119. NP:冷酷なる暗殺者

 ――――― ★ ―――――




 落ち着いた内装の執務室に、三人の人間が座っていた。


 一人は、デスクの奥にある革張りのアームチェアに座り、厳しい表情をしている中年男性。

 一人は、デスクの前にあるソファーに座り、癖のように右耳を擦る壮年男性。

 一人は、壮年男性の対面にあるソファーに座り、目を瞑ったまま腕組みをしている幼い男の子。



「由々しき事態ですぞ」


 最初に沈黙を破ったのは、中年男性。

 ウェストノード商会フェルファスト支部の支部会長であるウォルトだ。


「標的を二人とも逃すとは、如何するおつもりですかな、ダヴ殿?」


 声は静かだが、言葉には明らかな非難が込められていた。


「如何もなにも、抹殺作戦は現在も続行中ですよ、ウォルト支部会長」


 ダヴと呼ばれた壮年男性は、事も無げに応じる。


「続行中、ですと? 既に失敗しているではあるませんか」

「ええ、は」

「既に件のポーション師と女冒険者を見失っているではありませんか。

 それでどうやって暗殺を継続するというのです?」

「目下、追跡中ですよ」


 まるで暖簾に腕押しのようなやり取りに、遂に我慢が出来なくなったのか、ウォルトが声を荒げる。


「あのレシピが誰かの手に渡れば、全てがご破産となるのですぞ!

 それをお分かりか、ダヴ殿!」


 逃げたポーション師と女冒険者は、間違いなく新型ポーションのレシピを持っている。

 それが自分たち以外の手に渡れば、此度のストックフォード伯爵領の掌握作戦は失敗に終わる。

 既に膨大な資金を投じているウェストノード商会としては、決して許容できないことだ。


「落ち着いてよねぃ、支部会長さん」


 口を開いたのは、子供のように甲高い声の持ち主だった。


「状況はまだボクらの制御下にあるからねぃ」

「マッシュ殿……」


 これまで黙って腕組みしていた男の子が口を開いた。

 ダヴ率いる工作部隊の最大戦力「マッシュ」だ。

 額に青筋を立てているウォルトを、落ち着いた声色で宥める。


「屋根の上に居たうちの『ホーク』がねぃ、ポーション師が逃げた方向を確認しているんだよねぃ。スラムの方だったらしいよねぃ」

「ですが、スラムと言っても広いですぞ」


 発展著しい大都市であるフェルファストだが、スラムもまた広い。

 いや、大都市であるが故に自然とスラムも大きくなる、というべきか。

 領都や王都といった大都市に共通する特徴として、人が多く集まるというのがある。

 これは「人材と労働力が集まる」という利点をもたらすと同時に、「人口過多」や「浮浪者の流入」という弊害も一緒に連れてきてしまう。

 どれだけ公明正大な統治者でも、仕事にあぶれる人間を無くすことは不可能だし、収入の格差を無くすこともできない。

 人間が二人以上いれば、必ず「底辺」という層が生まれてしまう。

 これは、議論の必要すらない──必然の結果だ。

 良き統治者ができることは、せいぜい「底辺」と呼ばれる層の「比率」を低くすること。

 そういった層を「ゼロ」にすることは、決してできないのだ。

 それは現代の地球でも同じ話で、先進国である日本でさえ相対的貧困率は15%だ。

 この世界ではその比率が更に高く、相対的貧困よりも更に劣悪な──絶対的貧困層が多々存在している。


 当然の理屈ながら、人が多く集まれば集まるほど「底辺」の人数は多くなる。

 たとえ貧困層の占める比率が全体の1%(日本の15分の1)だったとしても、10万人の都市であれば1000人は貧困層スラム住まいがいる、という計算になる。

 その中の更に10%が絶対的貧困層だとすれば、100人は生きることすら難しい状況にある、ということになる。


 フェルファストは、数十万の人口を誇る大都市だ。

 都会で一旗揚げようと考える者、農家に嫌気がさした者、貧困から逃れて来た者、一山当てようと賭けに来た者、密入国してきた者などなど。

 ここフェルファストは、そういった大都市に夢を見て挑み、その果に夢破れてスラムに転落する人間に事欠かない場所なのだ。

 領主であるエストは、そういった者を生まないように、更にはそうなってしまった者もなんとか生きていけるように、労働機会を創出したり仕事を割り当てたりと四苦八苦しているが、やはり路頭に迷う人間を減らすことはできても無くせはしなかった。

