第8話 嫌いな奴にでも良いところはある

「とりあえず今日は失礼します」


「はーい、またね」


「出来れば会いたくないですけどね」


 またね、ということはもう一度会うつもりなのだろう。そのことに思わず顔を顰めてしまう。


「あはは、結構嫌われちゃったかな。まあ、また会った時はよろしくね」


「……はい」


 ここで拒否してもさらに絡まれそうで、渋々頷く。それがさらに面白かったのか、天月さんは満面の笑みを浮かべた。そんな表情から目を背けて、自分の教室へと戻った。


 人気も減り、静かな廊下。カツカツと自分の足音だけが響き渡る。既に日は傾き、斜陽の光が窓から床を照らす。まだ4月も上旬なので、日が沈むのは早いのだろう。寂しげな雰囲気の中、歩き続ける。


(妙なことになったな……)


 天月さん。生徒会室で初めて会った時から違和感はあったが、本当に裏の姿があったとは。


 人は誰しも他の人には見せない面というものを持つので、彼女に裏の姿があること自体は不思議ではない。

 ただその裏の姿を違和感程度にしか感じさせないほど完璧に隠せていることが驚きだ。普通は二面性というものはどこかで必ずボロが出るものだし、出なかったとしても裏の姿の片鱗は滲み出るものなのだ。それが全くない。そのことが恐ろしい。


 あれほどの完璧な姿の裏に彼女は何を隠しているのだろうか。色々な可能性が駆け巡る。怯えた自分。嫌いな自分。怒りっぽい自分。冷めた自分。どの可能性でもやはり表の姿に片鱗は見えるはずだ。

 それがないということはつまり……。いや、これ以上はやめておこう。知る必要はない。


 人それぞれ歩んできた過去があるから今の姿がある。きっと天月さんも何かしらの想いがあって、完璧な姿を体現させているのだろう。

 隠した裏を知るということはその過去に踏み込むということだ。それが出来るのはその覚悟を持った者だけ。覚悟がないうちに触れても互いに傷つけ合うのみ。そんなことは天月さんも望んでいないだろう。


 なぜ彼女が俺に興味を持ったのか。俺が彼女の裏に気付いたからか。あるいはそれ以上の何かに期待しているのだろうか。理由は分からないし、考えても全て想像にしかならない。なので今は考えたところで不毛だ。


 気になることは沢山あるが、とりあえずは頭の片隅に追いやる。少なくとも、今すぐどうこうなる問題ではないので、その時になったらまた考えるとしよう。


 気付けば既に教室の前に来ていた。中にはもう誰もおらず、がらんと静寂が漂っている。そんな静けさの中、貰ったプリントなどをまとめてリュックにしまっていく。そのまま荷物とまとめ終わり下駄箱へと向かった。


「はぁ、疲れた」


 靴を履きながら今日一日の出来事を振り返る。澪と委員長をやることになったかと思えば、放課後まで一緒に過ごすことになるし、さらには天月さんにまで絡まれて。もう散々だ。

 色々な出来事がありすぎた。こんなに連続で起こると流石に精神的疲労が溜まってくる。思わずもう一度ため息を吐いていると、カツンと後ろから足音が聞こえた。


 誰だろうか? 後ろを振り返る。そこには俺と同じようにリュックを背負った澪がいた。

 

 夕暮れで薄暗い中、彼女の黒髪はまるでシルクのように滑らかに煌めく。陶磁ような白い肌、赤く熟れた果実のような唇。そしてぱっちりとした二重の瞳。幻のようで儚い雰囲気が澪の周りを包む。


