125. S01&03:Here is wisdom
――――― Side: 01 & 03 ―――――
「う〜ん」
夕日で薄暗くなったボロ屋の中に、サムの悩ましげな呻きが響く。
「どうしたの?」
拾った魚の骨をカラッカラになるまで炙って作った骨せんべいを齧っていたグレタが、悩むサムに首をかしげる。
「この図のことなんだけど……」
「なにか分かったの?」
包帯の客が残した手がかりと思われる「2草1葉」を正三角形の頂点にそれぞれ配した図を睨むサム。
もうすでに丸々一日、こうしてこの図の解読に没頭している。
「これだけじゃ、レシピの逆算はできない、かも」
「えっ」
「この『ニューマン』ってのが何なのか分からないんだ。
これじゃあピースの足りないパズルだよ」
「そんな……」
レシピの入手が身の安全へと直結する今、この図からレシピを逆算できなければ、サムとグレタは追手に対してイニシアチブが取れない。
ここが原作者の工房であるのなら、レシピに繋がる手がかりはすべて揃っているはず。
ここにないとなれば、そもそも手がかりなど何処にも無かった、ということになる。
「そんな顔しないでくれよ。
恐らくだけど、この『フジク草』の下に書いてある『ニューマン』っていうのが鍵なんだと思う。
薬草の名前なのか、それとも処理の仕方なのか、はたまた人の名前なのか。
『コネリーの赤』関連では見たことないから、一般公開されている資料には載っていないはず。
なら、一般公開されていないギルドの秘匿資料室に行けば、何か分かるかも知れない」
「そう……」
残念そうに眉尻を下げるグレタだが、専門的なことは全てサムに任せると決めているのか、直ぐに気持ちを切り換えた。
少し冷めてきた骨せんべいを焚き火にかざして再加熱し始める。
腐りかけの食べかすである魚の骨ですら、グレタの手にかかれば骨せんべいという立派な料理に早変わりする。
彼女が居なければ、今頃サムは不安と空腹でぐったりとしていただろう。
なかなか太めの魚骨を炙るグレタを眺めながら、サムはスラムに住む人々の知恵に素直に感心した。
「────ん?」
サムの動きが、思わず止まる。
焚き火の上で魚骨をゆらゆらと動かすグレタの仕草に、目が釘付けになった。
「炙る……」
それは、果たして偶然に舞い降りた閃きか、それともたまたま繋がったシナプスか、はたまた必然と開いた悟りか。
グレタの何気ない作業に、サムは何かを感じた。
「もしかして……炙り出し?」
炙り出しは、錬金術師の間でよく使われる情報隠蔽方法だ。
常温下では透明になる特殊なインクで文字を書き、加熱することで可視化させることができる。
シンプルな手法だが、暗号解読に慣れていない人間ならば見逃してしまう。
空白や余白が多い手紙や書類などによく隠されていたりする。
サムはグレタを押しのけ、正三角形の図が書かれた紙を焚き火にかざす。
山窮水尽が故の、ダメ元の行為。
だが、それは──
「……お、おお、おおおぉぉぉぉぉ!?」
思いがけない結果を齎した。
「こ、これはっ!?」
あろうことか、紙の空白部分──今まで何もなかった場所に、新しい文字が浮かび上がったではないか。
「えっ、なにそれ?
もしかして新しい手がかり?」
突然押し退けられて不満そうにしていたグレタだが、サムの反応を見て顔を寄せてきた。
「絶対にそうだよ!
