第5話 過去と今。変わらないもの
「っ!?」
まさか名前を呼ばれるとは思わず、固まってしまう。
「成瀬仁、いるか?」
「は、はい」
「よし、いるな」
「姫乃澪は?」
「……はい」
左斜め前の方から、澪の落ち着いた静かな声が届く。凛と教室に響いた。先生は澪の方を向いて、うん、と頷く。
「じゃあ、2人は生徒会室に行くように」
それだけ言い残して出て行った。それと同時に教室に話し声が満ち始める。隣の舞もさっきのことが気になったようで話しかけてきた。
「え、なになに。仁、初日から何かやらかしたの?」
「そんなことするかよ。多分新入生代表の挨拶だと思う」
入学初日から呼び出されるような不良少年な訳あるか。春休みの入学ガイダンスの時に新入生代表の挨拶を依頼されていたことを思い出す。
もちろん覚えていたのだが、まさか教室でわざわざ呼ばれるとは思ってもいなかった。なので、思わずびびってしまった。急に先生に名前を呼ばれると悪いことしたわけじゃないのにびっくりするよね。
「新入生代表って確かその年の入学の成績が1番の人と2番の人がやるやつだよね!?仁って意外と頭がいいんだ?」
「意外とは失礼なやつだな。まあ、たまたまだよ」
「あはは、ごめんごめん。でも、ほんとすごいと思う。ってことはさっき呼ばれていた姫乃さん?も新入生代表ってことだよね?」
「おそらくそうじゃないか?」
まさかあいつが……。舞の前なので平然としているが内心では驚きで一杯だった。中学時代、澪はそれなりの成績はおさめていたが、成績上位に入るほどの学力はなかった。
俺が2番だと聞いていたので1番は誰か気になっていた。だが、まさかそれが澪とは……。
「あんなに可愛いのに、頭もいいなんて神様はずるいなー」
「まあ、確かに見た目は可愛いよな」
「あれ?もしかして気になっている感じですか?恋愛相談ならこの私に任せて!ほらほら話してごらん?」
恋愛事が好きなのか、にやにやと身を寄せてくる。もちろん、冗談半分で言っているのはすぐに察した。
だが舞の言葉は、鋭く胸に突き刺さる。それを誤魔化すように笑顔を貼り付けた。
「うーん、舞に任せたら失敗しそうだからやめておく」
「そんな、酷い!」
分かりやすく、ううっと泣き真似までして見せてくる。なんともノリがいい。
「……そもそも好きじゃないしな」
上手く笑えていただろうか?何も変わらない雰囲気で話せただろうか?
舞は特に気にした様子もなく「そうだよね」と相槌を返した。
「よかった。仁がそんなすぐに女の子に手を出すような人だったら、クラスの女の子達に警告するところだったよ」
「それ、俺の高校生活終わらせる気だろ」
そんな噂が流れたら、まず間違いなくクラスの女子全員から警戒されて睨まれる。この子、なんて恐ろしいことを考えているのかな?
舞は、ぺろっと舌を出して「冗談だよ」と笑った。
「じゃあ、行くわ」
「あ、そうか。生徒会室に行かないといけないんだもんね。じゃあ、また後で」
「ああ」
ひらひらと手を振り、舞と別れて教室を出る。生徒会室は確か2階にあったはずなので、そこへと向かった。
やはり行く途中、何人もの人とすれ違うが、その度に視線を向けられた気がした。どうやら、修が言っていたイケメンというのは本当ならしい。それだけ変われたということは嬉しいが、どうにも慣れない。
中学時代、沢山の知り合いに話しかけられることはあったが、見知らぬ人から好奇な視線を向けられることはなかった。見られている、その張り付くような視線は微妙に居心地が悪い。
見た目が違うだけでこうも変わるのか。中学の時とは違う今の状況に少し困惑しながら、生徒会室へとたどり着いた。
外見は普通の教室となんら変わらない。勝手にもっと特殊な装いを想像していたので拍子抜けだ。
「失礼します。一年の成瀬仁です」
「どうぞ」
明るい声が扉越しに聞こえたので、ドアをノックして中へと入る。
室内は窓が小さいせいか少し薄暗く、厳かな雰囲気が漂っていた。窓から差し込む光が机を照らし、異様に目を惹く。その隣で2人の女子が立ち、こちらを向いていた。
「成瀬仁くん、だね?私は、天月蘭。一応生徒会長をやってる。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
さらりと短い黒髪が煌めいて揺れる。身長は160センチ後半だろうか。女子にしては高身長な彼女は、黒髪のショートヘアで、親しみの感じられる微笑みをたたえている。
「彼女は君と一緒に新入生代表をやってもらう姫乃澪さん。2人で今回はよろしくね」
「……よろしく」
「……ああ、よろしくな」
天月さんの紹介で澪がこちらを向き、ぱちりとその透き通るような瞳と目が合う。気まずさと戸惑い、そして幾ばくかの緊張を飲み込んだ。
「うん?もしかして知り合いかい?」
「ええ、少しだけ」
まさか気付かれるとは思わなかった。天月さんは不思議そうに、それでいてどこか見透かすような視線をこちらに向けてくる。
だがすぐに影を顰め、へにゃりと目を細めた柔らかく笑顔に戻っていた。
「そっか、それなら上手くやってくれそうね。知り合いなら気兼ねなく話せるだろうし。とりあえず、入学式の手順から確認していくね」
そう言いながら、天月さんは抱えていた紙束から2枚の紙を抜き出して渡してきた。受け取り確認すると、それにはプログラム表が書かれていた。
「2人にやってもらう新入生代表挨拶はここ。5番目だよ。それまでは私たちと一緒に体育館横のところで待機。進行係が名前を呼ばれたら、ステージに上がって用意した挨拶をして終わり。まあ、流れはこんな感じだけど質問ある?」
「いえ、特には」
「私もないです」
中学の時にもよくあった流れそのままだ。特に難しいところはない。唯一あるとすれば挨拶の部分くらいか。まあ、よほどのことがない限り失敗はしないだろう。
「うん、それなら安心かな」
明るく朗らかに、やはりにこにこと微笑みながら天月さんは頷く。
彼女が生徒会長というのは少し意外だ。なんとなくイメージの生徒会長は真面目で地味なイメージがあった。
だが目の前の天月さんからはその真逆の印象しか受けない。明るく快活でそれでいて出来る女。親しみやすさもあり、にこやかで話しやすい。まさに理想の完璧な女性。
————あまりに完璧すぎて作りものめいて見えるのは気のせいだろうか?
