131. S01&03:Run Trapped rats, run!
――――― Side: 01 & 03 ―――――
赤竜組の組長室に避難していたグレタとサムは、外の騒音に首をすくめた。
剣撃の音、狂ったような雄叫び、組員の怒鳴り声。
暴力の匂いが強いそれらの音が静かな組長室にまで届き、二人の神経を磨り減らす。
この部屋の主である組長のトージは、この場には居ない。
若頭であるヨーキリーだけが指揮を取っていることから、他の上級幹部たちも不在であるのは明白だ。
組長や幹部が何時も事務所に詰めていなければならないという規則はないが、それでも彼らがこの場に居てくれればと思ってしまう。
ヨーキリーや彼の舎弟たちの実力を信用していない訳ではないが、やはり強い人間は多いに越したことはない。
戦闘とは無縁の二人だからこそ、余計にそう感じてしまう。
「グレタの嬢ちゃん!」
呼びかけに応じて扉の鍵を開けると、一人の男が入ってきた。
東メイン通りでの襲撃の時にヨーキリーと一緒にいた、彼の舎弟の一人だ。
「ちとばっかし
もうじきこの部屋まで来ちまう」
「そ、そんな、ヨーキリーさんは!?」
「はっ、兄貴が簡単に殺られるかよ。
兄貴の刀の音もしてることだし、そこは安心しな」
「よ、良かった……」
「それよか、お二人さんだ」
少しばかり苦い顔で、男が言う。
「ここも、もうじき敵がなだれ込んでくる。
あっしらだけなら普通に戦って勝てるが、お二人さんを守りながらだと、ちとばっかし怪しい」
ただ敵と戦うのと誰かを守りながら戦うのでは、話が完全に別物だ。
特に自衛能力がほぼ皆無の対象を護衛する場合、熟練の騎士や冒険者ですらうっかり抜かることがある。
暴れることが専門の
「万が一があるといけねぇ」
そう言って、男は二人を部屋の隅にまで連れて行く。
床板の一枚を剥がすと、中に手を突っ込んみ、何かを力いっぱい引いた。
すると、直ぐ側の壁がスライドし、50センチ四方の隠し通路が姿を表した。
「抜け道だ。『西メイン通り』に面している隠れ家に繋がってる。
お二人さんはここから逃げな」
抗争やカチコミと隣り合わせている
アジトに隠し通路の一つや二つ、作っていても不思議ではない。
今回は、それを使わせてもらえるらしい。
「じゃあな、お二人さん」
「本当に、ありがとう」
「お、お世話になりました」
別れを済ませ、グレタとサムは隠し通路に這い入る。
背後から戦闘音が二人の耳に届いたのは、隠し通路の扉が閉まった僅か数秒後だった。
◆
暗くジメジメした隠し通路を進むこと1時間強。
屈みっぱなしのせいで腰と膝がそろそろ限界になってきた頃。
グレタとサムは、遂に突き当りにぶつかった。
隠し通路の終わりと思しきその突き当りには、薄く作られたレンガ壁がある。
レンガの隙間からは、オレンジ色の夕日が差し込んでいる。
その薄い壁を蹴り破って這い出いると、そこは何処かの裏路地だった。
隠し通路の周囲は、意図的に積み上げられた木箱やゴミなどで隠されており、人気はない。
目隠し代わりの木箱の山を退かして喧騒のする方に行ってみれば、そこは行き交う人々で賑わう、広々とした大通りだった。
舎弟の男の言う通り、ここは「西メイン通り」だ。
「こ、これからどうする?」
サムが恐る恐るグレタに尋ねる。
今は夕方。
ちょうど日番の仕事終わりで、夜番との入れ替わりの時間帯だ。
大通りは行き交う人々で埋め尽くされており、活気ある喧騒に包まれている。
買い物をする主婦、急ぎ足で歩く職人、うるさく騒ぐ冒険者、売り切りを狙う商人。
一日の労働の終わりに食堂で夕食を取ろうとする者もいれば、飯よりも酒の気分なのか露天で食事を済ませる者もいる。
友人や同僚と肩を組んでスキップで娼館に直行する者もいるし、嫁に帰りを急かされているのか早足で帰路につく者もいる。
普段と何ら変わらない、見知ったいつも通りの大通り。
それなのに、今のサムには何故か少し怖く感じられた。
繰り返し襲撃され、幾度も命の危険に晒され続けたせいか、見る人見る人が全て襲撃者に思えてくる。
もはや軽い
