49. NP:ピエラ村騒動 〜 遭遇

 ――――― ★ ―――――




 鬱蒼と茂る木々から射す木漏れ日に照らされた緑の大地を踏みしめながら、アレンは四方の音に耳を傾ける。

 音はとても大事だ。

 空を飛ぶ鳥の囀りは魔物がいる方角を、地を駆ける獣の鳴き声は魔物の強さを、木の葉同士の擦れる音は魔物の数を、それぞれ教えてくれる。

 視界が遮られている森や山において、音は頼れる数少ない情報源の一つだ。


「ジャーキーの縄張りから出た瞬間に魔物の気配が濃くなるな。やはり、ジャーキーの存在が大きい、か」


 鳥獣の囀り混じって、汚らしい鼻音が混じっている。


「ふむ、オークか」


 遠くから感じる魔物の気配に、アレンは目を細める。


「一直線にこちらへ向かって来ているようだ」


 レクトとダナンに振り向くと、二人は頷きを返した。


「やはり知性や野生の勘に優れている魔物は、この村を避けるように行動しているな。何も知らずに突っ込んでくるのは、獣に近いビッグボアやフォーホーンキャトルか、頭の悪いゴブリンやオーク程度と言ったところか」

「だったら、この村に被害が一切出なかったのも頷けるぜ。ビッグボアやゴブリン程度じゃあ、あのジャーキーに瞬殺されるだけだからな」


 しみじみとそう呟いたのはレクト。

 その後ろを進むダナンがうーんと伸びをする。


「ジャーキーがぬしってことはもうほぼ確定ね。あとは魔物の大移動の原因を見つけるだけかー。ああー、長かったなぁ〜今回の依頼」


 三人がフェルファストを離れて既に一ヶ月が過ぎている。

 冒険者の依頼には数年を要するものも存在するが、それはあくまでもランク7以上の超高難度依頼に限ったこと。

 ランク6の調査依頼ならば普通は十日ほど、長くても倍の二十日ほどで終わるはずだ。

 ダナンの言うとおり、一月というのは少々長い。


 気が緩み始めたダナンに、アレンは真剣な眼差しを向ける。


「気を引き締めろ、ダナン。我々に課せられた大いなる使命はまだ果たされてはいない。この地には未だ不穏な風が吹き荒んでいるのだ。闇との決戦は近いぞ」

「あ、そう……。どうでもいいけど、そういうシリアスな顔でアレなこと言うの、マジでやめにしない? すっごい紛らわしくてイラッとするんだけど」

「ふっ、お前が何を言っているのかサッパリ分からんな。大いなる力には大いなる責任が伴う。ただそれだけのことだ。封印されし力を持つ俺は、苦難を打ち破り続けなければならない──たとえその先にどんな強敵が待ち受けていようとも、な」

