123. NP:Savage searching

 ――――― ★ ―――――




「あぐっ!」


 夜明けのスラムに、女のくぐもった悲鳴が小さく響く。


 いつもは陰気な静けさに包まれているスラムだが、昨日の夜からは暴力と恐怖、怒号と悲鳴に満ちていた。


「さっさと吐けよ、女ぁ!」


 ハンマーのような拳が振るわれ、女の頬に直撃する。

 胸ぐらを掴まれていた女は、首だけを後ろに仰け反らせ、グッタリとする。

 もはや呻きを上げる体力すら残っていない。


 殴られては気絶し、気絶しては殴り起こされる。

 そんな暴行が、もう20分は続いている。

 女が死のうがどうでもいいと考えているらしく、容赦の気配が一切ない。


「なにチンタラやってやがる」


 女を殴っていた男の背後から、別の男が現れた。


「申し訳ねぇです、ボス。

 このアマ、なかなか口が硬くて……」


 女を殴り続けていたせいで拳が赤く染まった男が、背後から現れ男に振り返った。


「もういい。テメェは向こうの部屋にいる『火消し』の手伝いでもやってろ」

「へい」


 頭を下げ、今まで女を殴っていた男が部屋を出ていく。


 束の間の休息を得られた女は、まだそこまで腫れていない右瞼を名一杯上げて、ボスと呼ばれた男を見た。

 悪意がありそうな顔つきの男だった。

 ボスと呼ばれるに相応しい、堂々とした態度をしている。

 だが、隠しきれない残虐性が込められたその目は、見る人の心胆を寒からしめるものだった。


「でだ、女ぁ」


 殴られすぎて起き上がる気力すら無くなった女に、ボスはしゃがんでその悪意がありそうな顔を近づけた。


「さっきのヤツからも聞いたと思うけどよ、俺ら今、人を探してんだわ」


 これまでの恫喝とは違い、普通に話しているような声色。

 だが、そこには言い知れない悍ましさがあった。


「それがこの二人なんだけどよ」


 そう言って見せられた紙には、二人の男女の似顔絵が描かれていた。

 片方は気弱そうな青年で、もう片方は目つきが悪い少女だ。


「この二人な、このスラムに逃げたんだわ。

 んで、このガキの方は多分スラムに住んでる」


 似顔絵を見せびらかすようにヒラヒラと振りながら、ボスは鼻がくっつきそうな距離まで顔を近づけてきた。


「なぁ、教えてくれよ、このガキが誰で、こいつらが何処に行ったのかをよ」


 それは、純粋な脅迫。

 拒否権などない、絶対的な暴力を持つ強者の要求だ。


「し、しらにゃり」

「ああ?」

「しらない……」


 だが、それでも、女の答えは変わらなかった。

 先程の男に殴られたときと、何も。


「あのなぁ、女ぁ」


 呆れているかのような態度で、ボスが女から顔を離す。


「テメェらスラムの女は団結が堅いってのは有名だけどよぉ、流石にこの俺様に嘘を付くのはよくねぇと思うぜ?」

「し、しらない、そんな子……」

「あくまで知らねぇってか?」

「しらな────」


 ベキョ


「────あぁぁぁあああぁぁあぁぁぁ!!」


 左手の人差し指を手の甲にくっつくように折り畳まれた女は、凄惨な悲鳴を上げる。


「ナメてんじゃねぇぞこのクソアマぁぁぁ!」


 激高したボスが、今しがた折り畳んだ女の人差し指を握りしめたまま、乱暴に捻じり始めた。


「何処だって聞いてんだろうが!」

「あああぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁ!」

「こちとら暇じゃねぇんだよ!」

「いやあいぃぁぁあああぁぁぁぁああ!」


 聞いていられないほど悲惨な叫びをあげながら、女は人差し指を庇うように抵抗する。

 が、ボスの容赦ない暴力の前ではあまりにも非力だった。


「もう一回聞くぞ。

 こいつらは誰で、何処に行きやがった!?」

「ひぃ、ひぃ、ひぃぃぃ」


 あまりの痛みに答えることすらできない女に、ボスがもう一度似顔絵を突きつける。


「答えやがれ!」


 もはや左手にぶら下がっているだけとなった黒紫色の人差し指を庇いながら、女はようやくボスの質問に答えた。


「し、しらない、ほんとにしらないのぉぉぉ!」


 先ほどとなんら変わらない答えを。


「ちっ」


 忌々しそうに、ボスが顔をしかめる。


