113. NP:Trilemma

 ――――― ★ ―――――




 サムとミモリーを取り囲んだアルバーノの手下たちが、下卑た笑みを浮かべながら包囲を縮めてくる。

 対するミモリーは、サムを背後に庇いながら、ジリジリと後退する。

 戦力差があり過ぎる現状、これくらいしかできない。

 が、四方を囲まれているので、後退しても結局は背後の手下に近づくだけで意味がない。


 包囲がどんどんと狭まる。

 サムは抱えていたポーションを奪われまいと懐に仕舞い、ミモリーは「最初に手を出してきた奴は必ず殺す」という気迫で弓を構える。


 遂に彼我の距離が2メートルまで縮まると、アルバーノ一家の手下の一人がサムに向かって手を伸ばした。

 その手下に向かって、ミモリーは反射的に弓を向ける。


「ぎぃやぁぁぁ!」


 手を伸ばした手下の悲鳴。

 ミモリーが目を見開く。

 彼女は──まだ──矢を放っていない。

 なのに、伸ばされた手下の腕が、何故か切り落とされたのだ。


 ひっ、と人体の一部がボトリと地面に落ちたことに悲鳴を上げるサム。

 ミモリーは、何が起きたのか確認しようと高速で視線を巡らす。


「おいおい」


 腕を切り落とされた手下の側にある路地から、男の声が聞こえてきた。


「刺客が相手かと思えば、まで出てくるとはな」


 そう言いながら路地裏から姿を表したのは、一人の青年。


「ああん? 誰だ、テメェ?」


 面倒臭そうに誰何するアルバーノに、路地裏から出てきた青年はニヤリと笑い、


「同業者だ」


 とだけ答えた。


 目付きの鋭い青年だ。

 右目の瞼から頬にかけて長い切り傷跡がある。

 軽鎧をルーズに着流しており、その手には東方大陸伝来の武器である直刀反りの無い刀が握られている。

 赤竜組の若頭──ヨーキリーだ。


「あんたら二人は逃げな。こいつらは俺らがなんとかしとくからよ」


 ヨーキリーがミモリーに向かってそう言うと、路地裏から更に10人、ヨーキリーと似た装備をした人間が出てきた。

 ヤクザ風の彼らは、そのままサムたちを守るように移動し、アルバーノの手下たちと対峙する。


 ヨーキリーの実質的な加勢宣言に、ミモリーは返事しない。

 代わりに、サムの襟首を掴み、一も二もなく走り出した。


「おいおい、お話があるっつったろ、無視すんなや!」


 逃げるミモリーを見て、アルバーノが剣を振りかぶりながら踏み込んでくる。


「おぉっと、そうは問屋が卸さねぇよ」


 が、その剣はヨーキリーの直刀によって受け止められる。

 見れば、ミモリーの後を追おうとしていたアルバーノの手下たちも、ヨーキリーの舎弟たちによって阻まれていた。


「邪魔すんじゃねぇよ、クソが!」

わりぃが、邪魔するのが俺らの仕事なんでね」


 苛立ちを隠せないアルバーノに、ヨーキリーが軽口で応じる。


 アルバーノは小さく舌打ちすると、剣を引き戻し、ヨーキリーに前蹴りを放つ。

 が、半身になったヨーキリーに軽々と避けられる。

 けれど、それこそがアルバーノの狙いだった。

 ヨーキリーが身を逸したお陰で、サムまでの射線が通ったのだ。

 思惑通りになったアルバーノが、サムの脚に向かって戦技を放つ。


「〈流頭減奴斬首ルーズヘッド・スラッシュ〉!」


 飛翔する斬撃が、サムの右足を切り飛ばそうと襲いかかる。


「〈青牙・霜削〉」


 が、その一撃は、ヨーキリーが飛ばした斬撃によって空中で打ち消された。


「だから邪魔だっつってんだろ!

