72. 閑話03 - Armagedooooon⁉

 ★ 8月12日 アメリカ合衆国 テキサス州 NASA宇宙センター 

 10時24分


「所長、ISSより緊急連絡です」


 緊張で滂沱の汗をかいている職員の呼び出しに、所長は書類整理の手を止める。

 ISSとは、現存する唯一の国際宇宙ステーションだ。

 そこからの緊急連絡など、ただ事ではない。

 席から立つと、所長は自分のオフィスを後にし、早足でコントロールセンターへ向かった。


「何があった?」


 先に概要を知ろうと訊ねた所長に、早足で隣を歩く職員は暗い顔で報告する。


「……3分前、ISSの超高感度観測望遠鏡がM27方面から飛来する大質量物を確認。真っ直ぐにこちらへと飛んできている、とのことです」


 思わず、所長は足を止める。


「ま、まさか……」

「……恐らくは『コード・M』、『開門の時間』です」


「コード・M」。それが意味するところは、隕石衝突。

 そして「開門の時間」は、世界滅亡を意味する隠語。


 あまりの衝撃に、所長は呼吸することすら忘れる。


 隕石衝突による世界の滅亡。

 それが国際宇宙ステーションよりもたらされた情報を解析して得られた初歩的推測だ。


 体と思考が止まったのも束の間。

 所長は全力疾走でコントロールセンターを目指した。






 ◆






『──ヒューストン! こちらでの試算結果は変わらない! そちらはどうだ!?』

「こちらヒューストン、こちらも同じだ。計器の故障、もしくは観測ミスなどは無いか? 再度の確認を……」

『──コバヤシとイワノフがもう7回もチェックした! 故障や観測ミスなど無い! クソッ!』


 蹴り破るようにコントロールセンターの扉を開いた所長が目にしたのは、データと怒号が飛び交う光景だった。

 オペレーターたちは宇宙飛行士と必死に通信しており、絶え間なくデータを送受信している。

 テクニカルチームは世界中の観測所に連絡を取り、多方面からデータを集めている。

 学者たちはデータの解析と計算を繰り返し、スクリーンを指差しては隣の人間と何かを討論している。

 このような非常事態にも関わらず、混乱のギリギリ一歩手前で留まり、効率よく仕事をしているのは、彼らの能力とプロ意識の為せる技だろう。


「所長!」


 所長の姿を見つけたオペレーションチーフが、職員たちを押し退けながらやってくる。


「デビッド。ISSとは繋がっているか?」

「はい!」


 オペレーションチーフのデビッドからヘッドマイクを手渡された所長は、大型スクリーンに目を向ける。


「こちらヒューストン、所長のカールだ」

『──カール所長ですか! こちら国際宇宙ステーション、飛行士のトッドです!』


 金髪が眩しい若いアメリカ人男性が、弱冠のラグを伴って大型スクリーンに映し出されている。

 国際宇宙ステーションに滞在するアメリカ籍の宇宙飛行士、トッド・ジョンソンだ。

 いつも冷静でユーモア溢れるトッドだが、今は余裕のない顔にびっしりと汗を浮かばせている。

 無重力下で流した汗は宙に浮かび、小さな水球となって彼の周囲を漂っている。


「トッド、一体何があった?」


 改めて問う所長に、トッドは4度目となる説明をした。


 内容は以下の通り:

