126. S01&03:Necessary sacrifice or collateral damage

 ――――― Side: 01 & 03 ―――――




 最悪だ。

 その一言に尽きる現状に、グレタが険しい表情になる。


 目の前には悪意がありそうな顔つきの、リーダー格の男。

 周囲は彼の手下たちで囲まれており、逃げる隙き間すらない。


 ここまで人目を避け、人の寄り付かないところを選んで逃げてきたのに。

 まさか、こうも簡単に見つかってしまうとは。

 しかも、なんの前兆も掴めず、逃げる時間すら無く。


 ギリリ、と噛み締めたグレタの奥歯が鳴る。


 どうして?

 どうやって?


 ここはスラムの人間しか知らない、スラムの人間でも寄り付かない場所だ。

 貧しくて薄汚いスラムなど見向きもしないはずのマフィアが、どうしてこうも早くこの場所を特定できたのか。


「やっと見つけたぜ、お二人さんよぉ」


 ニヤリと嗤うリーダー格の男。


「にしても、『スラムの人間が逃げるとしたらここら辺だろう』ってか?

 テメェの言う通りだったなぁ、おい」


 リーダー格の足元を見ると、そこには媚び諂った笑みを浮かべた小男が土下座していた。


「は、はいぃ!

 ボス様のお役に立てて光栄ですぁ!」


 その小物臭あふれる姿に、グレタは心当たりがあった。


「あ、あんたは……」


 名前こそ思い出せないが、何時もこちらを汚らわしそうに見下していた、巾着切りを生業としていたスラムの住人だ。

 どうやら、自分たちはこの小男に売られたらしい。


「てなわけで、一緒に来てもらおうか。

 特に、そこの野郎はな」


 サムを顎で指しながら、有無を言わさない口調でリーダー格の男が言う。


 サムに一緒に来るよう求めるということは、この男たちはサムを殺してレシピを葬り去りたい勢力ではなく、拷問してレシピを独占したい勢力ということ。

 ならば、まだやりようはある。


 グレタはサムの背後に回ると、腰からナイフを抜き取り、


「動くんじゃないよ!」


 サムの首にナイフを突きつけた。


「道を開けな!

 さもないと、こいつを殺すよ!」


 意図して乱暴な言葉を使い、男たちを脅す。

 相手が欲しているのがサムの身柄なら、サム自身が相手にとっての弱点になる。

 逃げ道がない以上、サムを人質に取る以外に、二人がこの場を逃れる術はない。


「おいおい、いいのかよそんな事してよぉ。

 なぁ、グレタちゃんよぉ?」


 しかし、リーダー格の男はグレタの行動に慌てもせず、逆に気持ち悪い笑みを浮かべた。


「今度はこっちの番だな、グレタちゃんよぉ」


 なぜ自分の名を知っているのか、それを考える暇もなく、リーダー格の男の後ろから大柄の男が姿を見せた──


 一人の少女を羽交い締めにしながら。


「そんなっ……カーラ!」


 それは、グレタの最も大切な親友家族

 盲目の少女カーラだった。


「その野郎を渡さねぇと、このカーラちゃんがどうなるか分からねぇぞ、なぁおい?」


 嘲笑うかのように、面白がるように、リーダー格の男がグレタに嗤い掛ける。


「ごめんね、グレタ」


 焦点の合っていない瞳をグレタに向けながら、カーラは悲しそうに謝る。


「カーラ!」


 憤怒。焦燥。後悔。

 色々な感情がグレタの中に湧き上がり、ドロドロに混ざりながら、頭を満たしていく。


 どうしようもない。

 ここで相手に従わなければ、カーラが殺される。

 だが、従ったとして、果たして相手は本当に見逃してくれるだろうか。


 相手はマフィアだ。

 どこまでも残忍で、どこまでも身勝手で、どこまでも理不尽な連中だ。

 要求どおりサムを引き渡しても、きっと自分とカーラは口封じのために殺されるだろう。


 ここでサムという賭け金チップを手放すのは、きっと一番愚かな選択なのだろう。

 だが、手放さなかったとして、それでどうすればいい?

