章

第10話 新しき出会いはまた絡まる

 今はもう思い出したくないことだが、中学2年から3年の夏にかけて幼馴染の姫乃澪と付き合っていた。


 一年以上付き合っていればそれなりに思い出はあるわけで、雨の日にも一つ、懐かしい思い出というものがある。


 雨に関する恋人のイベントと聞いて最も想像するイベントはおそらく相合傘だろう。

 漫画しかり、ラノベしかり、ドラマしかり、古今東西様々な物語で、相合傘というイベントは扱われているので、知らない人はいない。


 誰でも一回は異性との相合傘に憧れるように、例に漏れず俺も相合傘というのに憧れていた。

 普段以上に近い距離で触れ合ったり、あるいは互いにときめいたりすることを期待していたのだ。


 今思い出すだけでも恥ずかしすぎる。どんな恋愛脳だ。今すぐにでもあの時の記憶を消し去りたい……。

 ま、まあ、そんな期待に胸を膨らませていた中学生の俺にとうとう相合傘のイベントは訪れた。あれは中二の6月の時だった。


「どうした?傘ないのか?」


「……うん、朝は晴れてたから」


 放課後いつのように一緒に帰ろうとした時、澪は傘を持ってくるのを忘れたらしかった。梅雨入りしていたが珍しく朝晴れていたことで忘れたのだろう。


「一緒に入って帰るか?」


「別にいい。走って帰ればいいし」


「濡れて風邪引いたらどうするんだ。いいから、入れって」


「……分かった」


 そっと澪の細い体が自分の方へと近づいて傘の中へと入ってきた。それだけで身体が熱くなった。緊張と嬉しさで頭の中が真っ白になった。あの日のあの緊張は未だに忘れない。

 相合傘をすれば幸せな時間が過ごせると思っていたが、そんなことはなかった。結局、何も話すことなくただ黙って帰っただけだった。澪はずっと俯いていたのであまり表情は見えなかった。


 あの時誘った理由の一つには、確かに相合傘というものに憧れていたという理由がある。だがそれだけではない。一番大きな理由は澪のことが心配だったたからだ。困っている幼馴染というのを見捨てておけなかった。


 あの時、俺は良いことをしたと思っていた。困っていたのを助けてあげた、そう思っていた。


 だが、今思い返せば、ただのお節介だったのではないだろうか。


 せっかくのカップルになって初めての相合傘だというのに特に嬉しそうにもしていなかったし、花火大会の時みたいに感謝も言われなかった。ひたすら無言で黙々と歩き続けて帰っただけだった。


————あの時、澪は本当はどう思っていたのだろうか?


 そっと窓の外を眺め続ける。しとり。しとり。小雨がずっと続いている。

 珍しい雨のせいで昔のことを思い出してしまった。どうにも、最近澪との昔のことを思い出すことが多い。かぶりを振って囚われそうになった過去を追い払う。


「……おーい、仁。大丈夫ー?」


「あ、ああ、悪い。ぼおっとしてた」


「仁ってたまに抜けてるところあるよね」


 少し心配そうな視線を向けてくるのは、清水涼。

 サッカー部に所属していて、修繋がりで話し始めたのがきっかけなのだが、なかなか面白い奴でよく話す。

 顔は割と整っているし、かっこいい部類に入ると思うのだが、なにせ行動が一々小動物っぽいというか、いじりがいがあって飽きない。


「抜けてるって……。涼、お前だけには言われたくない」


「なんで!?」


「靴下左右バラバラだぞ」


「え、嘘!?」


 足元からのぞく靴下を指差してやると、涼は慌てたように確認した。


「あはは、また、やらかしたの涼」


 修も涼の靴下が左右でバラバラなのを見て、呆れたように笑う。

 俺が出会ってからは初めてだったが、どうやら中学の時にも同じようなことがあったらしい。笑いに包まれた雰囲気の中、そっと息を吐いた。


 入学から10日ほど経った。ここまで時間が経てば段々と集まるグループというのが出来てくる。

 静かなグループ。男子だけで話しているグループ。女子の小さなグループや、大きいグループ。そして男女混合のグループ。俺も修や涼、舞達のいつメンのグループで話すことが多くなった。なかなか楽しいメンバーで知り合えてよかった。


 周りを見渡すようにゆっくりと首を動かす。

 

「大体みんな、クラスに馴染んできたよな」


「そうだね。4月も半分過ぎたしそろそろ慣れてくる頃だと思うよ」


 うんうん、と修は首を縦に振る。


「ああ、俺も授業に慣れてきたせいかいつも寝そうになる」


「寝そうになるどころか、仁は初日から寝てたでしょ。授業初日に怒られているのは衝撃的過ぎて、未だに覚えてるから」


「おい、うるさいぞ、修。そのことはもう忘れろ」


 修にジト目で見つめられ、ぷいっとそっぽを向く。だって仕方ないだろ。ご飯食べた後は眠くなるに決まってる。あの満腹感に包まれるとどうにも眠気に勝てない。だから仕方ないのだ。


「あー、あれね。俺も覚えてるよ。あの時はまだ仁とは話してなかったけど、凄いやついるなって思った!」


「涼まで……」


 まさか涼にまであの時のことを覚えられていたとは。もしかしてかなり悪目立ちしていたのだろうか。自分ことを少しだけ心配になっていると、涼が何かを思い出したように、声を上げた。


「あ、凄いやつといえば、うちのクラス、学年で結構有名になってるらしいよ」


「そうなのか?」


「そりゃね。入学成績でも1番、2番がいて、両方とも美男美女。他にも俺と仲良い中学から有名だった修と舞と美優でしょ。あとは愛月さんと胡桃さんとかも、可愛いって話になってる」


