56. EO:災い来たれり
――――― Episode Olga ―――――
「……とりあえず、今は避難だ。後は、アレンたちに任せよう」
悔しそうにそう言った家主の少年に、黒いボブショートの先端に紫のメッシュが入ったデウス族の少女──オルガは動揺を隠せないでいた。
何事も自分の手で飄々と解決してきた少年が、ついに手を出せない事態になっているのだ。
「アレンたちならこの状況をいち早く察知して、速攻で村に戻ってきてくれるはずだ。戦闘は、彼らに任せる」
振り返れば、ちょうどおやつを持ってきた幼いエルフの双子が、不安そうにこちらを見ている。
緊迫した場の雰囲気で、なにか良くないことが起きているのを察したのだろう。
家主の少年は二人を手招き、膝を折って二人の視線に顔を合わせる。
「ミュート、ミューナ。避難訓練を覚えているか?」
少年の優しいトーンに、双子は頷く。
「あれが役に立つ時が来た。今、村に魔物の大群が押し寄せている」
「「えっ!?」」
「二人はジャーキーに乗って、ホイッスルを吹き鳴らして村のみんなに避難勧告を出してくれ。巡回ルートはジャーキーが覚えているはずだ」
不安そうにする二人に、少年はなんでもないように微笑む。
「大丈夫だ。俺もジャーキーもいるし、今は高ランク冒険者のアレンたちも村にいる。みんなが避難できれば、被害は出ないさ」
双子は、少し迷いながらも、しっかりと頷いた。
普段から賑やかな二人の口数がこうも減っているのは、やはり不安の現れだろう。
それでも少年を信頼しているのか、二人は直ぐにジャーキーに跨り、首から下げていたホイッスルを取り出して握りしめた。
「分かった。じゃあ、俺たち行ってくるよ」
「おにいちゃんとおねぇちゃんも、早く避難してね」
「おう。無茶するなよ」
少年は笑顔で二人に返事をすると、今度はペットであるホワイトダイアウルフ──ジャーキーに指示を出す。
「ジャーキー、避難勧告が終わったら、二人を避難所に連れて行け。お前はそのまま避難所の護衛だ。近づく魔物は一匹残らず狩り殺せ」
「ワウッ!!」
賢い魔物は
二人を乗せたジャーキーがたたたっと駆け出したの見送った家主の少年は、少女に振り返った。
「俺はここに残るよ」
大事な薬を守るために残る、と普通なら考えるだろう。
どんな怪我も病気もたちどころに治してしまうこの家の薬には、戦争を起こしてでも手に入れる価値がある。
それに、今回のような大規模な災害には負傷者がつきものだ。薬はどれだけ有っても邪魔にはならない。
薬のためにこの場に残るというのは、彼の職業を考えれば何らおかしな事ではない。
だが、少女は少年がそんな
「アレンたちを待つのですか?」
「ああ。アレンたちは避難場所を知らないからな」
普通の村では避難訓練などしない。
災害が起これば、人々は蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑うのが殆どだ。
決まった避難経路もなければ、全員が避難できる避難所もない。
アレンたちも、この村の人達が順序よく避難しているとは考えていないだろう。
「彼らには避難場所を守って貰う必要がある」
アレンたちは正義感が強い、心優しい冒険者だ。
村人たちが倉庫に避難していると知れば、必ず倉庫の護衛引き受けてくれる。
だから、彼らに「みんなが倉庫に避難した」ということを知らせる必要があるのだ。
こうして聞くと、ただアレンたちを都合のいいように利用しているだけであるように聞こえるが……まぁ、事実そうなのだが……別にそれが全てというわけではない。
被害軽減の観点から見た場合、村人は自衛にのみ尽力したほうが助かる見込みが高くなる。戦闘能力のない村人が出しゃばるよりも、戦いの全てをアレンたちに丸投げした方が合理的なのだ。
アレンたちから見てもそれは同じで、守るべき対象が一箇所に大人しく閉じこもっているほうが戦闘に集中できる。