「……言ってることは至極真っ当でとても立派なのに、なにこのイラッとくる感じ……。あたしはこの気持ちをどうしたらいいの?」

「とりあえずその握り締めた拳を緩めようぜ、ダナン。ああいうモードのリーダーには何言っても無駄だ」


 溜息交じりのレクトに、ダナンも諦めたように肩を落とした。

 アレンは左腕を強く押さえ、何かを我慢するような仕草を取る。


「くっ! 戦いの予感に封印されし黒竜が騒いでいる……。血を欲しているというのか……。静まれ、俺の左腕……!」


 もはや完全に自分の世界に入り込んでいる。

 しかも無駄に演技力が高い。


「その辺にしたら? 結局どうするの、あのオークの群れ?」


 ダナンの冷徹な声に、アレンは芝居じみた仕草を止め、オークの声が聞こえる方角に鋭い視線を向けた。

 もはやそこにはちょっとアレな行動が目立つイタい少年の姿はない。

 あるのは、高位の冒険者に相応しい闘志を放つPTリーダーの勇姿だけだった。


「どうするもこうするも、殲滅一択だ。人里近くに出没する魔物を野放しにはできない」

「「了解」」


 レクトとダナンも気を引き締め、三人は駆け出した。

 いつもの仕事の始まりである。






 ◆






 オーク。

 豚のような顔と体型を持つ人型の魔物だ。

 人間に似た行動を取る彼らはゴブリン同様、一定の知性を有する。

 簡易な道具を武器として扱い、集団行動を好む。

 体格と腕力に優れており、繁殖能力も非常に高い。

 冒険者ギルドで定められている討伐レベルは、ダイアウルフより一つ高いレベル3。


 魔物の討伐レベルはその魔物単体の戦闘能力の評価であり、複数体の場合はレベルが上がることが多い。

 表記的にはレベルの後ろに「+」が付く。

 例えば、オーク1匹ならばレベル3だが、3匹以上の集団になるとこれが「レベル3+」になり、討伐難易度が上がる。

 冒険者ギルドでは「+」の付いた依頼や討伐対象は、での挑戦を推奨している。


 冒険者は実力主義ゆえ、ランクを重視する。


 ランク1は「ひよっこ」と呼ばれ、ランク2でようやく「半人前」となる。

 そのため、ランク1〜2は「低ランク冒険者」とカテゴライズされる。


 ランクが3に上がるとやって「一人前」と呼ばれるようになり、ランク4までいけば「優秀」と評されるようになる。

 ランク3〜4は「中ランク冒険者」と呼ばれており、6割を超える冒険者がこのランク帯にいる。


 ランク5までいけば「精鋭」扱いされ、アレンたちのようにランク6に達すれば「一流」と称されるようになる。

 ここまでくれば誰もが羨む「高ランク冒険者」の仲間入りだ。

 殆どの町で下にも置けない待遇を受けることになる。


 ランク7になれば「屈指」となり、「超高ランク冒険者」と呼ばれるようになる。

 都市や領地の存亡に関わるような高難度依頼が受注できるようになるので、もはや完全に貴族相当の待遇となる。


 最終的に、ランク8になれば冒険者の「頂点」となり、「最高ランク冒険者」と呼ばれるようになる。

 当然、ランク8冒険者というのは極端に少ない存在であり、人知を超えた力を有する。

 その強さは、国に一人でも居ればその国は魔物に怯える必要がなくなる、とまで言われている。

 国や大陸を揺るがすような事案の解決に彼らの存在は欠かせないので、災害の度に国家首領が超特別待遇で遠方より招くようになる。

 それだけ「ランク8」というのは強大で特別なのだ。


 レベル3であるオークは、一人前ランク3未満の冒険者や一般市民では太刀打ちできない。

 複数匹の集団になると、同格のランク3冒険者でも単独ソロでの討伐は大きな危険を伴うことになる。

 人間同士の戦争でも、魔物の襲撃でも、数はそのまま力になるのだ。


 とは言うものの、レベル3は所詮レベル3だ。

 ランク6冒険者のみで構成された「アレイダスの剣」の面々にとっては、飛べない蚊のようなもの。

 数匹まとめて殲滅するなど朝飯前である。


「敵は10匹」


 オークの集団を視認した途端、アレンたちは動き出す。


「蹴散らすぞ」

「おうよ!」


 吶喊と共に前へと躍り出るレクト。

 背負っていたカイトシールドを左腕に構え、短剣を引き抜く。


 赤銅色のカイトシールドは文字どおり凧と同じ菱形と逆三角の中間のような形状。滑らかに曲面を描く盾の表面には大きな鷲の紋が刻まれており、縁には魔法文字が小さく刻まれている。