「おい、テメェ、娼婦だろ」


 苛立たし気に、ボスは女を睨みつける。

 そして徐に彼女の左乳房を鷲掴みにすると、握り潰すように力を入れた。


「いやあぁぁぁぁぁぁ!」

「最後だ、女。

 正直に答えねぇと、もう二度と娼婦として働けねぇ身体にしてやる」

「いたぁあぁぁぃぃぃ! やめてぇぇぇ!」


 残酷な宣言に、そしてあまりの痛みに、女は悲鳴を上げることしかできなかった。

 その間も、掴んでいるボスの手はどんどんと乳房の中に沈み、乳房はどんどんと赤黒く変色していく。


 スラムの人間は、常に死と隣り合わせの生活を送っている。

 そのため、死に対する忌避感が比較的薄い。

 たとえ脅しに殺害をチラつかせても、「どうせいずれは野垂れ死ぬんだ」と諦めが先行してしまい、威圧効果が鈍ってしまう。

 その代わり、後々の生活に響くような怪我や病気に対しては、一般住民よりも強い恐怖を抱く傾向にある。

 今の生活ですら苦しいのに、身体に障害を残すようなことをされたら更に苦しくなってしまう。

 理不尽の中に生きる者たちだからこそ、今以上の理不尽を恐れるのだ。


 ボスの男がやっているのは、まさにその心理を突いた拷問だ。

 軽々しく殺すなどとは口にしない。

 ただただ後遺症を残すような方法で暴力を加え、相手を心理的に追い詰める。

 実際に相手がどうなろうとボスの男は損をしないのだから、手加減する必要もない。

 その容赦の無さがより心理的圧迫に威力を与え、相手の自白を促す。

 スラム住人の特徴をよく理解している、ひどく残酷で、ひどく高効率な尋問方法だった。


 そろそろ女の乳房を掴んでいるボスの手の下からプチプチとなにかが細かく潰れる音が聞こえてきた頃、


「ボス」


 部屋の扉が開かれ、厳つい大男が入ってきた。

 ここはスラムの入り口に近い建物の一階で、今はこのボスとその手下たちが無理やり占拠している。

 使用用途は、もちろん尋問だ。

 この部屋だけでなく、周辺数軒も同じように尋問部屋として占拠されており、中ではスラムの住人が痛めつけられている。

 この部屋に入ってくるということは、この厳つい大男も、目の前にいるこのボスの一味なのだろう。


 呼びかけに振り返ったボスの男は、部屋に入ってきた大男と、引きずられているボロ雑巾のような小男を見た。


「何だ、『火消し』?」


 やはり知り合いだったらしく、ボスの意識が「火消し」と呼ばれた大男に向く。

 それでようやく、女の乳房がボスの圧砕から解放される。

 見れば、握り潰されていた左乳房は、彼女が着ている薄い服の上からでも分かる程に腫れ上がっており、青黒い指跡が残っていた。


「こいつが吐きました」


 今しがた部屋に入ってきた「火消し」が、引きずっていたボロ雑巾のような小男をボスの足元に向かって放る。

 小さな悲鳴をあげながらボスの足元まで転がった小男は、顔を腫らしており、腕や脚にも痣がある。

 見れば、小男が庇っているその右手は、親指と人差指の爪が無くなっていた。


「おい」

「ひっ!」


 低い声で「火消し」が呼びかけると、小男はブルリと震えた。


「さっき俺に話したこと、もう一回ボスに話せ」

「ひぃぃぃ!」


 後ろから「火消し」に軽い蹴りを入れられた小男は、身を投げ出すようにボスの前に土下座した。


「な、何でも答えます、ボス様ぁ!」


 殴られたせいで瞼が腫れて満足に見えない女でも、話し声で小男が誰だか分かった。

 スラムの入り口付近に住んでいる、盗みスリ専門の小物だ。

 スラムに住んでいるくせにスラムの住人を見下している、嫌われ者である。


「で、テメェは何を知ってるって?」

「は、はいぃ!」


 気持ち悪いほどに媚びを売る小男に、ボスは小さく鼻で嗤う。


「そ、その似顔絵のガキは『グレタ』ってやつで、スラムの中ほどに住んでます!」

「──あんた!」


 思わず、女は叫んだ。


「うるせぇ、ラメラ!」


 人相が変わるほど顔が腫れている女だが、小男は彼女が誰か分かったらしい。


「なんだ、テメェら知り合いか?」


 面白い展開になってきたとでも言いたいのか、ボスは悪意がありそうな顔を歪めて嗤う。


「は、はい、ボス様ぁ!

 この女はラメラって言って、街娼をしているんですぁ!

