135. NP:Ain't no rest for the patriot
――――― ★ ―――――
ウェストノード商会の最上階。
そこにある支部会長執務室は、重苦しい沈黙に支配されていた。
部屋にいるのは3人。
部屋の主であるウォルト、工作員のまとめ役であるダヴ、そして子供のような見た目の工作員マッシュである。
「……さて」
沈黙に耐えかねて……というよりは考えがまとまったという感じで、耳元に手を当てていたダヴが口を開いた。
「ターゲットにはまたしても逃げられてしまいましたが、幸い、今回も
「──ダヴ殿!」
あまりにも平淡に話を切り出したダヴに、ウォルトはバンと机を叩いた。
「何を呑気なことを言っているのですか!?
お仲間が4人も死んだのですぞ!?」
信じられないものを見るような目で、ウォルトはダヴを睨みつける。
先のスラムでの戦いで、ダヴ率いる工作員部隊は4人の隊員を失った。
協力者を含めた彼らの総数が20人にも満たないこと、その中でも戦闘ができる者は10人を割ることを考えれば、4人の喪失はほぼ戦力が半減したことを意味する。
部隊としては、再編が必要になるレベルの損害だ。
それを、このダヴという男は、悼むどころか言及すらしない。
そればかりか、「幸い」と言ってよかった探しをする始末。
決して部隊を預かる人間に相応しい態度ではない……いや、心ある人間の態度ですらないだろう。
ウォルトにはそれがどうしても受け入れられず、思わず感情的になってしまった。
「ええ、そうですね。我々の部隊は優秀な隊員を4名、失いましたね」
「ならば──!」
「どうすればよろしいと?」
「……なっ」
「嘆き悲しめばいいのですか?
そうすれば彼らが帰ってくるのですか?
弔い合戦とばかりに
そうすれば作戦が成功するのですか?
ここで追悼会を開いて黙祷を捧げればいいのですか?
そうすれば彼らの犠牲が報われるのですか?」
そう言ったダヴの声音は穏やかだったが、その両目はまるで世を恨む幽鬼のようであり、また殉教者を語る信者のようでもあった。
「4人とも、長い付き合いでしたよ。
『
『
『
『
一人ひとり、失った部下たちを思いながら語るその口調には、懐古の念が籠もっていた。
「彼らは、名誉の戦死を遂げました。
祖国のために、任務のために、己の信念のために、その身を捧げたのです。
彼らを弔うには、この任務を無事に完遂し、祖国に利益をもたらすしかありません」
ダヴの静かな激情を感じ取ったウォルトは、言葉を引っ込めるしか無かった。
商人であるウォルトには、彼らほどの狂信的な愛国心はない。
だが、ダヴのその部下への思いだけは十分に共感できた。
支部商会長であるウォルトにも多くの部下がいる。
頼れる古参もいれば、目をかけている新人もいる。
毎日のように顔を合わせる直属の部下たちだけでなく、役職が違いすぎて面識すらない商会員も多い。
彼らの生活を守るのはウォルトの職務であり、使命でもある。
今回の作戦は、ウェストノード商会フェルファスト支部の社運を賭けた一大事業だ。
成功すればウェストノード商会はこの領の商取引の中心となるが、失敗すればこの領から撤退するしかなくなる。
先にある全てを手に入れるか、今ある全てを失うか、その二択しかないのだ。
ならば、どんな犠牲を払おうと成功させねばならない。
この作戦には、ウォルトだけでなく、部下とその家族たちの首までもがぶら下がっているのだから。
「……そうですな」
ウォルトは静かに呟く。
焦りも怒りも、今は余計な感情だ。
あるのは、成功への目的意識のみ。
「この作戦、必ず成功させましょう」
この瞬間、ウォルトとダヴは初めて同じ志を抱いたのだった。
アームチェアに座り直したウォルトに、ダヴはこれまでのことをまとめる。
「最初の襲撃が失敗に終わった後、我々は
かなり行き当たりばったりな作戦である。
成否が完全に
どう考えても「苦肉の策」だろう。
「ですが……それを実行する前に、薬師ギルドにいる内通者から『とある職員が原作者の住所に関する手がかりを持っている』という連絡が来ました。
それを受け、我々は当初案を破棄。
作戦を変更し、連絡にあった職員一行をインターセプトしました」
「ボクが直々に行ったからねぃ」
今まで黙ってソファに座っていた子供のような外見の工作員──マッシュが手を挙げる。
「その職員を護衛していた衛兵隊も殺したと聞きましたが……」
「問題ないねぃ。
護衛の衛兵たちは反応するまもなく殺したから、音なんて殆どしなかったねぃ。
その後に拷問した職員の叫びも、消音の
ボクたちに繋がる証拠は、何も残してないねぃ」
サラリと言われた恐ろしい内容に、しかしウォルトは顔色を変えない。
自分たちと関係ない者がどうなろうと、知ったことではない。
「そのおかげで、我々は原作者が住んでいるだろう区域の特定に成功。
総員で以て調査に向かったところ、なんとポーション師サムと、彼と一緒に逃げたスラム住人らしき少女を発見」
二人は既に原作者の住居と思しき小屋にいました、と付け加えるダヴ。
顎髭を撫でながら、ウォルトが目を細める。
「ふむ。ポーション師サムが原作者の住居にいたということは、やはり彼が原作者を殺してレシピを奪った、ということですかな」
「間違いないでしょう。原作者の住居に行ったのも、恐らくはレシピに関する資料を処分するため」
「レシピを独占するために、ですかな」
「ええ。ああいう欲深い人間の考えることは皆同じですから」
肩を竦めるダヴ。
職業柄、クズと接する機会が多いだけに、そういった人間の思考は手に取るように分かる。
「想定外だったのは、
「あれには驚いたよねぃ。
こっちが先に小屋を包囲してたってのに、いきなり現れるんだもんねぃ」
「そこで暫くターゲット二人と
「『
「よろしかったのですかな、殺してしまって?
