66. 祭りの後の後の祭り

 タナト・アラフニを討伐した後。

 アレンたちはピエラ村に二日間滞在し、三日目に領都へと帰って行った。


 この二日、レクトとダナンは主に休養に費やし、アレンは魔物の監視に徹した。



 タナト・アラフニの暴力を一身に受け止めたレクトは、控えめに言ってボロボロだった。

 ダナンの回復魔法ではダメージ量に追いつかず、レクトは徐々に削れていき、最終的には半死半生の状態まで追い込まれていた。

 アレンの戦線復帰があと少しでも遅れていたら、取り返しのつかない怪我を負っていたかも知れない。

 そんなレクトは、戦闘終了後にダナンから「中級回復ポーション」を強制的に口に突っ込まれ、続いて「低級回復ポーション」を数本ほど全身にぶっ掛けられ、そのまま引き摺るようにしてベッドに寝かし付けられた。

 本人も限界だったらしく、ベッドに着くなり気を失っていた。

 そして、そのまま丸々一晩ほど泥のように眠り、次の日にはケロッとした姿で復活した。

 ただ、怪我は回復ポーションで治せても、気力や体力、魔力は回復しない。

 今のレクトは謂わば病み上がりのようなもので、長旅や戦闘はまだまだ難しい状態だ。

 なので、大事を取ってもう一日ほど安静にする必要があった。

 当の本人もこういった状態は慣れているのか、我が村謹製の干し肉に舌鼓を打ちながら大人しく休養に徹していた。



 タナト・アラフニとの一戦で殆どの魔力を使い果たしたダナンも、レクトと同じように討伐後の一日を休養に当てた。

 絶え間ない呪文の詠唱で喉が枯れ、連続した魔法の行使で魔力が果てたダナンは、肉体的な損傷こそないものの、精神的には大変疲弊していた。

 レクトの処置を終えると気を失い、そのまま連勤開けのサラリーマンよろしく死んだように眠った。

 目覚めたのは、18時間後だった。

 汗と土埃に塗れたまま眠る彼女を見兼ねたエレインが濡れたタオルで身体を拭いてあげるために突っ立ったままのデリカシーのないアレンを部屋から叩き出したのは記憶に新しい。