 〈苦羅砕蹴軀クラッシュ・キック〉!」


 苛立たしげなアルバートが、魔力を纏った右足で地面を蹴りつける。

 戦技によって石畳の路面が爆散し、魔力の絡んだ石礫が広範囲に飛び散り、逃げるサムとミモリーを背後から襲う。


「ちぃっ! これだから護衛は苦手なんだよ!」


 ヨーキリーは愚痴を漏らしながら、霰が如き石礫を迎撃する。

 こういった面攻撃は、自分を守るのは簡単だが、他者まで守るのは難しい。

 今の状態では、ヨーキリー自身を守るので精一杯だ。

 うまいこと避けてくれよ、と願いながら、ヨーキリーは飛来する石礫をできる限り直刀で撃ち落とし始めた。



 ミモリーは、背後から遅いくる石礫の散弾を察知していた。


「伏せてサム!」


 サムの襟首から手を離した彼女は、弓に番えた矢に魔力を込め、戦技を放つ。


「〈衝撃矢インパクト・アロー〉!」


 魔力が付与された矢が、鏃の先端に衝撃波を纏いながら、飛来する石礫群へと飛ぶ。

 そして、その内の一つに接触すると、衝撃波は石礫群の中央を食い破るように四散させ、無力化した。


 ただ、無力化できたのは、衝撃波が届く範囲までだ。

 範囲外の石礫はどうしようもない。


「ぎゃっ!」


 腰を抜かして地面を這っていた老人に、石礫の流れ弾の一つが当たる

 老人は、悲鳴を上げて地面を転げた。


 巻き添えになった老人を見てサムが「あぁっ」と心配する声を上げたが、それどころではないミモリーはひたすら険しい表情だ。


 敵が多すぎる。


 明確な殺意を向けてくる、覆面の刺客たち。

 明確な悪意を向けてくる、マフィア風の男たち。

 唯一、新しく路地裏から出てきたヤクザ風の男たちは違うらしいが、だからといって軽々に味方と判断することはできない。

 今は手助けしてくれているみたいだが、その理由と目的が分からない以上、気を許すのは危険だ。


 この場での長居は得策ではない。


 呻き声を上げている老人を無視し、ミモリーはサムを引きずる。

 そのまま再び東へ──衛兵の詰め所がある方角へと走り出した。






 一方、蹴り上げた石礫の散弾を迎撃されたアルバーノは、「ちっ」と舌打ちしてサムの後を追うべく足を向ける。

 直後、横から突き込まれた直刀によって脚を止められた。

 ヨーキリーだ。


「行かせねぇよ」

「だあああぁぁぁ!、ウザってぇ!」


 そう悪態をつくと、アルバーノは先ずヨーキリーを排除する方へ舵を切る。


 アルバーノが剣を振り上げ、下へと切り下ろす。

 それを、ヨーキリーが下から直刀で受け止める。

 受け止められた剣に力を入れ、アルバーノは押し込むように体重を掛ける。

 鍔迫り合いから力任せに押し込もうとしているのだ。

 ググッと押し込まれた刃がヨーキリーの肩口に迫ろうかという際に、ヨーキリーは横へと身体をずらし、アルバーノの剣を逃がした。

 通り抜けざまに、下からの切り上げをアルバーノの腹に叩き込む。

 唐突に力を逃されたせいで前のめりにバランスを崩すアルバーノ。

 しかし、下からの切り上げには反応できた。

 強引に横に転がりながら剣で直刀を弾く。

 泥臭い動作で追撃を回避された上に直刀を弾かれたヨーキリーだが、そこで止まらない。

 重心を低くしたまま、すり足のようにつま先の力だけで転がるアルバーノへと接近。

 弾き上げられた直刀で、上段から切り下ろした。

 辛うじて起き上がったアルバーノは、片膝を突いた状態で剣を構え、上段から振り下ろされた直刀を受け止める。

 間髪入れず、その低い体勢からヨーキリーに前蹴りを叩き込む。

 その蹴りは、ヨーキリーの直刀の柄によって防がれる。

 が、アルバーノはそのまま蹴りの勢いを利用し、剣を持っていない方の手を地面に付き、片手で倒立。低い体勢のまま、地面についた手を軸に全身で回転。カポエラの要領で連続して蹴りと斬撃を繰り出した。