そのグレタとかいう娘も、一応は3人目のターゲットだったはずでは?」
ウォルトの質問に、マッシュが肩をすくめる。
「仕方ないよねぃ。
カーラとかいう人質が自刃したせいで、随分と逆上してたからねぃ、あのスラム女。
放っておいたら、最悪、最重要ターゲットであるポーション師サムが殺されていたかも知れないからねぃ」
「自棄っぱちになった人間ほど馬鹿なことをやりがちですからね。
確かにポーション師サムと接触した時点で、あのグレタという少女もターゲットの一人にはなりましたが、あくまでも最重要はポーション師サムです。
彼の捕獲の妨げになるのであれば、排除する他ありません」
「なるほど」
納得したウォルトに、ダヴが続ける。
「スラム住人グレタに攻撃を仕掛けたことで存在が露呈した我々は、原作者の住居にて
結果として、ターゲットを取り逃してしまいました」
その戦闘でダヴは4人の仲間を失ったわけだが、この話題をほじくり返してもお互い気持ちのいい結果にはならないので、ウォルトはただ黙って頷くだけに留めた。
「その後、暫くの間ターゲットの足跡を見失いましたが──」
一瞬だけ勿体ぶって、ダヴは言った。
「つい先程、二人の行き先が判明しました」
「なんですと!?」
衝撃の情報に、ウォルトが思わず立ち上がる。
が、すぐにダヴの言葉に違和感を感じて眉を潜める。
「……ん?
……二人?
今、『二人の行き先』と言いましたか、ダヴ殿?」
「ええ。ポーション師サムと、スラム住人グレタですね」
「スラム住人グレタは排除したのではないのですかな?」
「それがどうも無事のようで、我々も困惑しております」
見れば、横で聞いているマッシュも驚きに目を瞬かせている。
ダヴの情報はどうやら本当に「つい先程」入ったばかりらしく、マッシュも知らなかったようだ。
「……ボクも見てたけど、あれは致命傷だったはずだよねぃ。
一体どういうことだよねぃ?」
「そこは考えても仕方ないでしょう。
どうやって助かったにせよ、今一番大事なのは、二人の居場所が判明しているということだけです」
スラム住人グレタが生きているという事実が覆らない以上、やることは変わらない。
つまり、二人の捕縛だ。
「それで、二人はいったいどこに行ったのですかな?」
「貴族街です」
「…………え?」
「どうやったのか分かりませんが、ポーション師サムとスラム住人グレタは、貴族街に入ったようです」
ダヴは貴族や街の顔役たちの動向を把握するために、貴族街のすぐ外にも見張りを立てている。
その見張りからつい先程「ターゲットらしき男女が貴族街に入っていくのを目撃した」という報告がもたらされた。
「貴族街、ですと?」
「ウォルト支部会長が驚きになるのも無理はありません。
普通に考えれば、平民である二人を……特にひと目でスラム住民だと分かるグレタを、門衛の騎士たちが貴族街に通す筈がありませんからね」
「と、言うことは……」
「お察しの通り、彼らを
貴族街は、限られた人間にしか出入りが許可されていない、謂わば立ち入り制限区域だ。
貴族やそれに類する身分ある人間であれば出入りは自由だが、それ以外の者は通行許可証が必要だ。
許可証を持たない者が貴族街に入るには、許可証を持つ者に身分を保証されて同行するか、貴族街に住む者から招待されなければならない。
ターゲット二人が第三者の同伴なしに門を通過できたことを考えれば、方法は後者しかないだろう。
「二人を追跡するには、少しばかり
信用と実績に事欠かない大商会であるウェストノード商会は、当然ながら貴族街への通行許可証を所有している。
適当な理由をつけて貴族街に入り、ターゲットであるポーション師とスラム住人グレタを捜索することは、ウォルトであれば可能だろう。
だが、それは「一商会」に過ぎないウェストノード商会の活動範囲を大きく超えた行動だ。
用もなく貴族街に立ち入る、もしくは本来の用事以外の目的で貴族街を徘徊することは、外聞が大変によろしくない。というか、普通に騎士団に眼をつけられる。
現代に置き換えれば、オートロックマンションの廊下で住人でもない宅配の兄ちゃんが無駄に彷徨いているようなものだ。日本だったら即通報案件である。
たとえ通行許可証を持っていても、貴族街で大々的に人探しができるわけではない。
やりたいならば、やっても許される
「というと、やはりトーア法衣男爵ですかな?」
「ええ。彼のような
不正がバレて官職を剥奪された、現トーア法衣男爵。
領主に懲戒解雇されたというのに、未だにトーア家当主の座にしがみつく、徹頭徹尾の愚か者だ。