じゃなきゃ、隠したりしないよ!」
興奮気味に答えるサム。
まさかこんな
見れば、文字が現れたのは、図にある正三角形のそれぞれの頂点。
2草1葉の名前が書かれた場所の横と、三辺それぞれの横だった。
一番上の頂点に書かれていた「フジク草」の横には「/Mg」の表記が新たに現れ、「フジク草/Mg」へと変化している。
左下の「シディミ草」の横には「/Fe」が新たに現れ、「シディミ草/Fe」へと変わっている。
右下の「ダダイル草」も、「/Ca」という表記が新たに出現し、「ダダイル草/Ca」へと変化していた。
正三角形の三辺には、それぞれの頂点を交互に指し示す矢印が2本ずつ現れており、その横にぞれぞれ「フィフトロイド」「α-フィフトロイド」「パルトロキシン」「β-パルトロキシン」と書かれていた。
「こ、これは……相関図?」
それがこの図を見たサムの直感的な感想だった。
「計6本の矢印が、2草1葉それぞれに向かって伸びている。
これは……2草1葉は互いに作用し合っている、ってことか?」
新しい情報が現れた図を指でなぞりながら、サムは分析する。
「どの薬草も、他二つの薬草に作用し、作用されている。
まるで『三竦み』……いや『三つ巴』みたいな構図だ……」
「ねぇ。それって、すごい発見?」
期待が籠もっているグレタの問いに、サムは目を図から離さずに答える。
「勿論だよ。
こんな相関図は、見たことがない」
そう言って、図を指差す。
「薬草の効能っていうのは、普通なら単独で分析するものなんだ。
でも、『コネリーの赤』に使われる『2草1葉』の場合は、それができない」
「なんで?」
「三種を合わせて処理しないと、毒が抜けないからだよ」
相関図の頂点を順次に指し示すサム。
「『フジク草』単体でも、『ダダイル草』単体でも、『シディミの葉』単体でも、毒性が強い上に毒を抜く方法がないから、単独で薬効の分析ができないんだ。
それは二種類ずつ混ぜ合わせた場合でも同じ。全部毒になって薬効分析ができない。
結局、三種類全部を混ぜ合わせないと、解毒する方法がないんだ。
だからこれまで、この2草1葉は『一纏め』として考えられていた」
本の内容を思い出すように、サムはグレタに説明する。
「互いの関係性も、薬効の相互作用も、何も分からない。
でも、三種類を全部混ぜると解毒ができるようになって、怪我に効く薬になる。
要するに、一纏めにして考えなきゃ何も進まないし、一纏めにして考えた方が都合が良かったんだ。
『2草1葉』っていう呼び方も、この一纏めにする考え方から来てるんだよ」
思考の放棄と研究の怠慢とも取られる考え方だが、実用に影響しなかったので誰も疑問に思わなかったのだろう。
もしくは、疑問に思っていても問題にはしなかったのか。
原理は分からないけど応用には問題がないのでそのまま実用化した、というやり方はどの世界でも同じだ。
「で?
その図のどこが凄いの?」
「これは、多分……2草1葉の相互関係を示した図なんだ」
「ほーん?」
「さっきも言ったけど、2草1葉はこれまで一纏めとして考えられていたんだ。
それぞれの効能の解明ができなかったし、実際に使う分にはそれで問題なかったからね。
でも、つい最近、2草1葉を解毒する要の素材──『ゲシ骨鉱』が枯渇したんだ」
「あ〜なるほど。
2草1葉を一纏めに考えていたツケが回ってきた、と」
「そういうことだよ」
これまでは2草1葉それぞれの効能が分からなくても、ゲシ骨鉱でまとめて解毒できた。
だから、2草1葉のそれそれの成分や毒性が分からなくても何の支障もなかった。
が、ゲシ骨鉱が無くなった今、2草1葉は完全に解毒不可能になってしまった。
もし、薬師たちが滅気ずに2草1葉それぞれの薬効や毒性を研究し続けていれば、或いは個別に解毒する方法が見つかっていたかも知れない。
そうすれば、此度の「コネリー難」は起きなかっただろう。
だが、そうはならなかった。
これまで良しとしてきた思考の放棄と研究の怠慢が、今こうして「コネリー難」という形で自分たちに帰ってきているのだ。
なんとも皮肉である。
「この図が凄いのは、今まで一纏めに考えられていた2草1葉の『相互作用』を表しているところだ」
見て、とサムがグレタの方に図を向ける。
「それぞれの薬草から他の二種の薬草に向かって矢印が伸びていて、他の二種の薬草からも矢印を向けられている。
これは、2草1葉が互いに影響を与え合っている、っていうことだと思う」
「ほうほう」
「それで、この矢印の下にある『フィフトロイド』とか『パルトロキシン』とかっていうのは……聞いたことはないけど、多分、作用している成分だと思う」
「へぇ〜。
じゃあ、これを書いた人は、その2草1葉の作用ってのを解明したんだ」
「そう!
