第二章

第6話 絡まった運命は解けない

 今はもう思い出したくないことだが、中学2年から3年の夏にかけて幼馴染の姫乃澪と付き合っていた。


 あいつはいつも冷たく素っ気なかったが、「ありがとう」と助けてもらった時に礼を言ってきたことがある。

 好きな人からのありがとうは心を浮き立たせるには十分なもので、当時の俺はその言葉がとても嬉しかった。


 特に花火大会の時のことはとても印象深く、今でも鮮明に覚えている。


 まだ付き合う前の中学一年の時、ドキドキしながら澪と二人で花火を見に行っていた。

 今思い出しても憎たらしいほどに青の浴衣は澪に似合っていた。嫌いになった今でさえ当時の澪の浴衣姿は可愛いと思うのだから、大好きだったあの頃の俺が澪に意識しすぎて緊張していたとしても仕方ないだろう。


 その花火大会は県で一番大きい花火大会ということもあって非常に多くの人で賑わっていた。

 まだ付き合っておらず、手を繋ぐ勇気がなかったせいで、そんな混雑した人混みの中を歩いていると澪と離れ離れになってしまった。


 一生懸命探し回るがそんな賑わう人混みの中、そうそう見つかるものではない。まだスマホも持っておらず、連絡を取る手段がないので地道に探すしかなかった。夜空を彩る花火に照らされ、ヘトヘトになりながらも必死に地道に歩いて探し続けた。


 結局、澪は人混みから少し離れた生垣に腰をかけて座っていた。その顔には困ったような表情を浮かんでいた。滅多に見ない弱った姿は強烈に印象付いた。


「おい、澪」


 話しかけた瞬間、こっちを向いた澪は涙目だった。顔を歪め、しょんぼりと落ち込み肩を落とす澪の姿は初めてだった。泣きそうに眉をへにゃりと下げた澪は、俺を認識した瞬間少しだけ安堵したように表情を緩ませた。


「仁……」


「大丈夫か?」


「足、痛い」

 

 そう言って澪は自分の足元に視線を送る。そこには親指と人差し指の間が血で滲んだ痛々しい足があった。


「仁のこと探していたんだけど、靴擦れして」


 落ち込み沈み込むような声でそうポツリと言葉をこぼした。確かに慣れない下駄だと靴擦れしてしまうだろう。慌ててかばんから絆創膏を取り出して貼ってやる。


「なんで、持ってるの?」


「その……もし浴衣だった時には警戒しろって雑誌に書いてあったから」


 雑誌で花火大会について調べた時に気をつけるポイントというの記事があった。その中の一つに彼女が下駄を履いてきたら、靴擦れに気を遣おう、と書いてあった。

 なので本当なら、足には気を遣って一緒に歩くはずだったのだが、結局澪には怪我をさせてしまった。


「悪かった、見つけるの遅くなって」


 これが漫画とかならもっとスマートに、澪が怪我をする前に見つけたのだろうが、本当に情けない。そんな俺の気持ちを否定するように澪は首を振った。


「そんなことない!こうして見つけてくれた……」


 強く否定する言葉。澪にしては珍しい大きな声はぐっと心に突き刺さったのを覚えている。


「だから……その……ありがとう」


 弱っていて困っていたからだろう。ほんのりと頬を赤らめて上目遣いに素直に礼を言ってきた。それはとても印象的で心臓が強く高鳴った。

 今思えば、あれがきっかけで告白する勇気を持つようになったのかもしれない。今となってはまったくもって忌々しい。


「…………い、……おい!起きろ、成瀬!」


 パコン、と軽く叩かれた頭の感触に頭を上げた。そこには苛立ちを見せた先生の姿があった。


「俺の授業で寝るとはいい身分だな、成瀬?」


「えっと……すみません」


「今回は大目に見るが、もう寝るなよ?」


「はい」


 スタスタと教室の前の教卓に戻る先生の後ろ姿をぼんやりと眺める。どうやら眠っていたらしい。寝起きのせいかまだ頭が上手く回らない。隣を見ると、佐伯舞が笑っていた。


「あはは、仁、ぐっすり眠ってたね」


「起こしてくれよ」


「気持ちよさそうに眠ってたから、起こすのがかわいそうで」


 そう言ってまた楽しそうに笑う。いかにも俺のことを気を遣ったように言っているが多分違う。絶対俺の反応を楽しむために起こさなかったに違いない。

 この3日間で彼女のからかいたがりの性格は何度も感じたので多分そうだろう。どこか憎めない舞に「まったく……」そう小さく呟きながら前を向いた。


 澪との再会を果たし、学校が始まってから3日が経った。初日は入学式とクラスでの自己紹介。2日目は入学テストで終わり、今日3日目にしてやっと普通の授業が始まったわけだが、気付かないうちに寝ていたらしい。