双方の損得を加味した場合、「村人は大人しく避難し、冒険者は避難所の防衛に注力する」という方針は何ら間違っていない、むしろ至極合理的なのだ。
それに、避難所を背にして戦うほうが、背後を狙われずに済む。
万が一に彼らが魔物の群れに囲まれるか飲まれそうになっても、避難所という退路があれば余裕が出てくるだろう。
何もない空き地のど真ん中で戦うより余程マシである。
心優しい家主の少年のことだ。
ちゃんとそこまで考えたからこそ、アレンたちに倉庫の護衛をさせようとしているのだろう。
「だからオルガ、悪いがお前も俺と残ってくれ」
「わかりました」
少女だけが先に避難するという選択肢はない。
魔物の大群が押し寄せている現状、少女が一人だけで村の中心にある避難所に向かうというのは、自殺行為に等しい。
避難が間に合わずに村内に侵入してきた魔物と出くわせば、非力な少女は一巻の終わりだ。
その点、家主の少年の側に留まれば、安全は約束されたも同然。
この少年の側ほど安全な場所は、恐らくこの世の何処にもない。
たとえ今は魔法を使えない状況でも、少年であれば体術だけでも余裕で切り抜けられる。
それだけの技量を少年が有することを、少女は既に見て知っている。
「大丈夫だ。なんとかなるって」
「そこは『なんとかする』と言ってほしかったです」
「はは、残念ながらそこまでの甲斐性はないかな」
冗談めかして苦笑う少年の顔には、憂いが少しだけ見え隠れしていた。
それを見抜いた少女は、無意識に少年の服の裾を掴んだのだった。
◆
長いようで短い数分が過ぎた。
家主の少年が言うには、アレンたちの気配はまだしないとのこと。
なので、二人はまだこの場で待っていた。
そうこうしている内に、動きがあった。
森を抜けて狂ったようにこちらに向かってくる数匹の魔物が姿が見えたのだ。
「ダイアウルフと……あれはファイアフォックスか」
違う種類の魔物が我先にと並走しながら逃げてきている。
「なにかに追われているようですね」
「だな。ヤバいぞ、あれ」
狂乱状態に陥った魔物はとても危険だ。
普段なら多少は働く理性が完全に麻痺してしまっているので、行く手を阻むものはたとえ相手が捕食者であろうとも、身の危険を顧みずに──それこそ撥ね飛ばしてでも突破しようとするようになる。
あまりにも腹を空かせている場合は、見境なく殺して腹を満たそうとする。
そうなった魔物の進路上にある村は、間違いなく滅び去ると言われている。
「家を壊されたらたまらん。ちょっと
「心配するのは
「大丈夫だよ。ちゃんとジャーキーがやったようにするから。アレンたちが来ても言い訳はできるって」
殆どの魔物が直線的に爆走し、家屋を素通りして走り去っていく。
それらの魔物に対しては、少年は放置に徹している。
村への侵入を許すことになるが、訓練通りであればもう殆どの村人が避難しているはずだ。ここを通しても大きな被害は出ないだろう。
もちろん、少年であれば一匹も通さないことは簡単だ。
けれど、それをしてしまっては魔物の死体が山と積み上がってしまい、アレンたちに言い訳できなくなってしまう。
自分たちの平穏な生活を守るためにも、
数匹のファイアフォックスとダイアウルフが、血走った目で涎を撒き散らしつつこちらへと向かってくる。
少女と家主の少年、そしてその背後にある我が家に突っ込むような、回避する素振りがない突進コースだ。
これは、少年が処理する必要があるだろう。
少女は少年の邪魔にならないように、握った少年の服の裾を後ろ髪を引かれる思いで手放した。
「ほいっ」
気の抜ける掛け声と共に、少年が回転蹴りを繰り出す。
高速で半円を描く少年の爪先が、飛び掛かってくるファイアフォックスの首下を抉り、その喉笛をまるで噛み千切るように削ぎ落とした。
ファイアフォックスはもがきながら地面を転がり、やがて事切れた。
「あちょっ」
ガウガウと吠えながら噛み付いてくるダイアウルフに、少年はまたしても気が抜ける掛け声を発しながら、素早い蹴りを放つ。