 右手に握られた刃渡り50センチほどの短剣は肉厚で、両側に刃が付いている。剣身には魔法文字が二列刻まれており、冷やかな鋭光を反射している。


 呼吸と同じように自然と体が動き、レクトは素早く最適な位置に陣取る。

 そして肺いっぱいに息を吸い、


「〈挑発の唸りタウンティングハウル〉‼」


 魔力を乗せた咆哮として吐き出した。


 特殊な音階の振動で敵の扁桃体を刺激する、挑発系の戦技だ。

 敵の注意を引く効果のあるこの戦技は、強者を怒りで狂わせ、弱者を恐れで震え上がらせる。

 パーティーの盾役であるレクトの得意技だ。


 耳を劈く轟きに、オークたちは身を縮めて震え始める。

 戦技によって恐怖を誘発され、戦意を根こそぎ奪われたのだ。

 この状態の相手は、もはや麻酔を施された家畜と同じだ。

 あとは屠殺するのみ。


 レクトは盾を構え、攻撃を仕掛ける。


 が、次の瞬間──


「ブオアァァァ!!」


 オーク達の遥か後方から、野太い猛り声が上がった。

 すると、怯えていたオークたちがハッと我を取り戻し、再び武器を構えてアレンたちとの戦闘態勢に戻る。


「なんだぁ、今のは!?」


 己の得意技で思い通りの結果を得られなかったことに、レクトが非難めいた声を上げる。


「分からん。だが、只事ではない。──ダナン!」

「分かってるわ」


 視線を向けられたダナンは、素早く魔法の詠唱に入る。


「"万物を撫でる風よ、我が目となり耳となれ"──《風探知ウィンドサーチ》」


 詠唱と共に、ダナンを中心に微風が漂う。

 数瞬して、ダナンの目が見開かれた。


「うそ……! 気を付けて! あたしの魔法でも全く気配を探れないわ!」

「なに!?」

「ううん。精確には『オークらしき気配に囲まれたなんらかの存在』を感知したんだけど、その正体が全く読み取れないの」


 ランク6冒険者の戦技を無効化し、ランク6冒険者の探知魔法でも探れない存在。

 間違いなく同レベル以上の──強敵だ。


「とりあえず、こいつらを何とかするぞ」


 アレンの指示の下、レクトとダナンが動く。


 敵のオークは偶然か戦略か、3列に分かれ並んでいた。

 前列に3体、中列に4体、後列に3体だ。


 先頭に立つ一体のオークが、太い木製の棍棒を振り上げる。

 それが振り下ろされるよりも早く、レクトが懐に飛び込んだ。


「おらっ! 〈盾突進シールドバッシュ〉!」


 盾を使った戦技だ。

 構えたカイトシールドごと体当たりし、オークの腹部を強打する。


 魔法武器マジックウェポンであるレクトの盾だが、オーク相手ではその魔法武器マジックウェポンとしての機能を使う必要はない。

 素の攻撃か、軽い戦技で十分だ。


 レクトの〈盾突進シールドバッシュ〉をまともに食らったオークは、信じられない衝撃が体に伝わり、内臓が広範囲に渡って破壊される。

 完全に致命傷だ。体が原型を保てているのは、その分厚い脂肪とゴツい皮膚のおかげだろう。

 そのまま後方に吹き飛ばされ、他のオークに衝突した。


 前列に残った2体──吹き飛ばされたオークの左右にいた2体のオークが、反撃に出る。

 攻撃を仕掛けた直後のレクトに向かって、野球のフルスイングよろしく、左右から棍棒を振り抜く。


 その二本の棍棒を、レクトは左手に装備したカイトシールドで受け止める。

 2つの鈍い音と共に棍棒が弾かれた。

 もちろん、この程度の攻撃ではレクトは微動だにしない。

 が、余裕で棍棒を弾いたはずのレクトの顔には、微かな警戒が浮かんでいた。


「こいつら、攻撃が強化されてやがる!」


 受け止めた感触が、いつもと違う。

 大した威力ではないが、違いはある。

 撫でられたのと突かれたのではどちらも痛痒を感じないが、そこから読み取れる情報は大きく異なるのだ。


「腕力が普通のオークの5割増しだぜ! 多分、さっきの雄叫びの影響だ!」


 魔物の雄叫びには、同種の能力を強化するものがある。

 例えば、ゴブリンロードの《狂戦の鬨》は、それを耳にした全てのゴブリンの身体能力の底上げと、攻撃力・防御力の強化、そして凶暴性付与の効果がある。

 弱いゴブリンを厄介な狂戦士に変えてしまうこの能力は、まさに軍団を率いるゴブリンロードに相応しい特技だろう。

 これがあるせいで、ゴブリンロード率いるゴブリン軍団の討伐は困難なのだ。

 先ほどの雄叫びも、この部類の能力だろうとレクトは判断した。


 結果から見て、その判断は間違いではなかった。


 仲間が瞬殺されても、二人がかりの全力攻撃が容易くはじかれても、オークたちには動揺の色がない。

