134. NP:Ain't no rest for the wicked

 ――――― ★ ―――――




「クソがぁぁぁ!!」


 蹴飛ばされた椅子が音を立てて壁にぶつかり、無残に砕け散る。


「あいつら、また邪魔しやがってぇぇぇ!」


 まるで子供の癇癪のように、部屋の主であるアルバーノは暴れ回る。

 八つ当たりされた調度品は尽く壊され、散らかされた室内は嵐が通った後のようになっていた。


「テメェもだ、レストーレアぁ!」


 怒りの矛先が変わり、側で控えていたメイドに向かってグラスが投げ付けられる。

 メイド──レストーレアの身体能力をもってすれば目を瞑ってでも避けられたそのグラスを、しかし彼女は避けなかった。

 まるで主人の八つ当たりを受け入れるかのように、彼女は直立不動を保つ。

 ボカッ、と鈍い音がして、レストーレアの額から一筋の紅線が流れ落ちる。


「テメェが居ながら、なんであのチビ助を仕留めきれなかった!?」


 思い出されるのは、子供のような見た目の刺客。

 相対的に魔法が得意なはずのノーム族でありながら徒手格闘をチョイスしている、非常に稀な存在だ。


 先のスラムでの戦いで、アルバーノ一家は多くの手下を失い、代わりに4人の刺客を討ち取った。

 敵の総数が10人程度ということを考慮すれば、半分近くを討ち取ったということになる。

 決して少なくない戦果と言えるだろう。

 だが、刺客たちの最大戦力と思しきあのノームの格闘僧モンクだけは、ほぼ無傷で逃してしまった。


「申し訳ございません」

「謝って済むと思ってんのか、ああん!?」


 刺客たちは、かなり高いレベルで連携を取っていた。

 個人戦が得意なアルバーノも、連携の訓練などしたことがない「火消し」率いる手下たちも、彼らの連携に終始翻弄され、人数で圧倒しているにも拘わらず互角の戦いを強いられた。

 もしストーレアが素早くあのノームの格闘僧モンクを始末できていれば、戦況は全く違ったものになっていただろう。


「テメェが遊んでたせいで、例の野郎とスラムのガキを逃したんだぞ!?」


 完全に言いがかりである。

 レストーレアは、たった一人で件の格闘僧モンクを抑えていたのだ。

 決して無為に遊んでいたわけではない。


 件の格闘僧モンクは、間違いなく強敵だった。

 素のパワーとスピードもさることながら、呪われた器物カースドアイテムを主兵装とするその戦闘スタイルは、並の使い手では相手にすらならない。

 もしレストーレアがその場にいなければ、「火消し」やアルバーノが奴に討ち取られていた可能性すらあっただろう。

 それだけあの格闘僧モンクは強く、故に、それを抑えていたレストーレアの功労は大きい。

 褒められこそすれ、決して責められるべきではないだろう。


「どう落とし前つけんだゴルァ!」


 今度は酒のボトルが飛び、レストーレアの鳩尾に直撃した。

 が、まるで何もなかったかのように、彼女のその氷の刃のような美貌は微動だにしない。


「次こそは必ず」

「だぁかぁらぁ、その『次』ってのが何時なんだっつってんだろうが!