 翌日の昼過ぎに目覚めたダナンは、貪るように食事を取った。

 同じ魔法使いの誼ということで、特別に我が家の秘蔵品コショウをふんだんに使った肉料理を出してやったら、泣くほど喜ばれた。

 うんうん、分かるよ。

 死ぬほど魔法をぶっ放した後の飯って、死ぬほど美味く感じるもんな。

 俺も修行明けの飯は普段より3倍増しで美味く感じたよ。



 一方、一度は負傷したものの、バームの逆リンクによって俺の魔力をふんだんに吸収したアレンは、一人だけピンピンしていた。

 と言っても、彼もただ暇を持て余していたわけではない。

 責任感の強いアレンは、レクトとダナンが寝ている間、魔物の大移動の追跡調査をしていた。

 もちろん、村の護衛も並行してやってくれていた。

 あれだけの数の魔物が、津波のように森から溢れてきていたのだ。

 いつ第二波・第三波が来るか分かったものではない。

 元凶であるタナト・アラフニが討伐されたとは言え、まだ完全に安全になったとは言い難いだろう。

 そう考えたアレンは、警戒のために村の東側──森の外縁部を巡回してくれた。

 幸い、タナト・アラフニを討伐してからこのかた、森から出て来た魔物は一匹もいない。

 この事実を以って、アレンは「今回の魔物の大移動の元凶は討伐されたタナト・アラフニであった」と断定し、事態の終息を宣言した。




 二日目、村では宴会が開かれた。

 もちろん、アレンたちもそれに招かれている。


 この世界では、今回のような「天災」を乗り越えると、盛大な宴会を開いて憂さを晴らすのが一般的らしい。

 飲まなきゃやってられんというヤケクソな気持ちと、これからの生活に対する不安を、生き残った喜びと共に飲み込むための行事なのだ。


 幸い、今回の事件での人的被害はゼロ。

 弔うべき死者がいない宴会は、終始明るい雰囲気だった。


 全ての人が大いに飲み、大いに食い、大いに騒ぎ、大いに笑った。

 助かったことを喜び、助けてくれた英雄を讃える。

 死んだ者がいないので悼み偲ぶ必要がなく、ただ生きている者を祝福し、生を噛みしめるだけでいい。

 実に幸福なことである。



 宴会の主役となったのはもちろん、アレンたち「アレイダスの剣」の面々だ。


 タナト・アラフニを討伐したアレンたちは、一躍ピエラ村の英雄となった。

 もともと、冒険者は村人から歓迎される傾向にある。

 行政側が解決してくれない諸問題を適正価格で適切に処理してくれる彼らは、村や町にとって欠かせない存在だ。

 素行や態度が悪い冒険者でない限り、彼らを手厚く歓迎しない村や町はそう多くない。

 それが村を未曾有の危機から救ってくれた冒険者となれば、尚のこと英雄視してしまうというものである。


 宴では村中の食料をかき集めて作られた御馳走が並び、バート爺さん謹製のお酒が振る舞われた。

 造酒は大量に穀物を消費するため、普通の村では殆ど作られることがない。

 製造条件などの制限もあるので、たとえ作れたとしても、量までは期待できない。

 だから、村の自家造酒は殆ど催事や神事などでしか振る舞われない。

 そんな貴重なお酒を惜しげもなく出されたことに、アレンたちは大いに驚き、続いて村の皆に感謝した。

 偉業を成したのに天狗にならず、感謝の心を忘れない。

 彼らはやはり良い人たちだと改めて思う。


 アレンたちは、宴を大いに楽しんでくれた。


 レクトはエドやバート爺さんと大笑いしながら食べ比べと飲み比べをしていた。

 香辛料の効いた肉料理と新鮮な野菜を使った野菜料理はツルツルと彼らの胃袋に流れ込み、経験豊富なバート爺さん謹製のお酒は雨粒が砂漠に染み込むが如く彼らの喉奥へと消えていった。

 3人の食べっぷりと飲みっぷりを見物していた村の男たちは大いに囃し立て、賭け事をし、馬鹿騒ぎに興じていた。

 レクトも周囲を巻き込む形で大騒ぎし、世代を超えて仲良くなり、宴を大いに楽しんでいた。


 ダナンは村の女性陣に囲まれ、姦しいガールズトークを繰り広げていた。

 少女たちからは都会のトレンドについて質問攻めにされ、結婚適齢期の女性陣からは最近の恋愛事情について根掘り葉掘り尋ねられ、主婦層からは大都市での買い物事情について事情聴取されるという、男からしたら拷問以外の何物でもない扱いを受けていた。

 幸い、ダナンはこういった話が苦にならないようで、食事を楽しみながらも皆の質問に丁寧に答え、時には誰それの暴露話を披露し、時には刺激的な噂話を聞かせ、黄色い声の嵐を巻き起こしていた。

 女三人寄れば姦しいとは言うが、これだけの女性が集まって楽しく喋れば、男には近寄り難い異空間が形成される。

 ……マジで、どんな口の構造してたら飯食いながらあれだけ喋れるの?

 7次元魔法の《クレタの百舌クレティ・キグローサ》とか使ってない?

 まぁ、笑いが絶えないので、みんな楽しんでいるのだろう。


 そんな風にそれぞれで存分に宴を楽しんでいたレクトとダナンとは違い、アレンはちょっと微妙な感じだった。

 彼は食事もそこそこに、飲み物片手にチラチラとオルガに視線を向けていた。

 が、それも宴会の最初の十数分だけのこと。

 彼はすぐに村の子供たちに囲まれた。

 アウン・オウンの腕白双子やハリーのような幼年組は勿論のこと、俺やオルガより3〜4歳年下の、いわゆる中学生に当たる年頃の少年少女たちも、アレンに群がっていた。

 どうやら、子供たちはアレンたちの冒険譚に興味があるらしい。

 アレンは、目をキラキラさせた子供たちに請われるがまま、自分たちの冒険譚を話し始めた。

 いかにも渋々といった感じで子供たちに語り聞かせるアレン。

 だが、俺は見逃さなかった──武勇伝を語る彼の口角が、得意げに上がっていたのを。


 と、そこまでは彼も楽しそうにしていた。

 が、問題はその後だった。


 キレのある身振り手振りを交えながら吟遊詩人も顔負けの語り口調で自分の武勇伝を語り終えると、アレンは子どもたちの崇拝の眼差しを一身に受けながら、俺とオルガの方にドヤ顔を向けてきた。

