第7話 人間は不完全だから美しい
「は?」
「おい、聞こえてたか。今日のこの後の放課後だぞ」
「わ、分かりました」
なんということだ。まだ仕事があったなんて最悪だ。澪と一緒なんて気分が滅入る。だがどうしようもない。まさか初日からサボるわけにもいかないし。
渋々ながらも、帰りの準備を整えていく。カバンに教科書や今日出された課題を詰めて机の中を空にする。用意も終わったところで顔を上げると、修が荷物を持ってこっちに寄ってきた。
「なんだ、仁。この後もあるの?お疲れ」
「労うくらいなら代わってくれ」
「残念。この後は部活の体験会があるんだ。あーあ。本当なら一緒に行ってあげたかったなー」
わざとらしく肩を落として見せる修。棒読みで演技は下手くそか。このあからさまな落ち込み様、煽っているに違いない。
「ったく、絶対行く気ないくせに」
「残念、バレてたか」
少しだけ目を鋭くして睨めば、修は反省などおくびにも出さず平然と、にひっと笑って流してくる。
ただからかわれるのも悔しいので、もう少し何か仕返してやろうか考えていると横槍が入った。
「もう、修。早く行かないと部活始まるよ」
「あ、悪い。そろそろ時間か」
舞の声かけに修が慌てて荷物を肩に担ぐ。重そうなそれには、おそらく部活の道具が入っているのだろう。大変そうだな、と見守っていると、舞が少しだけ真面目な表情でこちらを向いた。
「あ、仁。委員会に新しい可愛い子がいたからってすぐにナンパしちゃダメだからね?」
「やらねえよ。俺を勝手にナンパ師にすんな」
「はーい。実は仁がやらないのはわかってるんだ。でもあえてこうやって人がいるところで注意をすることで、周りからそういう人だと思わせる作戦なのです」
キリッとキメ顔で敬礼してくる舞。だから、この子はなんでそんな恐ろしいことを考えちゃうのかな?
「うん、とりあえず、俺の高校生活を終わらせようとするのはやめようか」
もはや定番になりつつあるボケとツッコミに笑いを零しながら注意すると、舞は「はーい」と敬礼を収めた。
まったく。澪とこの後、顔を合わせることに気が滅入っていたが、少しだけ調子が戻った気がする。まあ、俺が受けた悪影響を考えれば、絶対感謝しないけど。
「じゃあね、仁!」
「またな、仁」
「ああ、2人とも部活頑張れよ」
フリフリと手を振って教室を出ていく。修と舞はサッカー部に入るらしいので、おそらく校庭の方へ行くのだろう。
美男美女でなんとも羨ましい。まだ3日しか話していないのでそこまで分からないが、なんとなく2人は互いに気があるような感じがする。
まだ付き合ってはいないようだが、時間の問題だろう。高校が始まって既に相手がいる奴もいるというのに、なんで俺は……。
はぁ、とため息を吐きながら、この後の顔合わせが行われる会議室へと向かった。
会議室には既に何人もの人が座っていた。どうやら、クラスごとに座るらしく、一年四組の席が2つ用意されている。空いていた一つの席に座って待つ。すると隣の椅子が引かれる気配を感じた。
ちらっと視線を上げる。そこには気まずそうに顔を歪める澪の姿があった。
ぱちりと目が合い、慌てて目を逸らす。
ほんと、なんで俺はこいつと放課後一緒にいるんだ。片や、仲良く同じ部活で楽しそうに放課後過ごしているのに、どうして俺は気まずい別れた元カノと一緒にいるんだろうか。考えたところで仕方のないことだが、どうしても気にせずにはいられない。
澪はストンと隣に座るが、黙ったまま。居心地の悪い沈黙が俺と澪の間に漂う。
別に嫌いな奴であるしこのままでもいいのだが、今後のことを考えると互いに無視し合うのは仕事に差し支える。そう思い声をかけた。
「これから、よろしくな」
「!?う、うん、よろしく」
声をかけた瞬間、驚く気配が隣から伝わってきた。まあ、半年間無視し合ってきた相手から声をかけられたのだから驚くのは無理はない。だが、話しかけた効果はあったらしく、少しだけ気まずさは減った気がした。
軽くなった空気にほっと胸を撫で下ろして待つと、前の扉がガラガラと開き、40代くらいの男の先生が入ってきた。
「あー、じゃあ、1回目の委員会議を始める。今日はとりあえず自己紹介して顔合わせをして終わりだ。最後に今後の学校行事の予定表を配るので、明日クラスの人に渡すように」
おそらく担当の先生なのだろう。慣れた様子で進めていく。それぞれが軽く自己紹介をするだけなのでそこまで難しいことじゃない。淡々と特に何も起きることなく終わった。
「じゃあ、最後に天月。生徒会長として挨拶してくれ」
「はーい」
朗らかな返事と共に、唯一見知った先輩が前に立つ。明朗快活、太陽のような笑顔で天月蘭はさらりと黒髪を揺らした。やはり完璧な立ち姿。
そんな天月さんは教室を見渡すように顔を動かし、ぱっちりと一瞬だけ目が合う。するとどこか薄く目を細め、楽しげに口元を緩めた。だがすぐに元の晴れやかな笑顔に戻った。
「新入生はまだ知らないと思うので、一応自己紹介。天月蘭です。生徒会長をやらせてもらっています。各行事では皆さんに手伝ってもらうことがあると思うので、その時はよろしくお願いします」