 ──小狐座M27亜鈴状星雲方面で大量の宇宙線放散を観測。

 ──国際宇宙ステーションに搭載されている超高感度観測望遠鏡を用いて確認したところ、星系軌道から大きく外れた大質量物を発見。

 ──大質量物の直径は推定15キロメートル、質量はおよそ3億〜4億トンで、その飛行速度はなんと光速の100分の1というとてつもない速さ。

 ──そしてそれは、殆どの星系の引力を物ともせずに、ほぼ一直線に地球へと向かって飛来している。


「………………………………っ」


 観測当事者からの報告を聞いた所長は絶句し、絶望に打ちひしがれた。

 この大きさの小天体が地球に衝突すれば、惑星そのものが爆散する。

 掠っただけでも、世界の滅亡は免れない。

 まさに惑星殺しプラネット・キラーだ。

 たとえ地球に直撃しなくとも、安心はできない。

 例えば、月にでも当たれば、地球の自然環境が大きく変化してしまう。

 太陽系の他の惑星に当たっても、システムが大きく様変わりしてしまう。

 そうなれば、人類を含む生物の大絶滅の始まりだ。


「……それで、インパクトまでの時間は?」


 絞り出すように尋ねた所長に、トッドは沈痛な面持ちで答えた。


『──推定1013時間……凡そ42日です』


 その一言に、所長のみならず、忙しく動いていた職員達も、そして試算を繰り返して同じ結果を弾き出して既に知っていたはずの学者達までもが息を呑んだ。


「たったの、42日、なのか……」

『──はい。観測限界に入った瞬間からその存在を把握していましたが、なにせこの速度ですので……』


 光速の100分の1という超高速で飛来する天体など、どうすればいいのか。

 所長は答えの無い問題に頭を悩ませる。

 いや、悩む必要など端からない。

 このまま行けば、地球は確実な滅亡を迎える。

 ならば、NASAとしてすることは一つだ。


「……そうか。報告を感謝する、トッド。引き続きそれの観測と、我々との連絡を密にしてくれ」


 そう言って、所長はヘッドマイクのスイッチを切る。

 そして、全員の注目の中、声を張り上げた。


「現時刻を以て、この件に関する箝口令を発令する! 私の許可がない限り、この部屋にいる者以外に漏らすことは一切許されない!」


 そう告げると、所長はオペレーションチーフのデビッドに向き直った。


「ホワイトハウスに繋いでくれ。話は私が直接する」






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 ★ 同日 アメリカ合衆国 ワシントンD.C. ホワイトハウス内

 11時41分


 合衆国の政治的象徴であるホワイトハウスは今、静かな混乱に陥っていた。

 NASAからの報告を受けた米国大統領は、即座に無期限の箝口令を敷き、関係各省のトップを緊急招集、極秘裏に対策会議を開いた。

 たとえ実情を知る立場になくとも、慌ただしく走り回る秘書たちの動きや漂う緊迫した空気から、何かが起こりつつある事は推測できる。

 ホワイトハウス内で働く人間は、SPから庭師まで、その静かな混乱に戸惑いを隠せないでいた。


 そして、極秘会議の存在を知りながらも参加を認められなかった女性が一人、ホワイトハウス内を歩いていた。

 年若い彼女が会議に参加ができなかったのは、なにも年齢や女性軽視のせいではない。

 ただ単に、彼女の役職が「トップ」ではなかったというだけのことだ。


「グレイス次席補佐官」


 呼び止められ、女性振り返る。


「パウロ議員」


 呼び止めた相手──頭髪が斑で酷く肥えた中年男性──パウロ議員に、グレイスは手を差し出し、握手を交わす。


「相変わらず忙しそうですな、グレイス嬢は」

「いえいえ、私などただの秘書セクレタリーに過ぎません。お忙しいのは、何時だって大統領閣下と首席補佐官殿ですよ」


 アメリカ合衆国大統領次席補佐官は、大統領を補佐する首席補佐官を補佐する役職で、グレイスはその次席補佐官の一人。

 当然ながら「ただの秘書」などではなく、合衆国の中枢にほど近い、国家の内情に詳しい要人だ。


「ハハハ、相変わらずご謙遜を。……それにしても、今日はなんだか慌ただしいですな。何かあったのでしょうか?」


 あからさま過ぎる探りに、グレイスは微笑みを顔に貼り付け、内心の侮蔑を隠す。


「表のデモ隊が原因でしょう」


 そう言って、窓の外を見る。

 今日は、ホワイトハウスの正門前で動物愛護団体のデモが行われている。

 意識の高い人々が「Just Stop Animal Testing!」という標語が書かれたプレートを持ってホワイトハウス前を練り歩く光景は、もはや新薬発売後の風物詩となっている。

 今更そんなことで緊張を露わにするホワイトハウス勤務はいない。


 では、なぜ彼女がそんな誤魔化しを口にしたのかというと、この男──パウロ議員が問題ある人物だからだ。


 パウロ議員にまつわる黒い噂は、両手では数え切れないほどに多い。

 賄賂や強引な揉み消しは当然として、恫喝や暴行、売春や淫行、果にはD.C.での麻薬取引や麻薬カルテルの関係者リストにまで彼の名が見え隠れするほど、この男は経歴が汚い。