 そんで、ボス様が探しているそのガキとも知り合いですぁ!」

「ほぉ?」


 女──ラメラは、ギリリと奥歯を噛みしめる。


 台無しだ。

 スラムの女たちが一致団結して隠そうとしたことが、この小男のせいで全て台無しになった。


 スラムに住む女は、互いに助け合わなければ生きていけない。

 誰か一人でも見捨てれば、裏切りと切り捨てに歯止めが掛からなくなる。

 そうなれば、女たちはそれぞれで孤立し、またたく間に男たちの食い物にされてしまう。

 だから、スラムの女は全員が姉妹同然。

 これは比喩や形容などではなく、純然たる事実だ。

 暗黙のルールのような思想だが、それは一種の連帯感を生み出し、強固な相互信頼関係を形成する。

 誰か一人が面倒ごとに巻き込まれれば、全員ができるだけ助ける。

 特に理不尽な暴力からは、利益度外視で守り抜く。

 この街のスラムの女は、そうして互いに庇い合いながら生きてきたのだ。


 だから、昨日グレタを血眼で探しているマフィアがスラムを荒らし始めたことを知った彼女たちは、全員で口裏を合わせることにした。

 身から出た錆ならば放っておくが、グレタあの子が自分から誰かに喧嘩を売るはずがない。

 あの子を追っている奴がいるのだとすれば、きっとそれはあの子のせいではない。

 だから、あの子は全員で守ろう。


 ──そんな子は知らない。

 ──自分たちは関係ない。


 どんなにひどい扱いを受けようと、その答えを貫き通す。

 それが、彼女たちが決めた方針だった。


 ラメラの前に、既に3人の女がこの部屋に連れて来られている。

 そして、その全員がボロ雑巾のようになって、外に放り捨てられている。

 死んではいないが、負った怪我は後の生活に支障が出る可能性がある程に酷い。


 ラメラは4人目だ。

 自分の番が回ってくるということは、前の3人の姉妹たちは何も喋らなかったということ。

 ならば、自分もそれに習って、知らないを貫き通そう。

 3人姉妹たちの犠牲を無駄にしないためにも、グレタ妹分を守るためにも。

 そんな壮絶な覚悟を、ラメラは決めていた。

 暴行を受けている間も、彼女は先日グレタから貰った新鮮なアプルルの甘さを思い出し、挫けそうな心の支えにして耐え続けた。


 が、そんな彼女の苦労が、彼女たちみんなの決死の努力が、この小男ひとりのせいで水泡に帰してしまった。


「あんた、たかが爪を一二枚剥がされただけでベラベラと!」

「黙れラメラ!

 俺は、テメェらのままごとに付き合うつもりはねぇんだよぁ!」


 開き直ったのか、それともボスの後ろ盾を得ていると考えているのか、小男はラメラに吠える。


「おい」


 が、ボスに呼ばれ、直ぐに媚び諂った態度に戻った。


「んなこたぁいいから、さっさと続きを話せ」

「は、はいぃ!」


 睨むラメラを無視し、小男は必死に情報を提供する。


「そ、そのグレタってガキには、実は一緒に住んでる────」

「あんたぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 それ以上言わせまいと、ラメラはなけなしの力を振り絞って小男に飛びかかる。


「るっせぇんだよ」

「ぐぅっ」


 が、ボスの蹴りが彼女の腹部にめり込み、壁際まで吹き飛ばされる。


「で、そのガキにはなんだって?」

「は、はいぃ!

 そのガキには一緒に住んでるヤツがいて、『カーラ』っていう潰れ目のガキですぁ!」

「黙れぇぇぇぇぇぇ!」


 吐血しながら、ラメラは叫ぶ。

 あろうことか、この小男はグレタだけでなく、何の関係もないカーラまでをも売り渡したのだ。


「へぇ、そいつは良いことを聞いたなぁ、おい」


 必死で小男を制止しようとするラメラを愉快そうに眺めながら、ボスは口角を残忍な角度に釣り上げる。


「で? そのカーラってガキは今どこに住んでんだ?」

「は、はいぃ!

