67. NP:Deus Ex Machina
――――― ★ ―――――
ここは、衛星軌道上。
一般的に宇宙空間と呼ばれる場所だ。
真っ白に輝くキトンを身に着けた一人の若い女性が、眼下にある青く美しい惑星を見下ろしていた。
そこに、リクルートスーツを着た若い男性が現れる。
「あら、いらっしゃい、『アース君』」
「お邪魔します、『ガリアさん』」
古くからの、それはもう古くからの知り合いである両者が、軽く挨拶を交わす。
「どうですか、僕が派遣した『調停者』は?」
「順調、と言っていいのかしら? まだ世界に大きな影響を与えるようなことは何もしていないわ」
「それはそうですよ」
転生して早々にそんなことをするような魂なら初めから候補にすら挙げていませんから、と「アース」と呼ばれた男性姿の存在は肩をすくめる。
「『調停者』は世界を変える存在ではなく、『
「それは分かっているけど、
「ガリア」と呼ばれた女性姿の存在は、一人の少年のプロフィールデータを呼び出して高速で閲覧する。
「今回予想される
人間ではその名前さえ聞き取ることができない存在による
それは、彼ら「揺り籠の管理者」にとって一番の難事だ。
「あなたも知っているでしょ? 『*****』は誰よりも冷酷よ。奴による
「ええ。よく知っていますよ。僕もあの人からの
軽い調子で言うアースに、ガリアはため息を吐く。
このアースという男は、「揺り籠の管理者」の間では有名な存在だ。
彼は自分の管理する世界において、僅か2周期──宇宙の誕生から終焉までを一つの『周期』と呼ぶ──という
特に、
そんな男が珍しく太鼓判を押した魂こそが、今回ガリアの管理する世界に送られてきた少年だった。
「でも、何だかとっても頼りなさそうなのよねぇ、彼……」
ガリアは少年のプロフィールデータを読み直す。
「実力は、あなたが管理する『
読んでいく内に不安になったのか、ガリアは眉を八の字に落とした。
そんな彼女に、アースは渾身のドヤ顔で答える。
「勿論ですよ。彼は、数千年に一人の逸材ですから」
「わざわざ調停者を送ってくれたアース君には申し訳ないけど、私にはもっといい人材が居たんじゃないかって思っちゃうのよねぇ……」
尚も疑わしげな眼をするガリアに、アースは遠くを見つめながら言った。
「確かに、彼より『強い』存在なら、ごまんといますよ。彼より『正しい』存在も、彼より『優秀な』存在も、それこそいくらでも挙げられます。──でも、それでは調停者は務まりません」
「そうなの?」
「ええ」
僕の経験論ですけど、とアースは続けた。
「『強い』存在は、世界を統べることはできても、救うことはできません。
『正しい』存在は、世界を矯正することはできても、導くことはできません。
『優秀な』存在は、世界を発展させることはできても、回生させることはできません」
そして、口角を上げた。
「彼だけなんですよ、
彼だからなんですよ、『
普段はニコニコと人好きのする笑顔を絶やさないアースが、自信に裏打ちされた迫力のある笑顔を浮かべている。
そのことに、ガリアは少しだけ気圧される。
「……でも、彼の死因。あれはどういう事?」
ガリアは少年の死因を不審に思っていた。
少年の実力から考えれば、この死因はありえないものだ。
彼なら、タンクローリーの爆風が自身に届く前に退避することは容易だし、防御魔法を使えば防ぐことは造作もない。
たとえ爆風に煽られて肉体が損傷したとしても、彼なら損傷する端から体を修復していくのは訳もない。
最悪、高位の魔法を駆使すれば、爆発自体を
そんな殺しても死なないような彼が一般人のように「爆死」するなど、人間が豆腐の角に頭をぶつけて死ぬことよりも難しいだろう。
どれだけ「不注意」だったとしても、絶対にありえないのだ。
「あれは、『不注意』なんかじゃありませんでしたからね」
その言葉に、ガリアは目を見開く。
「アース君、まさかあなた……」
「いえいえ、それは誤解です! 彼にも言いましたが、彼の死に僕は関わっていません! 一切! 本当に!」
少年の死にアースが関与していると疑うガリアに、アースが必死に両手を振って否定する。
彼ら「揺り籠の管理者」は、世界に干渉することを固く禁じられている。
彼らが管理する「
それに彼らが干渉するのは、人間で言う過干渉や幼児洗脳と同義。
そのため、システムエラーを除いて、誰であろうと、どんなことが起ころうと、「
これはシステム創造者が定めた
アースの
「不注意じゃないっていうのなら、彼はなぜあんな風に死んだの?」
「それはですね──」
勿体ぶり、アースは答えを提示する。
「彼が生きることに飽きたからですよ」
思わず目を見開くガリア。
「彼はあの瞬間、『自分が死ぬことを許した』のです。だから『爆死』などという最期を迎えた」
「……それは、自殺したということ?」
「いえ、そういうことではありませんよ」
自ら死ぬ行動を取る「自殺」は、ある種の能動的行為である。
人間は放っておいても自ら死ぬことはない。
生物としての基本機能である生存本能が勝手に働き、生きようと体が勝手に行動するからだ。