 そして質が悪いことに、この豚は世渡りが上手い。

 現に、こうしてホワイトハウス内に足を踏み入れている事実が、それを物語っている。

 ホワイトハウスは、議員であろうとそう簡単に入れる場所ではない。学校の職員室とはわけが違うのだ。

 それなりの大事がなければ、たかだか議員が興味本位でホイホイと入るのは不可能である。


 では、この男はどうやって入ったのか?

 グレイスは会議に出席した面々を思い返し、納得する。


(確か、商務省長官の腰巾着だったわね)


 身も懐も脂ぎったこの男は、耳が早く、政情に敏い。

 数年前から商務省長官に目をつけ、彼が長官職に就くまでずっと灰色の関係を保ってきた。

 そのよしみで上手いことここまで潜り込んできたのだろう。


 グレイスの見え見えな誤魔化しに、パウロ議員は目の中の険を隠しきれないままニヤリと笑う。


「またまたご冗談を。あんな負け犬どもルーザーズに皆さんが緊張感を抱くはずないでしょう。本当は、もっと何か大きなことが起きているのではないですか?」

「……ご内密にお願いしますよ?」


 まるで折れたかのように、グレイスは溜息を吐く。


「ええ、勿論ですとも!」


 欲しがっている情報が手に入ると分かってご機嫌なパウロ議員。

 そんな彼に、グレイスは嫌悪を隠しつつ、耳打ちする。


「不確定情報ですが、どうやらここD.C.でテロを画策している人間がいるとか」

「なんですとっ!」

「声が大きいですよ、パウロ議員」

「こっ、これは失礼しました……」

「確定したことはまだ何も言えませんが、高官達には身辺警護の増強、それと緊急避難時のマニュアルの再確認を行って貰っているとか」

「ほほう……」


 目を細めたパウロ議員に、グレイスは再度釘を刺す。


「本当に何の確証もない話ですので、どうかご内密に。何方かにそれとなく聞いてみるなども、決してしないようお願いします。それから勿論ですが、私から何かを聞いたということも、一切なかったことに」

「ええ、それは勿論ですとも、グレイス次席補佐官」


 仄かに嫌らしさを含んだ笑みを湛えて、パウロ議員はその場を後にした。


 全部、真っ赤なウソである。

 D.C.でテロなど、そんなものは無い。

 全ては彼女の上司──大統領首席補佐官から言いつけられたカバーストーリーだ。


 当たり前だが、箝口令が敷かれた今、真実を口にすることなどできるはずがない。

 それに、たとえ事実を言ったとして、誰が「隕石による世界滅亡」などという戯言を真に受けるだろうか。


(まぁ、この豚を釣り餌ルアーにできるなら損はないわね)


