138. S01&03:The Youth and Girl meet the Lady
――――― Side: 01 & 03 ―――――
貴族街にて。
「通達にあった二人を連れて来ました」
「了解いたしました。ここからは私達がお引き受けいたします」
互いに敬礼する、鎧を着た者たち。
前者は貴族街の門衛をしていた騎士で、後者は貴族屋敷の門番だ。
イチかバチかで貴族街へと突撃したサムとグレタは……呆気なく通過を許された。
一体全体なにがどうなっているのか分からず、さりとて逃げ出すわけにも行かず、二人は門衛をしていた騎士の一人に先導され、こうして見知らぬ屋敷の前へと連れて来られた。
そして今、先導してきた騎士は、まるで迷子の受け渡しのように二人を屋敷の門衛へと預け、そのまま振り返ることもなく颯爽と去っていった。
「お待ちしておりました、サミュエル様、グレタ様。
旦那様とお嬢様がお待ちでございます」
「えっ……だん……おじょ……?」
礼儀正しくお辞儀する屋敷の門衛に、意味をなしていない返事をするサム。
グレタは下にも置かない扱いに完全に萎縮している。
「ようこそ、ファルマス法衣子爵邸へ」
目の前で開かれる豪奢なフェンスゲートに、二人はただただ茫然自失したのだった。
どうやって来客を聞きつけたのか、フェンスゲートを潜ったところでタイミングよくメイドさんが現れ、サムとグレタを丁寧に出迎えた。
一頻り堅苦しい歓迎の言葉を掛けられると、二人はメイドさんの先導で屋敷へと向かうことになった。
さすがは貴族の屋敷。
庭は、全体的に綺麗に整えられている。
道の両サイドにある植木は獣や魔物の形に剪定されており、整然とした美の中にも芸術性が伺える。
噴水こそ無いものの、庭の中央には円形の花壇があり、植えられた色とりどりの花々が緑一色の庭に華やかさを加えていた。
正面に見える屋敷は白を基調とした石造りで、完全なる左右対称。
幾つかの部屋にはベランダが作られており、節々には彫刻が施されている。
カッチリとした厳格さの中にも優雅さが窺える、中々いい趣味の建物である。
これで貴族屋敷の中では下から数えたほうが早いというのだから貴族とは恐ろしいものだ、とサムとグレタは同じ感想を抱いた。
ここで働いているメイドさんの言葉でなければ、とても信じられはしなかっただろう。
サッカーコート程もある庭を抜け、ようやく屋敷の正面玄関へとたどり着く。
両開きの扉を開くと、正面ホールと一体となった広い玄関が姿を現した。
日が落ちた時間だというのに、シャンデリアからの白光に照らされたホールはまるで昼間のように明るい。
薬師ギルドの吹き抜けホールを彷彿とさせる広いホールに入ると、両サイドにはメイドさんたちがズラリと並んでいて、二人の到来に一斉に頭を下げた。
そんなメイドさんたちが作る回廊の先には、一人の中年男性が待ち構えていた。
「ようこそファルマス家へ。
私は当主のカイルソン。国王陛下より法衣子爵の位を賜っている」
あまりにも貴族然とした中年男性に、サムは圧倒され、グレタは完全に固まってしまう。
「あ、えっと……!
