第二章 The Lost Potion Smells of Turmoil

73. Prologue 01:What a f*cking shitty world

 ――――― Prologue 01 ―――――




 ああ。

 なんてクソみたいな人生だろう。


 仰向けに倒れた目付きの悪い少女は、スラムの裏路地から覗く青い青い空を見上げながら、そう悪態をついた。






 母親はスラムの街娼立ちんぼで、少女は愛情のない幼少期を過ごした。

 スラムでの生活は苦しく、常にその日暮らしだった。

 父親は誰とも知れず、顔も見たことがない。

 母親が身体を売って稼いだ雀の涙程度の収入は、殆どが母親の酒と麻薬ヤクに消えた。

 少女は物心ついた時からゴミ漁りと掻っ払いで食料を手に入れ、なんとか糊口を凌いできた。

 年増で子持ちの母親は、柄の悪い客から頻繁に暴力を受け、ポン引きから余計に搾取されていた。

 そのせいで酷く擦れてしまい、いつも少女に当たり散らした。

 少女にとって「家族との思い出」と言えば、母親から浴びせられる罵声と振り上げられる掌であり、子守唄と言えば母親の「あんたなんか産まなきゃよかった」という呪詛であった。

 そんな母親を見て育った少女は、娼婦にだけは成るまいと心に誓った。


 だが、11歳になって初潮が来ると、母親は少女に客を取ることを強制した。


 少女は断り続けたが、遂にある日、母親が一帯の娼婦をまとめるポン引き頭に「うちの『初物』を高く買っておくれ」と懇願しているのを聞いてしまった。


 最悪だ。

 母親に売られた。

 このままでは強制的に娼婦にされてしまう。


 少女は着の身着のままの状態でゴミ運送馬車に隠れ乗り、生まれた都市から逃げ出した。


 都市を出ると、少女はゴミ馬車からこっそり降りた。

 そして、魔物が跋扈する街道を歩き、命からがら隣の街にたどり着いた。

 が、特技のない少女にできる仕事は、何も無かった。

 商店の店員や飲食店のウェイトレスなどは、身元がはっきりしている地元の女性しか雇わない。

 傭兵や冒険者になろうにも、非力な少女がなれる訳はない。

 孤児院はどこも満員だし、神殿に入って神官になろうにも審査が厳しい。

 身分証を確保するためにあらゆるギルドに加入したが、無学ゆえに識字も計算もできず、幼いがゆえに肉体労働も満足にできなかった少女は、すぐにギルド資格を失った。

 唯一の収入源である廃品拾いも、ご当地のスラムの子供たちと競合し、収入は殆ど無きに等しかった。

 結局、少女に残された道は春を売ることだけとなり、少女は再び逃げ出した。






 仰向けに倒れた目付きの悪い少女は、見上げていた青い青い空から自分の腹部に視線を落とす。

 肉の薄いその腹には、指二本は突っ込めるほど深い刺し傷があった。

 激痛を伴うその傷からは止めどなく血が流れ出し、それに伴って身体はどんどん冷たくなっていく。

 この傷と出血量では、そう長くないだろう。

 死の気配が迫りくるのを感じ、まだ16年しかない人生が、まるで走馬灯のように眼前を過った。






 逃げ出した少女は、その後、色んな都市を転々とした。

 が、どの都市に行っても状況は同じだった。

 よそ者な上に金もないので、スラムに住み着くしかない。

 そして、仕事が見つからないので、いつまで経ってもスラムから抜け出すことができない。

 毎日、生きていくので精一杯だった。


 結局、春を売らずに生きていくには、非合法な事に手を出すしかない。

 少女は窮猿投林とばかりに軽犯罪に手を染め、それを繰り返した。

 窃盗スリに始まり、詐欺や禁制品の売買、果には死体の処理まで、できる「仕事」は何でもやった。

 手を出さなかったのは、売春と殺人だけだった。

 それでも、生活は依然として厳しく、常に危険と隣り合わせだった。


 そんな少女にもある日、恋人ができた。

 相手はとある商会の三男坊で、紳士でハンサムな青年だった。


 夢のような出会いだった。

 金を持っていそうだったからったら、そのまま付き人に取り押さえられ……その場で「君に一目惚れした!」と告白された。

 少女は大いに混乱した。