 今すぐご案内しますぁ!」


 いっそ清々しいほどに媚びる小男。


「んじゃ、行くぞ『火消し』」

「へい。

 ……他の連中はどうするんで?」


 無様に転がるラメラを見ながら、「火消し」がそう問うた。

 恐らく、もっと尋問するか、それとも全員始末するか、指示を仰いているのだろう。


「放っとけ。

 どうせ何もできねぇゴミ共だ。

 始末して回るのも時間の無駄だし、ほっときゃ勝手にくたばるだろ。

 それよりも、これから行く場所を囲んどけ。

 そのカーラとやらが逃げられねぇように、な」

「へい」


 そう言って、ボスは小男を引きずる「火消し」と共に部屋を後にした。






 一人残されたラメラは、嗚咽を漏らしながら縮こまる。


 殴られた顔が痛い。

 折られた指が痛い。

 掴まれた胸が痛い。

 蹴られた腹が痛い。


 自分の前にボロボロにされた3人の姉妹たちと、ボロボロにされた自分。

 これだけの犠牲を払いながら、結局、何も守れなかった。

 そんな徒労と理不尽が、何より心に痛い。


「ラメラ!」


 ドアを破るように入ってきたのは、同じ裏路地で街娼をしている仲間姉妹の一人。

 自分の次に拷問にかけられる予定だった女だ。


「しっかりして、ラメラ!

 ああ、なんて酷い怪我……!」


 目に涙を浮かべながら、女はラメラを介抱する。

 殴られた顔は、とても痛々しい。顔の骨が折れていれば、容姿にも響くだろう。

 折られた人差し指は、かなりの重症だ。今の状態を見れば、二度と動かせない可能性が高い。

 指の跡が残る左乳房は、酷く変色している。内出血だけならまだなんとかなるが、痛みが引かなければ切り落とすことも考えなければいけない。

 大きな痣が出来ている腹部も、場合によっては危険だ。内臓が傷ついていれば、命に関わる。


「あ、あたしは、らいじょぶ……」


 顔が腫れているせいでうまく喋れないのか、それとも痛みで喋るのも億劫なのか、ラメラの言葉は少し聞き取り辛い。


「それより、チタル姉さんたちは……?」

「チタル姉たちは……なんとか大丈夫よ」


 幸い、ラメラの前に酷い目に遭った3人の姉妹たちは無事らしい。

 怪我は酷いが、命に支障はない。

 金を出し合って薬を買えば、後遺症も少なくて済むだろう。


 だが、問題は彼女たちではなかった。


「ねぇ、ラメラ。何が起きたの?

 なんであいつら突然どっか行ったの?

 巾着切りのダッソがあいつらに引きずられて行ったけど、それとなんか関係あるの?」


 自分の番の尋問拷問が回って来ずに、マフィアたちが去っていった。

 彼女や彼女の後ろで震えている他の姉妹たちにとっては良いことだが、その理由が分からない。


「ダッソが……」


 スラムの女たちの決意と犠牲の全てを売り渡した小男。

 その名を口にするだけで、ラメラは吐き気がした。


「……あの玉無し野郎が、何もかも喋ったのよ!」

「えっ」

「おまけに、グレタのことだけじゃなくて、カーラまで売り渡したのよ!」

「そんなっ!?」


 カーラは、スラムでも有名な少女だ。

 気が弱い部類に入る上に身体に障害を抱えているのに、決して挫けず、明るく前向きに頑張る、健気な少女だ。

 誰よりも辛い状況にありながら、誰よりも他人を思いやることができる、稀有な存在だ。

 そんなカーラに助けられ、励まされ、心を救われた住人が、どれだけいることか。

 特に、立場が弱いスラムの女たちは皆、彼女の生き様に大いに勇気づけられていた。


 そんなカーラが、残忍なマフィアたちの標的になっているのだ。

 それは、スラムの女たちが最も恐れていたことだった。


「早く……」


 カーラを匿わないと!

 そんなラメラの言葉は、途中で止まる。

 自分が言おうとしていることが実現不可能だと分かっているからだ。


 マフィアたちに先駆けてカーラを保護することも難しいが、彼女を匿い続けることは、難しいどころか不可能だ。

 スラムは広いとは言え、面積は有限だ。

 時間さえかければ、絶対に見つかる。

 何より、彼女たちには頼れる伝手がないので、スラムから外にカーラを逃がすことができない。

 たとえスラムから逃げ出せたとしても、スラムの人間が街中スラムの外で逃げ回るのはかなり目立つ。

 カーラを先んじて保護したとしても、どの道袋のネズミだ。


 スラムの女は皆が姉妹同然なれど、守れる範囲にも限度や限界がある。

 残酷だが、「どんな相手からも守り通す」などということは不可能だ。

 寧ろ、拷問されてもグレタの素性を隠し通した彼女たちの気概と献身は、称賛に値するだろう。


 無念そうに俯くラメラ。

 彼女を介抱していた街娼も、彼女の言葉の続きを察して、何も言えなかった。


 二人にできるのは、彼女たちの主神であり、娼婦たちの守り神でもある混沌神第八神に祈ることだけ。


 どうか、グレタとカーラが無事でいますように。

 そしてどうか、彼女たちが無事であり続けますように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る