 まるで何も感じていないかのように、ただ只管レクトたちを殺すことにのみ傾注している。


「なるほど、強化系能力か。小賢しい」


 アレンは吐き捨てると、軽やかの距離を詰め、長剣をレクトの右にいたオークの首に無造作に突き立てた。

 喉と頚椎を貫かれたオークは一度だけビクッと震えて地面に崩れる。


 続けて、アレンは呪文を唱えながら左手に魔力を集中させ、地面に向ける。


「"大地に集いし土の元素よ、槍と化して我が敵を貫け"──《土石槍クレイランス》」


 地面から腕ほどに太い土の槍が一本飛び出し、レクトの左にいたオークを下から串刺しにする。

 股下から脳天まで一直線に貫かれてトカゲの串焼きのようになったオークは、一瞬で絶命した。


 これで前線の3匹が沈んだ。

 その後ろ──中列にいる4匹のオークが姿を現す。


 盾を構えたレクトが透かさず大きく踏み込み、中列のオークたちに迫る。

 戦線が一気に前進する。


「援護するわ、レクト!」


 声を上げつつ、ダナンが愛用の武器を腰から取り出す。

 指揮棒に似た、30センチほどの木製の杖だ。

 それに魔力を纏わせながら正面に構え、ダナンは呪文を詠唱する。


「"大空に集いし風の元素よ、剣と化して我が敵を斬り裂け"──《突風刃ガストブレード》!」


 回転する風剣が突進するレクトの正面に立つ4体のオークに襲い掛かる。

 風の快刃はオークの分厚い肉を切り裂くだけに留まらず、高圧空気によって傷口を無理やり割き広げ、より深い切創を作る。

 致命的な切創を無数に刻まれたオークたちは、文字通り血路をレクトに空けた。


 これで中列にいた4体が沈んだ。

 戦線は更に前進し、残るは最後列にいる3体のオークのみ。


 棍棒を振るおうとする最後の3匹に、レクトが躍り掛かる。


「おらっ!」


 盾による強打。

 正面のオークがよろめく。


「ほっ!」


 振り払った盾の遠心力に身を任せた、短剣による大振りの回転切り。

 左のオークの喉が切り裂かれる。


「ほいっ!」


 引き戻した盾に短剣を番え、遠心力を生かしたまま突進。

 正面でよろめくオークが心臓を貫かれ、盾に弾かれて吹き飛ぶ。


「ふんっ!」


 レクトの後方を守るように、アレンが残った右のオークの喉に短剣を突き立てる。


 打ち合わせなど必要としない二人のコンビネーション。

 僅か2秒で4回の攻撃が放たれ、最後列にいた3体のオークは全て地面に倒れた。


「こんなものか」


 長剣に付着した血を振り払い、アレンは屍骸と化したオーク達を見下ろす。


 オークの10体や20体は、準備運動の範疇でしかない。

 息が乱れるどころか、汗の一滴すらかいていない。

 問題は、その背後にいる──雄叫びを上げたナニカだ。


 アレンは雄叫びがした東の方方向へ厳しい視線を投げる。


 雄叫びの一つでオークたちを恐怖のどん底から引き上げたことからして、そのナニカは間違いなく特殊な能力を備えているだろう。

 そのナニカが、先ほど倒したオークの群れを率いているリーダーである可能性は非常に高い。


 今しがた倒した10体のオークは、東の方から来て、西の方角へと進行していた。

 後方に群れのリーダーがいるのならば、この10匹は別働隊である可能性が高い。


(もしかしたら、この10体はただの偵察かもしれんな……)


 オークを率いるだけならば、オークの上位種でも可能だ。

 例えば、レベル4の「バトルオーク」やレベル5の「ブルーオーク」「レッドオーク」などがいい例だろう。

 しかし、レクトの〈挑発の唸りタウンティングハウル〉を無効化し、ダナンの《風探知ウィンドサーチ》でも正体を掴めないとなると、相手は限られてくる。


(最も可能性が高いのは、やはり「オークロード」か)


 レベル6であるオークロードならば、それらの条件を満たすことができる。

 オークと呼ばれる魔物群は、大まかに4つの階級で構成されている。

 レベル3の「オーク」、レベル4の「バトルオーク」、レベル5の「ブルーオーク」と「レッドオーク」、そしてレベル6の「オークロード」だ。


 中でも、オークロードはオーク種の最上位に君臨する、所謂「最上位種」だ。


 通常、オーク種はオークだけで群れを形成し、人間や他の魔物を獲物として存続する。

 たまにバトルオークやブルーオーク・レッドオークなどの上位種が最下位種のオークを束ねて大きな集団を作ることもあるが、バトルオークやブルーオーク・レッドオークといった上位種は個体数が少ないため、そういった集団の誕生は稀なケースでしかない。