入水自殺をする人間は、水が肺を満たす感覚に生存本能が刺激され、身体が助かろうと勝手に手足をバタつかせる。
首吊り自殺をする人間は、気道が絞まる感覚に生存本能が刺激され、身体が助かろうと勝手に首の縄を掴ませる。
絶食で餓死しようとする人間は、臓器の機能低下に生存本能が刺激され、身体が助かろうと勝手に食物を取り込もうとする。
どれだけ死にたがっている人間でも、死ぬ間際は身体が勝手に死に抵抗しようと足掻くもの。
だからこそ、「自分を殺す」という行為は「自分を殺す努力」をしなければ成立しない、能動的行為なのだ。
しかし、少年の場合は話が違う。
彼はあの爆発の瞬間、何もしなかった。
死ぬ努力などしていない。
ただ「死なないための抵抗」をしなかったのだ。
たったそれだけで、彼は死んだ。
死への抵抗の放棄。
文字に起こせば簡単なことだが、それを実際にやるのは限りなく難しい。
なぜなら、それは生物としての本能を完全に閉ざすことなのだから。
「ガリアさんも御存知の通り、彼は1年ほど前に、個体名『
「ええ、知っているわ。あなたの管理する世界でも最強だった個体よね」
「はい。その九重八一の死の影響で、九太郎さんは生きる希望を失ったのですよ」
「……親を失うことは、
不合理だ。
そう考えたガリアに、アースは痛ましそうな眼差しを遠くに向けながら応じた。
「それは、過程によりますよ」
人間の感情というものは、彼らのような超越した存在でも完璧に理解することが難しい。
人間という下等存在の感情であろうと、推し量るしかないのだ。
「九太郎さんは、既に実の両親を失うという経験をしています」
幼い子供にとって、親とは世界そのもの。
それを失うということは、世界が崩壊することと同義だ。
これは、いじめによる自殺と原理は同じだ。
学生にとって、学校という社会はその人が認知する「世界の全て」に当たる。
そこで拒絶されたり、攻撃されたり、居場所を失ったりすれば、「世界の全てに拒絶された」と感じるようになってしまう。
そうなれば、精神が崩壊するのは容易で、自殺へのカウントダウンが始まってしまう。
九重九太郎は、幼年期にそうした「多大な精神的喪失」を一度経験している。
彼の精神基盤がこの時点で既にボロボロだったことは、容易に想像がつくだろう。
「そんな悲しみのどん底から彼を救い出したのが、彼の師匠である『
これは彼にとって「世界」の再取得と同義であり、生きる希望を取り戻すきっかけとなった。
ボロボロだった精神基盤に「
だが、それは所詮、形だけのもの。
彼の心が依然として脆いことに変わりはない。
「彼は、九重八一に依存することで心を保っていたんですよ」
ガリアは、少年が事あるごとに「師匠は──」「師匠なら──」「師匠でも──」と言っていたことを思い出す。
価値基準が異なるはずの異世界に来ているにも拘わらず、少年の評価基準は地球にいたときと変わらず、いつも「
あらゆる物事を「
聡明な少年らしからぬ、異常な思考形態である。
だが、その原因が「九重八一への依存」であれば、説明が付く。
親や師匠などという陳腐な呼称を遥かに超越するほど九重八一という存在に依存していたのであれば、今のように判断基準化するのも頷ける。
元カノのことを引きずっていてついつい今カノを元カノと比べてしまう情けない彼氏と似た心理だ。
「ですから、そんな依存対象を失った彼は、自らに死を許すくらい──生きることに飽きるくらい絶望したのです」
だから彼はアースと対面したとき、自分が死んだという事実を呆気ない程あっさりと受け入れることができたのだ。
「それが彼の本当の死因です」
とアースは瞳に深い悲しみを浮かべて締めくくった。
ガリアは、ようやく納得する。
それが、ガリアが九重九太郎という個体に抱く第一印象だった。
その力は強く、なのにその精神は未熟で、その人格には損壊が見られる。
歪そのものな存在だった。
少年の実力は、その歳にはあまりにも不釣り合いである。
僅か17歳という年齢で、魔法使いの世界で中の上に登るほどの実力を持つ。
これは、異常なことだ。
魔力を持つ魔法使いは、自然と情報構造体が補強されるため、老化しにくく、寿命が長い傾向にある。
その傾向は、実力が上がれば上がるほど顕著になる。
現に、最強と謳われた九重八一などは270年以上生きたにも関わらず、肉体的にはまだ30代だった。
強力な魔法使いは、その長い寿命の中でゆっくりと経験と知識を蓄積し、研鑽を積み重ねることで徐々にその実力を高める。
それが普通の過程であり、人間としての常識だ。
決して
その点、この九重九太郎という個体の成長速度は、まさに「異常」の一言に尽きる。
データを見る限り、彼は一般家庭の生まれであり、初めて魔法に触れたのは6歳のときだ。
彼が魔法的素質を見出されたのは、ほんの偶然の出来事だった。
本人の魔力量も、
そんな物理的制約がある幼児が、たった11年の研鑽で今の実力まで至るなど、理論上は不可能なのだ。
では、彼はどうしてそれを可能にしたのか?