「ちぃっ、足癖の悪い野郎だ!」


 前蹴りを辛うじて直刀の柄で受け止めたヨーキリーは、そう悪態をつきながら、背の低い竜巻のようなアルバーノの変則的な攻撃を次々に回避。徐々に間合いを離す。

 片手倒立の状態から蹴りと斬撃を織り交ぜながら回転するアルバーノは、ヨーキリーが十分離れたタイミングで立ち上がり、すぐさま踏み込む。


「死ねや!」


 アルバーノが再び攻めにスイッチ。

 大振りの袈裟斬りを繰り出す。

 が、ヨーキリーに避けられる。

 流れるように小振りの横薙ぎに繋げ、横に回避したヨーキリーを狙う。

 が、構えたヨーキリーの直刀にいなされる。

 流される剣の勢いを利用し、横からの膝蹴りを放つ。

 が、直刀の柄で受け流される。

 通り過ぎたす膝蹴りの直ぐ後ろからヨーキリーの払い斬りが来るも、アルバーノは強引に剣を当て、それを弾く。

 弾かれることを予測していたのか、ヨーキリーは無理に抵抗せずそのまま直刀を跳ね上げさせ、力を入れやすい高さまで上がる待つと、すぐに腕に力を入れ直し、強めの振り下ろしへと繋げる。

 対するアルバーノも、気合を入れた大振りの切り下ろしで迎えた。

 ガキン! という甲高い剣撃音と共に両者は鍔迫り合い、微かに火花を撒き散らす。


「ちっ!」


 アルバーノが忌々しげに舌打ちする。

 ヨーキリーの肩越しに、逃げ行くミモリーとサムの背中が見える。

 このままでは埒が明かないと悟ったアルバーノは、ヨーキリーと鍔迫り合いながら、


「──おい! レストーレアぁ!」


 第三者メイドの名を呼んだ。


 すると、次の瞬間、


「──ッ!」


 大通りを東に向かって走っていたミモリーが突如、真横に吹き飛ばされた。




 吹き飛びながら、ミモリーは脇腹に鈍痛を感じながら、たった今なにが起きたのかを思い出そうとする。

 サムを引っ張って走っていたら、突然、視界が横にズレた。

 その直前、視界の端が捉えたのは、たしか──短めのメイドスカートから自分へと向かって伸ばされた美脚だった。

 どうやら、奇襲を受けて、脇腹を思いっきり蹴り抜かれたらしい。

 そうして状況を理解したのと同時に、ミモリーは建物にぶつかって壁にめり込んだ。

 少し遅れて「ごふっ」と血を吐き、そのまま壁伝いに滑り落ちる。

 壁のすぐ横で震えながら蹲っていた男の子に当たらなかったのは、不幸中の幸いだろう。


「ミモリー!」


 蹲っている男の子の横にドサリと力なく崩れたミモリーを見て、サムが駆け寄ろうとする。

 しかし、脚が震えて上手く歩くことができない。

 それでも、サムは頑張って地面を這うようにしてミモリーの側まで近寄った。


「大丈夫っ!?」


 ぐったりとしたミモリーを揺するも、返事はない。

 ただ、細いながらも息はしているようなので、一命は取り留めているのだろう。


 ホッとしたのも束の間、サムの上に影が射した。

 恐る恐る、下から上へと見上げる。

 最初に目に写ったのは、先ほどミモリーを蹴り飛ばした美脚。

 次に膝上スカートのメイド服が見え、続いて短剣を持った右手が目に飛び込み、最後に氷の刃のような美貌を目にした。


「ポーション師サムですね?