 が、ちょうどその頃、俺とオルガは一緒にご飯を食べながら、これからの事について意見交換をしていた。

 オークロードやタナト・アラフニとの戦闘に関しては、全過程を直接目撃していたから、彼の語りはほぼ全て聞き流していたのだ。

 だから、彼のドヤ顔と誇るような視線には気がついていたものの、なんの反応も返してやれなかった。


 それからである──アレンが微妙な顔でこちらをチラチラ覗き見るようになったのは。


 ……なんだろう、俺やオルガが真剣に話を聞いていなかったのを根に持ったのかな? 


 それ以降も、アレンはこちらに話し掛けたそうにしては躊躇って酒を舐める、ということを繰り返すようになった。

 まるで後夜祭で友達を作ろうと頑張って話しかけようとしているけど結局勇気が出なくて足踏みしているボッチみたいである。

 なんか面倒臭そうだから俺もオルガも放っておいたが、果たしてアレンはどうしちゃったのだろうか。

 中二病の考えはよう分からん……。



 と、まぁ、そんな感じで楽しい二日目は過ぎていった。




 そして三日目。

 アレンたちは領都への帰路に付いた。


 彼らは村のお母さんたちが作ったお弁当を携え、村人全員に見送られて村を去った。

 3人が背負ったバックパックは魔物の素材で満杯になっており、これだけでもかなりの収入になることが予想される。

 その中には、オークロードが使っていた片刃の大剣も含まれている。

 もちろんのこと、アレンの肩にはタナト・アラフニが残した唯一の部位物証──脚の先っぽが担がれていた。

 これを提出することで、元凶の特定と討伐、そして大移動の終息を証明するらしい。


 惜しまれながら帰っていく彼らの顔には、清々しさと誇らしさがはっきりと輝いていた。






 アレンたちが去った後は、村の復興が始まった。


 え?

 なんで復興が必要なのかって?