 例の野郎とスラムのガキは、スラムから完全に姿を消しやがったんだぞ!」


 スラムでの戦闘でなんとか刺客たちを引かせることに成功したアルバーノは、スラムの北部全域を隈なく捜索した。

 が、サムとグレタの行方は一向に見つからなかった。


「あのクソ爺、この俺にナメた態度取りやがって……!」


 捜索の最後に訪れた、密輸組織のアジト。

 そこで対面した首領の老人を思い出し、アルバーノはギリギリと歯軋りする。


 皺首に置かれたアルバーノの剣刃を物ともせず、逆に穏やかに諭してきた、スカイイーグルのような目付きの老人。

 その言葉は、思い出しただけでアルバーノの神経を逆撫でした。


 ──「ほっほっほ、そういきり立つでない、若いの」

 ──「こんな老耄を脅しても、渋茶と干し芋くらいしか出てこんぞい」

 ──「年寄りは記憶力がうていかん。最近は数分前の事も思い出せんくての」

 ──「分不相応なものを掴もうとしても、無駄に寿命を縮めるだけじゃぞ、若いの」

 ──「あまり生き急がんことじゃ、儂のように長生きしたければの」

 ──「まぁ、儂くらい長生きしてしもうたら、尿漏れを掃除してくれる人間を雇わにゃならんくなるがの、ふぉっふぉっふぉ」


 お前など歯牙に懸ける価値もない。

 そんな風に言われた気がした。


 アルバーノは、生き馬の目を抜く勢いで勢力を伸ばしてきた、新進気鋭のマフィアのボスなのだ。

 それを、あの老人は「若いの」「若いの」と、あたかも物を知らない子供を相手にしているかのように接してくる。

 それが、アルバーノのプライドを酷く傷つけた。


「いつか絶対ぜってぇぶっ殺してやる……!」


 だが、今のアルバーノにはそう悪態をつくのが精一杯だった。

 あの老人は、この都市における密輸のまとめ役だ。

 方々の闇組織や裏組織と取引があるのみならず、領主とも顔を繋いでいるという噂まである。

 その人脈の広さから、この領の「解決屋フィクサー」とまで言われているそうだ。

 この領に進出する際、最初に調査で出てきたのが「密輸組織『巾着鼠スマグラット』と敵対するのは得策ではない」という情報だった。

 だからこそ、アルバーノもあの場で何もせず何もできずに帰ってきたのだ。


 今は雌伏の時だ、とアルバーノは込み上げる怒りを無理やり飲み込む。


 逃亡中のポーション師を捕まえ、新薬のレシピを手に入れて領主との取引に持ち込めれば、アルバーノ一家はフェルファストで押しも押されもせぬ闇組織になれる。

 そうなれば、あの巾着鼠スマグラットも、あのムカつく老人も、恐るるに足りなくなる。



「ボス!」


 蹴破る勢いでドアが開き、手下の一人が転がるように入ってきた。


「っるっせぇぞテメェ、ぶっ殺すぞ!?」

「す、すいやせんボス!