 今度はカーラがマフィアタチに殺されるだけだ。


 究極の選択に、グレタの目頭から大粒の涙がこぼれ落ちる。


 こんな理不尽を強いるマフィアたちに、怒りが湧き上がる。

 何を選んでも詰んでしまう現状に、焦燥が湧き上がる。

 こんな仕事引き受けるんじゃなかった、と後悔が湧き上がる。


 噛み締め過ぎた唇から一筋の赤い線が顎へと流れ、涙と合流して淡赤の雫を落とす。


 サムを渡せば、自分とカーラは死ぬ。

 サムを渡さなければ、カーラは死に、自分の心も死ぬ。


 無理だ。

 どうするか決めるなど、自分には無理だ。


「おら、早くしろや」


 リーダー格の男が催促すると、カーラを羽交い締めにしていた大男が見せつけるようにカーラの首に剣を押し当てた。

 剣など使わずとも、大男がちょっとでも力めば、カーラの細い首は簡単にへし折れるだろう。

 それでも剣を持ち出したのは、グレタに分かりやすいように見せつけるためだろう。

 暴力と脅迫に慣れた、マフィアらしいやり方だ。

 そして、それはとても効果的だった。


「グレタ……」


 ボロボロと涙を流しながら苦悩するグレタの名を、カーラは悲しそうに呼ぶ。


 見えていなくとも、親友が今どんな顔をしているのかは手に取るように分かる。

 グレたが自分をどれだけ気にかけ、どれだけ大切に思っているか、語る必要すらない。


 だからこそ、彼女が悲しむのはとても辛い。

 だからこそ、彼女を苦しませることはできない。


「いいぜ、カーラちゃんよぉ。

 テメェからも言ってやってくれよ、なぁ」


 嗜虐心を隠しもしない笑顔で、リーダー格の男がカーラに話しかける。

 ここでカーラが弱音を吐けば、その瞬間にグレタは陥落するだろう。

 リーダー格の男は、それを狙っているのだ。



 唇を噛み締め、カーラは俯く。


 そして──


「グレタ!」


 意を決したように、大声でグレタを呼んだ。


「カーラ……」


 弱々しい友人の返事を聞き、カーラは優しく微笑む。



「今までありがとう。──大好きよ」



 次の瞬間、カーラは首に押し当てられている剣に力いっぱい寄りかかる。

 そして、その剣に這わせた首筋を、自分の力で滑らせた。


 カーラの首に太い赤線が走り、鮮血が吹き出す。



「いやぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁ!」



 心を抉るような悲鳴が、グレタの喉から飛び出した。


「なっ!?」


 カーラを羽交い締めにしていた大男が、予想していなかった事態に驚く。

 が、全ては遅かった。


 自らの首を掻っ切ったカーラが、ゆっくりと崩れ落ちる。

 焦点の合わないその瞳からは、既に光が失われていた。


「このアマ!」


 リーダー格の男が怒り心頭といった様子で倒れたカーラを踏みつける。

 せっかくの人質が、自ら命を断ったのだ。

 これで、グレタに対する交渉材料が消えてしまった。


「いやぁぁぁぁカーラァァァァァ!!」

「ダメだグレタ!」


 血溜まりに沈むカーラへ駆け寄ろうとするグレタ。

 そんな彼女を、サムが羽交い締めにしながら食い止める。


「ここで君が向こうに行けば、カーラの犠牲が無駄になる!」


 サムはカーラと面識がない。

 だからか、彼はいち早くショックから立ち直ることができた。

 力の限りに、グレタを諭す。


 慟哭するグレタは、ただただカーラの名前を叫ぶ。

 が、もうカーラへと駆け寄ろうとはしなかった。


「ちっ!

 おい『火消し』、さっさと野郎を捕まえてこい!」


 人質が居なくなった今、もはや強引にサムを取り押さえるしかない。

 「火消し」と呼ばれた大男は、カーラの躯を跨ぎ、崩れ落ちそうなグレタを支えているサムへと急接近した。


 それに驚いたサムが「わっ!」と声を出す。

 ほぼ同時に、崩れ落ちていたグレタが、素早くサムの首にナイフを再び突きつけた。

 勢い余ってナイフが少しだけサムの首の肉に食い込む。


「動くなぁぁぁ!」


 憎しみに染まった瞳で、グレタが叫ぶ。

 傷ついた獣のように肩を怒らせ、鬼のような形相で周囲を睨みつける。

 そのあまりにも激しい剣幕に、味方であるはずのサムですらたじろいだ。


「お前ら全員、絶対に許さない!

 誰か一歩でも動いたら、こいつを殺してやる!

 もう知るかぁぁぁ!」


 憎しみのままに叫ぶグレタに、リーダー格の男が忌々しそうに舌打ちし、サムに接近していた「火消し」が脚を止める。


 自棄っぱちになった人間ほど怖いものはない。

 今のグレタなら、本当にサムを殺しかねない。

 カーラの自害を許したのは、手痛い失態だ。


 両者とも、動くに動けない。

 相手は、グレタたちを逃がす気などない。

 かと言って、下手に手を出せば、カーラを失って自棄になったグレタは躊躇なくサムを刺すだろう。


 硬直した局面。


 それが唐突に、打ち破られた。



 ヒュンッ



「あがっ!」


 グレタの背中に、一本の矢が突き刺さった。

 鏃は左肩甲骨の隙間から入り、心臓付近を貫いてそのまま左胸から突き出ている。


「えっ…………グレタ!?」


 崩れ落ちるグレタを、サムが咄嗟に中腰になって受け止める。

 直後、サムの顔の側──一瞬前までサムの肩があった場所を、矢が通り抜けた。


「ひっ!」


 向けられた殺意……というよりは怪我をさせてやろうという「害意」に、グレタを受け止めたサムが怯む。


 突然の出来事に最初に反応したのは、リーダー格の男だった。


「ちっ!