理由は簡単だった。
彼が、普通の人間には到底耐えられないような厳しい修行をずっと続けてきたからだ。
ガリアは少年に関する記録を思い返す。
放課後から深夜に掛けて行われる、座学と実践修行。
休日の早朝から深夜まで続く、実戦修行。
長期休暇を利用して世界中を飛び回る、魔法使い稼業の社会見学。
言葉にすればそれだけのことだが、その内容は信じられないほどに過酷だ。
座学は、「詰め込み」という言葉が陳腐に聞こえる程に濃密だった。
僅か11年間で彼が読破・丸暗記した各分野の専門書と魔導書は、実に5桁に登る。
本人は「俺もシスター服を着たら『強者の知識を守る献身的な子羊』なんて呼ばれるかも?」などと冗談めかして言っていたが、それがどれだけ異常なことかは、彼の師匠ですら閉口したことからも分かる。
戦闘訓練に関しては、それこそ正しく「拷問」だとガリアですら思った。
人間は、無意識に痛みを嫌う性質を持っている。
どれだけ有用なことだと意識が認めても、激しい痛みを伴う修行を10年も耐え続けるなど、常人には不可能だ。
拷問さながらの実戦修行は残酷以外の何物でもなく──だが、それゆえに上達は早い。
彼がたかだか10年程度で現在の実力に到達した主たる原因が、まさにこれだろう。
社会見学の一環として、九重八一に連れられて世界中を旅し、魔法使いとしての仕事を様々経験させられたが、ガリアに言わせれば、それも子供には酷なことだ。
世の不条理を幼い眼で見て、人の闇を幼い手で触れることが、幼子の心に良いわけがない。
確かに、この社会見学という名の暗黒教育で彼は見識を広げ、何事にも動じなくなったが、一歩間違えれば人間に絶望して
彼が常人に近い思想と感情を持てたのは、殆ど奇跡だろう。
九重九太郎が経験してきたことは、一言でいえば「超圧縮された英才教育」だ。
6歳の子供が11年もの間、ひたすら虐待のような修行に耐え続けたのだ。
確かに実力は付いたが、精神への負荷は想像を絶するだろう。
彼が「
「そんなことにはなりませんよ。事実、そうなっていないでしょう?」
哀れみを含んだ瞳を遠くへ向けるアース。
その瞳が見つめているのは、果たして少年の過酷な過去か、それとも少年の継ぎ接ぎだらけの心か。
「彼の原動力は『九重八一に置いて行かれないこと』でしたからね。九重八一が暗黒卿にならない限り、彼も『
アースに進められた映画になぞって考えていたガリアだが、同じ映画のネタで返されて、少しイラッとする。
が、それよりも、アースの言葉の意味が分からなかった。
「『九重八一に置いて行かれないこと』が原動力?」
「ええ。九太郎さんは、謂わば人波に飲まれて親を見失う寸前の子供でした」
確かに、九重八一は少年を引き取って育てはしたが、二人はあくまでも血の繋がらない「他人」でしかない。
これは覆りようがない、純然たる事実だ。
両親が知り合いだったらしいが、少年本人からすれば、そんな事はなんの保証にもならない。
九重八一がその気になれば自分は何時でも放り出されてしまう、と少年は本気でそう思っていたのだ。
それも、無意識の内に。
「彼はそれが怖くて仕方がないのですよ」
これは、するしないの問題ではない。
できる出来ないの問題だ。
自分に決定権のない問題ほど、人を不安にさせるものはない。
もちろん、九重八一を信じていないわけではない。
親に等しい彼が自分のことをそう容易く見捨てるとは、少年も思っていない。
だが、一度ヒビ割れた心は、純粋な幸福を当然のように享受することを許してくれない。
今が幸福であればあるほど、不安は大きくなる。
少年の不安は、その不幸によるもの。
そして、少年の不幸は、
もしこれが一般家庭であったならば、少年の不安は遥かに少なかっただろう。
相手が常人なら、常人の努力をすればいい。