 一緒に来て頂きます。

 抵抗すれば、手足を切り落とします」


 まるでゴーレムか何かのように感情の伺えない声で、メイドが言った。

 彼女から漂う気配はその美貌と同じように鋭く、同時に威圧的だった。

 まさに冷酷な強者と呼ぶにふさわしい佇まいである。


 蛇に睨まれた蛙のように動けなくなったサムに、メイドは一歩一歩と近づく。

 そして、サムの目の前まで近づくと、短剣を持っていない方の手で手刀を作った。

 サムが抵抗できないよう意識を奪うつもりだ。


 サムはぐったりとしたミモリーを抱きしめながら、絶望した目でそれを見つめる。

 抵抗する術など、持ち合わせていなかった。


 メイドの手刀が、サムの首へと振りかざされる。



 ドン!



 突如、衝撃波がメイドに向かって放たれた。

 が、ギリギリで察知できたのか、メイドは直撃の寸前でそれを回避。

 離れた場所にヒラリと軽やかに着地する。


 ちっ、と小さな舌打ちが、サムのすぐ側から聞こえた。

 誰だ、と横を向いたサムは、驚愕に固まる。


「すばしっこいよねぃ」


 そう呟いたのは、誰あろう、壁際で震えて蹲っていた筈の男の子だった。

 その顔には、メイドに負けず劣らない冷酷な表情が浮かんでいた。


「……驚きました。

 まさか、工作が専門の工作部隊裏方に、このような実力者がいるとは思いませんでした」


 さしたる感慨もなさそうなメイドに、男の子は不快気に目を細める。


「ほざくよねぃ、マフィアもどきの用心棒風情がねぃ」


 男の子に似つかわしい高い童声と、男の子に似つかわしくない見下した口調。

 格闘家のように構えたその小さな拳は、纏った魔力の濃密さから少し揺らいで見える。


「耳の形を整えるだけで人族の子供に成りすませるとは、流石はノーム族。

 ……いいえ、ノーム族のくせに魔法ではなく体術で戦っているあなたの方を褒めるべきでしょうか」

「マフィア気取りの雑魚どもに雇われて用心棒なんかしているお前に褒められてもねぃ、ちっとも嬉しくないよねぃ」


 男の子は不愉快そうに言うと、次の瞬間、地面に凹みを残して姿を消した。

 いや、消えたのではない。

 サムの目では動きを捉えられきれないだけだ。


 ボゴン!