脇腹を蹴られたダイアウルフは体を「く」の字にしながらゴミクズのように吹き飛び、地面を数度バウンドして動かなくなった。
「おっと」
片耳がちぎれたダイアウルフが突進してくる。
が、こちらを見ると「ぎゃいん!」と悲鳴を上げ、進路を変えようとする。
もちろん、既に速度に乗っている獣が直ぐに曲がれるはずもなく、結果、少年と少女に斜めから突っ込むような形になった。
順当に行けば、このダイアウルフも倒すはず。
しかし、少年はそうしなかった。
以前から「無用な殺生は性に合わない」と言っていたその言葉通り、こちらには敵意を向けていないと分かった少年は、少女の手を引いてそのダイアウルフを避けた。
少年に見逃され、脱兎のごとく通り過ぎていく片耳がちぎれたダイアウルフ。
それを見送りながら、少女は少年に問うた。
「通してよかったのですか? 被害が増えることになるのでは?」
「大丈夫だろ。そろそろ避難も終わる頃だし、ジャーキーもいるからな」
あのホワイトダイアウルフを常々「ペット」と呼んでいる割には、信頼のこもった回答である。
事実、あの魔物はそれだけ賢くて優秀だ。
少女もなんだかんだで信頼を寄せている。
数体の魔物が過ぎ去ると、家からパタパタと黒いドラゴンのぬいぐるみが飛んできた。
「いろんな気配がすると思えば、面白いことになっているな、我が主よ」
腹に響くようなバリトンボイスでそう言ったぬいぐるみは、偉そうに少年の頭の上に着地した。
「緊急事態のようだな。雑魚の群れなど、我が軽く蹴散らして来ようか、我が主よ?」
「やめい。それこそ一番いい訳できんから」
確かに、バームが巨竜の姿に戻れば、魔物の群れなど物の数ではないだろう。
だが、それをすると間違いなく国家が動く事態になり、この周辺は徹底的に調査されることになる。
そうなれば、少年の素性が明るみに出る可能性が高まってしまう。
一考の余地すら無い提案である。
「とにかく、お前はいつものように振る舞ってくれ」
「全てあの小僧どもに任せる、と?」
「ああ、それしか方法はない。まぁ、なんとかなるだろ。アレンたちの実力ならこれくらいの魔物の群れ、問題なく対処できるだはずだ」
「ふむ。であれば、我はいつもどおりに振る舞おう」
そう言うと、黒いドラゴンのぬいぐるみはまるでターバンのように少年の頭上で丸まった。
◆
それからしばらく、少年は逃げ惑う魔物をチラホラと処理した。
我が家の前に斑に転がる魔物の死骸は、見事に全てが「狼にやられた」ような倒され方をしている。
よほど丁寧に観察しなければ、ジャーキーの仕業と考えるだろう。
ある意味、職人技が光る倒し方だ。
ただ、そんな職人技を披露する少年の顔は、それほど明るくはなかった。
その瞳は、一方向に固定されている。
一体どうしたのか、と少女も少年が睨む方向を見る。
そして、少女も気付いた。
逃げてくる魔物の種類が、次第に変わってきているのだ。
これまではダイアウルフやファイアフォックス、ビッグボアやフォーホーンキャトルなど、獣型の魔物ばかりだった。
それが、次第にコボルトやゴブリンなどの人型の魔物も混じってきているのだ。
少年の横顔を盗み見ると、彼は考え込むように眉を顰めていた。
「どうしたのですか、ナイン? 何か気掛かりなことが?」
「ん? ああ、ちょっとな」
「お聞きしても?」
「ああ。
確かに、と少女は今更ながらに思う。
今回の魔物の大移動の原因は、あのオークロードの軍団だ。
それを、つい先程アレンたちが討伐した。
普通に考えれば、それで全てが終わるはずだ。
なのに、オークロード討伐が成された後に、逃げ惑う魔物たちが村に到達した。
タイミングを考えれば、これはオカシイことだ。
「な〜んか嫌な予感がするな……」
忌々しげに裏山を睨みつける少年。
そんな彼の服の裾を、少女は無意識に掴む。
すると──
遠くから、微かに人の声が聞こえた。
「アレンたちだな。かなり切羽詰まっている感じだ。逃げろって叫んでる」