 しかし、「稀なケース」ということは「稀にはあるケース」ということでもある。

 その中でも最も稀で最も厄介なのが、オークロードに指揮された集団──オーク軍団だ。


 その「ロード支配者」という名が示すとおり、最上位種たるオークロードは、オーク種全般を使役することができる。

 全オーク種の中でも最強の戦闘能力を誇るのみならず、集団の戦闘力を高める能力や、集団を用いた簡易な戦略を考える知性をも持ち合わせる。

 そういった能力を駆使して統制の取れた動きを見せるからこそ、オークロードが率いる集団は「群れ」ではなく「軍団」と呼ばれるのだ。


 言うまでもなく、オークロードの軍団は厄介極まりない。


 オークロード本体は常に軍団に囲まれていて単独で出現することがほぼないため、討伐レベルは「レベル6+」で固定されている。

 ほぼ確実に多勢に無勢の戦闘を強いらる上に、オークロード自身の戦闘能力もずば抜けて高いため、冒険者ギルドではランク5以下の冒険者によるオークロードの討伐を禁止している。適正であるランク6冒険者であっても、単独での討伐は非推奨とされている。


 オークロードとその軍勢が相手ならば、何とかなる。

 強敵ではあるが、自分たちもランク6冒険者PTだ。

 実力的にはほぼ互角。油断は許されないが、臆する必要はないだろう。


 だというのに──


 アレンは思わず目を細める。

 変な汗が一滴、頬を伝って落ちる。


 嫌な予感がする。


 喉にパン屑が張り付いて取れないような、吐き出しも飲み込めもしない違和感があるのだ。

 変に喉が渇き、訳もなく胸がざわつく。


(嫌な感じだ……)


 アレンは、自分の直感や勘をかなり信じている。

 実際、直感には幾度となく助けられた経験があるし、仲間たちも「アレンの勘は当たる」と太鼓判を押してくれている。

 頼るほどではないが、信じるには値するだろう。

 その直感が「今回の件、簡単には終わらないかもしれない」と叫んでいるような気がするのだ。


(……怖気づいても仕方がないか)


 いつもの癖で左腕を押さえる。

 幼い頃からの妄想だが、今ではこうすると落ち着くから不思議だ。


「行くぞ」


 アレンの指示にレクトとダナンが頷き、戦闘態勢を維持したまま前進を開始する。


「悪い予感が当たらなければいいが……」


 そんなアレンの呟きは、落ち葉を踏みしめる微かな音と共に、木々の間へと溶けていった。






 ◆






 山の東側にて、アレンたちはその一団を発見した。


 山の東側中腹。

 そこには、木々が綺麗に切り倒された場所があった。

 さながら山に出来た十円ハゲのような、開けた場所だ。


 その一団は、そこに陣取り、休憩を取っていた。


「こいつらが切り倒したんか?」


 綺麗に伐採された山の一角を顎で指しながら、木陰に隠れたレクトは疑問を口にする。

 その問いに、同じく木々の陰に身を潜めたアレンが答えた。


「だろうな。野営のために周囲の地形を整えるとは、かなり知性が高いようだ」


 行軍に際し、野営地周辺の木々を伐採するというのは至極一般的な行為だ。

 野営地周辺を切り開くことで周辺警戒がしやすくなるし、切り出した木材は馬防柵の設置や前線基地の設営に使われるので、隠密性を考慮する必要のない軍事行動では、木々の伐採は寧ろ必須とすら言える。