「……これ以上宛もなく逃げるのは無理ね」
険しい目つきでそう呟くグレタ。
敵は、グレタが誰も来ないと踏んでいたスラムの廃棄区域の情報を掴み、グレタの身元やカーラの存在まで特定した。
そして、二人が赤竜組に逃げ込むのを見計らったように、事務所へ襲撃を仕掛けた。
何処に逃げても、敵はすぐさまその場所を特定し、襲いかかってくる。
自分たちがまだ捕まっていないのは、色んな人が助けてくれたお陰と、純粋な運の賜物だろう。
だが、それもここまでだ。
これ以上はもう逃げ場がない。
完全に詰みである。
「……こうなったら、領主のところに逃げるわよ」
「え、えええええっ!?」
領主といえば、領地における最高権力者だ。
そんな領主のところに一平民が駆け込むなど、常識的に考えてありえない。
現代の地球に置き換えれば、チンピラに追いかけられているから保護を求めてホワイトハウスに駆け込むようなものだ。
普通に常識はずれである。
「そ、そんなの無理だよ。
そもそも、僕たちじゃ『貴族街』にすら入れないよ」
内周城壁に守られている「貴族街」は、東西南北の四方に城門があり、それぞれの門に領の騎士が門衛として配置されている。
出入には通行証の提示が必須であり、無許可で押しかけようものなら問答無用で逮捕される。
貴族や要人が住む「貴族街」への不法侵入は重罪だ。
戦時でもない限り、平民が貴族街に逃げ込んでいいなどということはないし、やれば理由問わず処刑が待っている。
どう血迷っても、それを実行に移そうとする者いないだろう。
グレタが逃げ込もうと言っている
一介の平民でしかないサムとグレタでは、どう足掻いても辿り着くことはできないだろう。
「今回のことは、領主にとっても結構な大事のはずよ。
話くらいは聞いてくれるかもしれないわ」
都市内での白昼堂々の戦闘に始まり、衛兵隊の殺害、スラムでの大規模騒動、そして歓楽街での襲撃だ。
どれを取っても騎士団が動く大事件である。
それに、今回の騒動は領を揺るがす「コネリー難」を解決する特効薬──「コネリーの赤・改」も関係している。
為政者として、これを見逃すことはできないだろう。
「どの道、もう逃げる場所なんてないのよ。
なら、牢屋に入れられた方が、もしかしたらこのまま逃げ回るよりもマシかもしれないわ」
「そ、そんな……」
万事休す。
そう思っているのが在々と分かる顔で、サムは項垂れた。
「そんなに悄気げないの」
励ますように、グレタがバシンとサムの背中を叩く。
「きっと、なんとかなるわよ」
気楽そうな、本当になんの心配もしていないかのような顔で、グレタはそう断言した。
「……ポジティブだね、グレタは」
負けたよ、とでも言うかのように、サムが困った顔で笑う。
カーラが生きていると確信してからのグレたは、なんだかとても明るく、とても強くなった気がする。
勿論、肉体的な強さではなく、精神的な強さだ。
まるで一本芯が通ったかのような、何か揺るがないものを掴んだような、そんな強さを持ったような感じだ。
「あたしにはね、
首元の刻印を指差しながら、グレタは不敵に笑った。
「フードを被った悪魔が
「そ、それは……」
なんか嫌だな、とサムは思ったが、流石に口にはしなかった。
その性質から、グレタたちスラムの住民や歓楽街で働く人々を始め、闇ギルドの幹部や犯罪シンジゲートの首領に至るまで、所謂「裏社会に生きる者」たちの多くが
そんな
聖典には「人を誘惑し、堕落させ、悪事を働かせる存在」と記されている。
悪魔の誘惑に屈さなかった者は、死後、悪魔によって魂を
逆に、誘惑に負けてしまった者は、死後、魂を地獄に落とされ、悪魔たちによる永遠の責め苦を受けることになるそうだ。
そのため、悪魔は神の眷属の中でも最も人々に恐れられ、忌み嫌われている。
というか、
そんな冗談を不敵な笑みで言われても、ちっとも笑えない。
いや、もしかしたら、あながち冗談ではないのかも知れない
彼女はすでに「即死しない限り死ねない」という呪いを掛けられている。
ならば、「悪魔が憑いている」という彼女の発言にも、変な真実味が帯びてくるというもの。