 3日も経てばある程度、人間関係も出来てくる。幸いにして無事なんとか友人と呼べる人は出来た。舞と修、それ以外にも彼らの中学の繋がりで何人かいる。


 しばらく授業を受けると、チャイムが鳴り響き、先生は教室から出て行った。早速とばかりに話しかけてきた。


「仁。入学してすぐに居眠りとは凄いね」


 話しかけてきたのは、如月修。相変わらず羨ましいほどかっこいい。爽やかなイケメンは半分呆れた笑みを浮かべていた。


「気付いたら寝てたんだ。仕方ないだろ」


「いやいや、普通ならまだ気が張って眠くなることなんてないよ。しかも学年二位の優等生が寝るなんて。先生も最初目を丸くして驚いてたよ?」


「別に、もともとそこまで真面目じゃないからな。二位はたまたまだ」


「えー、仁はそう言うけど、実際二位ってかなり凄いと思うよ?」


「はいはい、ありがとう」


「もー、なに?照れてるの?」


「いや、こんなことで照れるかよ」


 隣から割り込んできた舞には軽く返しておく。お二人さんは相変わらず仲がいい。中学からの知り合いというのは少し羨ましくもある。


「一位の澪ちゃんと仁って同じ中学だよね?凄い偶然だよね。もしかして仲よかったり?」


「ないない、ただの同級生だよ」


「えー?本当かなー?」


「ほんとほんと」


 まだ信じていないようで、「そうかなー?」と言いながら楽しそうに笑う。目をへにゃりと細めて朗らかに笑う舞はとても元気な女の子って感じがして見ていてこっちまで気分が明るくなってくる。

 実際、見た目もよくフレンドリーな性格でクラスの中でも一目置かれ始めている。まあ、それは修にも言えることだが。


 こいつはこいつでかっこいいからか、クラス、いや学年でもかなりの噂になりつつある。


「はぁ、かっこいいお前が羨ましいよ」


「お、どうしたんだい、急に?そんなに褒められたら今日の昼ご飯奢っちゃうよ?」


「嘘つけ。こんなこと言われ慣れてるくせに、すぐ喜ぶような奴かよ」


「まあね」


「そこで否定しないところは、修らしいよ」


「そりゃあ、ありがとう。でもそう言ってる仁もかなりかっこいい部類には入ると思うけど?ねえ、舞?」


「うんうん、実際、クラスの女子の間でも噂になってるよ!」


「お、まじか。誰が言ってたんだ?」


「うーん、内緒?乙女の恋心はそう簡単に明かしません」


「なら、仕方ないな」


 口元でばってんを作る舞に肩を竦めるが、内心かなり嬉しい。それだけ噂されるってことは高校デビューは成功したと言っていいだろう。やはり他人からの評価がないとどうにも確信が持てない。


 だが、どうりで最近視線を感じることが多くなったことに納得する。この2人と一緒にいるから目立っているだけかと思ったが、自分の見た目も一役かっていたらしい。

 なかなか順調な滑り出しだ。このまま好きな人も出来ることを祈ろう。


「やっぱり、高校の授業って難しいよね。少しだけ仁が眠くなるのも分かるなー」


「そうだね、授業の進みも中学の時とは全然違うし、さっきの時間なんてノートを取るので精一杯だったよ」


「ああ、そうだな」


「でも、次の時間で今日は最後だし、次は総合で委員決めをするみたいだから、気楽に受けられるし安心だね」


 どうやら次の時間は総合の時間で委員決めをするらしい。どの委員をやるか軽く話しながら休み時間は過ぎていった。


「じゃあ、まずは委員長と副委員長を決めたいんだが、誰かやりたいものはいるか?」


 授業開始のチャイムが鳴り、先生が入ってくると早速予想通りのことを言い始めた。誰も手を上げず、気まずそうにしている。誰か手を上げないか、探り合うような雰囲気が教室中に漂う。


 それもそうだ。こんなめんどくさい事を自分からやるやつなんてそうそういない。いるとしたら目立ちたがり屋ぐらいだろう。


「あー、まあ、そうなるよな。じゃあ、成瀬、やってみないか?入学の成績が良かったのは周りの人も知っているし、適していると思うんだが」


「……いいですよ」


 ここで断っても雰囲気が悪くなるだけだろう。それに誰かはやらなければいけないものなのだから仕方ない。ここでクラスで悪目立ちするわけにもいかないので、渋々頷く。


「ありがとう。あとは女子の方だが……」


 そう言いながら先生は教室を見回していく。


 そこまで聞いてふと何か引っかかった。俺が先生に推薦されたのは入学式の挨拶に出たからだ。入学の成績第二位として。

 そしてこのクラスにはもう1人、第一位として入学式の挨拶をした奴がいた。


「えっと、姫乃。どうだ?」


「……分かりました」


 そう、澪である。澪はこっちに困ったような表情で一瞬見ながらも頷いた。断れよ、と思わなくもないがこの雰囲気で断るのは難しいだろう。

 仕方ないといえば仕方ない。流石にこのことに関しては澪のことを責める気にはなれなかった。


 こうして俺と澪は委員長と副委員長になった。


 その後は任されたので適当に司会をしてそれぞれの委員を決めていく。特に問題が起こることはなく無事終わった。


「先生、終わりました」


「お、そうか。じゃあ、今日はこれで終わりだ」


 先生のその掛け声と共に座っていたクラスメイトがぞろぞろと動き出す。


 やっと終わった。慣れないことなので、精神的に疲れを感じる。その疲れに少しだけ内心でため息を吐く。

 早く帰ろう。澪との関わりが出来てしまったが、少なくとも今日はもうこれ以上関わることはないはず。そう思っていた。だが、得てしてこういう時ほど想定外のことが起こる。


 さっさと自分の机に戻ろうとすると、先生に引き止められる。


「ああ、成瀬と姫乃は放課後、各クラスの委員長副委員長の顔合わせがあるから頼むな」


————どうやら、まだ澪との関わりは終わらないらしい。

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