家業を継ぐにしても、独り立ちして恩返しをするにしても、重ねる努力も背負う苦労も常人の範疇に治まる。
たとえ引き取られたのが普通の魔法使いの家系だったとしても、修行の苦労は常人でも耐えられる程度だっただろう。
しかし、現実はそうではなかった。
少年を引き取って育てたのは、常人ではなく、世界最強の魔法使いだった。
実力があまりにも違い過ぎた。
見ているものがあまりにも違い過ぎた。
住む世界があまりにも違い過ぎた。
それは、少年に激しい疎外感を与え、耐え難い不安をもたらした。
だから、少年は死物狂いでしがみつこうと、修行に明け暮れた。
だから、少年は血反吐を吐きながらも、必死に修行に耐え続けた。
師匠に追いつこうと、もがいた。
親に置いて行かれまいと、あがいた。
「彼は、自分では『師匠に並び立ちたい』などと考えていたようですが、本当は九重八一に見放されないための安心材料が欲しかっただけなんですよ」
考えが幼稚、と切り捨てることはできない。
少年は、九重八一に依存することで壊れかけていた心を既の所で保っていたのだ。
そんな「
だから、彼は九重八一の後姿を見失わないように──親に置いて行かれないように、必死に手を伸ばすしかなかったのだ。
「そしてもう一つの不幸は、九重八一が不器用な人間だったこと、でしょうね」
とアースは苦笑う。
九重八一は、少年のことを本気で息子のように思い、心から愛していた。
少年は、九重八一の友人だった夫妻の忘れ形見である。
九重八一本人は気が付いていなかったようだが、彼も少年という存在に無意識に依存していたのだ。
だからこそ、彼は危険だらけの魔法の世界に少年を引き込みながらも、そんな危険な世界から少年を守るために──なにが起きても少年が生き残れるように、少年を鍛えた。
世界最強の魔法使いであり、魔法使い協会の懐刀でもあった九重八一は、信じられない程に敵が多い。
覗いた闇は深淵よりも深く、浴びた鮮血は大海よりも多い彼は、必然と恨みを買うことが多かった。
そんな彼の唯一とも言える弱点こそ、初めて迎えた愛弟子──当時5歳だった九重九太郎なのだ。
少年を鍛えること以外に、少年を守り通す術は無かった。
だから、彼は少年が一刻も早く成長することを無意識の内に望んだ──望んでしまった。
「つまり、少年の不安と、九重八一の焦り。この二つが重なった結果が今の彼の年齢に不釣り合いな実力、という訳ね?」
「更にそこに、九太郎さんの『魔法好き』も加算されますけどね」
6歳になった少年は魔法に触れ、魔法を好きになった。
九重八一との距離に不安を覚えたことで彼は魔法を「学ぶ」ことになったが、彼が魔法を「極める」ことになったのは、この魔法好きという彼自身の趣味嗜好が高じたからだ。
これが促進剤となり、彼の修行に拍車が掛かった。
師匠である九重八一も、彼の飲み込みの速さと驚異的な忍耐力に甘える形で、修行のレベルをどんどんと上げていった。
──好きこそものの上手なれ。
彼を僅か11年でここまで成長させた間接的理由である。
ただ不安に後押しされるだけでは、あの過酷な修行を耐えきることはできなかっただろう。
これを幸と取るか不幸と取るかは、まだまだ議論の余地があるが。
「彼が若い割に強い理由は分かったわ。でも、それでも力不足感が否めないわね」
そう。
少年は若い魔法使いとしては破格の実力の持ち主だが、上位の魔法使いたちと比べると一枚も二枚も落ちる。
それでは
「ガリアさんの言うとおりです。ですので──」
そう言って、アースは自分の左手を彼女に見せた。
「彼に足りない唯一のピースを補ってさしあげました」
ガリアに見せたその左手の小指は、第二関節から先が半透明になっていた。
「あなた、まさか──!?」
驚愕するガリアに、アースは事も無げに、寧ろイタズラが成功した子供のような笑顔を向けた。
「ええ。僕の一部を彼にさしあげました」