 ただ、それは人間の軍団の話だ。

 魔物がそんな高度な行動を取ることは殆どない。

 逆説的に、それをするということは、その魔物がそれほどまでに高い知性を有している、ということ。


「にしては木の断面が綺麗過ぎじゃない? 見て、あの滑らかな切り口。まさか一薙ぎで切り倒したの?」

「だと思うぜ。斧でチマチマ切ってたら、あんな綺麗な断面にはならねぇからな」

「二人がかりでやっと抱ける太さの大木を一撃で切り倒すなんて、かなりの腕力と技量がいるんじゃない?」


 ダナンの問いに、アレンが頷く。


「ああ。恐らく『あれ』の仕業だろうな」


 アレンが示すように顎をしゃくる。

 その先にいるのは、一体の大柄なオーク。


 それは、明らかにただのオークではなかった。


 肥満体を連想させるオークの中にあって、そのオークだけはバキバキに引き締まった体をしていた。

 シルエットこそ他のオークと同じように太いが、実際は全てが筋肉で、脂肪ほとんど一切ない。

 その証拠に、ボディービルダーのように筋肉のスジがはっきりと現れる。

 完全にパワー系の戦士の体型だ。


 顔も、オークの面影を残しながらも、比較的人間に近い作りをしている。

 そのオークらしからぬ体型と合わせれば、「こういう顔の人間かもしれない」と思わせるほどだ。

 全体的に一般のオークからかけ離れた、オークらしからぬ外見のオークだ。


 それだけではない。

 そのオークは、まるで鎧を纏うように何かの魔物の毛皮を着込み、1.5メートルにも達するだろう巨大な片刃の大剣を右手に握っている。

 その身から滲み出る気配は、まさに王者に相応しい覇気。

 周囲の何者とも違い、何者よりも威圧を放つ。

 かなり遠くから観察しているアレンたちにすら届く、打ち付けるような存在感だ。


「間違いない。あれは、オークロードだ」


 アレンの結論に異議を唱える者はいなかった。


 オークロードの周囲には、数十に上る数のオークが待機している。

 その中には、青い皮膚の個体──ブルーオークが2体、あたかも王を守る騎士の如く、オークロードのそばに控えていた。


「やはり、オークロード率いるオークの軍勢だな」


 それは、まさしく脅威だった。


「おい、見ろよ!」


 できるだけ目立たないようにしていたレクトが、思わずといった感じで叫び、指を向ける。


「あのオークロードに向かって走って来てるやつ! あれ、『レッドオーガ』じゃねーか!?」


 レクトが指差している方角に、アレンとダナンは目を凝らした。

 視線の先にいたのは、確かに赤い皮膚の「オーガ」だった。


 オーガは、人に近い外見を持つ魔物だ。

 灰色の皮膚を有し、身長は軒並み2メートルを超え、全身を強靭な筋肉に覆われている。

 目が異様に小さく、下顎からは二本の太い犬歯が上に向かって伸びている。

 顔つきはゴリラと猪を足して二で割ったような厳ついもので、その凶暴性を表しているかのように醜い。

 人肉を好み、殺戮を快楽としている彼らは、人間の大敵と言われている。

 討伐レベルは、オークより一つ高いレベル4。

 オーガの上位種にはレベル5の「バトルオーガ」とレベル6の「ブルーオーガ」「レッドオーガ」、そしてレベル7の「オーガロード」が存在する。


 アレンたちが目撃した巨躯のオーガは、まさに赤い皮膚のオーガ種──レッドオーガだ。


 レッドオーガは、非常に高い身体能力と戦闘能力を備えている、比較的上位の魔物だ。

 魔法耐性には劣るものの、その物理耐性は一級品で、シリラ合金かそれ以上の強度を誇る武器でなければ傷すら付けることができない。

 魔法による攻撃手段を持たない冒険者にとっては、まさに悪夢のような存在といえる。

 ちなみに、レッドオーガと対を成すブルーオーガは特性が真逆で、物理耐性が低い代わりに、非常に高い魔法耐性を有する。


 魔物の中で「レッド」と付くものは俗に「戦士殺し」と呼ばれ、「ブルー」と付くものは「魔法師殺し」と呼ばれている。

 もちろん、人間の方が圧倒的にランクが上であればその限りではないが、それでもその特性は厄介の一言に尽きる。


 アレン達の視線の先で、レッドオーガは十数匹のオーガを伴い、アレンたちとは反対の方向──東の方角からオークロードの下まで駆け寄っていた。


「……オークロードを追ってきた? オーガの群れとオークロードの軍勢の衝突か?」


 そんなレクトの疑問は、すぐに吹き飛ばされた。