目を細めた少年は、声の正体を少女に伝える。
「そろそろ動くぞ、オルガ」
少女の頷きを確認し、少年は少女の手を引いて走り出した。
武器を片手にこちらに向かって全力で走るアレンたちを迎えに行く。
「おーーーい! こっちだーーー!」
アレン達へと走りつつ、手を振りながら大声を上げる少年。
そんな少年を見たアレンたちが目を剥く。
「来るな!! 魔物が来てるぞ!! 早く逃げるんだ!!」
必死に叫ぶアレンだが、少年はそれを無視。
少女と共にアレンたちと合流した。
少年に手を引かれる少女と周囲に転がる魔物の死骸を見て、アレンが爆発するように怒鳴る。
「何を考えている!! 魔物の群れがこの村に向かって来ているのだぞ!! なぜ逃げない!?」
「い、いや、だって──」
「だっても何もあるか!! 今直ぐ逃げろ!!」
たじろいだフリをする家主の少年に、その情けない態度に苛立ちを隠そうともしないアレン。
少女は、両者の間に入って状況を説明する。
「村の皆は既に村長宅の横にある倉庫に避難し、立て籠もっています。私達は、あなた達にそれを伝えるために残りました。どうか、共に避難してください。魔物が通り過ぎるまでであれば、倉庫は保つはずです」
少女の説明に、アレンが急速に冷静さを取り戻す。
「そ、そうか……なるほど、ならば、我々がその倉庫を護衛しよう。──レクト、ダナン、体力と魔力は大丈夫か?」
アレンの問に、レクトとダナンが頷く。
「おうよ。オーク共の剥ぎ取りの時に、ちと休憩したからな。まだまだ行けるぜ!」
「私も大丈夫よ。村の人達が倉庫に立て籠もってくれているなら、護衛もしやすいわ。これくらいの群れなら凌げると思う」
「ありがとうございます。先程まではジャーキーがこの場で私達を守ってくれていたのですが、避難誘導のために離れました。私達だけでは避難所である村の倉庫まで行けないので、一緒に来てくれるのはとても助かります」
少女の感謝の言葉に機嫌を良くしたアレンが「護衛は任せろ」と誇らしげに言う。
が、周囲に転がる魔物の死骸が目に入るなり、役立たずを見るかのような目で家主の少年を睨みつけた。
「……では、行こうか、オルガ嬢」
アレンたちは少女と家主の少年を囲む形の陣形を取り、村の中央──避難所である倉庫がある場所へ向けて走り出した。
──と、20歩ほど走ったとき。
森の方から、何かが飛び出した。
瞬間、アレンたち3人が全身に鳥肌を立たせ、弾かれたように振り返った。
少女の手を引いていた家主の少年は小さく舌打ちしたが、振り返りはしなかった。
アレンたちのただならぬ雰囲気につられて、少女も足を止める。
振り返り、そして突如現れたその「何か」を目にした。
それは──巨大な蜘蛛の化け物だった。
体高は2メートルを優に超え、体長も横幅も3メートル以上あるだろう。
真っ黒な外殻はまるで鎧のようで、所々から伸びる棘が暴力的な印象を与える。
特徴的な太く長い8本足の先端は鋭利に尖っており、カサカサと不気味に蠢くその様は生理的な拒絶感を与える。
形状的には、完全に巨大な蜘蛛の化け物だ。
顔の下には普通の蜘蛛にはない、サソリのハサミのような前足が二本。
だが、左の方のハサミは途中からキレイに切断せれており、先がない。
大きく膨れた腹にも、数本の切り傷らしき跡がある。
その腹の先──尻の尾からは毒針が顔を覗かせている。
紫色の何かがこびり付いたあの針に刺されれば、間違いなく即死だろう。
戦闘に縁のない少女でもひしひしと感じる恐怖。
自分に這い寄る、回避不可能な死の気配。
この蜘蛛の化け物は、絶対に出遭ってはならないものだ、という確信が心臓をバクバクと鳴らす。
「あ、あれは、ま、まさか……」
アレンの顔が絶望と驚愕に染まる。
「タナト・アラフニ……レベル7の魔物だとっ!?」
絶望に満ちたその叫びは、驚くほど大きく響いた。
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