 しつけぇな、クソが!」


 見れば、サムたちを囲んでいた手下たちを、更に外から取り囲む一団があった。

 全身黒ずくめで覆面をした──刺客たちだ。

 人数は少ないが、確実にこちらを囲う形で展開している。


「テメェら、どうやってこの場所を掴みやがった!?」


 自分たちが苦労して掴んだこの場所を知っていることが腹立たしいのか、リーダー格の男が忌々しそうに暗殺者たちを非難する。

 が、暗殺者たちは取り合わない。

 なぜなら、彼らの矛先は全てサムに向いているからだ。


 黒ずくめの中から、子供のような外見の人間が飛び出し、へたり込んでいるサム──その脚へと向かって、小さな拳を振りかざした。

 脚を潰して動けなくさせる気だ。


「クソが!

 ──レストーレアぁ!」


 リーダー格の男の呼び声に呼応し、メイド服を着たエルフの女が何処からともなく現れ、短剣で子供のような暗殺者の拳を弾いた。


「またお前か、自傷用心棒!」

「またお会いしましたね、ちびっ子工作員」


 子供のような外見の刺客──マッシュが忌々しそうに睨む。

 メイド服を着たエルフ女──レストーレアが感情の籠もらない声色で返す。


「しつこいのはそっちだよねぃ!

 折角こっちが先にこの場所を掴んで囲んでいたってのに、よくも邪魔してくれたよねぃ!」

「それは大変申し訳ありませんでした。

 どうやってこの場所を掴んだのかは存じ上げませんが、この二人は我々が頂戴いたします」


 両者の衝突を合図に、両陣営が一斉に動き出した。


 黒ずくめの暗殺者たちがサムを捕まえようと飛びかかり、リーダー格の男とその手下たちがそれを邪魔しながら、サムを確保しようと突撃する。

 作戦目標をサムたちの「抹殺」から「確保」に切り替えた刺客たちと、最初からサムたちを生け捕りにしようとしていたマフィアたちが再度ぶつかり、状況を混迷へと向かわせる。

 互いに互いの邪魔をし合い、互いに互いを出し抜こうとサムたちへと迫る。

 まさに乱戦だ。



「大丈夫、グレタ!?」


 胸から鏃が突き出ているグレタを、サムが抱きかかえる。

 グレタはまるで息ができないかのように短くて浅い呼吸を繰り返している。

 矢は胸腔を貫いているが、目に見える出血は殆どない。

 ただ、それは筋肉と表皮の弾性と圧力で傷口が圧迫されて体外へと流血していないというだけで、傷が浅いという訳では決してない。

 寧ろ、矢が刺さっている箇所と角度を見れば、明確に致命傷だろう。


 ちょうど目の前でマフィアの男が一人、刺客の矢に倒れた。

 サムたちを囲んでいた包囲網に、小さな穴が空く。


「行くよ!」


 グレタを引きずり、サムは必死にその穴から逃げる。

 勿論、それを許す者はこの場に居ない。


 刺客の投げナイフがサムに迫る。

 それを、「火消し」が弾く。


 マフィアの手下の一人が、ノロノロとグレタを引きずるサムへ手を伸ばす。

 それを、刺客の一人が斬撃で止める。


 マフィアの手下の一人がサムとグレタに投網を放る。

 それを、刺客の一人が空中で切り裂く。


 刺客がサムの足元目掛けボーラを投擲する。

 それを、マフィアの手下の一人が蹴り落とす。


 刺客の一人が真横に吹き飛ばされ、元々脆かったボロ屋を数軒まとめて崩壊させた。

 巻き上がった土煙の中から、刺客を蹴り飛ばしたリーダー格の男が飛び出し、サムの襟首を掴んだ。


「やっと捕まえたぜ、この野ろ────っ!?」


 が、すぐに数本の矢と投げナイフが飛んできて、リーダー格の男は仕方なくサムから手を離し、それらを迎撃。

 その隙きに、サムはグレタを抱えながら更に逃げる。


 目的地などない。

 サムでは方向すら分からない。

 だが、それでも逃げる他ない。

 この場に残れば、待っているのは拷問と死だけだ。

 それは、グレタも同じだろう。


 だから、サムは脇目も振らずに逃げる。

 グレタを置き去りにせぬよう必死に抱えながら、その両脚が動く限り。

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