71. 閑話02 - R for Retaliation

 アメリカ合衆国 某所



 扉を開けた若者──イーライは、思わず「うっ」とえずいた。


「しっかりしろ、新米ルーキー。そんなんじゃ、この仕事はできないぞ」


 ロマンスグレーの男が、イーライの肩を叩いて励ます。


「こんなのを見ても平然としているあなたがオカシイんですよ、ハリソン」

「だからお前はいつまで経っても新米ルーキーなんだよ。この仕事しているとな、これより酷い光景もよく見ることになる。覚悟しとけ」

「これよりも酷い……」


 先輩であり、10日前に新しく組んだばかりの相棒バディーでもあるハリソンの忠告に、イーライは絶句する。

 彼には、目の前に広がる惨状よりも酷い光景など、想像すらできなかった。


 二人がいるのは、郊外に位置するとある民家の薄暗い地下室。

 部屋の中央には椅子が4脚あり、そのうちの3脚が残りの1脚を対面にして半円状に囲う形で配置されている。

 そして、その4脚の椅子には、それぞれに一人の──無残な死体が括り付けられていた。

 周囲の地面はドス黒く染まっており、側には腐敗臭を放つバケツが4つ置かれている。


「拷問ショーってやつか。お誕生日席に座るやつに、他の3人が拷問されるところ見せつけていたんだな。惨いことしやがる」


 眉をわずかに顰めるハリソンに、口を抑えていたイーライが憎しみすら籠もる目を向けて反論した。


「惨いなどというレベルじゃありませんよ! これは、悪魔の所業です!」


 噛み付くイーライを無視し、ハリソンは手帳を取り出し、残骸のようている死体を観察する。


「ふむ。このお誕生日席に座らされているのがボリス・ラングドン、48歳だな。『理事会』成員の一人であるクライス・ミケルセンの秘書補佐をしていた人物だ。

 死因は……こりゃあ、極度のストレスによる心不全だな。肉体的苦痛と精神的苦痛に耐えられなかったらしい」


 最悪な死に方の一つだな、と呟いて、ハリソンは左向かいに座らされた死体へ目を移す。


「う〜む、こっちの遺体は損傷が酷いな。残った頭髪の色から推測するに、これはボリスの母親──トリシア・ラングドン、70歳だろう。死因は窒息死。拷問の末にビニール袋を頭に被せられて、ゆっくりと窒息させられている」


 この歳でよくこれだけの拷問に耐えたもんだ、と呟いたハリソンは、吐き気を必死で我慢するイーライに構わずに隣の死体の検死に移る。


「真ん中のは恐らくボリスの妻、アンナ・ラングドン、46歳だろう。死因は……う〜ん、肉体の損傷が激しいから判断が難しいが、恐らく拷問によるショック死だろう」


 これを見せつけられていたボリスは堪ったもんじゃなかったろうな、と顔を顰めたハリソンは最後の遺体に向き合う。


「で、最後のこれがボリスの長男のオーガス・ラングドン、24歳だな。死因は失血死。ここに満タンの血液バッグが7パックある。恐らく、ゆっくりと血を抜かれたんだろう」


 緩慢な失血死はかなりの苦痛を伴うらしいからな、と言って、ハリソンは検死を一旦休止する。


「大丈夫か、新米ルーキー?」

「……なんとか」

「お前も、これから協会の仕事を続けるんだったら、これくらいで参ってる暇はないぞ?」


 連続で吐き気を催すイーライをそのままに、ハリソンは辺りを見渡し、現場検証を再開する。


 地面にこびりついたどす黒いシミと、異臭を放つ4つのバケツを見る。


「拷問ショーは、ここで行われたんだな。死体の状態と地面に残る血の状態を見るに、およそ3日は拷問が続いているな。情報構造体の劣化から見て、最初に死んだのは母親で、次が長男、最後が妻か」


 悪臭を放つバケツを覗き込むと、中には肉片や内臓、人間のものと思わしき爪や指、眼球や骨がたっぷりと入っていた。


「いろんな拷問が行われたらしいな。魔法使いのボリスは別にして、一般人だった母親と長男と妻がこれほど苛烈な拷問に3日は耐えたんだ……いや、『耐えさせられた』と言ったほうが正解かな?」