 そうして出来たスラムは広大で、このフェルファストの東北四半部のおよそ三分の一──都市全体の大体10分の1──を占めている。

 大都市の中では小さい部類に入るが、それでもグルリと外周を一周するだけで数時間はかかる広さだ。


 そんな広範囲を捜索するのは、中々どころではなく骨が折れる。

 おまけに、スラムは無秩序に作られているせいで、内部が迷宮のようになっている場所が多い。

 そんな場所からたった二人の人間を探し出そうというのだ。

 ダヴたちのような少数精鋭の部隊には一番向かない仕事だろう。


「身を隠すならスラムの中、という言葉があるほどです。

 どうやってそんな場所から探し出すのですかな?」

「それは、『アルバーノ一家チンピラども』がやってくれるでしょう」


 ウォルトの疑問に答えたのは、ダヴだった。


「たった今、手の者から連絡がありました」


 ダヴは右耳に手を添えながら言う。


「私の予想通り、アルバーノ一家チンピラどもはスラムを総浚いするつもりのようです。

 ついさっき、手下をかき集めて出動したそうです」

「ス、スラムを総浚い、ですと……」


 そのあまりにも無謀な蛮行に、ウォルトは言葉を失う。

 そう、無謀であり、蛮行でもあるのだ。

 スラムは広大で構造が複雑なだけでなく、様々な闇組織が身を潜めている。

 そこを総浚いで捜索するなど、ワイバーンが群れを成す山へ山狩りに行くようなものだ。


「いえ、捜索は思ったよりも簡単かも知れませよ?」

「……と、いいますと?」

「つい最近、スラムで事変があったようでしてね。

 ウォルト支部会長にも言ったことがあるかと思いますが」

「スラムで幾つかのギャングが壊滅した、という話でしたな」

「それです。

 3日ほど前から、何者かがスラムに巣食っていた暴力団やギャングを次から次へと潰して回っているとか。

 その中には、『ブスケ団』や『シャープエッジ』などの有力な暴力団やギャングだけでなく、『ダスティン一家』といった中規模マフィアも含まれています」

「そ、そんなことが可能なのですか!?」


 ダヴが口にした「ブスケ団」と「シャープエッジ」は、それなりに名の知れた暴力団とギャングだ。

 通常、ギャングや暴力団などは、チンピラの集まりに毛が生えた程度の集まりでしかない。

 暴力も振るうし人も殺すが、計画性が無く、目先の利益に釣られやすいため、よく衛兵隊と衝突する。

 彼らが「チンピラ上がり」と蔑まれるのは、そして彼らの組織が一定規模から成長しないのは、まさにこういった「素人臭さ」が原因だ。

 そんな中でも、「ブスケ団」と「シャープエッジ」は、優秀な首領のおかげで着々と実力を付けており、それぞれヤクザとマフィアに昇格する日も近いと言われていた。

 まさに犯罪界の優良株だ。


 そんな規模も実力もそれなりにある闇組織が、ものの3日で、一人の目撃者もなく、複数組織が同時に、残党すら残さず、壊滅したのだ。

 たとえ領主が騎士団と衛兵隊を総動員したとしても、これだけの数の闇組織をこれほどの短期間でここまで徹底的に摘発するのは不可能だろう。

 ウォルトが驚くのも無理からぬことだった。


「可能か不可能かで言えば、可能でしょう」


 そう答えたダヴの顔は、苦り切っていた。


「闇ギルドである『宵闇梟ダスクアウル』が全面的に関与していれば、ですが」


 闇ギルドは、謂わば「犯罪界の冒険者ギルド」だ。

 勿論、本物の冒険者ギルドのように世界規模の統一組織ではなく、他の犯罪組織と同じように個々で独立して存在する犯罪集団だが、その規模と構成員の質はそこらのマフィアやヤクザでは比較にならない程に高い。

 北方大陸には国家を影から運営している闇ギルドすらあるというのだから、その実力と規模感が分かるというもの。

 闇ギルドが関わっているのであれば、今回のような闇組織の複数同時壊滅も十分可能だろう。


宵闇梟ダスクアウルアルバーノ一家チンピラどもの裏にいることは既に掴んでいます。

 このスラムの『掃除』が宵闇梟ダスクアウルによるものだとすれば、アルバーノ一家チンピラどもによるスラムの総浚いは抵抗なく終わります。

 逃げたポーション師は、直ぐに見つかることでしょう。

 ────我々は、美味しいところだけを頂けばいいのです」

「そ、それはつまり……」

「彼らにポーション師の居場所を特定させ、我々が割り込んでポーション師を捕らえるのですよ」


 ライバルを猟犬として利用する。

 まさに漁夫の利だ。


「捕らえる? 消すのではないのですか?」

「残念ながら、ポーション師と女冒険者には、既に一度逃げられてしまってます。

 私だったら、その間に重要な情報を何処かに隠して保険としますよ」


 標的であるポーション師と冒険者の供述によると、二人は原作者件の客の死体を発見して直ぐに薬師ギルドに報告に行ったという。

 その後すぐに衛兵隊が到着し、二人はそのまま連行されていったそうだ。

 この間、二人が何処かにレシピを隠す余地はない。

 もし薬師ギルドから連行されているあの場で──レシピを隠す余裕など無かったあの時に──二人を同時に殺せていれば、レシピを完全に闇に葬ることができただろう。

 しかし、二人が分散して姿を隠した今、どんな行動をとっているか全く推測ができない。

 レシピを隠しているのか、誰か有力者を頼っているのか、はたまた都市外へ逃げ出そうとしているのか。

 可能性としては、ダヴの言う通り、何処かにレシピを隠している公算が高い。


「忌々しい話ですが、二人は生け捕りにし、レシピを隠していないか吐かせる必要があります。

 消すのは、その後でしょう」


 今となっては、ただ見つけて殺すという単純な方法を取ることができなくなった。

 二人を捕まえ、レシピを何処かに隠したりしていないか、隠れて渡した人間がいないか、他にレシピに繋がるような情報が残っていないか、それらの情報を吐かせてからでないと、殺すことはできない。