「じゃあ、説明も終わったことだし、体育館に移動しようか」
そう言われ澪と一緒に天月さんの後ろをついて行き、案内される。体育館へと向かう途中には何にもの校舎に馴染んだような人達がいた。
おそらく先輩たちだろう。上学年のいる廊下では、天月さんが誰かとすれ違うたびに、その人に声をかけられ一言二言交わすのが見て取れた。
なんとなく予想はしていたが、彼女はかなりの人気者ならしい。まあ、あれだけ話しやすい親しみやすさがあれば、その人気者頷けた。
そのまま体育館へと辿り着き端のところで待機する。体育館はざわざわと騒々しく、所かしこで話し声が満ち溢れていた。
だが、流石に新入生はまだ緊張があるのか、その声は小さい。むしろ後ろの方の保護者や上級生の方がうるさかった。
「少し打ち合わせをしてくるから、ここで待っててね」
天月さんはまだやることがあるようで、前方の司会進行役の人らしき人の方へと向かっていった。
ポツンと2人きりで残される。体育館端で周りに人がいるとはいえ、隣に澪がいるというのは気まずい。
ちらっと盗み見れば彼女も同じように思っているのか、せわしなく挨拶の紙を開いては閉じたりしていた。
「…………」
俺と澪の間に沈黙が立ち込める。ざわざわと周りの話し声が異様に大きい。無駄に呼吸を抑え、物音一つ立てないように動かず黙り続ける。
入学式が始まるまでこのままのつもりだったが、ふと、この機会に一つ気になることがあったのを思い出した。
「……お前、学年一位取ったのか?」
「うん……」
重苦しい空気を引き裂いて、言葉を吐く。だが返ってきたものは淡々とした声だけ。それは、もう終わってしまった関係を示しているようで、改めて痛感させられた気がした。
「中学の時はそこまで勉強出来なかっただろ」
「うん、でも、私に出来るのはこれしかなかったし……」
「そっか」
交わした言葉それだけ。静かに、でも確かな重みを持って互いの胸の内に届く。ずしりと苦々しく満たされた。
————小学生時代、澪は決して頭の良い奴とは言えなかった。勉強は出来ず、学力の順位は下から数えた方が早かった。
当時の俺は、そんな勉強に苦労している澪に教えることが日課だった。好きな相手と一緒に居られる口実になるし、何より頼ってくれるというのはとても嬉しく、毎日面倒を見ていた気がする。
そんな日々が一年ほど続いた。そのおかげか澪の成績は目に見えて上がり、少なくとも学年で真ん中の順位程度くらいには勉強が出来るようになった。
あいつの成績が上がったのは全部俺のおかげだ。そう言えればかっこいいのだろうが、おそらく1番の理由は澪自信がコツコツ毎日勉強し続けたからだろう。
澪は俺がいない時、自分の家でも勉強していたし、学校でも朝の時間なんかには一生懸命机に向かっていた。その姿はとても眩しくて、今でも覚えている。
澪の勉強への努力は、俺との勉強会が無くなった後もずっと続いていた。その甲斐もあって、別れる前の中3の夏では上位と真ん中の間くらいにはいた。だがそれでも俺よりは下だった。
これまで、勉強で澪に抜かされることはなかった。時々自分が勉強しなくて危ない時は何度かあったが、一度も順位が負けたことはなかった。
それが今は俺を抜いて学年で1番にいるという。今回に関しては俺もかなり勉強したというのに、だ。
澪はどれだけ頑張ったのだろうか。どれほどの時間を必死に勉強に費やしたというのか。想像出来るものではない。他人が容易く分かるものではない。だが、かつてない程に頑張ったということだけは分かる。
努力を続けることはそう簡単なことではない。多くの人では途中で辞めてしまう。俺だってそんな大多数の1人だ。だからこそ、毎日勉強出来るのは羨ましいし、憧憬する。
俺は澪が嫌いだ。大嫌いだ。でも、それでもやはり澪の毎日コツコツと努力出来ることだけは凄いと思う。尊敬していると言っても良い。
好きだった時、澪の努力出来る部分は凄いと思っていた。そんな気持ちも関係を断てばなくなるだろうと思っていた。
だが、どうやら嫌いになってもやはり尊敬というのは消えないらしい。
恋人としての関係は失っても、積み重ねた時間、幼馴染としての時間は無くならないということか。
————嫌っても嫌いになりきれない皮肉に、思わず嘲るような笑いが零れた。
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