 爆発のような衝撃波が、メイドを打ち据える。

 ──かに見えたが、その直前でメイドも姿を消していたので、衝撃波が打ち据えたのはメイドの背後にあった壁のみ。


 風切り音が、男の子の右からその細い首へと迫る。

 それを男の子は危なげなく回避。

 一瞬遅れて、メイドが振るった短剣が眼前を通り過ぎた。


「〈破砕拳ポーソイケン〉!」


 男の子が戦技を放つ。

 強烈な風圧を伴った正拳突きだ。

 が、メイドは軽く身を翻してそれを躱す。


「〈断腱テンドン・ラプチュア〉」


 宙を舞いながら、メイドも戦技を放つ。

 短剣による、手足への4連斬撃だ。


「ふん!」


 切断を重点に置いた戦技だったが、魔力を纏った男の子の手刀によって全て迎撃される。


 続けざまに放たれる、男の子の細い脚による蹴撃。

 絵的にはまるでボールを蹴る子供のようだが、その速度は高ランク格闘家のそれだ。


 男の子の致命的な蹴撃を、メイドは身を引いて回避する。

 回避された蹴撃が側にある石造りの建物に当たり、石壁に大穴を穿った。



 離れた所から「おいレストーレア、何を遊んでやがる!」というアルバーノの催促が聞こえ、メイドは仕方ないとばかりに男の子と距離を取る。

 そして、詠唱を開始した。


「"宿れ雷精霊、我が魔力を糧に万物を焼滅せよ"──《付与エンチャント:雷精ガザングン》」


 すると、宙から火花が寄り集まって黄色い稲妻となり、彼女の持つ短剣に纏わり付いた。

 稲妻は短剣だけにとどまらず、短剣を持っている彼女の右腕にも纏わり付き、メイド服の右袖に幾条もの焦げ痕を残した。


「なっ、『精霊付与』だと!?」


 ずっと不快気だった男の子が、初めて驚きを見せる。

 余程想定外なのか、その言葉からは独特の口調が抜けていた。


 「精霊付与」とは「精霊魔法」の一種で、とても強力な魔法だ。

 普通の魔法師が使う普通の魔法とは違い、精霊魔法は精霊と契約した者にしか使えない、比較的特殊な魔法である。

 精霊の力を借りているため、精霊魔法は普通の魔法よりも強力で、なおかつ自由が効く。

 メイドが使った精霊付与もそうで、普通の「属性付与」よりも威力が高く、術者の意のままに効果を発揮させることができる。


 ただ、メイドが使った魔法は、普通の精霊魔法とは大分違っていた。


「その服の焦げ跡……まさかお前、契約していない精霊を強制的に付与しているのか!?」


 愕然とする男の子が視線を向けているのは、稲妻が絡み付くメイドの右腕。

 腕を這う稲妻のせいで、メイド服の右袖は肘から先が焼け落ちている。

 顕になったメイドの上腕にも、幾筋もの焼き痕を残している。


「未契約の精霊は、指示に素直に従わない。無理に使役しようとすれば、術者にも大きなダメージを与えるはずだ!

 お前、その腕、痛くないのか!?」

「ご心配、痛み入ります。幸いなことに、痛みに強い体質ですので」


 皮肉なのか本気の感謝なのか分かりづらいメイドの平坦な返しに、男の子は苦い顔になる。

 こうしている間にも、メイドの右腕は稲妻に焼かれて表皮が爛れている。

 が、当のメイドは顔色一つ変えない。


「では、ご命令を頂戴いたしましたので、迅速に終わらせるとしましょう」


 言うなり、メイドが身を低くした。

 足元の地面に小さな凹みを残して踏み込む。

 男の子に急接近すると、そのまま稲妻を纏った短剣を振るった。


 そんなメイドの攻撃を、男の子は余裕を持って回避する。

 が──


「なっ!?」


 短剣に纏わり付いた稲妻が剣身から伸び、短剣の間合いを遥かに超えて男の子を襲った。


「ぐっ!」


 咄嗟に構えた男の子の両腕に、焼けるような激痛が走る。

 斬撃は避けたのに、伸びてきた稲妻で腕に火傷を負った。

 何より、痛みが凄まじい。


 こんな痛みを右腕に受けて平然としているのか、あのメイドは!

 もはや「痛みに強い」などというレベルを遥かに超えているぞ!