 それは勿論、村が魔物によってそれなりに荒らされたからだよ。



 タナト・アラフニに追われていた魔物たちは、その殆どが村を通過して西へと逃げていった。

 それらに関しては、俺たちがどうこうする事はできないので、アレンたちに任せるしかない。

 彼らも、帰りがてら狩っていくと言っていたから、大きな問題はないだろう。


 倉庫避難所を襲おうとした魔物に関しては、一匹残らずジャーキーによって始末されている。

 死体を見れば、殆どがゴブリンやコボルト、ファイアフォックスなどの知性がそれほど高くない魔物だった。

 多分、それほど知性が高くなかったからこそ、圧倒的強者タナト・アラフニと遭遇したときに錯乱してしまい、逃げるよりも村人を襲うなどという暴挙に出たのだろう。

 素材的な価値は殆どないので、粗方ジャーキーのご飯となった。


 倉庫を襲った魔物と、村を通り過ぎただけの魔物。

 結果的に人的被害こそ殆どなかったが、物的被害は少なくなかった。


 人が歩いて通り過ぎるだけで大地が踏み荒らされて道が出来るように、魔物たちが通り過ぎた後には浅くない傷跡が残った。

 魔物がぶつかった建物は壊され、踏み込んだ畑は荒らされ、通った道は糞尿で汚された。

 糞尿や死体はまだしも、壊れた建物は補修しなければいけないし、畑に至っては泣き寝入りするしかない。

 今から作物を植えなおそうにも既に時期が過ぎているため、減作は免れないだろう。

 荒らされた面積はそこまで多くないとは言え、カツカツの生活をしている農民からすれば、作物は一束も無駄にはできないのだ。


「今年は凶作申告しないと、かなぁ……」


 と村長のベンは嘆いていた。


 領主に凶作申告をして、調査の末に「凶作」と認められれば、減税対象となる。

 もちろん、獣害による減作もこれに含まれる。

 現時点ではまだどれだけの減作になるか分からないが、大規模な獣害に遭った以上、申請しないで得をすることはなにも無い。

 下手をすれば、収穫不足で税金を滞納する、などという最悪な事態に陥りかねない。


 世知辛いことに、この申告制度は減作分を「免除」する制度ではない。

 クレジットカードのリボ払いのように、耕作状況が改善されたと判断された年から税金が引き上げられ、減税分を全額納付返済する年までそれがずっと続く。

 そのため、凶作が数年続いた村が連続で凶作申告をしていたら未来100年に渡って税額が倍になった、などという冗談のような状況が出来上がることもままあるらしい。

 尤も、よほど非道かよほど無能な領主でもなければ、そうなる前に何らかの政策を打ち出すのだが……そういった「よほど」な人物が実際に跡を絶たないから、農民としては笑えない。


 話によると、ここの領主は公正で公明な人物らしいので無体な扱いはされないとのことだが、それでもやはり借金は無いに越したことはない。

 来年以降の収穫予想が立たない以上、軽々と凶作申告はできないのだ。

 痛し痒しである。


 ともあれ、荒らされた畑の整理と壊された建物の修復が、復興作業の中心となる。

 あとは、うちのお隣さん家の前の──タナト・アラフニを消し飛ばした一撃によって一直線に抉れた地面の修復くらいかな。

 ド◯ゴンボールに出てくるような戦闘痕が家の前に横たわっていたら、流石に邪魔だからね。




 人的被害といえば、重傷者が一名だけ出たらしい。

 それがケビンだ。

 彼は錯乱したダイアウルフからトゥニを救うために戦い、両腕がズタズタになったそうだ。両肩から先が全く動かなくなるほどの重症だったと聞いた。

 トゥニと一緒になんとか避難所まで辿り着いた彼は、俺が避難所に備蓄していた薬を使ったらしい。

 責任者であるエレインの判断で、赤ラベルの瓶を飲まされたとのこと。

 二日経った今では、普通に仕事ができるまでに回復していた。


 正直、避難所にたどり着けた時点で、俺の心配はなくなっている。


 俺が準備していた薬の中には、黒いラベルが貼られたやつがある。

 その中身は、10次元回復魔法の《復活の果実フォーフト・デア・アウフェシュティオン》が込められたシャイニングエリクサーだ。

 たとえ脳みそだけになったとしても、生きて避難所に辿り着きさえすれば、瞬時に何もかもを元通りにすることができる。

 両腕の不随くらいはどうとでもなる。


 ただ、やっぱり怪我人は出ないに越したことはない。

 俺の薬も、用意はしているものの、やはり使われない方が何かと都合がいい。

 惜しむつもりはないけど、薬を使われたことで俺の素性に疑問を持たれるのは望ましくないからね。


 幸い、薬の効果については、誰も何も言ってこなかった。

 その代わり、ケビンからはベアハグかと思うくらいキツい抱擁をされ、ケビンの両親からは過剰な感謝と大量の謝礼(煮込み料理や手製の革製品)を頂いた。

 あと、なぜかトゥニからも必要以上に感謝された。

 ……彼女を助けたのはケビンだよな?

 なんで俺にお礼?




 村の復興に伴い、避難所の拡張と補強、そして備蓄品の充実も同時進行で行われることになった。

 今回の事件で、避難所の有用性と避難訓練の重要性が実証された。

 なので、これからは定期的に避難訓練を開催することになった。

 同時に、実際に避難したことで避難所が少々手狭であることも露見し、拡張工事が決定した。

 これからは避難所がより安全に、より快適になるだろう。


 避難所に設置した防御魔法だが、結局、起動することはなかった。

 防御魔法の発動に関しては、ミュートとミューナに一任している。

 事前に「もし倉庫の壁が『バンバン』されて怖くなったら、これを起動するように」と言ってあるのだが、どうやら二人は不要と判断したらしい。

 まぁ、ジャーキーが優秀だし、襲ってくる魔物も弱いやつばかりだったからね。

 避難所への攻撃がないのであれば、わざわざバレる危険を犯してまで発動することもないだろう。

 ナイス判断だ、二人とも。




 最後に、我が家に関してだ。

 こちらは。特に被害は出ていない。

 アレンたちと合流するためにうちの前で魔物を迎え討ったのが功を奏したのか、家屋にも家庭菜園にも損壊はない。

 もちろん、我が家の最重要保護対象である「コショウの生る樹ユグドラシル」にも、傷は一切ない。

 いやぁ、良かったよ!