 テロの話を聞いたパウロ議員あの豚は、高確率でD.C.を離れようとするだろう。

 己の安全を第一に考えるあの男が、無差別テロの標的にされる(という設定の)この街に残るはずがない。

 そして、彼は親しい誰かに情報を流し、恩を売るだろう。

 それが誰であれ、確実にマーク対象となる。

 あの男と繋がっている政治家に、潔白な者はいない。払っただけで夥しいホコリが出てくる人間ばかりだろう。それは商務省長官とて同じだ。

 腐敗撲滅の一助になるのなら、あんな男でも多少の価値はあると言える。

 グレイスは口元に微かな笑みを浮かべ、その場を後にした。






 ◆






 3時間に及ぶ緊急極秘会議が終わり、グレイスは会議室から出てくる直属の上官──首席補佐官を見つける。


「お疲れ様でした、ミスター・サンドバーグ」

「グレイスか」


 灰髪のナイスミドルから書類を受け取り、グレイスは彼の隣を歩く。


「いかがなさるのですか?」


 主語のない曖昧な問に、サンドバーグは答える。


「国家緊急権は発動しない。避難も、しない」

「つまりは何もしない、と?」

はな。これから国際会議だ。何かを決めるのは、それからだ」


 あまりにも消極的な対応に、グレイスは僅かに眉を顰める。

 滅亡へのカウントダウンは、すでに始まっている。

 人類に残された時間は、僅か42日だ。

 国民に要らぬ混乱をもたらさないためにも情報は公開すべきでない、というのは政治に携わる者としてこの上なく賛成する。

 だが、アメリカ政府そのものが何もしないというのは、些か怠惰が過ぎるのではないだろうか。


「策は無いのですか?」

「無いな。

 学者たちを秘密裏に集めて計算させてみたが、どうにもならないそうだ。

 現存する全てのニュークを叩きつけても、垢擦りにしかならないらしい。

 映画みたいに、シャトルで乗り付けて爆弾を埋め込もうにも、速度が速すぎて実現不可能だそうだ。

 あとはもう、地球そのものを避難させるしかないが……」


 そんな地球をワンダリングさせることなど、できるはずもない。

 冗談を言わない上官がこんなつまらないジョークを口にするとは、よほど追い詰められているのだろう。

 もはや滅亡を受け入れ、最後の時を待つしかないのか。


 そんなグレイスの不安を感じ取ったのか、サンドバーグは微笑んだ。


「心配するな、グレイス。何もしない……何もできないのは、『我々』だけだ」


 その言葉に、グレイスはしばらく首を捻り、やがてハッとする。


「まさか、例の『協会』に?」

「ああ」


 グレイスは納得する。

 こんな非常事態に対処できる存在など、「彼ら」しかいないではないか。


「だからグレイス、今すぐに仲介を頼む。これは大統領命令だ」


 グレイスがこの歳で次席補佐官にまで上り詰められたのは、99%が彼女の努力と才能の賜物だが、最後の1%──その決定的な理由が、彼女の人間関係にある。


 彼女の再従姉妹の一人に、「世界の裏側」に生きる人間がいるのだ。

 小さい頃から仲が良く、仕事に就いてからは多少疎遠になったものの、今でも月に2〜3度は連絡を取るほど身近にいる、それでいてグレイスの生きる世界からは完全に「隠れた世界」に生きる、そんな知り合いが。


 もし、これが「裏社会」に生きる人間との「黒い交際」であれば、彼女は公職に就く前にバックグラウンド調査で弾かれていただろう。

 だが、彼女の場合は状況が全く違う。

 公にできない交際、という点では一緒かもしれないが、その性質は完全に別物だ。


「なるほど」


 グレイスは納得する──なぜ政府が「何もしない」と決断したのかを。


 政府の中でも、「彼ら」の存在を把握している人間は両手の指の数で収まるほどしかいない。


 超常の力を意のままに操り、世界を任意に書き換える存在。

 謎に包まれながら、その実態を探ることを良しとしない者たち。


 ──魔法使い。


 そんな彼らにも、政府というか、統括管理する組織が存在する。

 それが「魔法使い協会」。

 通称「協会」だ。


 奇妙なことに──各国政府にとっては「幸いなことに」と言ったほうが正確だが──彼ら「協会」は、政治と宗教に一切干渉しようとしない。

 有史以来ずっと存在し続けているらしいが、彼らが表舞台に出たことは一度たりともない。

 彼ら「協会」だけでなく、彼らが管理する魔法使いたちも、お互いに非干渉を決めているのか、情報を集めようとしてもビックリするほど何も出てこない。それこそ、まるで最初から存在していないかのようだ。

 それなのに、歴史の転換点と呼ばれる事件の背後には、必ず彼らの影が見え隠れする。

 まるで、影から世界を動かしているかのような、そんな謎多き存在だ。


 そして、グレイスの再従姉妹は、その「協会」に勤める一職員だった。


「『彼ら』に解決できなければ、もはや誰にも解決はできない。これは大統領閣下も望まれていることだ。これから国際会議を開くが、恐らく『彼ら』への要請は満場一致で可決されるだろう。正式な要請は国際会議の後に送ることになるだろうが、君は一先ず連絡だけでも取り付けておいてくれ」