「特にポーション師の方は、今すぐに捕まえておきたいですね」

「女冒険者の方はどうなさるおつもりで?」

「今は放っておきます。斥候である女冒険者を捕まえるのは骨が折れますが、ポーション師は完全に素人です。居場所さえ分かれば、捕まえるのに苦労はないでしょう。

 現場から上がってきた報告を聞く限り、二人は親密な関係にあるようです。

 ポーション師を捕まえれば、女冒険者を誘き出す餌に使えるでしょう」


 非常に面倒臭いが、先の襲撃が失敗した以上、こうなるのは仕方ないこと。

 この結果は、受け入れるしかない。

 まだ取り返しがつかないわけではないのだ。


「拷問すれば、必ず吐きますよ、彼らは」


 もし相手がポーション研究に命を捧げるような人間ならば、ダヴたちは詰んでいただろう。

 そういった崇高な人間は、レシピを葬られないために──ポーションの発展と人間社会の医療のために──どんなことがあろうとも口を割らない。

 そういう有志を、ダヴは何人も見てきた。

 たとえ拷問されようと、後世に希望を託し、決して屈してくれない。

 とても嫌な相手だ。


 だが幸いなことに、逃走中の二人は、原作者を殺してレシピを強奪するような悪党クズだ。

 きっと、悪徳商人よりも強欲なのだろう。

 そういう人間は、自分の命を何よりも惜しむ。

 爪の二三枚でも剥がして、脅し文句の二三言でも叩きつけてやれば、すぐにレシピを諦めるだろう。


「ターゲットをアルバーノ一家チンピラどもから奪う形になりますが、やるしかありません」


 身も蓋もない話をすれば、アルバーノ一家を猟犬代わりに使う、というこの考え自体にかなりの希望的観測が含まれている。

 動き回っている組織に気づかれずに付け回すということ自体がまず難しいし、その中にいる中心人物から重要情報を抜き取るというのは輪をかけて難しい。

 ダヴがやろうとしているみたいに外から観察したり尾行したりするだけでいいのであれば、潜入捜査員など要らないだろう。

 結局の所、「漁夫の利」と言えば聞こえはいいが、要は獲物の横取りであり、力技だ。

 決して「先回りしてターゲットを先んじて確保する」などといったスマートな方法ではない。

 だから、アルバーノ一家との激しい戦闘が予想されるし、そのせいで犠牲が出る可能性も決して低くはない。

 彼ら工作部隊裏方らしくないやり方である。

 しかし、敵対勢力とレシピの争奪戦をしているという現在の構図上、泥臭い戦いは回避のしようがない。


「我々が動かせる人員には限りがあります。

 頼みましたよ、マッシュ」

「ああ、任せてよねぃ」


 ダヴたちは所詮、工作部隊だ。

 動かせる人員は、領内の各所に潜り込ませた間諜を含めても20人も居ない。

 おまけに、その多くは諜報を専門とする非戦闘員だ。

 今回の漁夫の利作戦では直接使えない。

 最強戦力であるマッシュを遊ばせておく余裕など、何処にもないだろう。

 特に、これから行われるのは武力による襲撃作戦だ。

 マッシュなしでは語れない。


「あのメイド用心棒め……今度こそ体中の骨を粉砕してやるからねぃ」


 子供のような幼い顔に、獰猛な笑みを浮かべるマッシュ。

 敵の大多数は雑魚だが、一人だけ──自分が引き分けた強者がいる。

 そいつだけは、自分が相手しなければならないだろう。

 雪辱戦だ。


「領主への報告は、こちらでなんとか握り潰しておきましょう」

「トーア法衣男爵ですな?」

「ええ。3年前に解任させられた無能ですが、こちらへの借りはたっぷり残ってますからね。復権への協力を仄めかせば、全力で隠蔽に協力してくれるでしょう」

「分かりました。商人への情報封鎖は私におまかせを」


 工作部隊と大商会、両者の権力と人脈をフル活用すれば、今回の事件が領主の耳に届くのをいくらか遅らせることができるだろう。

 その猶予こそが、彼らにとって最も重要な時間ものなのだ。



「おっと」


 突然、ダヴが右耳に手を当てた。

 そして、数十秒ほど黙ったかと思うと、何やら「ふむふむ」と頷いて「よくやりました」と独り言ちた。


「朗報です」


 ダヴがニヤリと口角を上げた。

 彼には珍しい、満足げな笑みだ。


から、面白い連絡がありました──」


 彼らにとっての大一番が、迎えられようとしていた。

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