ガリアはただただ唖然とした。
彼ら「揺り籠の管理者」は……いや、彼らの種族は、人間などでは想像すらできないほど高位の存在だ。
それこそ「神の如き」という形容すら物足りない程に。
そんな高位存在の肉体の一部を人間の魂に与えるなど、アメーバの中に太陽を詰め込むような所業だ。
できるできない以前に、考えることすらしない。
そんな無茶苦茶なことを、この男は少年の魂に施したと言うのだ。
言葉を失うだけで済んだのは、ガリアの自制がかなり効いているからでしかない。
「……あなた、それ、どう報告するつもり……?」
肉体の一部を一つの魂に提供するなど、「干渉」では済まされない。
確実に更迭ものの事案だ。
実際、ガリアの妹は「干渉」が原因でこの世界の管理業務から降ろされ、姉であるガリアがその後を引き継いでいる。
「僕は『ガイアさん』のようにはなりませんよ」
その言葉だけ聞けば、人によって侮辱とも取れるだろう。
だが、言った本人の眼には、深い悲しみが宿っていた。
それで、ガリアもようやく目の前の男が妹のガイアと親友だったことを思い出す。
「今回の件は、『調停者派遣に伴うシステム負荷を軽減するためのリソース提供』と報告するつもりです。恐らく、何も言われないでしょう。この指に関しても、すぐに元通りに治るので、問題はありません」
法の穴を突くようなセリフに、ガリアは思わず苦笑う。
アースは半透明になった左の小指をさすりながら、懐かしむように微笑んだ。
「九太郎さんに足りないのは、究極的に言えば魔力量です。
もちろん、知識と経験と思考力もまだまだ不足していますが、彼なら数年でトップクラスに成長するでしょう。彼、こっちに来ても自己トレーニングや研究は続けているみたいですからね。
ただ、魔力量だけは、どれだけ努力してもなんともなりません。
ですから、僕は彼にたっぷりの魔力をプレゼントすることにしました」
記録を見れば、アースは少年に「業務上過失によって彼と同時に死んだ魂が彼の魂と融合してしまった」と説明していたらしい。
それ自体は真っ赤な嘘だったわけだが、「魂が他のものと融合した」という結果だけ見れば、あながち嘘とも言いきれない。
実に嫌らしいやり口である。
「はぁ……」
とガリアは呆れとも諦めともつかない溜め息をついた。
彼ら「揺り籠の管理者」は、俗にいう「宇宙」すらベビーベッドを組み立てる感覚で創り出せるような存在だ。
髪の毛一本でも「
そんな存在の小指一関節分の肉体を、一人の人間の魂に詰め込めばどうなるか。
違う。
それは「
恐らくだが、あの少年はガリアが管理する宇宙で最強の存在になっているだろう。
「まぁ、そのせいで、彼からは随分と嫌われてしまいましたが……」
たはは、とアースは構いすぎて子供たちに敬遠された親戚の兄ちゃんのような顔で苦笑う。
少年はアースと対面したとき、アースのことを無性に嫌っていた。
それこそ生理的に嫌悪するくらいに。
恐らく、アースの肉体の一部が少年の魂と融合したせいで、ある種の「同族嫌悪」や「近親忌避」を引き起こしたのだろう。
でなければ、人間が「
まぁ、全てはアースの自業自得なのだが。
「彼の実力が足りる……というか、あなたが『足りるようにした』ことは分かったわ。
でも、彼の精神面はどうかしら?
ちゃんと調停者として機能するとは思えないのだけど」
ガリア的には、そこが一番心配だった。
少年の精神は、ヒビ割れたガラス細工のような状態だ。
九重八一との生活で多少補強されたが、それは依然として歪な状態であり、謂わば割れたガラス細工を接着剤でくっつけ直しただけに過ぎない。
その継ぎ接ぎだらけの精神も、九重八一の死亡と同時に完膚無きまでに砕け散った。
それこそ、自ら死への抵抗を辞め、自らの死を簡単に受け入れるほど粉々に。
そんな精神状態の人間が、調停者として真っ当に行動できるものだろうか?