「了解しました。直ちに連絡を取ります。……ところで、『彼ら』にはどこまでお話すれば宜しいでしょうか?」


 箝口令が出されている特級案件の詳細を外部組織にどこまで話すか、グレイスには判断がつかなかった。


「全てだ。包み隠さず、全て話せ。『我々』の誠意を見せるのだ。……尤も、我々が掴んでいる程度の情報を、向こうが掴んでいないなどということは考えにくいがね」


 皮肉を漏らすも、上司の顔に負の感情はない。

 グレイスは一礼し、その場を辞した。






 ◆






 人気のないテラスで、グレイスはスマホを取り出す。

 掛ける相手は、自分の再従姉妹にして友人でもある──魔法使い協会の連絡員、ナタリーだ。


 グレイスとてバカではない。

 自分の再従姉妹が、なぜある日突然自身の身分を告白したのか──これまで影すら見えなかった魔法使い協会の人間だとわざわざ教えてくれたのか、分からないグレイスではない。


 彼女と再従姉妹は、アメリカ政府と魔法使い協会を繋ぐパイプなのだ。


 魔法使い協会は、表世界の政治に積極的に関与しない。

 そのポリシーのせいか、各国政府首脳との直通パイプを作りたがらない。

 なぜ彼らが政治に首を突っ込まないのか、グレイスはその理由をなんとなく理解している。

 彼らの「魔法ちから」を悪用されないようにするためだ。

 核兵器すら通用しない、神の如き力──魔法。

 そんな力は、資産家や政治家欲深い人間たちには過ぎたるものだ。

 誰が手にしようと、害悪しかもたらさないだろう。

 だから、わざわざグレイスのような「国家の中枢から少しだけ離れたポジションにいる人物」を連絡員に抜擢したのだ。


 自分がただの伝令役メッセンジャーであることに、グレイスは一切の不満を抱いていない。

 政治の世界では、なにもスポットライトがバチバチに当たるヒーローやヒロインだけが称賛されるわけではない。

 補佐や補助も、それなりに手柄になるのだ。

 他人にない人脈があるからこそ、そしてその人脈を上手く使ってこそ、政治の世界でのし上がることができる。

 人脈も立派な財産であり、その人間の能力なのだ。

 尤も、グレイスの場合は類まれなる実務能力があるからこそ、29歳という若さで今のポジションまで上り詰めたのだが。


 連絡先から特定の人物を見つけ出し、グレイスは電話を掛ける。


「もしもし、ナタリー? 久しぶり〜。実はね──」


 こうして、アメリカ政府と魔法使い協会の間で非公式の情報共有が行われ、後日、世界各国の連名にて魔法使い協会へ正式な要請が送られたのだった。






 ◆ ◆ ◆






 ★ 同日 日本国 東京都 都内某所

 17時50分


「おう、九太郎。ちょっと出掛けてくるわ。早ければ2日で帰ってくるから、ちゃんと飯食えよ」


「あれ? 師匠、どこ行くの?」


「衛星軌道上だな。デカイ隕石が来てるらしいから、ちょっくら潰してくるわ」


「………………」


「お土産にNASA饅頭とか買ってくるから、期待しとけ」


「いやNASAに饅頭売ってねぇだろ、温泉観光地じゃないんだから。

 っていうか、師匠が出向いて潰さなきゃいけないような隕石が迫ってんの!?

 ヤバいじゃん!

 それ、『世界終焉シナリオ』の『ケースA04』に該当するじゃん!」


「大丈夫、大丈夫。まだ41日も時間あるし」


「それ大丈夫って言わねぇから。

 ……で、止める方法とかあるの?

 まさか、映画みたいに隕石に乗り込んで爆弾仕掛けるの?

 師匠が最後に起爆トリガー引く役として残るの?

 死ぬの?」


「なんで俺がブ◯ース・ウィ◯ス役なんだよ、このバカ弟子。

 んな面倒臭いことしねぇよ。

 衛星軌道上に登って、遠距離から《終焉の種火フォイアー・ディス・エクピロシス》を撃って終わりだよ」


「……確かそれって、11次元魔法だよね?