「なるほどな」


 そう言われると、確かに見た目という意味ではこのクラスはレベルが高い。


 いつも一緒にいる修がイケメンなのは言わずもがな。舞も普段のふざけた感じで忘れがちだが、可愛いのは間違いない。美優はすらっとした美人で噂になるのも頷ける。

 澪も、まあ、見た目だけはいいので、学業の成績とも相まれば、話に上がることはあるだろう。


 あとは愛月さんと胡桃さんか。

 ちらっと2人のいる方に視線を送る。2人は仲良さげに周りの女子達と話していた。


 愛月華。黒髪のセミロングの髪を揺らし、ぱっちりとした少しつり目の瞳が印象的な人た。

 もう1人は胡桃結衣。こちらは明るめの茶色のロングで快活な雰囲気を纏っている。少し派手目な化粧だけど女の子らしい。


 2人はこのクラスでも1番大きな女子のグループを作っているので、存在自体は知っていた。

 だがそこまで意識したことはなかったので改めて眺めると、2人は多くの取り巻きと一緒に、楽しそうに笑いながら話していた。


 少し長く眺め過ぎたのか、涼が不思議そうに首を傾げた。


「誰見てんのー?あー、胡桃さん達のグループね」


「ああ、あんまり意識したことはなかったから、どういう感じなのかと思ってな」


「あの2人も結構仲良いよね」


「そうだな。確か、2人は別の中学だったよな?」


 初日の自己紹介が正しければ、2人は別の学校だったはずだ。胡桃さんは修達と同じ中学。愛月さんは県外だった気がする。


「うん。だよね、修?」


「そうだね。胡桃さんは僕たちと同じ中学だけど、愛月さんはいなかったから別の中学のはずだよ。あのグループの大半は僕たちと同じ中学出身だから、愛月さんがその仲間に入った感じじゃないかな」


「そうなのか……」


 つまりそれは俺と同じく、周りがほとんど知らない人達の中で、あそこまで溶け込んだことを意味する。自分と似た境遇に、少しだけ親近感が湧いた。


「そういえば、あんまり舞が胡桃さんと話してるところは見ないな」


 舞の交友関係の広さで、しかも同じ中学ならそれなりに話しそうなものだが、不思議と見たことがなかった。どちらかといえば澪と話しているところのほうが何度か見たことがある。


 俺の質問に修はなぜかしみじみと頷いた。


「あ、それね。僕もあまり詳しくは分からないけど、きっと舞はハブられているんだよ。化粧が下手で同じ女子として相手にされてな……」


「化粧がなーにかな?」


「っ!?」


 後ろから声をかけられて慌てて振り向く。そこには濁った目をして冷たく笑う舞がいた。いつの間にか隣の席に戻ってきていたらしい。


「お、俺は何も言ってないぞ。言ったのは修だ」


「俺も何も知らないよ。修が言ってたんだよ」


 舞の怖さに俺と涼はぶんぶんと首を振る。それに舞は一度首肯して、修と向き合った。


「修?なにか弁明はある?」


「何もないです」


 深々と頭を下げる修。プライドも何もなく、イケメンが台無しだ。でも、舞のほうが怖いもんね。仕方ない。


 そんな修の姿に舞は、はぁ、と一度ため息を吐く。


「まったく。化粧が下手だったのは最初だけだから。胡桃さんと話さないのは、そもそも関わる機会がなかっただけ」


「そうなのか?」


「うん、別に嫌ってるわけじゃないよ。そもそもに話す機会がなかったし、向こうが少し私のことは苦手みたいだから」


 舞はそう言いながら、困ったように眉をへにゃりと下げて笑った。


 まあ、確かにあれだけ女子っぽい人と舞はあまり合わないだろう。舞はどちらかといえば、男女分け隔てなく話すタイプなので、その辺りも理由なのかもしれない。

 人としての相性の問題なら、互いに近づかないのも致し方ない。


「もうすぐ昼休み終わるよ。修と涼も席に戻ったら?」


「あ、もうそんな時間?じゃあね」


「ばいばーい」


 修と涼は弁当箱を持って自分の席へと戻っていく。その後ろ姿に舞はあることに気付いたらしく、クスクス笑った。


「あ、涼。その靴下お似合ってていいね。前回よりお洒落だよ」


「え、そう!?」


 振り向いた涼は、どうやら言葉通りに受け取ったらしく、ぱぁっと顔を輝かせる。おい、単純か、お前は。思わずつっこむ。


「いや、からかわれてるんだぞ。気付け」


「え!?そうなの!?」


「うん、そう。ごめんね、ぬか喜びさせちゃって」


 ぺろっと舌を出して、お茶目に笑う舞。涼は「ひどい……」と言い残し、分かりやすくしょぼんと落ち込みながら戻っていった。


 ちょうど昼休みの終わりを告げるチャイムも鳴り、クラスみんながそれぞれ授業の準備を始める。俺も周りに倣って用意を進めていく。


 胡桃結衣さんと愛月華さん……か。

 さっき話していたことを振り返る。結局2人がどういう人なのかは分からなかった。見た目だけでいえばとても整っていると思うが、どんな人かまでは分からない。

 ここまで関わることはなかったので、分からないのは当たり前だ。だが、もちろん同じクラスにいればいつかは関わる時がくるだろう。


————だが、それがまさか今日だとは思いもしなかった。


「ねえ、少しいい?成瀬くん」


 授業が終わった放課後、胡桃結衣が話しかけてきた。

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