122. S01&03:......Eureka?

 ――――― Side: 01 & 03 ―――――




「ねぇ、何がどうなってるのか、いい加減説明してくれない?」


 一人で百面相を演じるサムに、見守っていたグレタが痺れを切らした。

 が、赤寄りのキャルロットにんじん色の残留液を凝視していたサムは、そんなグレタの訴えを軽く無視。

 狂ったように書類用紙を精査し始めた。

 ついには額に血管を浮かせたグレタから尻に軽い蹴りを入れられ、ようやくサムは手を止める。


「ご、ごめん。つい……」

「で? 何がどうなってるのよ?」

「ああ、実は……ここがあの殺された客の工房なんだと思う」

「えっ、うそっ!?」


 今回の騒動の核心である「コネリーの赤・改」。

 それを作った、そして恐らくそれが原因で殺された──原作者。

 その原作者の工房が、ここだという。

 それはつまり、レシピのヒントが……いや、レシピそのものが見つかるかも知れない、ということ。


「やったじゃない!」


 今のサムたちが逃げの一手に徹さざるを得ないのは、偏に決め手となる情報──所謂「賭け金チップ」と呼べるモノが手元に何もないからだ。


 もしサムが件のポーションのレシピという賭け金チップを持っているのであれば、やりようはいくらでもあっただろう。

 例えば、レシピを書き記した書類用紙を街中にばら撒けば、レシピを消し去りたい勢力とレシピを独占したい勢力の思惑を両方同時に潰すことができる。

 そうなれば、サムの身柄と命を狙うのは無意味になる。


 逆に、そういった重要情報チップを持っていないからこそ、今のサムは逃げ回らなければならない羽目になっている。

 情報を「持っている」ことを証明することは至極簡単だが、「持っていない」ことを証明することはほぼ不可能。それこそ「悪魔の証明」そのものだ。

 そして、「持っていない」ことを相手が納得するには、サムを死ぬまで拷問する以外に方法はない。

 だから、サムたちは捕まらないように逃げ回るしかないのだ。


 レシピが見つかれば……レシピさえ見つかれば、今の窮状が180度変わる。

 自分たちが主導権を握ることができる。


「うん……」


 しかし、喜ぶグレタとは対照に、頷いたサムの顔は明るくない。


「なに? 何かマズいことでもあるの?」

「それが……」


 もう何回目になるか、書類用紙を読み返したサムが残念そうにため息をつく。


「レシピが、ないんだよ」

「……え?」


 まるで何かに化かされたような顔になるグレタ。


「そんなにいっぱい紙があるじゃない?

 何か手がかりとかないの?」

「この資料に書かれているのは、全部『コネリーの赤』に関する初歩的な知識ばかりなんだ」


 折り曲げただけで崩れそうな、まるで理科の授業で溶かした牛乳パックを固めて作った再生紙のような粗末な書類用紙を、サムはグレタに見せる。


「この三枚は『コネリーの赤』の基本となる三種の薬草──『フジク草』と『ダダイル草』と『シディミの葉』を解説したものだ。

 で、こっちの一枚は、現段階で分かっている『ゲシ骨鉱』の組成一覧だね。

 多分、薬師ギルドが公開している資料をそのまま写したものだよ」


 一般公開されている情報だから薬師なら誰でも知ってるよ、と付け加えるサム。


「次のこれは、『コネリーの赤』の製造工程を書いたものだね。

 ほら、

 ①フジク草を濃縮

 ②ダダイル草を磨り潰す

 ③シディミの葉のエキスを抽出

 ④魔物の乾燥肝を粉砕・煮出し・抽出

 ⑤ゲシ骨鉱を精錬

 ⑥素材を混合・撹拌

 ⑦白い濁りがなくなるまで加圧・撹拌

 ⑧濾過・分離

 ⑨回復魔法の付与

 って書かれてる」


 箇条書されている文章を指差すサム。


「ね?