 そんな高難度の魔法を遠距離で撃つって、魔力足りるの?」


「流石に俺一人じゃ無理だな。

 だから、協会からの要請で応援が来る。

 弥生やよいとマリアとか、シャリコフの爺さんとか、ちんの野郎とか、全部で12人な。

 やつらと俺を含めた13人で『神儀供台』を組み立てて、《終焉の種火フォイアー・ディス・エクピロシス》を儀式魔法として撃ち出すんだ。

 それなら、光年単位の距離でも魔法が届く」


「……なるほど。

 でも、それなら、あのバルセロナのデス・◯ター……じゃなかった、サグラダ・ファミリアを使ったら?

 そのためにある装置なわけだし、わざわざ衛星軌道まで登るよりそっちのほうが楽じゃない?」


「ああ、その案な、協会が最初に検討して、真っ先に却下したらしい」


「なんで?」


「『隠蔽がメンドい』ってさ」


「授業に出たくない大学生の言い訳かよ!」


「同じ理由で、俺たちも衛星軌道に登らないといけないってわけだ。

 《終焉の種火フォイアー・ディス・エクピロシス》は地上でも撃てるけど、それだと目撃者が出ちまうからな。

 ってなわけで、行ってくるわ」


「……なんだろう。

 世界の危機だっていうのに、全く危機感を抱けないんだけど……。

 俺がおかしいの?」


「なに言ってんだ、九太郎。

『世界終焉シナリオ』の『ケースA04』なんて、とっくの昔に解決法が確立されてるんだ。

 こんなもん、そもそも危機でもなんでもないんだから、焦る必要なんて何処にもねぇよ。

 お前も魔法使いなら、これくらいのことでいちいち騒ぐな」


「………………」


「あ、言い忘れてたけど、このこと、誰にも言うなよ?」


「言わねぇよ。流石にそれくらいの分別はあるわ」


「それならいい。じゃ、いってきま〜」


「いってら〜」






 ◆ ◆ ◆






 ★ 翌々日 8月14日 アメリカ合衆国 ワシントンD.C. ホワイトハウス内

 09時08分


 合衆国大統領次席補佐官であるグレイスは、会議室にいた。

 先日、各官僚トップによる緊急会議が開かれた部屋だ。

 そこの議長席──所謂「お誕生日席」に、彼女は座らされていた。

 彼女の右隣には合衆国大統領が腕組みをしながら座っており、左隣には合衆国国防長官が彼女を睨むように見据えながら机の上で拳を握りしめている。

 彼女の後ろでは、副大統領が「席に座っているのももどかしい」と言わんばかりにウロウロ歩き回っていた。

 その他にも、国家の中枢を担う高官たちが会議室の円卓ではなく、グレイス一人を囲う形で座っている。

 いや、正確には、彼らが囲っているのはグレイス本人ではなく、彼女の目の前に置かれている、彼女のスマホだ。


 流石のグレイスも、緊張と暑苦しさから汗がにじむ。


 彼女たちが待っているのは、一通の電話。

 自分たちの、いや、この世界の運命を決める通知だ。

 全員が例外なくシャツを汗で染め、緊張した面持ちで携帯電話を睨みつけている。

 部屋に流れるのは、時計の針の音と、誰かの荒い呼吸音と、貧乏ゆすりの音だけ。


 そして──

 着信音が響いた。


 グレイスのスマホだ。

 全員が目の色を変え、グレイスを睨むように見る。

 国防長官などは、思わず自分で電話に出そうになった程だ。

 彼らがどれだけこの電話を待ち侘びていたかが分かる。


 焦燥と期待が混じった眼光がグレイスに突き刺さる中、彼女は緊張で冷たくなった手で電話を取った。

 勿論、この場にいる全員に聞こえるよう、ハンズフリーでの通話だ。


「もしもし、グレイスです」

「こんにちは、グレイス。あたし、ナタリー。今、電話いい?」


 期待通り、電話を掛けてきたのはグレイスの再従姉妹──魔法使い協会の連絡員だった。


「うん。ちょうどあなたの電話を待っていたところよ」


 全員が「早く要件を言え!!」と怒鳴りたい衝動に駆られるが、連絡員以外が会話に交じるわけには行かない。

 そんなことをすれば、協会向こうは適度な距離感の構築に失敗したと判断し、グレイスいうチャンネルを切るだろう。

 あまりにも焦れったい。

 ナタリーの呑気な声色が心底憎い、と感じた人間は一人や二人ではないだろう。