 もしこれが傷つけられようものなら、きっと俺はキャラ設定とか正体の秘匿とかのを全部放り投げて、全力で魔物を殲滅しに掛かっていただろうからね!


「……ほんと、無事で良かったです……」


 コショウの蔓が這った大木に頬擦りする俺に、オルガが冷や汗を流しながら心底ホッとしたような呟きを漏らした。


 うんうん、俺もホッとしてるよ。

 これで我が家の美味しい食事は守られたからね!


「い、いえ、そういうことを言っているのではないのですが……まぁいいです(この村が更地にならなかっただけ)」


 最後になんかボソボソと唱えながら、オルガはお隣さんの瓦礫撤去を手伝い始めた。

 ……なんなんだ、一体?






 ◆






 タナト・アラフニ襲来より三日三晩が過ぎた、今日。

 ピエラ村は、一種の熱気に包まれていた。


 これまでの不安と恐怖の反動のように、人々は復興作業に没頭している。

 ベンは奥さんのアンと娘のエレインに尻を叩かれながら、復興の陣頭指揮を取っている。

 ノンドやトミックなどの壮年衆は、力を合わせて復興の中心役を担っている。

 エドやアビー、ケビンなどの青年衆は、その有り余るパワーを発揮して壮年衆の手伝いをしている。

 バート爺さんやホメット婆さんたち老人衆は、その豊富な経験を活かして若い者たちに協力している。

 アウン・オウンやトゥニ、ハリーたち幼年衆は、たまに脱線しながらも親や兄弟の指示に従い、復興のための小さな一役を演じている。

 みんなが村のために貢献しようと熱意を燃やし、雑然としながらも確かに行動していた。

 オルガやミュート・ミューナ、そしてジャーキーまでもがその環の中に加わり、復興の力になっている。


 一致団結。


 今のピエラ村の姿を表すのにこれほど適した言葉はないだろう。



 うちの3人と一匹が懸命に働いているのを、俺はバームと一緒に離れた場所から眺める。


 皆の汚れた衣服を洗い場へと運ぶミュートとミューナを眺める。

 二人は埃で顔を汚しながらも、確かな笑顔を浮かべていた。


 魔物の死体を解体場まで引き摺るジャーキーを眺める。

 村人の指示に従いながらお手伝いをする狼の魔物は、村の一員として間違いなく皆を支えている。


 アビーと協力しながら瓦礫を運ぶオルガを眺める。

 いつもの無表情に汗を浮かべながら働く彼女は──目を離せないほど美しく見えた。


 胸に襲来する暖かな気持ちに、思わず頬が緩む。

 肩に乗っているバームが、不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。


「どうした、我が主よ。何やら幸せそうな顔をしているが」


 そんな顔をしていたのか、俺は?