 そんな愚痴とも付かない感想を抱きながら、男の子はメイドに対する警戒度合いを引き上げた。

 そのまま後ろに飛び、メイドから全力で距離を取る。


「……どうやら、ボクも少しは本気を出さないといけないみたいだねぃ」


 悔しいやら忌々しいやら。

 そんな複雑な表情で、男の子は腰を落とし、四股のような構えを取った。

 所謂「馬歩」と呼ばれる構えだ。


「『耗命格闘ハオミンガドウ』──カイ!」


 男の子が唱えた。

 すると、腰に巻いていたベルトが光りながら解ける。

 解けたベルトは、まるで生きているかのようにうねり、真ん中から2本に裂けると、男の子の左右の拳に巻き付いた。

 そして、そのままグローブのように両手を包むと、表面に複雑な紋様を浮かばせ、禍々しい紫光を放ち始めた。

 それと同時に、男の子の両腕の血管が病的なまでに浮かび上がり、ドクドクと脈打ちながら黒く変色し始める。


「ふんっ!」


 その場から動かず、男の子はアッパーカットを放つ。

 完全にシャドーボクシングだ。

 しかし、男の子の拳の動きに合わせて、地面がまるで見えない刃に斬られたかのように一直線に抉られる。

 戦技ですらない、純粋な拳圧だ。

 あまりにも強すぎる拳圧が鋭い衝撃波を生み、まるで見えざる拳のように、間合いを超えて破壊をもたらしたのだ。


 それを見たメイドは、両脚に力を込めて全力で回避。

 直後、メイドが立っていた地面が抉られた。


 距離を取ったメイドが目を細める。


魔法道具マジックアイテム……いえ、呪われた器物カースドアイテムですか。

 寿命が縮む武器を使うなど、気が知れません」

「お前が言うかねぃ、自傷メイドが」



 睨み合う両者に、サムは固唾を呑む。


 方や、絡みつく稲妻のせいで短剣を持った右前腕がどんどん焼け爛れているメイド。

 方や、ベルトの呪いのせいで両腕の血管がどんどん黒く変色している男の子。

 自傷と呪いを恐れないどころか逆に使いこなす、冷徹な強者たち。

 そんな両者が正面からぶつかれば、この一帯は無事では済まない。


 そのことを悟ったサムは、戦闘に巻き込まれまいと、意識のないミモリーを引きずって道の端に寄る。


 睨み合ったのも束の間。

 何の合図もなく、メイドと男の子が同時に姿を消した。

 瞬間、サムの目の前の空間が「ドドドド!」と連続して爆発した。

 両者がどんな攻撃をしているのか、サムには全く分からない。

 ただ、両者の戦いが生んだ結果は分かる。

 衝撃波によって吹き飛んだ地面や壁が、室内に隠れた人々の悲鳴が、戦闘の余波に巻き込まれて地面を転がる両者の手下たちが、その戦いの激しさを物語っている。


 圧倒的な暴力の嵐が、東メイン通りを蹂躙していく。

 サムは、ただただミモリーを庇うように抱きしめながら、地面にへたり込んだまま、この「災害」が過ぎ去るのを待つしかなかった。

 不意打ちとはいえランク5冒険者であるミモリーを一撃で無力化したメイドと、そんなメイドと対等に戦えている謎の男の子によるガチンコデスマッチである。

 余波が掠っただけでも簡単に死ねる。

 これが強者同士の戦いなのか・

 サムは恐怖しながら、ギュッと目を瞑って創世の大女神に祈る。

 できる事など、それくらいしかなかった。




「ちょっとあんた、そんなとこに居たら死ぬわよ!」


 震えながら祈っていると、そんな呼びかけがサムのすぐ側の路地裏から聞こえた。

 固く瞑っていた目を開けてそっちを見ると、そこにいたのは一人の少女だった。

 目付きの悪い少女だ。

 痩せ細っており、みすぼらしい格好をしている。

 汚らしい感じはしないが、ひと目で極度の貧乏人だと分かる雰囲気だ。

 典型的なスラムの住人である。


「こっち来なさい!」


 そんな少女は、恐怖で顔を蒼白にしながらも、サムに向かって懸命に手招きをしている。

 怖い人たちに見つかりたくないのか、その呼びかけはひどく小声だ。


 創世の大女神様が祈りに答えてくださった!