「大丈夫ですよ」
心配するガリアに、アースは推理を披露する名探偵のように笑ってみせる。
「彼の一番の願いがなんなのか、覚えていますか?」
「確か『静かに暮らしたい』だったわよね」
「ええ。その通り、『静かに暮す』ことです」
そう言うと、アースはニヤリと笑う。
「でも、考えてみて下さい。一人の人間が、老死するまでなんの波乱も逆境も干渉もなく『静かに』生きていけると思いますか?」
「────っ!!」
ハッとするガリア。
そんなことは不可能だ。
人間という種がまだまだ不完全な存在である以上、人間社会の中で生きようが、人間社会を離れて生きようが、なんの事件もなく、何者からの干渉も受けずに生涯を全うすることなど、事実上不可能だ。
少年が望む「静か」の定義にもよるが、たとえ彼の意思を最大限に汲んで「静かな暮らし」を「危険と多大な不幸がない、平穏無事な暮らし」と捉えたとしても、その願いが叶うことはまずない。
つまり、少年が「静かな暮らし」を実現するには、周囲を、ひいては世界そのものを「静か」にするしかないのだ。
あらゆる諍いを無くし、あらゆる騒動を遠ざけ、世界そのものを「静か」にさせる。
そうでもしなければ、いずれバタフライ効果によって彼の周囲に波紋が届き、彼の「静か」を妨げることになる。
だから、この世の全てを「静か」にする以外に、彼が己の願いを叶える方法はない。
そして、
ならば、あの少年がそれを座して見守ることなどありえない。
「ちょうど、彼も平穏な生活を守るために覚悟を決めたみたいですしね」
同居人の少女と幼いエルフの双子に復興作業へと連行されていく少年を眺めながら、アースは微笑む。
「……確かに、調停者として働くことは必然みたいね。
……でも、彼の人格は問題じゃないかしら?」
これは、少年を歪たらしめる要因の一つだとガリアは考えている。
あの少年は、利己的で自己中心的だ。
思想も言動も、矛盾が目立つ。
はっきり言って、「世界を救う者」の在り方では決してない。
少年の地球での記録を見れば、その精神と人格がどれだけ異常で破綻しているか、嫌でも分かる。
アースは、フフッとガリアに笑ってみせた。
「先程も言いましたが、そんな精神状態の彼だらこそ、調停者としてピッタリなんですよ」
どんなに強くてもいい子ちゃんでは役不足です、と侮蔑すら含んだ呟きを吐き捨てる。
「ガリアさんもご存知のように、『揺り籠否定論者』による『
赤子を害する手段は、なにもベビーベッドごと叩き潰すだけではない。
毒蛇を一匹、赤子のそばに放つだけでも十分だ。
いや、そんな害意あからさまな方法じゃなくてもいい。
例えば、赤子が冷えることを心配して暖かな布団を掛けてあげるだけでもいい。かける時間が十分長ければ、赤子は高温によって脱水を起こし、命を落とす。
凄まじい力技や明確な悪意がなくても、赤子を害することはできるのだ。
それは、「
彼ら「揺り籠の管理者」の間で言い伝えられている、「正しさによる絶滅」という事件がある。
とある世界が
その魂は
担当管理者は
当然だ。その魂は正しさを尊び、正しさを遵守し、正しさを広める、そんな品行方正な人格の持ち主だったのだ。
与えられた力も、「優秀よりちょっと上」程度でしかない。
これでは、世界どころか、人間社会にすら害悪を与えられないだろう。
いや、むしろ人間社会をより良くする存在かも知れない。
そう考えた担当管理者は、その魂を放置した。
しかし、僅か50年後。
その世界は魔法大戦によってあらゆる生命が死滅し、完全に滅びることとなった。
それを引き起こした存在こそ、50年前の
経過は長いので省くが、この事件が「揺り籠の管理者」たちに与えた衝撃は大きかった。
品行方正な「正しい人間」が最期まで「正しさ」を提唱していたのに、まさかそれが世界を滅ぼすことになるとは、誰も考えなかったのだ。
この事件で「揺り籠の管理者」たちが学んだのは、「生命を滅ぼすのは目に見える破壊だけではない」ということ。
「『正しさ』では、『世界の敵』に対抗することはできません。
『正義』は、『悪』を抑えることはできても、滅ぼすことはできません。
『悪』を打ち破れるのは、いつだって『悪』だけです」
言外に少年が真人間じゃないと認める発言。
だが、その捻くれている発言が正しいことは、ガリアにも分かっていた。
ふと、アースは寂しげに目を伏せた。
「……僕は、九太郎さんにガリアさんの世界で『リハビリ』して欲しいと思っているんですよ」
そう言ったアースは、生命の管理を担うエリートではなく、
「九太郎さんは、
ガリアは少年の地球での記録を思い返す。
彼の師匠であり親代わりでもある九重八一は、魔法使いたちの陰謀と裏切りによって命を落とした。