「で、ナタリー。あなたが電話してきたのは『例の件』に関すること、でいいのよね?」

「うん。そうそう。事後報告になっちゃったけど、ちゃんと報告しようと思ってね。そっちの計測機器で確認するには、距離の関係でまだ数日は必要みたいだからさ」


 やっと本題に入ったことで、高官たちはゴクリと唾を飲み込んだ。


「結果は──大成功よ。

『邪魔な石ころ』を完全に消し去ったから、もう危険はないわ。

 二次災害の心配もないから、安心して」


 瞬間、会議室に「Yesよっしゃ!!」という歓声が木霊した。

 あまりの嬉しさに、気遣いや礼儀も忘れて喜ぶ高官たち。

 グレイスもホッと安堵した。


 やがて我に返った大統領に促され、全員が静かになる。

 まだ通話は終わっていないのだ。


「ありがとう、ナタリー。助かったわ」

「ううん、気にしないで。お礼は、あたしたちに連絡するよう命令したあなたの上司たちに言ってあげて」


 勿論、ナタリーもその「上司たち」が一緒にこの通話を聞いていることを知っている。

 これは、友好を示す社交辞令だろう。


 彼女たちは連絡員だ。

 連絡員の役目は文字通り連絡することだが、彼女たちの場合、お互いがお互いの世界に深く関わらないようにするストッパーでもある。

 よって、ナタリーのこの呑気な態度も、グレイスのこの高官たちを居ないもの扱いしているかのような会話も、全て互いの世界の境界線をハッキリと引くための演技措置だ。


「それでも、あなたにはお礼を言いたいの。ありがとう、タナリー。あなたの上司たちにも、お礼を伝えてね」

「分かったわ。じゃあ、暇があったらまたお茶しましょ」

「勿論よ。私が奢るわ」

「ほんと〜? じゃあ、高いお店にしちゃうわよ〜?」

「私の給料を低く見ているわね? ドンと来なさい」


 和やかな雑談を交わし、二人は通話を終了した。



 こうして、世界の危機が一つ、人知れずに過ぎ去ったのであった。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 ★ 同日 日本国 東京都 都内某所

 10時28分


「ただいま〜」


「おかえり〜」


「ほい、九太郎、お土産」


「……なに、この汚い金属板?」


「国際宇宙ステーションの外部装甲板デブリバンパーだ」


「ちょっ!? あんた、なんつうもん剥がしてきてんだ!?」


「大丈夫だって。ちゃんとお弁当に持っていったレトルトカレーの袋で、代わりの装甲板作って貼ってきたから」


「なにレトルトパウチで代用しようとしてんの!?

 絶対バレるだろ!?

 っつぅか、こんなでかい金属板、どうしろってんだよ!?」


「だから、お土産だって」


「ご当地限定の携帯ストラップ感覚で宇宙ステーションの装甲板剥がしてくるんじゃねぇよ!

 迷惑になるだろ!?」


「ったく、わがままだな〜。

 ほれ、別のお土産もあるから」


「……なに、このステッカー?」


「トッドっていう宇宙飛行士の宇宙服に付いてた腕章だ」


「だ〜か〜ら〜!

 なんであんたはそうやって人の迷惑になるようなことすんの!?

 腕章剥がしてお土産にするとか、結局あんたもブ◯ース・ウィ◯スに憧れてんじゃねぇか!」


You go俺の take ca娘をre of m頼むy little g。それirl nowがお. That前の's your仕事 job.」


「カッコいいセリフ言いながら腕章を俺に叩きつけるんじゃねぇ!

 映画ネタがやりたいだけだろ、あんた!」


「いやいや、現役宇宙飛行士が任務中に着ているホカホカの宇宙服から剥がしてきた腕章だぞ?

 絶対高く売れるって」


「絶対パチモンだと思われるから。

 っていうか、どうやって手に入れたんだよ、こんなもの?

 師匠、NASAとは関係なく、協会のアメリカ支部から魔法使ってこっそりと衛星軌道まで行ったんだろ?

 宇宙ステーション、どうやって入ったの?」


「ノックしても誰もエアロックドアを開けてくれなかったから、《量子透過》の魔法で無理やり忍び込んだ」


「………………」

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