 ……そうだな。

 そうかも知れない。


 受け入れてくれる人たちがいて、

 支えてくれる人たちがいて、

 笑い合える人たちがいる。

 共に苦悩を分かち合い、共に困難を乗り越え、共に喜びを噛みしめる。

 そんな人たちが、ここにはいる。


 多分、これが「幸せ」というやつなのだろう。


 何だか、久しく忘れていたような感じがする。

 師匠を失った、あの日から……。


 いや、違うな。

 忘れたんじゃない。

 見向きもしなかったんだ。


 師匠が死んだショックで、それ以外のことに注意を向けられなかったんだ。


 弥生さんは、廃人同然になっていた俺を労り、我が子同然に面倒を見てくれた。

 マリアさんは、無気力な俺を優しく慰め、立ち直る手助けをしてくれた。

 俺の武術の師父だった砕天さいてんの爺さんは、俺が発散できるように稽古でサンドバッグになってくれた。

 情報屋のドニーノの兄貴は、俺が気分転換できるように女遊びや賭博に誘ってくれた。

 他にも、色んな人が俺のために力を尽くしてくれた。


 それなのに、俺はその全てを無視した。


 知り合いだから当たり前過ぎたのか、それとも当時の俺にそんな心の余裕が無かったのか、はたまた俺が単なるクソ野郎だからか。

 いずれにせよ、俺はそんな「幸せ」には見向きもしなかったのだ。


 師匠の仇討ちに明け暮れ、それが叶うと抜け殻みたいになって、ただ無為に時間を過ごした。

 そして、タンクローリーの事故に巻き込まれて死んで──────今こうしてこの異世界で「幸せ」のカタチを再確認している。


 皮肉なもんだな。

 大切な人たちを大切にしてこなかったことで負い目を感じていたオルガに偉そうに説教しておきながら、結局、俺も似たようなものじゃないか。

 本当、自分で口にした言葉は、ブーメランのように自分に返ってくる。


 暖かい懐かしさと後悔の苦さを噛み締めながら、俺は一つのことを確信する。


 ──この光景が、ずっと続いてほしい。


 元の世界では大切な人たちを大切にしてこなかった俺だけど、この世界では、回りの人々を大切にしよう。


 今度こそ、失わないように。


 そのためなら、何でもしよう。

 そのためなら、何だってしてみせよう。


 あの始末書神にも宣言したじゃないか、「静かに暮らしたい」って。


 ならば、俺はこの静かな暮らしを守り抜こう。


 師匠が俺を守ってくれたように、

 弥生さんやマリアさんたちが俺を守ってくれたように、

 今度は俺がこの光景を守るんだ。


 今回の騒動では、俺の準備不足と浅慮が原因で危険な常態に陥った。

 バームが居なければ、きっと今頃俺たちはこの日常を失っていただろう。


 だけど、次はない。

 次など作らない。


 守ることに、綺麗事はない。

 誰かの幸福は、誰かの不幸の上に成り立つものだ。

 きっと俺は信じられないような汚いことに山ほど手を染めることになるだろう。


 でも、それがどうした。


 俺たちの幸福と平穏のためならば、他人の全てを犠牲にしてやろうじゃないか。

 アレンたちのような善人も利用し、使い捨てようじゃないか。

 嘘の上に欺瞞を重ね、全てを偽物で塗り固めようじゃないか。

 他人の信念を踏み躙り、あらゆる物を食い潰そうじゃないか。


 俺たちの幸福と平穏を邪魔するものは、何であろうと、誰であろうと──この世から消えてもらう。


 それが、ナインというクソ野郎の「守る覚悟」だ。




 不意に、肩の上でバームがブルリと震えた気がした。

 見れば、バームは目を見開き、小さな羽を痙攣させながらこちらを凝視していた。


「どうした?」


 俺の問いに、バームは暫く黙ったまま佇み、やがて恐る恐る口を開いた。


「……我が主よ、お主はこの世を滅ぼす腹積もりでもあるのか?」


 ……は?


「そんな訳無いだろ? なんでそういう発想になる?」

「いや、お主の気配が、な……」


 バームは歯切れ悪そうにそう言うと、フルフルと首を振った。


 と、そこで、俺の頭上に影が落ちた。

 顔を上げれば、元気いっぱいのミュート・ミューナが、そして極寒の眼差しをしたオルガが、俺を見下ろしていた。


「……なにを一人だけサボっているのですか、ナイン?」


 アブソリュートにゼロ度の眼を向けられ、思わずブルリと身震いが走る。

 肩の上にいるバームも同じように震えた。


「今は一人でも人手が欲しい時です。それをあなたは……」


 働かないヒモ男を見る相手女性の親族のような視線と口調に、俺は恐怖のあまり呂律が回らなくなる。


「あ、いや、ちが……これは、村長が──」

「問答無用です」


 そう言うと、オルガは俺の手の甲を小さく抓り、引っ張っていく。


「もんどーむよー!」

「もんど〜むよ〜!」


 ミュートとミューナが俺を左右から挟み、皆が作業をしている輪に押し遣る。


 手の甲に走る痛みを感じながら、これも悪くないかと思い、俺は引きずられていった。


 あ、てめぇバーム!

 一人だけ逃げやがったな!

 覚えてろよ!

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