計画したのは、魔法使い協会が定める法と魔法使いの現状に不満を持つ不穏分子と、九重八一を快く思わない跳ねっ返りたち。
実際に関与したのは、協会が認定している「
総勢200人近い魔法使いと魔法関係者が8年もの歳月を費やした、一大謀殺計画。
多大な犠牲を払いながらも計画はギリギリのところで成功し、結果、200年もの間最強の名をほしいままにした大魔法使い──九重八一を討つことに成功した。
だが、首謀者たちの喜びはすぐさま絶望に変わった。
最強の魔法使いの弟子が、報復と復讐を始めたからだ。
脅威とすら考えていなかった16歳の小僧が、突然自分たちを狩り始めたのだ。
それも、関係した人間の家族全員を目の前で拷問に掛けた末に皆殺しにする、という方法で。
そして、その小僧は僅か10ヶ月で関与した全ての人間に復讐を果たした。
直接・間接を問わず、謀殺に関わったあらゆる人間と、その友人・恋人・家族全員に、だ。
「すごいですよね。彼が報復を果たした時点で殺害した人間は、あと16人で4桁に届くんですから」
平均で1日に3人以上殺している計算ですよ、とアースはヘラっとしながら付け加えた。
そんなアースに、ガリアは渋い顔をする。
ガリアが管理するこの世界では、まだまだ人の命が比較的軽く見られている。
だが、そんな世界でも、一人の個人が僅か10ヶ月で1000人近い人間を拷問の末に殺すなどということは、滅多に起きるものではない。
そんな行為ができる人間は、確実に何かが壊れているだろう。
自分の管理する世界がそんな危険人物のサナトリウムとして利用されるのは勘弁願いたい、とガリアは思った。
「大丈夫ですよ。確かに彼は『壊れ』ましたが、『人間らしさを失った壊れ方』はしていませんから」
「……どういう意味?」
「
ですが、彼はそうは成りませんでした」
確かに無差別に破壊する「人でなし」にはならなかったが、それでもガリアからすれば少年は狂人だ。
それなりに常識と良識を併せ持ってはいるようだが、狂人の枠組みからは出ていない。
「理不尽に幸せを奪われた彼は、復讐心がとても強くなっています。自分の不利益になる人間には過剰なまでに酷薄な対応をし、明確な害意を持つ者には度を越して苛烈な対処をします」
つまり、敵にはとても厳しく、被害に遭った場合は過剰報復も厭わない、ということ。
「そして、自分に関係することには熱心ですけど、関係しないことにはとことん無関心です」
言い換えれば、自己中心的で怠惰、大局を見据えることができない近視眼である、ということ。
「更には、状況によって信条や持論を180度変え、都合がいいように解釈します」
要は、一本芯が通っていない、初志貫徹できない風見鶏、ということ。
「行動や発言は矛盾していますし、他人の思いよりも己の感情を優先しますし、自分は気軽に他人の嫌がることをするくせに他人にされたら文句を言いますし」
言ってみれば、身勝手で理不尽、己の利益しか見えない利己主義者、ということ。
良いところなど何もない、寧ろ欠陥しかない人間だ。
「──でも、考えてみて下さい」
そう言って、アースはガリアの眼を覗き込む。
「これって全部、『人間』が生まれながらに有している特徴じゃないですか?」
ガリアは思わずはっとする。
「九太郎さんのこれらの性格って、結局、人間が持つ性質そのものなんですよ。彼の場合、心が壊れたことで、その性質が極端に拡大されたに過ぎません」
人間という種は、まだ進化の途上にある。
というか、まだ初期段階も初期段階だ。
彼ら「
ガリアやアースと比べれば、人間などは欠陥を多く抱える不完全品でしかない。
ただ、それは人間目線での話だ。
ガリアたちからすれば、人間のそれらの欠陥は、謂わば赤子がこねるダダに過ぎない。
進化とともに成長・変革・解消していくものだ。
調停者としての理想像ばかり考えていたが、あの少年とて一人の人間なのだ。
どんな仕打ちを受けても心から許せる人間などいない。
憎しみが募れば誰だって報復を考えるし、報復は過剰であればあるほど、相手が苦しめば苦しむほど、気が晴れると感じる。
でなければ、ハムラビ法典に同害報復の条文が記される必要は無かったはずだ。
全ての人間に関心を持ち、誰とも平等に接する人間などいない。
よほどの無節操でもない限り、誰だって「身内」と「他人」を区別し、配る心の分量に差をつける。
あらゆる人間を分け隔てなく愛せる人間は、突き詰めれば誰にも関心を持っていない人間なのだ。
どんな状況でも持論を崩さず、信条を曲げず、初志貫徹できる人間などいない。
重要な場面ならいざしらず、そんな鋼のような意思を日常の細事にまで徹底させれば、社会生活は破綻する。
だからこそ、人々は決して信念を曲げない物語の主人公に憧れ、大義滅親すら成す偉人を恐れるのだ。