「どういうことですか、ハリソン?」

「バケツの中を見てみろ。ぱっと見ただけで、右手の親指が5本もある。それも、爪の形からして同じ人間のものだ。間違いなく回復魔法を使いながら拷問していたな」

「指を切り落としては再生させ、また切り落とすを繰り返していたってことですか? ……うぇっ」


 その光景を想像したのか、イーライは顔を青ざめさせながら再度えずいた。


「まぁ、この方法自体は協会でも懲罰としてやっているから珍しくはないが……問題はここの、この残留痕だ」


 両目に魔力を集めて「魔力視の眼」を発動させたハリソンが、ボリスの死体の額を指差した。


「……変なものはなにもありませんが?」

馬鹿野郎ユー・イディエット。魔法使いなら情報構造体を見ろ」


 ハリソンに言われ、イーライも「魔力視の眼」を発動する。


「……変なものはなにもありませんが?」


 変わらない結論に、ハリソンが「はぁ」と小さく溜息をつく。


「よく見ろ」


 ハリソンが指を差し、イーライは再度解析する。


 ボリスの死体の額部分。

 普通に見れば、そこには汗による汚れ以外にはなにもない。

「魔力視の眼」によって情報構造体を解析しても、明確な異変は見られない。


 いや……。


 と、イーライは膨大な情報構造体を構成する魔法文字の中から、異変を見つけた。


「ここにヘブラエア古典ヘブライ文字がありますね。『לֵבレーヴ』……『心』という意味でしょうか。なぜこのようなところにポツンとヘブラエア古典ヘブライ文字が?」

「この現象は、協会のアーカイブにも記録されている。お前はまだ知らないだろうが、こいつは『悪魔もく』による『精神掌握』の痕跡だ」

「『悪魔もく』!? まさか、容疑者は、悪魔を召喚してこの惨事を起こしたのですか!?」

「だろうな。悪魔目は種類を問わず拷問上手だ」

「それで、『精神掌握』とは? まさか、相手の意識を乗っ取る特殊能力ですか?」

「いや、悪魔の『精神掌握』は他人を意のままに操る能力じゃない。

 っていうか、そんな能力は存在しない。魔法にもそんな便利なものはない。

 悪魔の『精神掌握』はな、相手を狂わせない能力だ。

 どれだけの苦痛を与えられようと、どれだけの理不尽をその身に受けようと、決して狂うことができない。拷問にはうってつけの能力だ。

 悪魔に任せておけば、被害者を長時間うまい具合に痛めつけることができるってわけだ」

「な、なんと邪悪なっ!!」


 協会は、悪魔の召喚を薦めていない。

 明文化して禁止している訳ではないが、それでもその存在の性質上、召喚して良い事が起きた例が少な過ぎる。

 なので、悪魔の召喚は魔法使いの間でも忌避されている。

 人間を、それも一般人を苦しめるために悪魔を召喚するというのは、まさに外道の所業だ。


「悪魔と回復魔法を併用した拷問だ。その気になれば、被害者の寿命が自然に尽きるまで、何十年でも延々と続けられる。3日そこそこで死ねた解放されたのは、寧ろ幸運な方だろうな」