 で、ですが、それよりもヤベェ事が!」


 アルバーノの怒りよりもヤバいことなどない、というのがアルバーノ一家の構成員たちの一致した見解だ。

 憂さ晴らしにボコボコにされた手下は数知れず、ヘマをして殺された幹部すら居る。

 特に、アルバーノが「ぶっ殺すぞ」と口にした時は、往々にしてかなり気が立っている時であり、その言葉は大抵が脅しではなく予言だ。

 そんなアルバーノの怒声にも萎縮せずに報告を続けようとするあたり、かなりの緊急事態だろう。


「……んで、何がどうした?」

「へ、へい!」


 重要案件だと察したアルバーノが、僅かばかりにトーンダウンして手下の報告に耳を傾ける。


「そ、それが──」


 ゴクリと唾を飲み込み、手下は報告した。


「『夢売り』の兄貴が、その……殺られちまいやした!」

「ああ?」

「ボスの命令通り、赤竜組のアジトを襲撃しやしたが……その、相手の若頭に討ち取られたみたいで……」


 組織の幹部は、自身がとても強いか、もしくは強い手駒を複数有しているものだ。

 そうでなくとも、幹部はその重要性から組織そのものが守っているので、身柄の安全は保証されていると言ってもいい。

 余程のことでもなければ、幹部が死ぬなどということは起こりようがない。

 それが、今回の赤竜組襲撃では起きてしまった。


「チッ」


 アルバーノが舌打ちする。


 麻薬部門を統括する幹部の死。

 それは組織内人事に大きな波乱をもたらし、組織全体に影響を広げる。

 アルバーノ一家は、ボスであるアルバーノを頂点とした完全独裁体制のマフィアだが、派閥争いや内部闘争がないわけではない。

 現「夢売り」が死亡した今、次代の「夢売り」が誰になるのか、各派閥による熾烈な点数稼ぎと牽制合戦が始まるだろう。

 ボス絶対者であるアルバーノの歓心を得られた者が、次代の「夢売り」という地位を手に入れられるのだ。

 これから訪れるだろう波乱に、手下は汗した。



「ったく、しくじりやがって。

 襲撃すらまともにできねぇのか、あの無能は」



 が、アルバーノの口から出てきたのは、幹部の死を悼む言葉でもなければ、幹部を殺した敵に対する憎悪でもなかった。


「次の『夢売り』はもちっとマシな奴を指名しねぇとな」


 まるで初めて行った飯屋が思ったほど美味しくなかった時のような、大して残念にも思っていないような反応だった。


「そのなんとか組ってヤクザには後でたっぷりとお礼参りするとして、だ」


 戦死した「夢売り」の話などこれで終わり、とでも言うように、アルバーノは気を取り直してメイドに向き直った。


 幹部の戦死など、アルバーノにとってはその程度のことでしかない。

 いくらでも替えが効く首。

 それ以上の価値などないのだ。


 あまりの無情さに戦慄する手下を放っておき、アルバーノはレストーレアを睨みつけた。


「先ずはテメェの落とし前だ、レストーレア」


 厳しい声でそう言ってみたものの、彼にレストーレアをどうにかする心算はない。


 自分の手駒の中でレストーレアほど使い勝手がいいのは他にない、とアルバーノは確信している。

 レストーレアは自分でも苦戦するほどの使い手だ。アルバーノ一家において武力最強である自分の護衛が務まるのは、彼女をおいて他にないだろう。

 それに、彼女は自分以上の情報網を有している。タイムリーな情報に基づいた彼女の的確なアドバイスに、これまで何度救われたことか。

 更に、彼女はかなりのあげまんだ。遅々として進まなかった勢力拡大も、彼女と出会ってからは洪水のように抵抗なく進んでいる。

 加えて、彼女はなかなかの上玉である。そのシャープな美貌と艶めかしい肢体は見ているだけで男心をくすぐるし、ムラっときたときは場合を選ばずに解消してくれる。

 何より、彼女は自分に絶対服従だ。別に「奴隷契約」をしている訳でもないのに、何をしても嫌な素振りを見せず、何を命じても素直に従ってくれる。その忠誠心がどれだけ厚いか、これまでの付き合いで十分に理解している。