 こんな目つきが悪くて大して可愛くもない女の何がいいのか。

 こんな貧相でガリガリでこ汚い小娘の何に惹かれたのか。

 こんな貧乏で品のない女の何を見初めたのか。

 疑問は尽きないが、相手はハンサムで金持ちの三男坊だ。少女に否やは露ほどもなかった。

 付き合い始めてみると、相手はとても紳士的で、教養も可愛げも何もない少女に対しても、まるで貴族令嬢を相手にするように優しく接してくれた。

 まるで自分がお姫様にでもなったかのようで、無性にいい心地を与えてくれたのだ。


 初めて経験する、夢のように幸せなひと月だった。


 だが結局、その男は少女を横領の身代わりに仕立てた。

 というか、そのための交際だった。

 ありもしない証拠をでっち上げられ、挙句の果てに指名手配されてしまった少女は、泣く泣く隣国へと逃げた。






 刺された腹部を必死に押さえるも、流れ出る血が大きな血溜まりを作るのを止められない。

 少女の喉から嗚咽が漏れ出る。

 己の生まれの不幸が悲しかった。

 何も変えられない自分が情けなかった。

 酷すぎる世の理不尽が悔しかった。

 何より、盲目の友人を──自分の唯一にして最も大切な人を置いて死ぬことが、無性に怖かった。






 隣国に逃げた少女は、最終的にフェルファストという都市に落ち着いた。

 理由は単純で、初めて友人ができたからだ。

 恋人(だと信じていた男)に手酷く裏切られて人間不信に陥っていた少女は、フェルファストのスラムで一人の盲目少女と出会った。

 自分と同じく天涯孤独な彼女は、盲目という致命的な欠陥を抱えながらも腐ることなく、懸命に生きていた。

 手先が器用で、内職で串焼き用の串を作ったり、露天で皿代わりに使われている大葉の下処理をしたり、とにかく精力的に働き、真っ当に生きようと努力していた。

 そんな彼女にシンパシーを感じた少女は、次第に彼女と交流を持つようになり、何時しか二人は無二の親友になった。

 今ではスラムのあばら家に二人で住み、互いに支え合って生きている。


 絶望と暗闇の中に現れた、一筋の光。

 それが友人である盲目少女だ。


 生活のためにもまだ違法稼業から足を洗うことはできないが、盲目の親友は必ず自分が守ってみせる。

 少女はそう己に誓っていた。






 地面に横たわる少女は、隣で左目からナイフを生やして死んでいる男を睨む。

 数秒前まで仕事仲間パートナーだった、スラムの悪党の一人だ。

 違法品の密輸を共に任された一回きりの仕事仲間パートナーだが、あろうことかこの男は輸送品の中身を盗み見ただけでなく、それをパクろうとしたのだ。

 それが原因で口論となり、逆上した男が短剣を抜き、少女も護身用ナイフを抜いた。


 結果、男は死に、少女は死にかけている。

 何の事はない、この稼業では珍しくもない出来事だ。


 薄れ行く意識のなか、少女が考えるのは、親友である盲目の少女のことだけだった。


 自分と同じように娼婦の子として生まれ、自分と同じように親に捨てられ、自分と同じように娼婦に身を落とさずに生きようと足掻いている、健気な少女だ。

 健常者である自分よりもよほど重いハンディキャップを背負いながらも、人を憎まず、世を恨まず、明るく前向きに生きている、太陽のような少女だ。

 気弱なくせに、折れることを知らない、弱くも強い少女だ。

 薄汚れた自分を心から受け入れ、優しく接してくれる、かけがえのない少女だ。


 そんな彼女をこのまま一人残すことは、絶対にできない。


 彼女がやっている内職だけでは、彼女自身を養うことはできない。

 自分が違法稼業で稼がなければ、彼女は再び困窮する。

 そうなったら、不自由な彼女に待っているのは凄惨な未来だけだ。


 それだけは、絶対に嫌だ。


 クソみたいな人生の中でようやく見つけた、たった一つの光なのだ。

 絶対に生きて彼女の下に帰ってみせる。


「……ぁ……す……ぇ……て……」


 震える唇を必死に動かして、助けを求める。

 だが、弱々しい声は、人気のない路地裏に虚しく吸い込まれていくだけで、誰の耳にも届かない。


 冷たくなった手足を必死に動かして、その場から移動する。