「な、なんという……」


 口元を震わせるイーライ。


「──キュウタロウ・ココノエ……やはり奴は捕縛すべきです!」


 容疑者である魔法使いの名前を叫び、イーライは断固として主張する。

 が、ハリソンはそれに待ったを掛けた。


「そうカッカするな、新米ルーキー。物事はそう単純じゃないんだ」

「なぜです!? こんな無法を許しておけって言うんですか!?」

「お前、何か勘違いしていないか?」

「なにをです!」

「この惨状は確かにキュウタロウ・ココノエによって引き起こされているし、俺達はこの事件の調査と後始末に来ている。

 だがな、今のところ、キュウタロウ・ココノエが『協会法』に抵触することをやったっていう証拠はなにもないぞ」

「そんな馬鹿なっ!?」


 ハリソンのあまりな言葉に愕然とするイーライ。


「これだけの虐殺をやっておいて、法に抵触していないと!?」

「ああ、そうだ。『協会法』と一般の司法は全くの別物だからな」


 魔法使い協会が定める「協会法」は、魔法使いの行いを戒める法である。

 しかし、その内容は魔法という存在の秘匿を主眼に置いたものであり、謂わば魔法使い全体の利益を守るものだ。

 決して魔法使い個々の利益を守るものではない。

 そのため、「魔法使いの殺害」という行為すら明確に禁止されている訳ではないし、それを取り締まる法条もない。

 もちろん、仲裁依頼を出せば協会は仲介人として両者の間に立って協議を手伝ってくれるが、基本はあくまで放任である。

 魔法が表の世界に露見しない限り、そして表の世界に大きな影響を与えない限り、魔法使い同士がどれだけ殺し合おうが、協会が能動的に介入することはないのだ。


 殆どの魔法使いが上手く平和を保ってきたのは、お互いを牽制しあってきたお陰であり、また、実力上位の魔法使いたちが自警団のように動いて抑止力となっていたからだ。

 決して、協会法による統治の結果ではない。


「協会は、報復を禁止していない。寧ろ推奨している」

「これが……この酷い仕打ちが報復だというのですか!?」

「お前も、今回の件の発端は知っているだろう」

「……キュウタロウ・ココノエの師匠であるヤイチ・ココノエが謀殺されたことですか?」


 ハリソンの問いに、イーライは2ヶ月前に起きた魔法使い界を震撼させた事件を思い起こす。


 200年近く最強の名を恣にした大魔法使いの死。

 それは色んな場所に大きな波紋を呼び、世界そのものに多大な影響を及ぼした。

 その最たるものが、弟子であるキュウタロウ・ココノエによる超大規模の報復だ。


「報復にしてもやりすぎです!

 この2ヶ月で、被害者は既に400人近くにまで上っているんですよ!?

 しかも、その内の多くは直接的な報復対象ではなく、その家族や友人です!

 これは、明らかに過剰報復です!!」


「それも、協会法では禁止されていないな」


 イーライの正論を、ハリソンはすげなく却下する。


「一般人への魔法使用も、協会法に抵触していないと言うんですか!?」

「一般人への魔法使用が推奨されていないのは、それが魔法の露見に繋がるからだ。目撃者が全員死ねば、抵触はしないな」

「そんなのは暴論です!」

「暴論だろうと詭弁だろうと、法に触れていないというのは事実だ」


 憤るイーライは、真っ赤な顔で人肉が入ったバケツを指差した。


「これも、抵触しないって言うんですか!?

 同一人物の同一パーツが複数残っているこれは、一般人からしたら明らかに可怪しいでしょう!

 そんな物をこうやって放置しているんですよ!?」

「落ち着け。ちゃんと見てみろ」


 ハリソンに言われて、イーライはバケツの中を覗き込む。

 見れば、奥底に微かな魔法反応があった。

 数秒ほど待っていると、魔法が発動したのか、中身があっという間にドロドロに溶けてしまった。

 これでは内容物が何だったのか、判別は付かない。

 DNA解析をしても、人体の組成成分としか出ないだろう。


「4次元魔法の《食い散らかす小悪魔シット・オブ・マイクロゥブ》を時限式で設置してあったんだ。これで、万が一警察に見つかっても証拠は残らないってわけだ。

 このバケツをわざと放置していたのも、これを見た他の関係者報復対象へのメッセージってとこだろう。次はお前たちだ、ってな。

 それに多分、俺たちが『事後処理』に来ることまでも織り込み済みだろうよ。

 一般人にバレることは、どうしたってないわけだ」

「……それでも、こんな酷いことが許されていいわけがありません!」

「いや、許されるな」


 ハリソンのあまりにも呆気ない否定に、イーライは憤ることも忘れて瞠目する。


「報復されるのが嫌なら、相手を傷付けなければいい。

 相手を傷付けたのなら、どんな報復も覚悟すべきだ。

 表の世界の刑法だって、自分から破っておいて『刑が厳しすぎる』なんてほざいても説得力ないだろ?

 覚えておけ、新米ルーキー

 魔法使いの世界に喧嘩両成敗なんて理屈は存在しない。

 先に手を出したやつが悪い。

 過剰報復大いに結構。

 それが嫌なら大人しくしとけ、他人に迷惑を掛けるな。

 魔法使いの世界は、そうして平穏を守ってきたんだからな」


 確かに、他人を害した人間を裁く法は存在しない。

 だが、他人を害する人間は、絶対に報復される。

 それも過剰に、苛烈に、過激に。


 そうして、何時の日か、誰も好き好んで他人を害さなくなった。

 報復が怖いから。

 魔法使いの世界の平和は、そんな無法の中に成り立っているのだ。


「俺からしてみれば、キュウタロウ・ココノエの行いはまだ優しい方だぜ?」

「なっ……!?」

「奴は、報復対象を厳選している。無関係の人間を誤ってったことはないし、関係性が薄い人間を一緒くたに殺ったこともない。

 少なくとも、子供未成年は一人として殺していない」

「……それは、ただ『殺していない』ってだけじゃないですか」

「俺なら、憎い相手の血脈は完全に断つ。子供だろうと、赤ん坊だろうと、拷問して殺す」

「っ……!」


 今回のボリスの訃報は、ボリスの次男によって齎されたものだ。

 ボリスの次男であるオリバー少年は、まだ16歳。

 彼は未成年という理由で、キュウタロウ・ココノエによって見逃されている。

 無傷で気絶させられ、目を覚ましたら協会にいたらしい。

 そして、ポケットに入っていた手紙を読んで、自分以外の家族全員が手紙の差出人キュウタロウ・ココノエによって殺されたこと、その理由が自分の父親がやったことに対する報復であることなど、一連の事情を知ったそうだ。