一家が領外追放を免れているのは、偏に跡取りである長男が優秀で、領主の息子と友人関係にあるからだろう。
領主からの給金が無くなり、尚且これまでの不正の補填として財産を一部差し押さえられたトーア家は今、酷く困窮している。
長男は父親の愚行の償いとして、無給無休で領主の下で働いている。
身を粉にして頑張ってはいるが、それでも領主からの信頼を取り戻し、再び雇い入れてもらうまでには数年の歳月を要するだろう。
それまで、トーア法衣男爵家の収入は、国から支給される雀の涙程度の「法衣俸禄」だけだ。
そもそも、長男は既に父親である現トーア法衣男爵を完全に見限っている。
たとえ数年後に無事領主の下で仕官できたとしても、収入を父親に渡すことはないだろう。
殆ど無一文であるトーア法衣男爵は今、収入が欲しくてたまらないだろう。
そこが、
「しかし、あそこまで完膚なきまでに失脚した者が、しかもたかが下級の法衣貴族ごときが、果たして役に立ちますかな?」
ウォルトがダヴに疑問をぶつける。
「聞くところによると、まだ当主は代替わりしていないとはいえ、トーア家の実権は既に長男によって掌握されているとか。
公権力を失い、家での地位すら失いつつある現トーア法衣男爵を、ダヴ殿はどう使うおつもりで?」
「一応、まだ貴族街に居を構えることを許されていますからね。
貴族街の中の情報を集めさせることはできますよ」
貴族街の中のことは、貴族街の中に住む人間に任せるのが一番だ。
たとえゴミ程度の存在価値しかなくなってしまった愚か者でも、ただ貴族街の内側に住んでいるというだけで、それなりに使える。
「長男の懐柔は如何ですかな?」
「ほぼ不可能でしょう。
彼は14歳にして完全なる忠誠心を備えている、ある意味恐ろしい人物です」
「ふむ……トーア法衣男爵家を利用するのは難しい、ですか」
「その代わり、父親である現トーア法衣男爵は、救いようがないほどに欲望に忠実ですよ。
なにせ、領主直々に懲戒解雇を言い渡されたというのに、未だに懲りも反省もせず各署を回って甘い汁を求めているんですから」
「……それはまた、なんとも
「ええ。最高の
ダヴが作った協力者たちは、大体がこういった手合いの人間だ。
弱みがあるからこそ、頼めば協力してくれる。
信念のある者ならば端から
ただ、だからといって全く使えない訳ではない。
腐った者は、腐った者なりに使い道がある。
マッシュが拷問したギルド職員の存在を知らせてくれたあの内通者がいい例だろう。
それは現トーア法衣男爵も同じ。
政治から追放されはしたが、貴族街の中で人を探すくらいのことはまだできる。
彼の性格と彼の現状を考えれば、「今までの借りの返済」を持ち出すよりも「これからの利益」を匂わせた方がいいだろう。
こちらから「多額の報酬を支払うから二人の行き先を調べてくれ」とでも言えば、一も二もなく尻尾を振ってくれるはずだ。
追い詰められた鼠ほど視野が狭いものはない。
「では、我々が動くのはトーア法衣男爵からの情報が届いた後、ということですかな?」
「ええ。ポーション師サムがどこに逃げ込んだのか、誰が招き入れたのか、まずはそれを探らせます」
「それが判明したら?」
「隙きを伺って拉致します」
平然とそう言ったダヴに、ウォルトは目を見開く。
「そ、そんなことができるのですかな?」
「困難極まるでしょうが、不可能ではありません。
最悪、貴族街の何処かで騒動を起こして、どさくさに紛れて拉致しますよ」
貴族街を守る騎士団の実力を考えると、陽動部隊が無事に撤退できる確率はそれほど高くないだろう。
拉致部隊も、サムたちが逃げ込んだところの警備状況によっては全滅もあり得る。
確実に命懸け……いや、多大な犠牲が出ることは目に見ている作戦となるだろう。
だが、それでもダヴは躊躇なくこの作戦を立案した。
全ては祖国の勝利のため。
命など惜しくはない。
「ウォルト支部会長には、拉致した二人を我々の活動拠点に移すための輸送手段を提供してもらいたいと思います」
「了解いたしました。
内周城壁のすぐ外に、荷馬車を用意いたしましょう。
荷台が二重底になっている特別仕様のもので、一度も使用したことがない新型です。
騎士団に検査されたとしても誤魔化せるでしょう」
ウェストノード商会が隠し持っている仕掛け付きの荷馬車だ。
これまでは使う機会がなかったが、今こそ使い所だろう。
「では、各々、準備を始めてください」
そう言って、ダヴは会議を締めくくった。
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