 だが、痙攣のような動きしかできない手足は、赤黒く染まった地面を虚しく擦るだけで、一寸たりとも進むことはない。


 声を上げようとする度に体力は失われていき、手足を動かそうとする度に命の灯は弱まっていく。

 霞む視界は、果たして失血のせいか、それとも涙のせいか。


 ああ。

 やっぱり、クソみたいな人生だ。


 幸せのない場所に生まれ、幸せのない場所で育ち、幸せのない場所で生きた。

 やっと幸せを手に入れたと思ったら、それはまやかしで、本当はさらなる地獄の始まりだった。

 そして、逃げた先で遂に本当の幸せと出会い、ようやく本当の幸せを噛み締めた矢先に、こうして死のうとしている。


 ほら、やっぱりクソみたいな人生じゃない。

 もうやだ。

 なんであたしが……。

 なんであたし達だけが……!


 痛みと絶望で涙が止まらない。

 辛うじて残っていた意識が、少しずつ闇に闇に沈んでいく────




「いい感じに死にかけているな」




 虫けらのように横たわる少女の顔に人影が差す。


「問おう。

 お前は、生きたいか?

 それとも、そのまま死にたいか?」


 霞む視線を必死に動かして見上げる少女は、そこに一人の仮面の男の姿を見た。


「生きたければ助けてやる。

 死にたければ介錯してやる。

 お前は、何を選ぶ?」


 果たして、それは天の救いか、それとも魔の誘いか。


「ぃ……ぎ……ぁ……い……!」


 何方にしろ、構わなかった。


「……いぎ……だい!」


 血泡を吐くが、構わなかった。


「あたしは、生きたい!」


 少女は、迷わず叫んだ。


 最後の力を、こんな怪しい仮面男のために使ってしまった。

 だが、それでも助かる可能性が僅かでもあるのならば、それに賭ける。

 自分の帰りを待ってくれている親友のためにも、ここで諦める訳には行かない。


「そのために、お前は何を支払う?」


 冬の湖のように冷たく、荒野の岩石のように硬い、そんな問い掛けだった。

 情も無ければ、情けも無い。

 悪魔でさえ、もっと優しい言い方をするだろう。

 こんな問いには、答えることすら躊躇われる。


 だが──


「全てよ!

 あたしの全てをやるから、助けて! 

 あたしには──帰らなきゃいけない場所があるのよ!!」


 少女は躊躇いなく答える。

 自分の全てを差し出すという答えを。


「取引成立だ」


 仮面の男がニヤリと嗤ったような気がした。


「──《医療神の糊グルー・オブ・アスクレピオス》」


 仮面の男の呟きと共に、少女の身体からあらゆる苦痛が消える。

 見れば、傷口はまるで最初から何もなかったかのように完全に塞がっていた。

 残ったのは、刺されて破れた服と、微かに残った血痕だけ。


 何がなんだかよく分からないが、どうやら助かったらしい。


 ああ、良かった。

 これで親友の下に帰ることができる。

 あの陽の光のような笑顔を、もう一度見ることができる。


 安心したのか、視界が徐に霞み始めた。

 重くなったまぶたを必死に広げ、少女は自分を見下ろす仮面の男をその生まれ持った悪い目つきで見上げる。


 これだけの事ができる男から逃げるのは、多分無理だろう。

 一体、自分はどんな対価を支払うことになるのか。

 ただ、一つだけはっきりしている。

 ──身体だけは、絶対に許すまい。

 それだけは、死守しよう。

 でなければ、自分の信念に、そして親友との約束に反する。


 クソみたいな人生だが、それでも歩み続けて行かなければならない。

 今の自分には、手放すことのできない親友が居るのだから。


 そう決意を固めながら、少女は意識を手放した。











「情報源1号、ゲットだぜ」


 仮面の男のその呟きが少女の耳に届くことはなかった。










◆◆◆◆◆ あとがき ◆◆◆◆◆

 第二章の開幕です。

 本章では視点が頻繁に切り替わり、登場人物もかなり増えます。

 構成的にちょっとややこしいかも知れませんが、お楽しみいただければ幸いです。(*´▽`人)

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