し、しがないポーション師をしておりますぅ、サミュエルと申しますぅ!」
なんとか絞り出した自己紹介は、声が完全に裏返っていて、まるでエッグチキンの鶏鳴のようだった。
が、カイルソンはそんなサムを馬鹿にすることなく、ただ穏やかに微笑みを向けるだけだった。
「ぁ、ぅ……グ、グレタです……」
対するグレタは、いつもの勢いはどこへやら、消え入るような声で自己紹介した。
「サム君にグレタ嬢。よく来てくれた。当家は君たち二人を大いに歓迎する。自分の家だと思って、存分に寛いでくれたまえ」
心からそう思っているのか、それとも余程に芝居が上手いのか、カイルソンは朗らかにそう言った。
「ぁ、ぁぁあ、あの……!」
我慢できなくなったのか、グレタが決死の覚悟でカイルソンに問う。
「カ、カイルソン様は、その、ど、どうしてあたしたちを迎え入れてくれた……くださりましたのですか?」
敬語を意識するあまり若干変な言葉遣いになっているグレタ。
彼女には、それだけが気掛かりだった。
グレタとサムの逃亡劇は、あまりにも順調すぎた。
依頼を出してくれた赤竜組は、ヌフの傘下……もとい協力関係にある。
二人が
が、貴族街にあっさりと通された今回のことは、正直、理解に苦しむ。
グレタが知る限り、貴族街は近所のパン屋のようにホイホイと出入りできる場所ではない。
それこそ、文字通り「選ばれた人間」にし入出が許されない場所だ。
それなのに、自分たちは──しがない平民のポーション師とスラム住人でしかない自分たちは、いとも容易く入ることを許された。
もしこれもヌフの仕業ならば、完全に馬鹿げていると言わざるを得ない。
なぜなら、出費に対する収益が見合っていないからだ。
貴族街に入りたい人間は五万といる。
御用商人を目指す商人は勿論のこと、貴族と繋がりたい名士、貴族に仕官したい傭兵や冒険者、上流社会で活躍したい吟遊詩人、パトロンを求める芸術家などなど、それこそ挙げたらきりがない。
所謂「貴族街への通行許可証」というのは、大商会が百枚単位で金貨を溶かしながら関係を築き、手を回し、競合相手を潰し、それでようやく得ることができる「特権」なのだ。
売りに出せば、金貨で千枚はくだらない値が付くだろう。
その価値の高さは、貴族などとは縁遠いグレタにも分かっている。
だからこそ、困惑する。
そんな商人なら親を殺してでも欲しがる
常識的に考えて、「貴族街の通行許可」と「自分たちの命」では、圧倒的に前者の方が高価値だ。これは自己卑下などではなく、純然たる事実である。
それに、もし自分たちが貴族街に逃げ込むという決断をしなければ、この事前準備は完全に無意味となる。信じられないような出費だけが嵩む、無用の一手となるのだ。
そもそも、ヌフからすれば、自分たちは名もなき手駒にすぎないはず。
そんな幾らでも替えがきく手駒のために、使うかどうかも分からない貴族街の通行許可をわざわざ事前に用意してやるなど、意味が分からないだろう。
幾らヌフが用意周到の変態でも、この「貴族街の通行許可」だけは彼の仕業じゃない気がする。
だから、グレタは聞かずにいられなかった。
「ふむ」
可笑しな敬語になっているグレタの質問に、カイルソンは一瞬だけ逡巡し、直ぐに笑顔に戻った。
「頼まれたのだよ、娘の恩人にね」
「お、恩人?」
「ああ。仮面を被った、変な泥棒にね」
まるで「知っているだろう?」とでも言うような目で、カイルソンはグレタを見つめる。
一瞬だけ呆けたグレタは、直ぐに「ああ」と納得顔で頷いた。
そんな怪しくて不可解な人物は、この世で一人くらいしかいない。
「答えてくれて……答えてくださって、ありがとうございます、カイルソン様」
「はは。もっと砕けた言葉で構わないよ。
君たちは当家の客人、言葉遣いで疲れさせてしまっては元も子もないからね」
やはり知っていたか、という顔をしたカイルソンは、直ぐに笑顔でそう応じた。
「さて、二人とも何かとお疲れだろう。
当家で風呂と食事を用意させてもらった」
「お、お風呂……」
「食事……」
10日に一回の公衆浴場以外は冷たい井戸水で体を洗っているグレタが風呂という単語に期待を膨らませ、ここ数日碌なものを食べていないサムが食事という単語に生唾を嚥下する。
そんな二人の反応に楽しそうに笑いながら、カイルソンはメイドたちに二人を案内するよう命じた。
「私が一緒では寛げないだろう。
仕事も残っていることだし、夕食は二人だけで取るといい」
平民相手とは思えない、実に配慮に溢れたお言葉である。
深々と頭を下げる二人に、カイルソンは笑顔で手を振り、その場を後にした。
まだまだ状況を完全に把握できていない二人だが、笑顔で待機するメイドさんたちを見て慌てて後を付いて行ったのだった。
◆
「……ねぇ、サム」
「……なに、グレタ?」
「……貴族様のお風呂って、凄いのね」
「……ああ、そうだね」
「あたし初めてよ、あんなにたっぷりのお湯の中で、あんなにゆったりと脚を伸ばして横になったの」
「僕もだよ」
余人の居ない客室にて。
ふかふかのソファに深々と体を沈めたサムとグレタは、二人して魂の抜けたような顔で天井を見つめていた。
「湯船があんなに気持ちいいものだなんて知らなかったわ」
「公衆浴場だと温水シャワーだけで、湯船とか無いもんね」
「置いてあった石鹸も凄かったわ。毎日水浴びして毎日ヘチマで体を擦ってるけど、ここの石鹸を使ったら水がちょっと濁っちゃったもん。
いい石鹸って、あんなに汚れが落ちやすいのね」
「石鹸から薬草の匂いがしてたから、多分、薬用石鹸だね。
薬草臭さが全然肌に残らないところを見ると、かなりいい物のはずだよ」
「あまりにも気持ちいいもんだから、あたし、メイドさんが隣でタオル片手に待ってくれていたのに、そのまま湯船の中でちょっと寝ちゃった」
「僕は……メイドさんがいるせいで全然寛げなかったよ……」
ちょっとゲッソリしているサムだが、それでもお風呂効果で疲労が抜けたのか、顔色がだいぶ良くなっている。
「あたしも、他人に尽くされるって経験がないから、あれには緊張したわ」
「まぁ、メイドさんたちも仕事でやってるんだろうけど、異性が風呂場にいるっているのはちょっとね……」
「あんた、童貞?」
「ほっとけ!」
見下すような顔でからかうグレタに、苦い顔のサム。
ちょっとずつ風呂の余韻から覚めてきたらしい。
そうして二人が戯れていると、
「──おやめ下さいお嬢様!