「ですが、殺さなかった子供たちには全員、呪いが掛けられていました。それでも優しい方だと?」

「当たり前だ。あの呪いは一種の保険でもあるが、同時に一つの選択肢でもある」


 オリバー少年同様、キュウタロウ・ココノエは報復対象の家族でも、未成年の子供は例外なく無傷で協会に届けている。

 ただし、彼ら彼女らには複雑で難解な刻印魔法が刻まれていた。


「呪いの効果は『18歳になる当日の日付変更時に対象を絶命させる』っていうことらしいが、それはつまり子供たちが成人するまで生かしておく、っていうことだ。優しさだろうよ」

「ですが、成人した瞬間に死ぬなんて、そんなのは優しさとは言いません!」

「いや、優しさだよ。奴はその刻印の解除キーを、協会の『円卓会議ラウンド・テーブルズ』に預けている」


 ボリスが口にした「円卓会議ラウンド・テーブルズ」という名称に、イーライがたじろぐ。


 それも仕方ないことだろう。


 魔法使い協会において、協会長という役職はただの事務員統括でしかない。

 協会の最高意思決定組織は、この円卓会議ラウンド・テーブルズと呼ばれる集いなのだから。


 円卓会議ラウンド・テーブルズの構成員は、全部で10人。

 全員が全員、超が何個も付くような大魔法使いで、魔法使いの世界の秩序は彼らだけで保たれている、と言っても過言ではない。

 協会の新米職員でしかないイーライからすれば、円卓会議ラウンド・テーブルズの構成員は、まさに天上の存在だ。

 身分的には、地方の平公務員と合衆国大統領ほども差がある。

 ちなみに、今回謀殺されたヤイチ・ココノエも嘗てはこの円卓会議ラウンド・テーブルズの一員だったらしいが、数十年前に「柄じゃない」という理由で辞職している。


「子供たちに復讐心がないと円卓会議ラウンド・テーブルズのお偉方が判断したら、呪いを解除していいとさ。

 要するに、子供たちがちゃんと事情を理解して変な逆恨みをしなければ、もしくは恨んでいても復讐にさえ走らなければ、ちゃんと成人してからの人生も全うできるようにしているのさ、キュウタロウ・ココノエは。