丁寧な言葉遣いではあるが、距離は感じさせない親しみやすさのある声。ゆっくりとでもはっきり聞き取れるように話していく。
まさに完璧な挨拶。最初の掴みとしては文句の付けようがない。
既に上級生は彼女の人となりを知っているのか、仕方ないな。やってやるか。みたいな雰囲気が漂う。そんな空気は大きく一年生をも飲み込み、自然とやる気を出させた。
「天月、ありがとう。まあ、天月も言っていた通り、この後の行事では色々手伝ってもらうことがあるので覚えておくように。それじゃあ、今日はこれで終わりだ。帰っていいぞ」
先生の締めと共に、ぞろぞろと教室を出て行く。途中何人かが「会長さん、凄い美人だよねー」「それね、美人だけどカッコ良かったー」と話す声がちらちらと聞こえた。
俺も帰ろう。そう思い席を立とうとすると、天月さんがにこやかに微笑みながらやってきた。
「やっほー。入学式の時以来だね。成瀬くん。姫乃さん」
「お久しぶりです」
「うんうん、久しぶり。2人ともクラスで委員長と副委員長になったんだね。まあ、あれだけ成績が優秀なんだから推薦されたのかな?」
「まあ、そんなところです。それで何か用事でもあったんですか?」
なんとなく天月さんのことが苦手で、先回りして話題を切り出す。別にいい人だと思うし、実際話しやすいのだが、何故か違和感が付いて離れなかった。
「あ、うん。さっき前でも話したんだけど、生徒会は人手不足で、行事のたびにこうやって各クラスの委員長達に手伝ってもらってるの。そこで、せっかく関わりがあるし、生徒会に勧誘しようかなと思って」
なるほど。一応は納得できる。生徒会の仕事を具体的に把握しているわけではないが、わざわざやろうとする人がそうそういるとは思えない。
人手不足というのは本当なのだろう。
「どう、成瀬くん。姫乃さん。やってみない?」
「いえ、私は他にやることがあるので……」
俺が口を開くよりも先に、澪が断りを入れる。控えめな声で申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。
「あー、そっかー。それは残念」
「では、失礼します」
澪はそのまま戻っていった。その後ろ姿を見守り、天月さんは改めてこちらを向く。眩い双眸が俺を捉えて離さない。
「どう、成瀬くんはやってみない?」
「いえ、俺も遠慮させてもらいます」
「そっかー。それは残念」
天月さんは分かりやすく落ち込んだように肩を落とした。だがすぐに顔を上げた。
「ねえ、気のせいだったら謝るけど、もしかして私のこと苦手だったりする?」
いつもの眩い笑顔のまま変わらない。だが確かにその瞳には見透かすような色に変わった気がした。
「……まさか。ただ生徒会には興味がないだけですよ」
極めて冷静に声の調子を整える。跳ねた心臓を落ち着かせ、嘘が悟られないように。
上手く返せたつもりだった。だが天月さんはじっと俺のことを見つめ、そしてクスッと声を漏らした。
「やっぱり、成瀬くんは私が分かるんだね」
「どういう意味ですか?」
「意味なんてないよ。言葉のまま。成瀬くんはもう分かってるんでしょ?」
「……分かりませんよ」
楽しそうにでも淡々と語る天月さんが怖い。ぞくりと背中に悪寒が走る。天月さんはただ微笑んでいるのに、その笑顔は獰猛な動物の狙いを定めた笑みにも見えた。
「またまたー。最初会った時から他の人とは違う視線を向けてくるなとは思っていたんだけど。勘違いじゃなかったみたいだね」
作りものとは違う表情で、クスクスと笑いながら本当に楽しそうに話す。そのままひとしきり笑い終わると、薄く目を細めて、興味深そうに見つめ直してきた。
「うん、ますます成瀬くんに興味が出てきちゃった。それだけの勘の良さ。いや、観察力かな?本当にすごいね」
「それはどうも。でも生徒会には入りませんよ」
「まったく、そこまで断らなくても。生徒会に入ってくれたら、成瀬くんの相談にも乗るのに。お姉さん、お話聞くよ?」
にこっと色気を孕んだ声が耳をくすぐる。あえて作られた上目遣いは、分かっていたとしてもとても魅力的だった。
「それこそ遠慮しておきます」
はぁ、と息を吐きながら断る。天月さんが隠す裏側がなんなのかは分からない。ただ、完璧な姿が消えた天月さんは、さっきよりも幾分かは苦手意識が弱まっていた。
「……しょうがない。今は諦めるよ。でも、困ったら相談してね。姫乃さんとのこととか」
「っ!?」
思わず、驚きの声が漏れ出る。動揺に冷静さは一気に吹き飛んだ。
天月さんはそんな俺の様子を見て、きらりと瞳を輝かせた。
「ふふふ、やっと本当の成瀬くんが見えたかな。うん、今はその表情が見れただけで満足してあげる。でも、いつでも生徒会に入りたくなったらおいで」
「入りませんよ」
「……さて、どうだろうね」
真剣な表情で真っ直ぐに視線が交わる。そして彼女は含んだように微笑んだ。それはまるで未来を見ているようで居心地が悪かった。
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