 そんな澪はこっちを見て、驚いたように目を丸くし足を止めていた。


「まだ帰ってなかったんだな」


 天月さんとそれなりの時間話していたので、もうとっくに帰ったものだと思っていた。


「……うん、先生に今日の授業のことで気になるところを質問していたから」


「そうか。相変わらず勉強してるんだな」


「別に、いつも通りやってるだけ」


 相変わらずの淡々とした返事。愛嬌や可愛さとは無縁な無愛想さしか感じられない言い方。変わらないな、と思いつつ、ふと気になった。


「なんで勉強、そんなにしているんだ?」


「それは……」


 なぜか言い淀む澪。何か含んだような視線をこっちに向けてくる。


「あ、いや、いいや。なんでもない」


 何を聞いているんだ、俺は。自分の咄嗟の行動に戸惑うしかない。

 嫌いな相手にわざわざ質問を投げかけて何がしたかったのか。別に今さら澪が勉強にこだわってやる理由なんてどうでもいい。もう終わったんだから。

 知ったところでどうにもなりやしないし、何かが変わるわけではない。わざわざ会話を増やしてまで聞くことではなかった。

 

 それ以上かける言葉が思いつかず、前を向く。玄関から見える外は既に薄暗くなっていた。夕日はとうに沈んでいて微かに西の方の空が茜色に染まっているのが見える。黄昏時の空模様はほのかに哀愁が漂っていた。


 きっと澪がいるせいだろう。ふと懐かしい中学時代の帰り道を思い出した。


 元々示し合わせた訳でもないが、いつからか澪とは自然と一緒に帰っていた。きっかけは分からない。多分仲が良いその延長で一緒に帰っていただけだと思う。

 ただ、中学に入ってからは澪のことを心配していた部分が大きかった。こんな奴でも見た目は良いわけで、ストーカーや声かけなんかに巻き込まれるかもしれない。そう危惧して一緒に帰っていた。


 当時のことを思い出して、ふと後ろにいる澪のことが心配になる。


 自分の知り合いの女の子がこの暗い道を1人で帰るのは気がかりだ。例え嫌いな奴であろうと、酷い目に遭わされるのは可哀想だという気持ちが湧く。これでも一応は幼馴染だ。それは別れたところで変わらない。

 放置して、いざ澪が何かに巻き込まれた時のことを考えると無視できなかった。それにどうせ同じ道を帰るのだから合理的だ。そう自分に言い聞かせて澪に声をかけた。


「もう帰るんだろ?」


「うん」


「一緒に帰るか?」


「……なんのつもり?」


 警戒を露わにした声。まったく、相変わらず可愛げがない。なんでこんなのが良いと思っていたのかほんとうに不思議だ。まあ、慣れているし、今さらどうとも思わないが。


「夜なんだから危ないだろ」


「別にいい」


「ダメだ。お前も一応女子なんだから気をつけろよ。それにどのみち同じ道を帰るんだから、別々に帰る方が面倒だろ」


「……ほんと、余計なお世話」


 真っ直ぐ見つめ真剣に心配すると、戸惑うように瞳を少し大きくする。そのままどこか思い詰めるような声でそう零して俯いてしまう。


 だが、何かに駆り立てられるようにまたゆっくりと顔を上げてこっちを見てきた。


「…………」


 言いにくそうに透き通る綺麗な瞳をほんのりと揺らしているので首を傾げると、少し困ったように視線を彷徨わせる。

 居心地が悪そうにもじもじと身体を揺らし、眉をへにゃりと下げて何度かこっちを見てはまた目を逸らす。


 その様子から何か言いたげなのは伝わってきたのでそのままじっと待つと、意を決したのか俺を真っ直ぐ見つめ返してきた。


「…………余計なお世話だけど……でも、心配してくれてありがとう」


 消え入りそうなほど小さな声でそれだけ言い残して、ぷいっと俺に背を向けて歩き出した。


 素直に礼を言ってくるなんて。澪の意外な行動に驚き一瞬固まってしまう。まともに話すのも半年ぶりなので、礼を言われるのもそのくらいしばらくぶりだ。


 どういうことだ?わけが分からん。これまで礼を言われたことなんて数えるほどで、それが今更になって言われるとは思っでいなかった。澪の行動が理解出来ず、呆然と混乱が心中を満たす。


 ただ、例え嫌いな奴からの言葉だったとしても、素直に澪から感謝の言葉を言われるのは悪くなかった。


 戸惑いながら、揺れる黒髪の後ろ姿を追いかけた。

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