 変わった工程は何もない。

 よく知っている『コネリーの赤』の、標準的な製造方法だ」


 さも常識かのように「ほら」とか「ね?」とか言われても、グレタには何がなんだかさっぱり分からない。


「そ、その横に書いてあるのは?」


 サムが見せた紙の所々に書かれている落書きのような文字を指差しながら、グレタが問う。


「それは、他愛ないメモだね。

 薬草の処理のコツとか、磨り潰す細かさとか、加熱の時間とか、基本的なことだけ。

 特に変わった所とかはないね」

「そう……」

「この壁に貼られている二枚だけど──」


 机に置いてあった書類用紙から視線を外し、机の前の壁に貼られている二枚の紙を見る。


「こっちのは……原作者の愚痴だね」


 机の前の壁に、横並びに貼られた二枚の紙。

 その内の左側の一枚には、罵詈雑言が書き殴られていた。

 内容は「ギルドのクソ共が」とか「騙しやがって」とか「絶対に報いてやる」とか、とにかく薬師ギルドへの怒りと不信が乱雑な字体で書き綴られている。

 鬱憤を晴らすように書かれた紙を、わざわざ机の前の壁に貼り付けているのだ。

 それだけ彼の怨念思いは強かったのだろう。

 まさに臥薪嘗胆だ。

 彼がギルドには行かずにサムの所にポーションを売りに来たのも頷ける。


「この天井から吊るされた薬草の束とかは?」


 天井から紐で吊るされた、10を超える薬草の束。

 まるで小さなブーケのようなそれらを指差すグレタに、サムは申し訳なさそうに首を横に振る。


「フジク草とかダダイル草とかだね。

 数は多いけど、目新しいものはないかな。

 うちの工房でもこうやって吊るして短期保存しているから、珍しいものではないよ」

「……本当にないの、レシピ?」


 まるで裏切られたかのような顔で、グレタはサムを見上げた。


「仕方ないよ。

 レシピは薬師にとっては命そのものだ。

 無防備に机の上に置いておくなんてことはしないから」


 レシピとは、謂わば知的財産だ。

 一度でも他者の目に触れれば、立ち所に盗まれてしまう。

 だから、本当に大事な情報は紙や本などには残さず、頭の中だけに留めておく。

 それを知っているからこそ、サムには「ああ、やっぱりか」という諦めはあれど、失望の色はなかった。

 そもそも、この工房に「レシピがある」などと端から思っていない。

 業界の常識だ。


 だが、グレタは違う。


「そ、そんな…………」


 失望も顕に、力なく項垂れる。

 せっかく見つけた光明が、かき消えてしまった。

 それは、絶望にも等しい感覚。

 窮状に現れた希望であるだけに、それが消えた時の落差は大きく、より人を傷つける。


「げ、元気だしてよ」


 グレタの悄気げようは、さながら奴隷落ちした冤罪人のようで、とても見ていられない。

 彼女をこの工房まで連れてきたのはサムだし、サムのあの喜びようのせいで彼女に変な希望を抱かせてしまった。

 ならば、サムには彼女を慰める責務があるだろう。

 何より、希望はまだ完全に失われたわけではない。


「レシピに繋がるヒントは、まだあるから」

「……ほ、ほんと?」


 グレタが恐る恐る顔を上げる。


「うん。これ見て」


 そう言ってサムが指差したのは、壁に貼られた──もう片方の紙。

 罵詈雑言が書かれた紙の横にある一枚だ。

 そこに書かれていたのは、三角形をした図だった。

 図の中心は大きな正三角形で、それぞれの頂点には文字が書かれている。

 一番上の頂点には「フジク草」と大きく書かれており、その下にはまるで注釈か何かのように小さな文字で「ニューマン」と書かれていた。

 他の頂点に関しては、左下の頂点には「シディミの葉」、右下の頂点には「ダダイル草」と、それぞれ書かれている。

 それ以外の書き込みはない。


「これは、僕も見たことがない」

「そんなに珍しい図なの?」

「珍しいんじゃなくて、無いんだよ、この図は、どの資料にもね」


 どういうことかいまいち分かっていないグレタに、サムは三角形の図を睨むように見ながら説明する。


「僕は回復ポーションしか売ることが許されていないから、商売のネタが少ないんだ。

 それで、一芸を極めようと思って、『コネリーの赤』に関連する資料を徹底的に読み漁った。

 先生が残してくれた資料は勿論のこと、ギルドに保管されているもので僕にも閲覧が許されている資料は、全部読んで、全部暗記している。