お体に障ります!」
扉の外から、そんな悲鳴のような女声が漏れ聞こえてきた。
二人が声のする方に顔を向けると、コンコンと扉がノックされた。
「は、はい!」
慌てて応えたせいで大きな声が出てしまったグレタは、ドタドタと行儀悪く扉へと走って行き、これまたガバリと行儀悪く扉を開いた。
開いた扉の前に居たのは、病的に痩せこけた年若い少女だった。
「初めまして。
私、クラリッサと申します」
桃髪とタレ目が特徴的なその少女は、弾んだ声でそう自己紹介すると、スカートを摘み上げ、片足を内側に引いてカーテシーをしようとした。
が、棒のように細いその両脚には力がまるで無いようで、膝を曲げようとした瞬間に崩れ落ちた。
幸い、側に居たメイドさんと軽鎧を着た女性が「「お嬢様!」」と異口同音に悲鳴を上げながら崩れ落ちる彼女を支えたおかげで、事なきを得た。
「あらら、ごめんなさい。
つい先日やっとベッドから降りられるようになったばかりなので、まだ上手く身体が動かせませんの」
倒れそうになったというのに、クラリッサと自己紹介した桃髪少女はまるで意に介した様子がなく、寧ろどこか嬉しそうだった。
「それよりも、お二人のお名前を教えてくださいませんか?」
期待がルンルンと輝いているタレ目で、クラリッサは硬直するグレタを見つめる。
ずずいと寄せられたクラリッサの顔に、グレタはようやく我を取り戻した。
「あ、えっと……はい、私はグレタといいます」
どこにも悪意を見つけられない自然体なクラリッサに、グレタは警戒心を緩めたのか、若干落ち着いた様子で深くお辞儀した。
貴族と言えば、傲慢で、我儘で、理不尽で、平民を虫けらとしか思っていない連中、というのがグレタの印象だ。
それが、この家に来てからというもの、かなり印象が変わりつつある。
先程のカイルソンといい、風呂の世話をしてくれたメイドさんといい、この「お嬢様」と呼ばれた少女といい、この家で出会った人間からは悪意や嫌悪の欠片も見て取れない。
特に、このクラリッサという少女は、最初から親しみ全開で接して来る。
まるで久しく会っていない友人に再会したかのような態度だ。
歳が近いことも影響しているのか、大人の貴族であるカイルソンは苦手なグレタだが、このクラリッサという娘だと不思議と苦手意識が湧かない。
態度こそ崩すことはしないが、緊張感という面ではかなり薄れていた。
「それと、こっちはサムです」
グレタがソファの前で直立不動になっているサムを振り返ると、サムは、
「サミュエルといいますぅ!」
と裏返った声で応え、頭を地面に打ち付けるかのような勢いでお辞儀をした。
初めて見た貴族のお嬢様に、カイルソンに会ったとき以上に緊張しているらしい。
グレタとは真逆である。
「グレタ様にサミュエル様ですわね?
ようこそ当家へ」
クラリッサが首を傾げるようにニッコリとする。
その微笑みは、まるで盛夏に咲き誇る大輪の花のようで、グレタとサムは畏まることも忘れ、思わず顔を緩ませたのだった。
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