世の中には、変な呪いを受けている人間がたくさんいると聞く。
グレタのように「悪魔に憑かれたが故に呪われる」というケースもあるかも知れない。
「って言っても、ぜんぜん頼りになんかできないんだけどね」
前言撤回するかのように、グレタは肩を竦める。
「なんの事前説明もくれなかったどころか、これだけの事態になっても姿すら見せやしない。
結局の所、
助かりたければ、自分たちの力でなんとかするしかないわ」
──汝、神々の御加護に縋ることなかれ、怠惰なる者に神々は微笑まず、微笑まれぬ者に救いは無し。
神頼みを戒め、自助努力を勧める、神殿の教えの中でも最重要となる信条の一つだ。
それに近いことをこんなにも真面目な顔でしみじみと呟くなんてグレタってとっても敬虔なんだなぁ、と変な感心を抱きながら、サムはグレタに頷いた。
「分かったよ。
貴族街に行って、領主様に会いに行こう」
グレタの強い姿に勇気づけられたのか、それとも彼女の前向きな態度に感化されたのか、はたまた「悪魔憑き」というパワーワードに迷いを吹き飛ばされたのか。
サムは全てを受け入れたような顔になっていた。
「もしかしたら、案外ちゃんと話しを聞いてくれるかもしれないしね」
「そうそう。最悪でも不法侵入罪で地下牢送りになるだけだから、大丈夫大丈夫」
「いやそれ後に処刑が待ってるからぜんぜん大丈夫じゃないよね!?」
ジャイアントアースワームの巣穴は、行き止まりも多いけれど、必ず出口があるという。
何事も、滅気ずに進めばなんとかなるものだ。
そう思えるのは果たして目の前に希望があるからか、それとも窮途末路でこうでも思わなければやってられないからか。
その答えは、本人たちにも分からなかった。
◆
東西南北、四本のメイン通りが唯一合流する一帯。
フェルファストのど真ん中にある、広大な区画。
内周城壁に囲われた、政治と経済の中心地。
それが「貴族街」だ。
「ぉ、ぉぉぅ……」
サムとグレタは、その貴族街へと通じる西側の門──「西内門」の前に来ていた。
花の意匠が施された鋼鉄製の城門は開かれており、左右には「ストックフォード騎士団」の鎧を着た門衛が3人ずつ立っている。
「な、なんか迫力あるね……」
もう既に高貴な雰囲気が漂いだしている貴族街の城門に、二人は圧倒されていた。
普段から高貴や贅沢とは無縁の二人からすれば、まさに住む世界が違う場所である。
「い、行くわよ!」
強者然とした6人の
もう、退路はない。
恐る恐る近づいていくるグレタとサムに、4人の騎士が視線を向け、残りの二人が周囲の警戒を続ける。
「あ、あの……」
へっぴり腰なグレタの呼びかけに、騎士の視線が集まる。
それだけで、グレタは思わずが口を閉じてしまった。
スラムの住人は、生きていくために、時には軽犯罪に手を染めなければならない。
真面目に生きていきたいと思っているグレタですら、違法稼業でしかまともな収入を得られていないのだ。
そんな彼女からすれば、騎士とは取り締まる側の人間であり、ある意味「天敵」だ。
騎士にここまで近づくのが初めてなら、騎士からここまで注目されるのもまた初めて。
心境としては、ブラッドヴァイパーに睨まれたフィールドフロッグのようだった。
ゴクリと無理矢理に唾を嚥下し、グレタは勇気を振り絞って本題を告げる。
「あ、あたしたち……りょ、領主様に、用が、あります」
「…………」
「だ、大事な用です。と、通して、もらえませんか?」
「…………お前達、名前は?」
「グ、グレタとサムです」
目を細めて二人をしげしげと観察する騎士。
二人の格好から身分や身元を特定しているのだろう。
一か八か。
二人は、騎士の言葉を待った。
「なるほど。 ────入れ」
「「…………は?」」
あまりにもあっさりと出された通行許可に、思わず呆気にとられる。
「案内する。付いてこい」
そう言って、先導するように貴族街へと入る騎士。
訳が分からないグレタとサムは、ただただその場に立ち尽くすしかなかったのだった。
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