 つまり、レストーレアは手駒の中で最も価値が高い、ということ。

 幾らでも替えが効く各部門の幹部とは訳が違うのだ。

 だから、今回のような失態に対しては、口では「落とし前」がどうのと言うが、実際には彼女の責任を深く追求しようなどとは思っていない。

 何しろ、レストーレアが失態を犯すなど、知る限りこれが初めてなのだ。

 有能で忠実な手駒が初めて失態を犯したからといって厳罰を与えるほど自分のケツの穴は小さくないし、そんな非効率な真似をするほど馬鹿でもない。


 ただ、やはり「これ以上の失態は許さない」と警告する必要はあるだろう。


「今回の失態、どう落とし前つける?」

「はい──」


 何時もと変わらない感情の窺えない顔で、レストーレアは応じた。


「それでは、今度こそ標的である二人を捉えることで、落とし前とさせていただきます」

「あん?」

「逃亡中のポーション師サムとスラム住人グレタですが、二人の動向を掴みました」

「んだと!?」


 あまりにも唐突な情報に、思わず驚愕するアルバーノ。

 が、その驚愕はすぐに怒りへと変わり、レストーレアへとぶつけられる。


「なんでそれを早く言わねぇ!?」

「つい先程入った情報ですので」


 あまりにも納得のいかない返答に、思わず手が出そうになるアルバート。

 だが、奥歯を噛み締めることでなんとか怒りを鎮めた。


 ずっと自分と一緒に居た彼女が、一体どうやって「つい先程」の情報を得られるのか。

 本当に、小一時間問いただしたい気分だ。

 訳の分からない情報源を持っている女だというのは出会った時から分かっていたが、ここまで得体が知れないとは思っていなかった。


 ふしゅぅぅ、と抑えた怒りをため息に載せて吐き出す。


 このメイドが何時、何処で、どうやって標的二人の生情報を手に入れているのか、ここで問いただしたとしてもきっと教えてはくれないだろう。

 それで今日まで彼女を不都合なく使ってきたのだから、今更無理に知ろうとは思わない。


「……で、野郎とガキは今、何処にいる?」

「貴族街です」

「あ?」

「貴族街に入っていく平民の青年とみすぼらしい少女が、通行人によって目撃されております」

「チッ、貴族街かよ……」


 貴族街は、領地を統治する貴族や街の重役、よそからの賓客などが滞在する場所だ。

 警備を領主の騎士団が一手に取り仕切っているため、その厳重さは蟻の這い出る隙もないほど。

 索敵の魔法道具マジックアイテムもいくつか配置されているらしく、気付かれずに侵入するのは至難の技である。


 新薬のレシピを持っているサムとグレタが領主に接触すれば、アルバーノたちの敗北が確定する。

 そうなる前に、なんとしてでも貴族街に逃げた二人を捕らえなければならない。


「……こうなりゃあ殴り込みか?」

「それは得策ではありません」


 貴族街へ押し入ることは重罪だ。

 鞭打ちや棒叩きで済む軽犯罪とは違い、領主への謀反と見做され、その場で殺されるか、捕らえられて処刑される。

 これから新薬のレシピを片手に領主と交渉しようという人間が暴力で貴族街に押し入るなど、始まってすらいない交渉を自分の手で潰すようなものだ。

 得策ではない、とレストーレアは婉曲に表現したが、憚らずに言えばただの愚策である。


「じゃあ、どうするってんだ?」

「敵を使いましょう」

「は?」

「御存知の通り、我々の邪魔をしている刺客たちは、他国の工作部隊です」

「ああ、そんなこと言ってたな、確か」

「例の二人が貴族街に逃げたということは、領主と接触し、庇護を求めることが目的です。

 であれば、敵もあの二人をそのままにしておく筈はありません。

 必ず、何らかの妨害を図るでしょう」

「あのウザってぇ黒ずくめ共が動くのを待つってのか?

 あいつらに先を越されて野郎を殺されたらどうすんだ?」

「それはありません。

 ポーション師サムと冒険者ミモリーに一度逃げられた時点で、彼らには『レシピを隠されたかも知れない』という不確定要素が残ることになります。

 敵の目的がレシピの抹消である以上、他にレシピが残っていないという確信を得られない限り、彼らがポーション師サムと冒険者ミモリー、そしてスラム住人グレタを安易に殺すことは無いでしょう」

「ほう?」

「刺客たちが隠れ蓑にしている大商会は、我々とは違い、貴族街にも数多の伝手を有していると思われます。きっと、その伝手をフル活用してポーション師サムとスラム住人グレタを探してくれることでしょう」

「なるほどな。俺たちは最後にオイシイとこだけ頂く、ってか?」

「ご明察です」

「いいぜぇ、気に入った!

 特にあの邪魔くせぇ黒ずくめ共を利用するだけ利用して最後にメンツをぶっ潰すってところがいい!」

「上手くいくかはかなり運に左右されますし、臨機応変な行動を要求されますが、このまま我々で貴族街に突入するよりは成功が見込めます」

「それでいい」


 アルバーノは満足げに口角を上げる。

 その悪意のありそうな顔には、愉悦が浮かんでいた。








◆◆◆◆◆ あとがき ◆◆◆◆◆


 *****闇組織と裏組織の違い*****


 闇組織:

 犯罪行為を主要活動としている組織。存在そのものが違法。

 

 例:盗賊団、闇ギルド、某醒めない夢を見ているだけのカウボーイが所属していた組織など。



 裏組織:

 正規組織の裏で活動する秘密部署、もしくは存在を公開せず秘密裏に活動する組織。

 必ずしも犯罪を犯すわけではないので、存在そのものは完全違法ではなくグレー。

 

 例:商会の揉め事処理部門、冒険者ギルドの粛清部隊、某表向きには存在しないことになっている攻性の公安組織など。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る