そうなんだよ!!」
サムは声を張り上げ、目を輝かせる。
「彼がゲシ骨鉱を用いない『コネリーの赤・改』をうちの店に持ち込んだ時から薄々分かってはいたけど、やっぱり彼は2草1葉の謎を解明していたんだ!
100年以上もの間、誰にも成し得なかったことを、彼は成し遂げていたんだよ!」
「ちょっ、声大きいって!」
興奮するサムを、グレタが叩いて落ち着かせる。
それでようやく我に返ったサムだが、すぐに薬師の顔になって図とにらめっこを再開した。
「あとは、何がどう作用してどう解毒しているかだけど……」
ブツブツと独り言ちるサム。
それを、グレタが骨せんべいの炙り作業を再開させながら見守る。
「この矢印を『成分を分け与える』と考えるなら……」
呟くなり、サムはグレタが骨せんべいを炙っている焚き火から燃え尽きた枝を抜き取ると、その黒く炭化した先端を鉛筆に見立てて、地面に字を書き出した。
「この『フジク草』からは、『ダダイル草』へ『α-フィフトロイド』を与え、『シディミの葉』へ『β-パルトロキシン』を与えている……。
逆に『フジク草』へは、『シディミの葉』と『ダダイル草』の両方から『ニューマン』を貰い受けている……。
で、『シディミの葉』は『ダダイル草』へ『パルトロキシン』を与え、逆に『ダダイル草』は『シディミの葉』へ『フィフトロイド』を与えている……」
空はすでにオレンジ掛かっており、ボロ屋への明かり供給がそろそろ乏しくなってきている。
が、それでもサムはすごい勢いで三つ巴の相関図を地面に書きながら、考えをまとめるようにブツブツと一人唱える。
グレタは彼が集中できるよう、焚き火に枯れ枝を継ぎ足して明かりを取る。
「これらをまとめると:
『フジク草』は『ニューマン』が二つ与えられて、
『ダダイル草』は『フィフトロイド』と『β-パルトロキシン』が与えられて、
『シディミの葉』は『パルトロキシン』と『α-フィフトロイド』が与えられている」
そこで、サムが目を細める。
「この『α』や『β』って記号、読み方は分からないけど、後ろの『フィフトロイド』と『パルトロキシン』って部分が同じだから……この二つの成分に類似した成分?
なら、『ダダイル草』と『シディミの葉』はそれぞれに成分を与え合って、更に『フジク草』からそれぞれの類似成分を与えてもらていることになる。
これが何を意味するのか……」
そして、サムは「フジク草」と書かれた頂点に向かう2本の矢印と、その横に書かれた「ニューマン」という文字に注目した。
「『フジク草』だけ、他二種から同じ成分を貰っている?
……でも、それだと
図も、両方からじゃなくて片方から矢印を伸ばせばいいはずだ。
何より、この『ニューマン』だけは炙り出しで隠されてるんじゃなくて、最初から図の中にあった。
なら、他の成分と思わしき表記とは別に考えた方がいい……」
その一箇所だけ、他と違う。
ならば、そこが突破口だ。
「『ダダイル草』と『シディミの葉』からの矢印に書かれているということは、この『ニューマン』というのは新しい薬草じゃない。
となると……『ニューマン』は何らかの処理の仕方?」
それは、長年ポーションを研究してきた者にのみ舞い降りる天啓。
いや、聡明な頭脳が豊富な知識と経験に基づいて無意識のうちに弾き出した限りなく正解に近い推論、という方が正解か。
「もし、この『ニューマン』が何らかの処理方法なら、『フジク草』が他二種類の薬草と一緒に『ニューマン』処理され、そこから『α』と『β』の成分が形成され、他二種の薬草に影響を与えている、という考え方が成り立つ」
だが、問題がある。
「これが2草1葉の相互作用なら、解毒はどうやって──」
と、そこで、2草1葉の横に現れた謎の記号が目に留まった。
「そうか!