 そんな気がしたサムは、必死に意識のないミモリーを引きずりながら、手招きする少女がいる路地裏へと身を隠した。


 少し緊張の糸が緩んだのか、サムが「はぁぁぁ」と大きなため息を吐いて路地裏の地面に座り込む。

 そんなサムを気遣うように、少女が覗き込んできた。


「あんた、大丈夫?」

「あ、ああ……ぼ、僕は大丈夫だよ」

「そう。そこの女も、死んでるわけじゃないみたいね」

「ああ、ミモリーも大丈夫だよ……多分……」


 ミモリーの脇腹にある痛々しい青あざを見たサムが自信なさげに答える。

 ここまで地面を引きずってきたせいで、身体の至るところに擦り傷がある。

 命を助けるためとは言え、少し申し訳ない気分になるサムだった。


 二人の無事を確認した目つきの悪い少女は「そう、それなら良かったわ」と口の中だけで呟くと、まるで逃げるかのようにその場を後にしようとした。

 が──


「居たぞ! こっちだ!」


 アルバーノの手下に見つかった。

 見れば、黒ずくめの刺客たちも、こちらに視線を向けている。


「何だ、あのみすぼらしい女は?」

「知るか、あの二人の仲間だろ!」

「まとめてとっ捕まえるぞ!」


 覆面たちと戦っていた「火消し」と手下たちが、強引に戦闘を切り上げてこちらに突っ込んでくる。

 それを見た覆面たちも、「火消し」たちを牽制しながらも、同じようにこちらへ向かってきた。


「えっ、ちょっ、あたし関係ない!」


 暗殺者とマフィアの一団が問答無用で襲いかかってくるのを見た少女が、必死に訴えかける。

 しかし、勿論のこと、聞く耳を持っている人間などいない。


「ああ、もう!」


 自棄糞になったのか、少女はミモリーを抱きかかえているサムに向かって手を差し伸べる。


「逃げるわよ! 付いて来て!」

「で、でも、ミモリーが……」

「その女は、あそこの連中に任せとけばいいでしょ!」


 少女がサムたちを守るように立ち塞がる赤竜組ヤクザを指差す。


「そ、そんな……」

「あんたじゃその女、運べないでしょ!?

 それに、さっきの話からすれば、あんたがここに居ても捕まえられるか殺されるだけよ!」


 状況を全部見ていたのか、少女がサムに正論を叩きつける。


 意識のない人間は、とても運べたものではない。

 同じ体重50キロの女性でも、意識があれば、抱え上げる際に抱き着いてくるなり足を回してくるなり、何らかの重心移動や姿勢変化に協力してくれるので、運ぶのはそう難しいことではない。

 だが、意識がなければ、自ら進んで姿勢変化や重心移動に協力することができない。

 そればかりか、関節が固定されないので、全身が常に下方へと無秩序に垂れ下がる。

 そうなると、もはや50キロの水袋と変わらない。

 運ぶどころか、担ぎ上げることすら至難の技だ。

 だからこそ、消防士や軍人には意識のない人間を担ぐための専門訓練が課せられる。

 それだけ、意識のない人間は運ぶのに苦労するのだ。


 余程の力持ちであれば強引に抱え上げることもできるだろうが、生憎、商家生まれのポーション師であるサムは、決して逞しいとは言えない体つきだ。

 意識のないミモリーをこの路地裏まで引きずってこられたのも、一種の火事場の馬鹿力のお陰であり、奇跡に近い。

 このまま彼女を担ぎ上げ、その上で更に追手から逃げるなど、とてもではないが現実的ではない。

 仮令この痩せ細った少女が協力してくれたとしても、運べないことに変わりはないだろう。

 それに、短パンを履いているミモリーの両脚が既に擦り傷だらけになっている所を見ても、これ以上彼女を「引きずる」のはいいこととは言えない。


 結局、サムとミモリーが助かるには、ここでミモリーを置いていくしかないのだ。

 それは、残酷ながらも至極当然な帰結だった。


「ミ、ミモリー……」


 それでも踏ん切りが付かないのか、サムはウジウジと動かない。


「ああ〜〜もう!」


 少女が焦れたようにサムの襟首を引っ掴む。

 巻き込まれたとはいえ、命の危機に直面しているのだ。

 優柔不断なサムのせいで命を落とすなど、たまったものではないのだろう。


 その細い腕からは想像すらできない程の力で、サムは路地裏の奥へと引きずられていく。

 それでようやく踏ん切りが付いたのか、サムは自分の脚で立ち上がった。

 そして、最後にグッタリと地面に横倒しになっているミモリーへ「ごめん」と呟いて、目付きの悪い少女の後を付いていった。

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