人間自身の目線から見れば「薄汚い」と評されるこれらの特性も、人間という未熟な種を俯瞰する彼ら「揺り籠の管理者」からすれば、ただ「夜泣きが激しい」程度のことでしかない。
赤子に「夜泣きは見苦しいからするな」などと要求する方が理不尽なのだ。
そのことに、ガリアは今更ながらに気付かされた。
「人間世界の問題は、人間が解決するものです。超人や神人では務まりません」
超人や神人と呼ばれる者たちは、肉体的にも、精神的にも、人格的にも、欠陥が少ない。
まさに完璧に近い存在と言えるだろう。
だが、それは同時に「人間らしくない」ということでもある。
それでは意味がないのだ。
「超人や神人で問題が解決するのであれば、システム創造者である『あの方』が最初から『超人や神人に任せておけ』と規定に組み込んでいたでしょう。『調停者派遣制度』などということは必要なかったはずです。というか、超人や神人などという中途半端に進化した存在の手など借りずとも、我々管理者が直接出張って解決した方がよほど良いはずです」
そう。
もし「完璧な存在」が解決できるのであれば、とっくにガリアが自ら動いている。
それができないからこそ、「人間の魂を派遣して
であるならば、派遣される魂は「人間らしい」ほど望ましい。
「世を憎むに値する経験をしながらも世界の破滅を望まず、
二度に渡って心を砕かれながらも錯乱した廃人にならず、
無限の魔力という強大な力を与えられながらも驕り高ぶった暴君に堕ちず、
己の善性も悪性も認め、
ただ己の平穏を追い求めて常人のように振る舞う」
そんな「揺り籠の管理者」にとって
まさに数千年に一人の逸材だ。
「色々と言いましたが、九太郎さんの根源にあるのは結局、優しさなんですよ。
自分が不利益を被らない範囲で困っている人を救ったり、身内に入った人は全力で守ったりするくらいには、人に優しくできる人なんです。
それに、なんだかんだ言って、彼は人が恋しいんですよ。
彼がわずか数日でピエラ村に住み着いたのだって、本当はただ単に人恋しくなったからです。他人と断絶して生きていけるほど、彼は冷酷ではありませんから。
まぁ、彼は死んでも認めないでしょうけどね」
あれは一種のツンデレです、と優しい顔で少年の行いを振り返るアース。
確かに、諜報訓練を積んだあの少年なら、数ヶ月の野宿などわけはない。
その間にもっと情報収集をしたりすれば、どこかの都市に定住することも可能だ。
なんだったら、本物のスパイのように最初から都市に潜入し、仮の身分を作りながら情報収集をすることもできたはずだ。
なのに、彼はそれをしなかった。
情報収集もそこそこに、一農村に早々と身を落ち着かせ、そのままのうのうと数ヶ月も暮らしはじめたのだ。
そんな「迂闊なこと」をしたのは、アースが言ったように、人恋しかったからだろう。
人間の薄汚さに絶望しながら、それでも人間を信じることを止められず、人との繋がりに恋い焦がれた、歪みだらけの哀れな少年。
「九太郎さん……今は『ナインさん』ですか……彼という人間は、世界に存在するだけで
そのご褒美というわけではありませんが、彼には自身ですら知らない調停者の使命を果たしてもらう傍ら、この世界の人達との交流を通して傷ついた心を癒やして欲しいんですよ」
それくらいならば許されるだろう。
いや、許されるべきだ。
寧ろ、根底が善良であるあの少年の心が癒やされることを、
初めて自分が管理する世界に調停者を迎え入れるからか、幾らか色眼鏡や先入観が入っていたかも知れない。
それで、彼を見る目が厳しくなっていた。
でも、調停者とて、一つの生命──可愛い我が子の一人なのだ。
彼だけに多くを求めるのは、あまりにも酷というものだろう。
懺悔をため息と共に吐き出したガリアは、妹から管理を引き継いだ世界を見下ろした。
生命を愛するあまり直接干渉に及んでしまい、管理業務を降ろされた妹。
彼女の干渉によってできた傷跡は、今でも人々に「神域」と呼ばれ、崇められ、この世界に残り続けている。
彼女ほどのめり込んでいるわけではないが、ガリアもこの世界のあらゆる生命を愛している。
だからこそ、調停者の少年の無事を祈ってやまない。
「共に見守りましょう。僕たちには、そんなことしかできませんから」
物悲しげにそう呟くアース。
ただ、その瞳には少年への信頼と、生命に対する深い愛が輝いていた。
◆◆◆◆◆ あとがき ◆◆◆◆◆
なんとなくエンディング感が出てきたから、そろそろこの章が終わると思ったか?
フハハハッ、残念だったな!
この章はまだまだ続くのだよ!
というわけで、もうちょっとだけ続きます。
どうぞお付き合いください。 人( ̄ω ̄;) すまぬ
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