 ま、俺からしたら、こんな措置は甘ちゃんもいいとこだけどな」


 ハリソンの心無い発言に、イーライは顔を顰める。


 復讐を簡単に諦められるのであれば苦労はない。

 たとえ非が自分の親にあったとしても、家族全員を奪われた子供にしてみれば憎しみしか残らない。

 果たして、呪いを解除してもいいと判断される子供が何人いるか……。


「まぁ、俺達がここでどれだけ議論しても、意味はないだろうよ。

 今回のキュウタロウ・ココノエの報復劇は、円卓会議ラウンド・テーブルズも認めていることだからな」


 ハリソンの言葉に、イーライが驚愕に硬直する。


「ヤイチ・ココノエの謀殺は、あの円卓会議ラウンド・テーブルズを出し抜いた末に成された、最悪な意味での『偉業』だ。

 円卓会議ラウンド・テーブルズからしてみれば、メンツを潰されただけでなく、ヤイチ・ココノエっていう最愛の懐刀を奪われたわけだからな。

 円卓会議ラウンド・テーブルズのお歴々が直々に制裁に出向かないだけ、マシだろうよ。

 尤も、お歴々が自ら動かなかった最大の理由は、弟子であるキュウタロウ・ココノエに恨みを晴らさせてやりたかった、ってところだろうけどな」


 最高意思決定機構からの黙認を得た報復劇。

 これからどれだけの惨劇が引き起こされるのか。

 それを想像してか、イーライは顔を青ざめさせた。


「ほら、新米ルーキー。突っ立ってないで、さっさと現場の清掃を始めるぞ」


 顔色を無くしたイーライを促しながら、ハリソンは惨状の後片付けを始めるのだった。






 ◆






 すべての痕跡を消し去った二人は、陰鬱な地下室から上がり、民家を後にした。


「お前はどうする、新米ルーキー? このまま支部に戻るか?」


 そう訊ねるハリソンに、顔色の悪いイーライが首を振る。


「……いいえ。気分が悪いので、ちょっと風に当たってきます」

「じゃあ、車はお前が乗ってけ。俺は、一杯引っ掛けてから、歩いて帰るわ」


 二人が乗ってきた公用車を指差してから、ハリソンはニヤリとしながらグラスを傾けるジェスチャーをする。


「……よく飲めますね、あれを見た後で……」

「慣れだ、慣れ」

「はぁ……」

「あんまし気張んな、新米ルーキー。『そんな正義感丸出しじゃあ、やられるに決まってるじゃねぇか』って、とあるサイボーグも言ってたぞ?」

「……何の話です?」

「俺の好きなアニメジャパニメーションの台詞だ」


 ガックシと項垂れるイーライは、公用車を運転してその場を後にした。


 去っていく公用車を見送りながら、ハリソンは壁に寄りかかってタバコに火を付ける。

 そして左耳に手を当て、「《起動アクティベート》」と小さく呟いた。


 途端、左耳にイーライが乗っていった公用車の中の音が流れ込んできた。


『もしもし、イーライです』

『────。』

『ボリス・ラングドン一家の殺害現場の事後処理を終えました。ただいま一人で帰還中です。ハリソンの尾行はありません』

『────?』

『いえ。ハリソンには怪しまれていません』


 どうやらイーライは車中で誰かと何らかの手段で会話しているらしい。


『ハリソンから情報を得ました。どうやら、円卓会議ラウンド・テーブルズは動かないようです』

『────。────?』

『ええ。ですから、姿を晦ますなら今です、叔父さん』

『────。────。』

『恐らく、叔父さんの書類改ざんの件も、ココノエにはバレています。奴は、必ず牙を剥いくるでしょう。円卓会議ラウンド・テーブルズが動かないと分かった今こそ、雲隠れする最善で最後のチャンスです』

『────?』

『問題ありません。私も、頃合いを見て消えます。痕跡は残しません』

『────。────。』

『ええ。では、また』



 会話は、そこで途切れた。



 盗み聞きをしていたハリソンは、短くなったタバコを《高温焼却H. T. I》で跡形もなく燃やし、スマホを取り出した。

 連絡先から目的の番号を探し出し、電話を掛ける。


「もしもし。会員番号228944、ハリソン・オールドバーンだ。スペシャルサービスーでとある番号に繋いでもらいたい」


 裏社会に精通する人間にしか利用できない電話局に掛け、極秘に繋いでもらいたい相手の番号を伝える。

 暫くすると、秘匿回線にて目的の相手との電話が繋がった。


『────?』

「俺だ、ハリソンだ」

『────。────?』

「久しぶりだな、キュウタロウ。お前こそどうだ? 随分派手に動いているようだが」

『────、────。────?』

「おう。お前に調査を頼まれていた件だがな、対象が分かった」

『────? ────?』

「俺の新しい相棒のイーライ・ベラウッドの叔父、グレイグ・ベラウッドだ」

『────?』

「マリア殿の不自然な出動の書類は、そのグレイグ・ベラウッドが偽造したものだ。そのせいで、ヤイチ殿が殺害されるまで、マリア殿は地球の反対側に派遣されてたわけだ」

『────。────?』

「ああ。残念ながら、イーライもそのことに加担している。二人とも、近い内に雲隠れするつもりだ。まぁ、お前から逃げられるとは思わんがな」

『────。────。』

「礼はいい。俺も若い頃、ヤイチ殿に随分と世話になったからな。遅すぎる恩返しってやつだ」

『────。────。』

「おう。あんまり無理するなよ。憎むのはいい、報復するのもいい。だが、憎しみに飲まれることだけはするな。マリア殿やヤヨイ殿が泣くぞ」

『────。────。────。』

「ああ。また何か調べたいことがあったら連絡しろ。できる範囲で協力してやる」

『────。────。』



 通話が切れたスマホをポケットに仕舞うと、ハリソンは再びタバコを取り出し、火を点けた。

 今は亡き恩人に薦められた銘柄だ。

 少し苦めのそのタバコも、恩人の弟子の手伝いをした後だと妙に美味く感じる。


 煙を吐き出しながら、ボリスは遠くを見つめる。


 返しきれなかった恩を、その弟子に協力することで返そうとする。

 我ながら安っぽい代償行動自慰行為だが、それでもいい。

 まだ成人すらしていない恩人の弟子の恨みが、少しでも晴れてくれるなら。


 吐き出した紫煙は、誰もいない住宅街の空に儚く消えていった。

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