 だから、僕は、こと『コネリーの赤』に関する事柄なら大体は知っているんだ」


 僕が自慢できる唯一のことだよ、と付け加えるサム。

 その顔からは、並々ならぬ自負が見えた。


「そんな僕でも、この図は見たことがないんだ」


 フジク草・ダダイル草・シディミの葉──「2草1葉」と呼ばれるこの三種の薬草は、「コネリーの赤」を作る以外に使い道がない。

 それらが書かれているということは、この図は間違いなく「コネリーの赤」に関連するものだということ。

 それなのに、「コネリーの赤」に関する資料のほぼ全てを読破したサムをして、この図は一度も見たことがないという。


「恐らく、この図は何処かからの引用じゃなくて、原作者が考えたオリジナルだよ」


 グレタに見せた──机に散らかっていた紙に書かれていたのは、全てサムが暗記している本の数々に記載されているものと完全に一致していた。

 だから、間違いなく既存の資料の写しだろう。


 だが、これだけは違う。

 これこそ、「コネリーの赤・改」のレシピに繋がるヒント。

 原作者が残した研究の痕跡だ。

 そして、これこそサムが求めていたモノ。


「完成された『レシピ』は残さずとも、そこに至るまでの『痕跡』は、必ず何処かに残る」


 コンピューターのように一足飛びに解を得られる人間など居ない。

 どんなに聡明な数学者でも、方程式を解く過程は必ず何処かに書き残す。

 研究者や学者が残した研究途中のメモや備忘録は、発表した成果と同等に貴重なものだ。

 フェルマーが愛読していた「算術」の余白に残したメモ然り、ニュートンが机の引き出しに残した手稿然り、生前には発表されなかったが後世によって発見され、その有用性が証明された「ちょっとした書き残し」や「適当なメモ」は、実はとても多い。

 それは知の探求者たちの思考の足跡であり、正解へと至る探索の痕跡であり、後塵を拝する者たちが敬うべき道標だ。

 サムがこの工房に求めたのは、まさにそれである。

 明確なレシピなど、最初から期待してはいない。

 先人が残した思考の足跡──消したくても消せないその痕跡こそが、サムが求めた正解レシピへの手がかりなのだ。


「この図を分析して、レシピを逆算してみせるよ」


 盗人と呼ぶならばそう呼べばいい。

 原作者である包帯の客が故人となった今、彼の研究成果をこのまま歴史の彼方に埋もれさせるのは、あまりにも惜しい。

 彼がどんな思いでこの研究を完成させたかは分からないが、これが発表されて然るべき偉業であり、世に役立たせるべきものであることは、議論の必要すらない程に明白だ。

 少なくとも──下衆な話になるが──サムとミモリーとグレタの命を救う賭け金チップとしては、役に役立つだろう。立ってくれないと困る。


「……分かったわ」


 不安そうだったグレタが落ち着きを取り戻し、静かに頷いた。


「あんたは、レシピの逆算とやらに専念して。

 周辺警戒と食料調達は、あたしに任せなさい」


 サムのレシピ逆算が早ければ早いほど、この逃亡生活は早く終わる。

 ポーションのことでグレタが力を貸せることはないが、それ以外ならば寧ろグレタの方が向いている。

 ならば、グレタが全力でサムのサポートに回る方が色々と捗るだろう。

 適材適所、役割分担だ。


「そうと決まれば、夜までここに籠もるわよ。

 もう結構奥まで来たことだし、暫くは大丈夫だとは思うけど、いつでも逃げられる準備だけはしといてね」

「分かった」

「じゃ、あたしは食べ物探してくるから、あんたは静かにしてなさいよ」

「……ありがとう、グレタ」


 食料調達へ行こうとするグレタの背中に、サムが感謝の言葉を掛ける。

 成り行きで逃亡仲間になったが、グレタが居なければサムはとっくに追手に捕まっていただろう。

 たとえあの襲撃を無傷で乗り越えられたとしても、サム一人ではスラムの歩き方が分からないし、今も餓えたままだっただろう。

 何より、絶対にこの工房ボロ屋までたどり着くことはできなかったはずだ。


「そんなの、今更でしょ?」


 悪い目つきを和らげて、グレタは微笑む。


 そのぶっきら棒な優しさが、サムにはとても暖かく感じた。

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