 なんと、レッドオーガはオークロードの下まで来ると、おずおずと跪いたのだ。


「おいおい! まさか、あのオークロードはレッドオーガとその群れを支配下に置いてんのかよ!?」


 オーガ種は基本、オーク種よりも強い。

 オーガ種内で最下位種のオーガは、同じく種族内で最下位種のオークよりも討伐レベルが一つ高い。

 同じ序列で比較すれば、レッドオーガはレッドオークより討伐レベルが一つ高く、レベル6であるオークロードと同格になる。

 各々の生態も相まって、オーガ種はオーク種を食糧として見做すことはあっても、共存を選択する対象と見做すことはない。

 対するオーク種も、オーガ種を不倶戴天の天敵として認識しているため、両者が出会えばほぼ確実といっていいほど殺し合いが始まる。

 そこに支配と被支配の関係は存在し得ない。

 たとえレベル5のレッドオーク強いオークがレベル4のオーガ弱いオーガと出会ったとしても、相手のオーガを殺す脅威を排除することこそすれ、決して支配することはない。


 だが、ここに、そんな常識を逸脱した状況が広がっている。


 レッドオーガ率いるオーガの群れを、オークロードが支配下に置いている。

 レベル的には両者同格だが、彼らの習性からすれば、これはあり得ない状況だ。


(……なるほど、先ほどの胸のざわつきはこれが原因か)


 アレンは納得する。


「もしかしたら、あいつが今回の魔物の大移動の原因かも知れんな」


 同格のレッドオーガを捻じ伏せ、使役する。

 そんなオークロードが普通なはずがない。

 これだけ特殊で強力な個体が、これだけ大きな軍勢を率いて進軍しているのだ。

 逃げ惑う以外、進路上にいる魔物たちに生き延びる方法があろうはずもない。


「やっと見つけたぞ」


 これが、今回の騒動の元凶。

 魔物の大移動を引き起こした張本人。

 自分たちの調査目標メインターゲットだ。

 アレンはそう確信した。


(さっきの10匹が偵察なら、進軍方向は……ピエラ村かっ!)


 この軍勢を放置することはできない。

 奴らが進む場所には、多くの人々がいるのだ。


 依頼だけを達成したいのであれば、ここで回れ右してフェルファストに報告に戻り、討伐隊を編成するという道もあるだろう。

 寧ろ、そうした方がアレンたちの危険は少なくなり、討伐成功の可能性は高くなる。


 だが、それをすれば、ピエラ村はこの世から消え去ることになる。


 あのジャーキーが如何に強かろうと、村人を誰一人犠牲にせずにこれだけの大群を退けることは、恐らくできない。

 村の人々を避難さるにしても、彼らには行き先もなければ受け入れ先もない。

 村人にとって村を放棄することは、命以外の全てを失うことと同義なのだ。


 であれば、すべきことはただ一つ。


「ここで迎え撃つぞ」


 仲間たちにそう宣言するアレン。

 激戦の予感に、アドレナリンが大量に分泌される。


 オークのみならず、オーガをも同時に相手取らなくてはならない。

 おまけに、上位種のブルーオークが二体と、自分たちのランクと同じレベルのレッドオーガが一体。

 普通の冒険者には絶望的な状況だ。


 だが──


「所詮はオーク種とオーガ種。俺たちであれば、恐るるに足りん相手だ」


 本能的に湧き上がりそうになる怯懦を振り払い、アレンは不敵に笑ってみせる。


 数は暴力だ。

 これだけの数を相手にするのだから、危険は決して少なくない。

 下手を打てば誰かが死んでしまうだろう。


 だが──それでも、尻尾を巻いて逃げることはできない。

 冒険者として矜持が、人としての信念が、アレンたち「アレイダスの剣」が追い求める冒険者像が、それを許さない。


「ふふっ、そうね。ブルーオークもレッドオーガも、あたしたちは過去に倒したことがあるんだから、ちゃんと作戦を組めば幾らでも相手できるわ」

「だな! よっしゃぁ! いっちょやってやんよ!」


 ニヤリと笑うアレンに勇気付けられ、ダナンが笑みを零す。

 レクトも、ワイルドに口元を歪めて拳を掌に叩き付ける。


 自分たちならば、この仲間たちとならば、必ずやれる。

 闘志が膨れ上がる。


「では、作戦を立てるとしよう」


 オークとオーガの混成軍団に指先を向けながら、PTリーダーであるアレンはそう言ったのだった。

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