解毒にはこの『Fe』『Mg』『Ca』というのが関わっているのか!」
サムがやっていることは、「もしも」が正解であることを前提に、更に「もしも」を重ねて理論を組み立てて、それが更に正解であると仮定して、更に「もしも」を語るようなものだ。
証明すらされていない推論の上に更に推論を重ねるなど、学者からすれば愚かの極みである。
人間とは、物事を都合がいいように考えがちな生き物だ。
最初の推論が既に希望的観測で、一歩目からもう既に間違っているという確率は非常に高い。
勿論、そんな間違った一歩目を基礎に組み立てられた二歩目・三歩目が正しいはずなどない。
サムがやっていることは、まさにそれなのだ。
学者としては、とても許されない暴挙である。
が、それが適応されるのは、厳密な計算が必要な場合や、関連する知識や結論が既にある程度確立している場合だけである。
未知数が限りなく多い場合、数少ない既知の知識を基にある程度信頼できる仮定を立て、それを基礎に理論展開するというのは、未知の全体像を掴むのにいい方法だ。
例えば、完全に未知の言語を解読する場合、必ず最初に既存の言語の文法に当て嵌めて解読する。
その言語に「主語・述語・補語」が存在するかどうかすらも分からないのに、取り敢えず「ある」と仮定して解読を行うのだ。
それは暗号を解読する場合も同じで、取り敢えず既存の暗号解読法を当て嵌めてみる、という手法が一般的だ。
これらは正に「もしも」が正しいことを前提にしてその対象を解析する、という手法である。
数学的には当てずっぽうに近いが、未知を解き明かす方法としては非常に有効といえる。
「『Fe』『Mg』『Ca』……これは、古代アメイリア語?」
サムはギルドの資料室に収められている最古の資料の一つを思い出す。
「『Fe』……読み方は『ふぇ』?
『Mg』は……『むぐ』?
『Ca』は……『しぁ』?
……ダメだ、さっぱり分からない。
やっぱりギルドの資料室に行くか、古代文字が分かる専門家に見せないと。
いや、それともこれは暗号?
なら、暗号解読の専門家に頼まないと……」
興奮してからの独り言というかなり不気味な言動を取るサムに、グレタは複雑な顔で話しかける。
「ねぇ、結局レシピは手に入れたわけ?」
「ん〜、どうかなぁ。
この紙に書かれているのは、間違いなく『コネリーの赤・改』のヒントだと思うんだけど、レシピの全てじゃないと思う。
もしかしたら他にも必要な材料とか、処理方法とか、そういうのが書かれたものが何処かにあるかもしれない。
この図に関しても、まだまだ解読が必要だし、材料も作り方も全然判明はしていないんだ。
なにせ、この図だけじゃ、あの包帯のお客さんがゲシ骨鉱の代用品を見つけたのか、それとも2草1葉の新しい解毒方法を見つけたのかも分からないからね」
「それじゃダメじゃない」
「ま、まぁそうだけど……でも、ほら、完全未知数から半分解明ぐらいにまではなったから」
「いやだからそれじゃ敵との交渉に使えないじゃないのよ!」
今のサムとグレタに必要なのは、追手と交渉できる手段。
つまりは「コネリーの赤・改」の完成レシピだ。
それが手に入らない限り、二人に安寧は訪れない。
「で、でもさ、ここまで分かれば、あとは資料室で調べ物をして、工房で実験を繰り返せば、いずれレシピは判明す────」
ドーーン!
「な、なに!?」
外から伝わる爆発音に、話を中断されたサムが慌てる。
「近い……!」
良くない事が迫っている。
そう直感したグレタは骨せんべいを投げ捨て、焚き火を消す。
緊急事態だと理解したサムも、慌てて相関図が書かれた粗末な書類用紙を懐に仕舞い、地面に書いたメモを足で擦って消した。
「逃げるわよ!」
他にも何か持っていくべき物があるか辺りを見渡すサム。
そんな彼の手を、グレタが強引に引き、ボロ屋から連れ出す。
こんなスラムの奥の奥で爆発音など、どう考えても自分たち絡みだろう。
これ以上モタモタしていたら、敵に追いつかれかねない。
荷物も何もない二人が、ボロ屋から飛び出す。
が──
「よぉ」
そこで見たのは、悪意がありそうな顔の男と、ボロ屋を囲う大勢のマフィアたちだった。
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